「コンピューター技術書の温故知新 第一回 クラウドという言葉は根付いたが……」大野典宏

コンピューター技術書の温故知新

第一回

大野典宏

●クラウドという言葉は根付いたが……

 今になってやっとクラウド・コンピューティングという言葉の呪縛から解放されようとしている。

 確かにクラウド・コンピューティングに依存することでハードウェアの要求仕様を下げたChrome OSは成功したと言っても良い。だが、まだまだTwitterやSlackなどのネットワークサービスにおいてもPCやスマートフォン用のデスクトップアプリケーションが配布されている。ネットワークへの常時接続が可能になってきた現在とはいえ、まだまだ「ネットワークが何らかの事故で停止することもある」のが常識なので、オフラインでも使うことができるほうが安心だし、クラウド・ストレージだけにデータを預けることには抵抗がある。

 やはり、「起こりうる可能性がゼロではない事故はいつか起こる」のである。

 というわけで、最近はオンプレミス(on-premise:ハードとソフトを手元において使う形態)への回帰が始まっているとされている。というのも、

 1.魔改造(カスタマイズ)ができない

 2.細かいセキュリティに責任が持てない

 3.データ漏洩の際に免責事項で「ごめんね」だけで済まされてはたまらない

などの理由が挙げられる。

 最近では、マイナンバーカードのでたらめさに怒っている人も多い。そんなわけで、全部を人任せにすると確認したいこともできなかったり、細かい設定がおろそかになるなどの嫌な点が見えてきてしまったためである。たとえば、AmazonのAWSやマイクロソフトのWindows AzureといったIaaSに関しては、依然として利用が伸びてはいる。それは、同等の機能を実現しようとすると設備投資費が膨大になるといった理由からである。

 そこは万事が万事「右に習え」をしなくても良いので、各社の判断でクラウドとオンプレミスを使い分ければいいだけの話である。

 ただ単に、一時期のクラウド神話が消えて、この書評でも書いたとおり「適材適所」で使おうよね、との「全く持って正論」なことが常識化しただけの話である。

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初出 2009年2月 9日

『クラウド・コンピューティング』

西田 宗千佳著

朝日新聞出版社

ISBN-10: 4022732547

ISBN-13: 978-4022732545

235ページ

740円(税別)

2009年1月

 最近,ネットワークへと接続可能なマシンが身の周りに増えていませんか.自宅のパソコン,会社のパソコン,スマートフォン,携帯電話,ゲーム・マシン,流行のネットブック…….ネットカフェでコンピュータを利用することだってあるでしょう.そこで問題になるのがデータの共有と保存です.

 例えば何かのテキスト・データを参照したいとしましょう.これまでは自宅のローカルHDDに保存してしまったデータは,自宅でしか参照できませんでした.もしくは,USBメモリなどで持ち歩くとか,それくらいが限界でした.でも,USBポートを持った携帯電話はなかなかありません.つまり,同じネットワークに接続可能な機器であっても,使い方が異なってしまっていたわけです.

 Web2.0という言葉が現れて久しいのですが,Webサービスを提供する技術の向上によって,ネットワーク(具体的にはWebブラウザ)だけでできることが増えてきました.

 そこで登場した概念が「クラウド・コンピューティング」です.なぜに「クラウド」と呼ばれることになったのか,それは諸説さまざまです.インターネットを図示する時に雲のように描かれるからとか,空の上にある雲からサービスが降ってくるからなど,定説はありません.

 しかし,共通しているのは,「ネットワーク・サービスを積極的に利用することで,プラットホームや環境,場所に関係なく,同じデータやサービスが使えるようになる」という概念です.従って,「クラウド・コンピューティング」自体に新しい技術はあまりありません.そこにあるのは,Webブラウザを搭載した機器が身の周りに増え,通信速度の向上によりストレス無くWebサービスが使えるようになったという環境面での変化です.

 例えば,Gmailに代表されるようなWebブラウザ・ベースでのメール・サービスを使うユーザは増えています.これらのメール・サービスの何が便利かというと,Webブラウザさえあれば,機器の種類(パソコンかネットブックかスマートフォンか)や環境(OSなど),場所を問わずに同じサービスが使えるという点です.同じことがネット・ストレージにも言えます.また,Officeスイートをどこでも利用できるという点ではGoogle Docsなどもそうでしょう.

 また,ネットワーク上にデータを「預けてしまう」という点には,ほかの利点もあります.それは「共有」です.メールで大容量のデータを送るというのは,パソコンでは普通にできることですが,携帯電話から送るのは回線の転送速度からすると割に合いません.スケジュールやデータの共有も,それぞれのローカルに保存するのではなく,ネットワーク・サービスを利用することで可能になるわけです.

 さらに,ネットワーク・サービスを提供する会社のサーバ側で処理を実行してくれるので,ちょっとプアな環境であっても,何とか複雑な作業を行うことすら可能になるかもしれません.

 最近で最もわかりやすい形でクラウド・コンピューティングを統合し,Web OSを実現した例はiGoogleでしょう.ウィジェットを追加することで,メール,RSSリーダ,ストレージ,カレンダ,OfficeなどをWebブラウザだけで実現できています.

 このように,クラウド・コンピューティングはユーザにとって「良いことだらけ」のようにも思えますが,まだ発展途上であり,新しい考え方なので課題もあります.

 それは,「通信に依存してしまう」という点です.もし,ネットワークから切り離されたら,クラウド・コンピューティングに依存しきっている場合,何もできなくなってしまいます.しかし,この問題はGoogle Gearsのように,通信しなくてもWebアプリケーションが使えるような仕組みが提案されているので,解決するのも時間の問題でしょう.

 そして,「データを業者に預ける」ということに対する信頼性の問題もあります.信頼性の問題は,「データを預かる側の企業姿勢」が問われます.つまり,データを預かる企業に対して,これからは銀行並みのポリシでデータを扱う姿勢が求められるわけです.ただ,この問題が解決されないうちはサービスが広がることなどあり得ないので,そのうち解決され,ユーザからの信頼性も上がってゆくことでしょう.

 さらに,「通信速度の向上」が最優先課題になることも予想されます.NGN(Next Generation Network)の構想ではQoS(Quality of Service)が最大の課題とされていますが,通話も動画もデータの転送も一定速度の保証がされる日も遠くは無いかもしれません.

 携帯電話とパソコン,すでに内部的な区別はありません.両方とも「単なるコンピュータ」です.しかし,サイズの問題,使用目的の問題などがあるので,「すべてが一つの機器でまかなえる」などという都合の良いことにはならないでしょう.ただ,違う機器で同じサービスを受けられるという,別の角度でのシームレス化は促進されてゆくことでしょう.

 では,アプリケーション・ソフトウェアはSaaS(Software as a Service)に取って代わられてしまうのでしょうか.OSやハードウェアの発展はもう必要ないのでしょうか.そんなことはありません.ネットワークのセキュリティが完璧になることはありません.どれだけネットワーク上のサービスが向上しようとも,ローカルでのみ作動させる用途は必ずあります.また,これから新たな技術も開発されていくので,これからもますますの発展が必要です.「クラウド・コンピューティング」は,ある意味で真のユビキタスを実現する手段ではありますが,ユーザの目的がすべてWebサービスだけで実現できるはずはありません.

 あくまでも「適材適所」の一つの回答が「クラウド・コンピューティング」であるという話です.