「猫山」川島怜子

 登山家のあいだで、ひそかに伝えられている、難攻不落の山がある。成功した者は誰もいない。
「ここか……」
 登山家は足を止めて、大きく深呼吸した。森の入り口だった。辺りを見回してみたが、山らしきものはない。
 置いてあるテーブルには、手書きで「猫山本舗」と書かれた紙がたててあり、「入山料をここに入れてください」と書いた貯金箱が置いてあった。登山家はお金を入れた。
 頭上から紙がひらりと落ちてきた。見あげると大きな木があったが、誰もいない。
 紙には「この大木の向こうに山があります」と書いてある。大木の向こうへ周ってみると、枝にカーテンがかけてあった。カーテンには「ここが山です。カーテンを開けてください」と書いてある。
 ドキドキしながら、登山家はカーテンを開けた。
 そこには、たくさんの子猫がピラミッド状になっていた。
「これが猫山……!」
 子猫はみんなミューミューとかわいい声で鳴きながら、つぶらな瞳でこちらを見ている。
 猫山の前には「さあ、登ってください」と書かれた紙があった。
「ここに登る……? 嘘だろう……?」
 登山家はおそるおそるトレッキングシューズでそうっと子猫を踏もうとした。その途端、子猫は悲鳴のような鳴き声をあげて、うるんだ目でこちらを見た。他の子猫も怯えた表情でこちらを見ている。ぶるぶると震えている子猫もいる。
「かわいそうで踏めるわけない!」
 登山家はわっと泣きだした。
「怖い思いをさせてごめん! 貯金箱に有り金を入れておくから、あとでおいしいものでも食べて!」
 登山家は走り去っていった。
 登山家がいなくなったあと、木の上から一匹のハダカデバネズミが現れた。
「よし、みんなご苦労さま。今日もうまくいったぞ!」
 ハダカデバネズミの言葉を合図に、子猫たちは、かぶっているふわふわの子猫の着ぐるみをとった。毛がなく全身がつるりとしていて、前歯が長い、ネズミにしては人目をひく外見のハダカデバネズミたちだ。
「さて、なにかごちそうでも食べようか」
「わーい!」
 ハダカデバネズミたちが喜んでいるところに、茶トラの猫が駆けこんできた。
「ちょっと、あんたたち! こっちが本物の猫山よ! なによ、『猫山本舗』って。しかも着ぐるみなんてかぶって! こっちは本物の子猫を使って、体を張っているんだから!」
 茶トラの猫は、興奮して怒鳴りちらした。ハダカデバネズミたちは、申し訳なさそうな顔になった。
「そう言われても、こっちは毛が生えていないから、踏まれると大ケガをしてしまうので……」
「だったら、毛が生えているハダカデバネズミのかぶりものにしなさいよ!」
「毛が生えていたら、ハダカデバネズミじゃなくなります。それに、子猫の愛らしさは格別ですから……」
「確かに子猫はかわいいわ。だから、うちも子猫を使って、猫山を作ったのよ。だけど、それをマネするのはどうかしら? しかも着ぐるみなんて、ダメじゃない? おかげでうちは商売あがったりよ」
 茶トラの猫は腰に手を当てて、お説教を始めた。ハダカデバネズミたちは悲しそうな顔になった。
「あなたは猫だから分からないんですよ」
「どういう意味?」
「猫はかわいいので人間からチヤホヤされます。私たちは醜いのでバカにされます。私たちが山を作ったところで、人間に踏み散らされて、山を制覇されるだけです」
 茶トラの猫の眉間にシワが寄った。
「あのね! あんたたちが醜いなんて誰が言ったの!? 誰も言ってないでしょう! 毛がないのがダメなら、スフィンクスっていう無毛の猫はどうなるの? スフィンクスの愛好家もたくさんいるのよ。あんたたちが勝手にダメだって決めつけているだけよ」
 もっともな言葉に、ハダカデバネズミたちはうなだれた。
「……分かりました。明日からは、この姿のままでハダカデバネズミ山として活動していきます」
 キリっとした表情になったハダカデバネズミの言葉を、猫は深く頷いて聞いていた。
「分かればいいのよ。あ、ねえ、この子猫の着ぐるみ、もらってもいい?」

 その後。
「こんなに、つるつるしたネズミ、かわいそうで踏めない!」
 登山者は泣きながら帰っていった。
 ハダカデバネズミ山は、猫山と並ぶ未踏峰の山となった。
 一方、猫山では。
「暑い~!」
 子猫の着ぐるみを脱いだ子猫は横になった。
「ふう~、誰かお水ちょうだい~」
 着ぐるみを着ていれば、万一踏まれてもケガをしないだろうという考えからだったが、暑さでのぼせる子猫が続出した。
 太陽の下、たくさんの子猫と、子猫の着ぐるみが散乱している。
「こんにちは、猫山に登りにきました……ええっ、猫が脱皮している! 怖い! 助けてー!」
 猫山にきた登山者は、恐れて逃げだした。
 猫山は日によって山顔を変える変幻自在の山だと噂が流れた。
 真実を確かめるには挑戦するしかない。
 今、登山者たちのあいだでは、難攻不落と言われている山が二つあるとささやかれている。どちらの山にも登ることに成功した者は誰もいない。