「色」に込められた意味から読み解く、M・ジョン・ハリスン『奇妙な大罪』

「色」に込められた意味から読み解く、M・ジョン・ハリスン『奇妙な大罪』 
 なな

 私は今回M・ジョン・ハリスンの作品『奇妙な大罪』について論じる。この作品を読んで私は『奇妙な大罪』は救いの物語ではないかと考えた。物語は死者の生前の罪を引き受ける罪喰いの儀式から始まる。私は読んでいるなかで色の表現がとても多いことに気が付いた。黄色、菫色、紅藤色…。特に多いと感じたものは〝青〟と〝白〟だった。この色という観点に注目して以下より進めていきたい。
 本文から青と白の表現されている部分を抜き出すと「少女は二時間前に染みのない青と白の覆いのかかったベッドに寝かされ(p92上段17行目)」「マリの蒼白い頭蓋骨が棒の先にとりつけられ(p94上段13行目)」とある。他にも伯父であるプリンセップを説明する際にも「彼のうるんだ青い目(p94上段17行目)」「彼は薄青のヴェルヴェットの上着を着て(p94下段15行目)」と〝青〟が用いられていることが分かる。母が使っている水差しも青と白であったし、罪喰いの男の「目は青みを帯びた白亜色(p100下段19行目)」であった。この本文の中の様々な箇所で〝青〟と〝白〟が使われていることが分かるだろう。ここで注目したことは青や白という色に伴うイメージだ。色のイメージというのは現代のカラーセラピーにも用いられており、様々な心理効果が発揮される。私自身カラーセラピストの資格を持っており、学んだことがある。青のイメージキーワードは静寂や冷静、高貴、理想などが挙げられている。希望の色としてのイメージも根強い。『文学シンボル辞典』によると青は聖母マリアの色であり、天国・希望・貞節・純粋・真実・理想を表す色とされている。現代のカラーセラピーの心理効果にも共通する〝希望〟というイメージが入っているのだ。しかし、悪い意味合いも同時に持ち合わせている。青は青でも黒が混ざったような「青黒い」色は死の色ともされている。現代における青のマイナスイメージは孤独・憂鬱である。つまり希望というプラスの面を持ちながらも、孤独や死という暗い感情を彷彿させる色が〝青〟なのである。次に注目した色は〝白〟だ。現代における白のイメージは純粋・再生・清潔、『文学シンボル辞典』には喜び・慰め・楽しさ。これがプラスイメージだ。また神の啓示(陽光)にも白が用いられることが多いようだ。白にはマイナスイメージが浮かばないように思われるが、カラーセラピーの観点から見ると孤独・冷たさがそれにあたる。『文学シンボル辞典』ではこのように書かれている。「シロクマ、ホホジロザメ、色素の描けた白子、死者の白さ、ハンセン病」と。つまり白というものは負も連想させる色でもあるのだ。特に〝死者の白さ〟青と同じように死という意味を表すのである。
 それを踏まえて物語を読み解いてみる。まず青のみの表現がなされている部分だ。プリンセップの伯父の瞳が潤んだ青い目と本文では表現されている。そして、薄青い上着を着ていたとも書かれている。プリンセップ伯父は他の叔父たちから嫌われており、姉妹たちも軽蔑の眼差しを向けていた。「何年も前、自分の母と諍いをおこし、家族を捨て(p94下段13行目)」ているのだから当然ともいえる。彼は孤独だったのだ。青い目を持ち青い服を着るプリンセップは、色彩表現の意味の観点から見ても、この本文で読み取れることから言っても〝孤独〟であったことに変わりはない。実際にモーパッサン夫人はプリンセップのことをこう語っている。「彼は若く孤独だった。(p97下段20行目)」と。身内からは煙たがられ、嫌われているプリンセップであるが、私はあくまでもこの物語を救いの物語であると述べている。それはこのプリンセップ伯父をこう解釈したからである。青には「純粋」という意味も込められている。単に悲しみや悲壮の色ではないのだ。この純粋はこの伯父を表現する言葉として本文でも用いられている。それはモーパッサン夫人と話している場面。「僕の意見ですが、伯父は大いなる芸術家で、純粋に芸術を愛していました。(p98上段16行目)」語り手である「俺」が伯父を、どうしようもないと身内から見られていたプリンセップを庇う台詞である。ここですべてがひっくり返るような気がしてならない。〝純粋〟。語り手に見えていた伯父は悪い面だけではなく、青の持ついい面もその身に滲ませていたのだ。この後に語り手はかつて伯父が身を隠していた場所を訪れる。精神療養所の高い瓦礫の向こうから狂人たちの叫び声が聞こえるような場所であった。伯父はこの時すでに精神的におかしくなっていたに違いない。叫び声が聞こえる家にただただ何年も座っていたのだから。ただそのような相手に込められた「純粋」という言葉を無駄にしてはいけない。確かに彼は孤独であっただろう。憂鬱であっただろう。そんな暗い感情の中だからこそ、伯父に向けられたこの言葉は引き立つのだ。プリンセップは純粋さを備えた人物、聖母マリアの色に包まれるべき存在であったのだ。
 次に白のみの表現がされている部分だ。子供の罪とはどのようなものか、それを罪喰いはこう述べている。「亜麻布で花輪を造り、それに白い薔薇を飾りつけておった。そしてその下に白い手袋を下げ、幼子の年に応じてその年の数だけの手袋を吊り下げ、ぼろぼろになって落ちるまで教会にさげておくのだ。(p92上段21行目)」そしてこの言葉の後に「子供の罪とはそのようなものだと思っている。教会に下げられている白い手袋だ。(p92上段24行目)」と続けられている。死んだ子供のために白い手袋を下げておくことは『文学シンボル辞典』における白のイメージ(死者の白さ)とぴったりである。しかしここで子供の罪とは教会に下げられた白い手袋だと述べられていた。つまりぼろぼろになって落ちるまで下げられている白い手袋が子供の罪だとするなら、落ちたら罪が許されると解釈できるのだ。そうすると「子供の罪とはそのようなものだ」という台詞に合致する。「そのようなもの」とういフレーズは少なくとも何か小さいものを述べる際に用いられる。決して指している対象は大きくないのである。「落ちる」までとされており、この子供の罪は永遠でないことが分かる。したがってここでの白の意味は悪いものではないことが分かる。ここでは罪が許され神に召される啓示の色としての白が用いられているのである。
 最後に青と白の両方が用いられている部分だ。物語の初めと最後に描写されている死んだ少女の横たわるベッドの覆いである。青と白の両方に「死・孤独」という意味が込められているのは、上でも説明した通りである。死んだしまった少女は現世に留まることなく、孤独の身となる。これがマイナスイメージだ。しかしこのシーンは罪喰いの儀式の場面である。罪喰いの儀式とはヨーロッパ各地に残っていた弔いの儀式のことで、死者の生前の罪を引き受けることである。この場面から見ても特に悪い場面には見えない。むしろ死んだ少女を見送ろうとする温かい場面のはずだ。もしも家族がこの少女に悪い感情を持っていたのならば、父が何度も「娘は昨日は見るからに楽しそうに駆けとった。いつも、見るからに楽しそうに駆けとった(p92下段12行目)」などと同じ言葉を繰り返し言うことはないだろう。「少女の母が泣き始め(p92下段6行目)」ることだってないだろう。そして何よりもお金を払ってまで罪喰いの儀式を行うことだってないだろう。このことから少女は家族に愛されていたことが分かる。持たれていた感情はマイナスではなくプラスであることは間違いがない。ここで使われている色もプラスの意味で見てみると、「希望」が当てはまるのである。もう1つは母の持つ青と白の水差しだ。母は花が好きであったと本文に書いてある。病気の時には健康に悪いからと花を置くことを認めなかった看護師を解雇したほどだ。そんな母が青と白の水差しで水くれをしていた。「花がしおれて茶色になってもずっとそのままにしている(p98下段18行目)」ほど花が好きであり、自分の健康よりも花を傍に置くことを選ぶ母の場面。果たしてこのシーンはマイナスの感情が渦巻いているのだろうか。確かに自分の命を削っている母を正しいとは思えないが、正しさは個人が決めるものだ。この場面、それを選んだ母は最期を全うしていたのだ。花と共に最期を迎えることを良しとしていた。つきまとう青と白の「孤独」と「死」のイメージ。しかし、それを凌駕するほどの「再生」と「希望」。死んだ少女は孤独であった。母も死に逝くために孤独である。しかしその中で「希望はある」と。孤独を払拭するような「再生がある」とそのような捉え方ができると私は感じた。
 色のイメージを用いてこの作品『奇妙な大罪』を論じた。悲しげな作品のように見えて、色の観点からこの作品を分析すると、必ずしもそうであるとは言い切れない。むしろ次への希望が溢れた救いの作品なのである。

参考文献
『ナイトランド・クォータリーvol.20バベルの図書館』、2020年4月7日、有限会社アトリエサード
『文学シンボル辞典』、2005年8月31日マイケル・フィーバー、株式会社東洋書林
『色の意味(カラーセラピーで用いる色についての解説)、TCカラーセラピー本部公式サイト、https://www.tccolors.com/color_dictionary/meaning_of_color

(初出:シミルボン「なな」ページ2020年8月13日号)

※本作は東海大学文芸創作学科で岡和田晃が2020年度春学期に開講したSF・幻想文学論で提出された春学期レポートの優秀作を改題したものです。なな氏は当時の受講生。同作はM・ジョン・ハリスン『ヴィリコニウム パステル都市の物語』(アトリエサード)の解説でも言及されました。

採録:川嶋侑希・岡和田晃