『「サイバーカルチャートレンド前夜」開始にあたって』大野典宏

「サイバーカルチャートレンド前夜」開始にあたって

編集部より。
 「SF Prologue Wave」では新作ショートショートなどの小説作品やコラムに加えて、現在ではなかなか読む事の出来ない過去の小説作品や、評論、書評などを、著者等の協力を受けて再録しています。今回、大野典宏さんから「SFマガジン」で連載している「サイバーカルチャートレンド」以前に発表した多様な書評の提供を受け、「サイバーカルチャートレンド前夜」として、連載の形で掲載させて頂く事になりました。本稿は、連載の開始に当たり、改めて著者である大野さんにこれら書評群の今日的な意義について語って頂いたものです。多様な媒体に掲載された書評をまとめて通覧する事で、新たな発見が得られるものと思います。

大野典宏

 これから「SF Prologue Wave」で再録していく書評は、私が「SFマガジン」で連載している「サイバーカルチャートレンド」に連なる、科学技術書の書評で、基本的にリアルタイムで商業誌に発表したものです。
 技術書の書評には、もとから不満がありました。「何ができる」とか「何の作り方がわかる」だけで終始してしまう書評が何かと多いのです。確かに実用技術を紹介する本として書かれたわけですから、それ自体を否定するつもりはありません。
 ただ、それだけだと物足りないわけです。実用面のみを紹介することでかえって読者を狭めてしまっていないか? 考える可能性を無視していないか? などの点です。
 確かに、技術者が自分の専門としない技術をブラックボックスとして見てしまう傾向はあります。それは仕方がないことではあるものの、それだけでは勿体ないと考えていました。
 CPUは魔法のチップでは無いし、OSは確かに難しいのですが、特別なプログラムではありません。根本的な仕組みを理解すれば何とかなったりするものです。今や組み込みCPUはFPGA (Field Programmable Gate Array、設計者が論理回路の構成をプログラムできる論理回路をもつデバイス)の中に組み込むのを前提としたIP(Intellectual property )として提供されているものもあります。それをすることでCPUや周辺回路を詰め込み、ワンチップでシステムが実現できてしまうのです。
 OSにも、組み込み機器では「インハウス」(自社製)だと発表している製品があります。そういう機器を開発しているエンジニアはワンチップの中に実装された回路をすべて理解してBIOS (Basic Input Output System)やブートローダーを書いて、OSを起動させます。一人でやっているわけでは無いのですが、全員がシステムに関してきちんと理解をしていないとマズいわけですね。
 今やソフトウェア製品というとPC用のビジネスソフトやツール、ゲームなどを指していますが、組み込み分野ではさらに多くの知識が必要とされます。
 私はそんな方々のために「どうだ、興味出てきたろ?」と問いかけたかったのです。
 入門書では「こんな分野もあるんだけど、それを知りたくない?」、実用書では「こんな方法もあるんだけど将来有望になってこない?」と問いかけ、先を見るように気をつけました。
 「SF Prologue Wave」に再収録していく書評で扱うもののなかには、古い本もありますけれども、技術の本質は変わっていません。CPUは複雑化していますが原理は変わっていませんし、OSの役割も変わっていません。ただ、コンピュータが使われる領域が圧倒的に増えたのも事実です。組み込み機器向けのOSはサイズからリアルタイム性能まで様々な条件で選ばれます。中には中規模のものであればWindowsをそのまま使ってしまうことだって可能です。Linuxのほうが安定しているとか言われていた時期もありましたが、Linuxはあくまでも自己責任ですし、サポート会社に頼むとかえって値段が高くなることもあります。ですから基幹系にWindowsが使われることも増えているんです。何しろサポートやドキュメント類、ツール類も揃っているわけですから。
 そういった「移り変わりやすい世界」なので、「こんなこと知りたくない?」とか「知っておきたくない?」といった好奇心を刺激する書き方を心がけました。
 考えてもみてください。NTTはFAXと事実上変わりがなかった音声帯域でのアナログに変換した信号送受には限界が来たので、信号そのものをディジタル化したISDN (Integrated Services Digital Network)での高速化を図りました。そしてネットワークでの利用状況を想定して登りと下りを非対称にしたADSL( Asymmetric Digital Subscriber Line)によってさらなる高速化を図りました。ただ、それでも限界はあります。そして今では光ファイバーを全国に張り巡らせようとしています。いわゆるディジタル・ディヴァイド(情報格差:アクセスできる環境によって得られる情報の不平等が起きること)の解消ですね。低速のアナログ・モデムでネットに接続していた頃とは格段の進歩ですが、さまざまな試行錯誤がありました。これからもそれは続くでしょう。
 現在が当たり前と思うのは間違いです。機器を作るエンジニアは日々努力をしています。だって我々はいまだ最適の扇風機、電気釜、洗濯機の形をわかっていないのです。
 そんなわけで、影響力の大きな方々が語る「これからはコレだ! 右にならえ」という言葉は信じておりません。国が主導権を握った第五世代コンピュータ、スマート住宅、ビデオ・オンデマンド実験地域などのプロジェクトはすべて失敗しました。そこには自由な発想を制限する働きしないからです。実際、ビデオ・オンデマンドは専用のプロトコルと通信網が必要だと考えられていましたが、今はインターネットを高速化することで実現できています。そのように、「今のままでは無理だから」との決めつけが悪かったんですね。結局、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」のことわざそのままになってしまい、実験のための予算を無駄にしてきたわけです。
 今まさに問題となっている、人間でも判断ができない倫理問題をAIに任せることにも私は否定的です。ユーザー・アプリケーションでしかないAIがOSの最優先権を握るのは危険すぎます。そもそも人間が判断できない事態を勝手にAIというプログラムに決めさせるのはバグが出たあとで取り返しがつかなくなります。したがって、リアルタイム性の優先度はOSの制御を握ることができる人間が決めるべきなのです。
 一般向けのビジネス書ではバラ色の未来を宣伝しますが、エンジニアがそれに染まってはいけない。だからこそ、何ができて何ができないのかを知っておく必要があると私は考えています。それゆえに、書評という場を使用して、「考えてもらう」ことを最優先したのが、今回蔵出しする書評群です。時代が古いのでそれぞれの記事に追記が必要な部分もあるでしょうが、私が主張したい方向性は何ら変わっていません。
(協力・岡和田晃)