コンピューター技術書の温故知新
第六回
大野典宏
●まだまだ続くオープンハードウェア
今回紹介する記事で取り上げたArduinoは、まだまだ元気にオープンソース・ハードウェアとして頑張っている。オープンソース・ハードウェアとは、要するに回路図を公開し、基板の設計情報も公開、開発環境まで無料で公開しているのである。思い出してみれば、この頃から廉価なCPU基板が出回るようになり、IoT(Internet of things:物のインターネット接続)という言葉を流行らせることになった。
今では少し値段がはるものの、Linuxが動作する「ラズベリーパイ」というオープンソース基板が特に流行っていて、中には事実上ラズベリーパイを用いた工作専門雑誌と化している媒体すらある。これは個人で使うのならそのままラズベリーパイの基板を使ってしまって「自分だけの一台」で済ませることも可能なのだが、回路図が公開されているので、専用基板を準備して大量に生産することもできる。Arduinoから始まったオープンソース・ハードウェアの流れが、ついにPCレベルの能力を持つにいたっているわけである。
さて、言っては悪いがIoTという言葉がすでに死語になりつつあるのを感じ取っている方は多いかもしれない。これって、インターネットという存在がいささか厄介だったりするからである。それはなぜか? インターネットが開かれたネットワークだからである。
どれだけ暗号化しても、開かれたネットワークである以上、データの送受信はできる。では、その暗号が破られたら? かなり怖いことになる。
銀行の口座情報や取引、電気メーターの情報管理など、実際に大きな情報漏洩が起こりかねず、しかも被害規模が大きな分野となると、ネットワークはクローズドにしたほうが良い。
やはり、インターネットは開かれていて、そして誰にでも使える分だけ便利なのだが、セキュリティという面で見ると少し怖いのも確かだ。数ヶ月に一度は、どこかの企業がインターネットで顧客情報を漏洩させてしまったとニュースになる以上、やはり「怖いから怖い」としか言えない。かなり強力な暗号を実装して通信するのであれば話は別になるのだが、その暗号システムを導入するのにもコストがかかるので、なかなかに難しい。
したがって、筆者個人としては、自動車や電車、飛行機、信号機、それらの管制システム、または各種の金銭価値を持つ情報が行き交うといった重要な案件に対して強度な暗号を使用しない限りは「絶対にインターネットを使ってほしくない」としか言えないのである。
自動車を例に取るなら、渋滞情報くらいなら公開しても構わないだろうけど、個人の自動車がどこを走っているのかといった経路追跡などはプライバシーの問題に直接関わるので、これは止めて欲しい。たとえば自動車ナンバー自動読取装置(いわゆるエヌシステム)などは、犯罪捜査のために役立てるのが主であって、プライバシーを暴くのが目的では無い。こんな情報が漏れてしまうのは危険極まりないのである。
ちょっと話がそれたので戻す。かように廉価なボードであまり苦労することもなくインターネットを使用できるような機器を開発可能にしたのはオープンソース・ハードウェアやオープンソース・ソフトウェアによるところが大きい。それは否定するつもりも無いし、肯定する。だが、著者は「IoT万能!」などと書いた覚えはない。
まぁ、害のないところで使う分には便利だし、良い物だと考えるんだけど、すべてがオープンで良いのか? とも考える昨今だったりする。
初出 2009年3月19日
誰もがみんな物を作ることが楽しいと思っているんだ
『Making Things Talk -Arduinoで作る「会話」するモノたち』
Tom Igoe著
小林 茂監訳/水原 文翻訳
オライリージャパン
ISBN-10: 4873113849
ISBN-13: 978-4873113845
456ページ
3,800円(税別)
2008年11月
最近流行のキーワードである「フィジカル・コンピューティング」とは,むき出しのCPUとI/Oを搭載したオープンなハードウェアにセンサやモータを取り付け,習得しやすいプログラム言語を使って動かすことにより,物理的なつながりを実感できる学習工作(遊び)のことです.
代表的な例としては,今回紹介する本で取り上げられているArduinoや,Gainarなどが挙げられます.これが今,「電子工作は楽しい」ということで注目を集めています.
平たく言えば,昔は電子ブロック,最近ではLEGO MINDSTORMS NXTなどと同じで,「楽しく遊びながら物を作るという喜びと技術学習を行いましょう」というトレンドが,ついにはんだ付けのレベルにまで落ちてきたということだと捉えてもよいかもしれません.
今では何を作るにも制御にはマイコンが不可欠でプログラムを作ろうとすると,それはそれで苦労します.その苦労を簡易な環境を提供することによって軽減し,ハードウェアに目を向けてもらおうという試みであるとも言えるでしょう.
ちょっと脱線しますが,「最近の若者は物作りに興味が無くなった」とか言われるのですが,それは全くの嘘だとしか思えません.
システムを作るという発想にみんなが興味を示すということに関しては,フィジカル・コンピューティングの前にLEGO MINDSTORMSが成功していることでも明らかです.電子ブロックを復刻してみたら,信じられないほどに売れたという現象は,今では大人になってしまった人たちが,子供のころに電子ブロックで何かを作ることが楽しかったと感じていたということを示しています.
また,マニアックな世界になると,ロボット・バトルなどの大会が行われるようになり,二足歩行のロボットを一から作り上げて戦わせることを趣味にしている人もいます.
また,ソフトウェアの世界では,若い人たちがこぞって十分に面白いプロダクトを作り上げています.
電気・電子以外のジャンルでは,ガレージ・キットなどのフィギュアをフルスクラッチで作ったり,ジオラマを作っています.「堕落した若者」の代表として認識されている感もあるアキバ系と言われる人たちでさえ,コスプレの衣装や小物を自分で作っています.
だいたい,物を作り上げることが楽しくなければ,ガンプラやディアゴスティーニのキットが売れている現象を説明できないでしょう.そうでなければ,みんな既製品を買うはずなんですから.
結論としては,やっぱりみんな,物を作り上げることは楽しいと感じるのです.
つまり,「若い人が物作りに興味が無くなったのではなく,企業の中では面白い物作りができなくなっているように思える」ために志望者が少なくなっているだけだと考えることはできないでしょうか.
現在,一つ一つの製品が複雑化しています.どうしても分業体制になり,大勢で協力して作り上げなければなりません.その現場でプロジェクト管理だの,レビューなどと「物を作る」こととは直接関係のない「マネージメント」という手続きが入ってしまうので,「自分はいったい何をしているんだ?」と退屈に感じられる世界に見えてしまっているのではないでしょうか.
そういう意味では,趣味の世界であれ,物作りの楽しみを推進する試みは有益なことだと思います.
本書は,Arduinoを用いて実現できる応用例を数多く,しかも懇切丁寧に説明しています.
マウスの代用品を作る,GPS(Global Positioning System)信号を受信する,インターネットに接続する,Webカムで2次元バーコードを読み取るなど,いたれりつくせりの例題集です.どれも簡単なはんだ付けかブレッド・ボード上での配線で実現でき,ソフトウェアを書くだけで済むことが分かります.
何であろうとも,やってみれば意外と簡単で,しかも楽しいのです.
昔は,オーディオや無線機などは自分で作るのが当たり前のような世界がありました.今でも「無いから作る」,「作った方が楽しいから作る」という欲望は,みんなが持っているのです.ただ,マイコンの世界などは高性能CPUにFPGA,巨大なソフトウェアという個人の手には負えないものになってしまっているので,簡単には手を出せないだけでしょう.
ですから,ここでいったんハードウェアをシンプルにし,リッチなソフトウェア環境を提供することで敷居を下げるというのは,まさに逆転の発想であり,単体で機能する組み込みシステムを作り上げることのおもしろさを啓蒙するものとして,評者はこのトレンドを歓迎しています.