『数理系の小ネタに満ちた奇想思考実験小説集 松崎有理「シュレーディンガーの少女」』大野典宏

『数理系の小ネタに満ちた奇想思考実験小説集 
松崎有理「シュレーディンガーの少女」』大野典宏

『重くて痛くて苦しい体を持つよりも、二度と会えなくなるのが辛い』。
――大今良時、「不滅のあなたへ」、講談社

 本書は過去に発表された短編、その改稿、そして書き下ろされた表題作を含んだ短編集である。
 共通するテーマは「理不尽な死」である。「***だから死ね」と他人に決められるのはとても納得できない。ここで述べる死とは人命だけではなく文化や職業でもあったりする。
 これって今の日本の状況と同じだと気がつかないだろうか? 貧困の末に餓死したなどという事件が後を絶たない。これなどは国家による国民の殺害である。
 これまで、最も無駄で理不尽な死を与えてきたのは戦争と飢餓だが、宗教の異端審問での死刑や、パンデミックで亡くなった人も少なくはない。そして今になっても異端審問は行われているし、現在起こっているパンデミックは注意すれば防げたのに怠慢によって広がってしまったものだ。両方とも明らかに人災である。
 また、先日はアワビが絶滅危惧種に指定されたと報道された。その他にもウナギが絶滅危惧種になっているし、鰯やホッケといった魚の漁獲高が減っているのも事実として認識しなければならない。さらには後継者がいないとの理由で需要はありながらも途絶えてしまいそうな職業もある。これは天然資源の死、食も含めた文化の死滅以外のなにものでもない。
 個人的な感想なのだが、評者が子供の頃には滅多に食卓に出てこなかったタラコは、今やコンビニエンスストアでタラコや辛子明太子のおにぎりとして普通に売られている。あれっていったいどこから来ているんだろう?と思って調べてみたら見事に漁獲高が減少傾向にあった。卵を取り過ぎたら全体量が減るのは当然でね?
 そのように「理不尽な死」には人の勝手なエゴによるものもあり、こればかりは理性だけで止められるものではない。
 とまぁ、これが本書を読んで考えたことである。
 そして本書で最も楽しめたのは、基本的なアイデアと、そのアイデアを投げつけるチートなみの捻り具合、そこらじゅうにちりばめられた小ネタなど、そこだけでも十分すぎるほどに面白い。わからないカタカナとか用語があったらそのたびに検索して確認してみると良いだろう。これがわかるのとわからないのとでは楽しみが違ってくる。
 本書の全体を通じて言えることだが、それぞれの話が「トワイライト・ゾーン」のようなオムニバスドラマの一話として採用されても十分に耐えうるのではないかとも感じた。『皮肉と教訓に満ちた印象に残る作品集』。これを最大の賛辞として著者に捧げたい。
 著者である松崎有理さんの作品は、いつも「こうきたかー!」という驚きに満ちているのだが、本書も間違いなく意外性を楽しめる奇想小説集である。
 最後にネタバレにならない程度にそれぞれの作品について紹介しておく。
 「六十五歳デス」は、医学的な効果が無いのに、なぜ「おまじない」が信じられているのかを描く。
 「太っていたらだめですか?」は、政府の無能により、ヒットした韓国ドラマ『イカゲーム』、スティーブン・キングの小説『バトルランナー』や『死のロングウォーク』を思わせるデスゲームが繰り広げられる。
 「異世界数学」は、知の独占により学ぶことを禁止された世界において、それでも学びたいという好奇心と学ぶ喜びが切実に書き綴られている。ちなみに数理系の評者はこの作品が最も気に入っている。
 「秋刀魚、苦いかしょっぱいか」は、失われた資源、失われた仕事、失われた伝統文化がどれほど貴重なものだったのかを実感とともに訴えかけてきている。
 「ペンローズの乙女」は、生け贄という死ぬためだけに生きている少女とブラックホールに飲み込まれるダークマター生命の関係性がとても興味深い「物理学的な時空をも超越した関係性」を描いた残酷でありながらも、とても印象的な作品になっている。
 そして、「シュレーディンガーの少女」は、書き下ろされた一編。シュレーディンガーの猫を別の観点から捉えた多世界解釈の視点から、とんでもなく小さな可能性を描き出した優れたアイデアストーリーである。6発しか入らないリボルバーに5.5発の弾丸を入れたロシアンルーレットで生き残る可能性は果たしてあるのか?
 全編に共通しているのは、主人公が全員女性であること、時も場所も舞台こそは違うのだが、死を前にする、あるいは死んでしまった文化を前にするというシチュエーションを貫いていることである。

書誌情報
著者:松崎有理
出版社:東京創元社
発売日:2022年12月12日
 (電子書籍も同時発売)

「シュレーディンガーの少女」