「たわけた行動をする自由/させないルール 『正義論』、ジョン・ロールズ著書評」大野典宏

たわけた行動をする自由/させないルール 「正義論」、ジョン・ロールズ著 大野典宏

 功利主義と言うと、ベンサム「最大多数の最大幸福」が有名である。
 社会にとって、より多くの人が、より幸福を得られる社会を実現させるためには? これは理想的な目標ではあるものの、実現するのは非常に難しい。
 ベンサムと交流があったジェームズ・ミルの息子にあたるJ.S.ミルは、ベンサムの功利主義から出発して独自の政治哲学を築き上げた。著書「自由論」のなかで、自由を保証するための原則を以下のようにまとめた。

 簡単にわかるようなものでない問題については、一般に流布している意見がしばしば正しいけれども、それが真理の全体であることはめったに、というか、絶対にない。あくまでも真理の一部分にすぎない。
(略)
 どういう意見の持ち主であれ、反対意見やその持ち主について冷静に観察し、誠実に説明し、相手の不利な部分をけっして誇張せず、相手の有利な部分、あるいは有利と思われる部分をけっして隠さない人には、当然の賞賛を与える。
 これこそが、公の場での議論における真の道徳である。
――J.S.ミル「自由論」、関口正司訳、岩波書店

 ここで注意しなければならないのは、ミルは、自由の名の下に各人が勝手なことをし始めたら無秩序になる無政府状態、優秀なアジテーターによって大衆による多数派の専制をもたらすポピュリズム(衆愚主義)に対して最大限の警戒を怠っていないことである。
 そして個別に自由に対しては、徹底した自己責任論を展開している。
 誰が何をしようとも、その本人のものであって、他の誰かが何を言おうが咎めようが、本人が楽しければ「それは本人の幸福」であるので勝手である。
 ただ、何かをして身体を壊したり、事故に遭ったとしても、本人の責任である。
 これを愚行権と言うが、それが倫理的に許されることと、法的に捌かれることは別の問題とされる。
 要するに、酒に酔っ払ったり、危険ドラッグを服用して車を運転するのが楽しい人がいても良い。ただし、事故を起こしたときには本人が全ての責任を取らなければならない。だが、一般的に危険性が高すぎるので、法的に規制されているという論法になる。
 愚行は自由だが、全部の責任を引き受ける覚悟はあるのか? 各人がそれぞれで判断してくれや! というわけである。これは実際に考えてみると、とても恐い話である。
 サンダル、タンクトップ、短パンでエベレストに登っても構わない。それは愚行権であるとする。でも、遭難したらどうする? 救助隊を要請しても良いが、その費用は全部本人が支払うべきであり、世間からの非難も全て受け入れなければならない。そもそも、自己責任であるのなら、救助隊を要請するのは虫が良すぎないか? と、議論がややこしくなるのである。
 だから、やっぱりそこで最低限のルールは必要になる。
 そこで、功利主義者として、二十世紀最大の功利主義者とされるジョン・ロールズは彼の著書「正義論」で、以下のような原理を説いている。

・第一原理
 各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な制度枠組みに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な枠組みといっても他の人びとの諸自由の同様に広範な制度枠組みと両立可能なものでなければならない。
・第二原理
 社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない
――(a)そうした不平等が各人の利益になると無理なく予期しうること、かつ、(b)全員に開かれている地位や職務に付帯すること
 すべての社会的な諸価値――自由と機会、所得と富、自尊の社会的諸基礎――は、これらの一部または全部の不平等な分配が各人の利益になるのでない限り、平等に分配されるべきである。
そうなると、不正義とは全員の便益とならない不平等であることに尽きる
――ロールズ「正義論」、第二章第11節

 最大限の自由は無政府主義や衆愚主義を招く。だからこそ、少数派の意見を大事にしろとミルは唱えた。
 そこで不平等が起こるのは社会として健全とは言えない。全ての機会や結果に平等を求めるのは無理がある。したがって、ロールズは「公正」という概念こそが正しく、そして善いことだとしたのである。
 平等(Equality)と公平(Fair)であることを切り分けたのである。
 ロールズはこれを「公正としての正義」と名付けている。
 社会契約とは何か? ジャン・ジャック・ルソーが唱えたこの概念は、なかなかその具体的な概要を定義することができない。功利主義や社会主義など、さまざまな形態が提唱されてきたが、ミルもロールズも個人主義と全体主義、資本主義と社会主義の間でバランスを取ろうとしていることがわかる。
 もはや「自分には自由がある」だと、勝手気ままにやりたい放題で済む世界で無い。だからといって、義務ばかりになると息苦しい。そのなかで何とか中間点を見つけようとしてきたのが功利主義だったと言えるのかもしれない。

(初出:シミルボン「大野典宏」ページ2020年2月24日号)