「呼び鈴」深田亨

 その家の玄関ドアの横には、インターホンのボタンと、少し低い位置に古めかしい呼び鈴のボタンがついていた。古い洋館なので昔のものがそのまま残っているようだ。呼び鈴のほうには『故障中』という小さな紙が貼ってある。
 ぼくは宅配便のセールスドライバー。これまで何度かその家に配達をした。おばあさんが出てきて、何も言わなくても、ご苦労さまと受け取りのハンコをくれる。
 でもその日は、インターホンを押しても鳴った気配がしなかった。
 いつもなら、家の中でピンポーンと音が聞こえるのだが。しばらく待っても応答がない。もう一度押す。家全体が、しん、と静まり返っているようだ。
 不在連絡票を取り出しかけて、ふと気がついた。呼び鈴に故障中の紙がなくなっている。
 ?がれたのかな。でも……少しためらって、古びたボタンを押す。
 家の奥のほうで、ジーという音が聞こえたような気がする。ややあって、遠慮がちにドアが半分ほど開いた。
「どちらさま?」
 ドアのかげから女の子が顔をのぞかせた。五歳ぐらいか。なんとなく西洋人ぽい顔立ちで、フリルのついた可愛い服を着ている。
「宅配便です」
「たくはいびん?」
「お届け物です」
 手に持った箱を示すと、女の子の顔がぱっとかがやいた。
「ありがとう、待っていたの」
 ぼくの手から奪い取るように荷物を抱えこんだ。
「あの、受け取りを」
 以前と違って、いまでは印鑑やサインがなくてもお渡しすることが出来るのだが、小さな子供に渡すのだからと念のために言ってみた。
「ちょっと待っていてね」
 女の子は自分の身体の半分ほどもある箱を持ったまま、玄関の奥に消えた。でも、なかなか戻ってこない。だんだん不安になってきた。
 渡してよかったんだろうか。ほかには誰もいないような様子だけれど……。奥に向かって声をかけようとしたときに女の子が戻ってきた。
 荷物はなかったが、そのかわりちゃんとスタンプ式の認め印を持っている。
「これでいいの?」
「ここにお願いします」
 差し出した伝票に押されたのはいつもと同じ印影だった。
 三日後、その家のおばあさんから配達所に電話がかかってきた。荷物が届いていないというのだ。ネットで注文した品物がなかなか来ないので、出品先に問い合わせると、お届け済みだという。
 連絡を受けて伝票を確認すると、あの女の子に渡した荷物に間違いなかった。きっとおばあさんが外出していて、かわりに受け取った留守番をしていた女の子――孫娘か何か――がどこかへ置いたまま伝えるのを忘れてしまったのだろう。
 ぼくはさっそく古い洋館に出向いた。
 今回はインターホンもちゃんと鳴ったし、呼び鈴には『故障中』の紙が貼ってあった。出てきたおばあさんにまず頭だけ下げて、玄関先で伝票に押された受け取り印を示しながら、丁寧に当日のいきさつを説明した。
「まあっ」
 なぜかおばあさんは絶句した。それから、半ば疑うような目つきで、つぎつぎと質問を発した。
「ほんとうに呼び鈴は鳴ったのね?」「彼女の来ていた服の色は? デザインは?」「西洋人のようだって言ったけど、可愛かったでしょう?」「名前はセーラって言わなかった?」
 最後の質問にだけわかりませんと言わざるを得なかったが、ほかの問いにはきちんと答えた。可愛かったでしょうと聞かれたときには、可愛かったですと言った。
「セーラだわ」
 おばあさんは確信したようにつぶやいた。
「だったら、荷物はきっと家の中にあるわ。あなたっ」
 最後はぼくを指さして叫んだ。
「一緒に探してちょうだい」
 ほらみろ、と思った。予想通りの展開だ。ぼくはおずおずと言った。
「お孫さんに聞かれたら、どこに置いたかわかるんではないですか」
「お孫さん?」
「違っていましたか。その――セーラちゃんってお嬢さんです」
「セーラは孫なんかじゃないわ。セーラは――私なの」
 言ってしまってから、それでは相手に伝わらないと思ったのだろう。おばあさんはぼくをキッチンにいざなうと、紅茶を淹(い)れてくれた。もうほかに配達の予定はなかったので、ぼくはおばあさんの話を聞くことにした。ちゃんと受け取りをもらったとはいえ、小さな女の子に荷物を渡してしまったことに、多少の責任を感じていたからだった。
「私はこの家に生まれて、結婚するまでずっと暮らしていたの。一人っ子で両親は忙しく、いつも留守番をしていたわ。寂しくはなかった。両親は本をたくさん買ってくれて、それを読んで過ごしていると退屈しなかったの。
 もともとここには英国人の家族が住んでいたそうで、内装や家具が外国みたいでしょう。私は、自分はセーラっていうイギリス人の少女で、家族や友達と楽しく暮らしていると想像を膨らませたのね。
 中学生になるまでは、ずっとそうしてきたの。でもやがて現実の友達も出来、大学を卒業して就職すると恋人も出来た。結婚して家を出て、ここに残っていた両親も亡くなってしまうと、家は人に貸していた。けれどなにしろ古いでしょう、使い勝手が悪くて借り手もいなくなり、しばらくは空き家になっていたの。
 私のつれあいが亡くなり、子供もいないので、なんとなく懐かしくなった。それで最小限の手入れをしてここに住むことにしたのよ。
 戻ってきて気がついた。家の中に誰かがいるのよ。実際の人間じゃないわ。霊とかそんなのでもない。少しも怖くはない。いつもじゃなく、ときどきふとそう感じるの。
 これでわかったわ。荷物を受け取ったのは、セーラだったのね。私が生み出した想像の少女、私の分身。
 あの日――あなたが荷物を届けてくれた日、私はずっと家にいたのよ。ソファに腰掛けて、レース編みをしながら注文したものが届くかもしれないと楽しみに待っていた。でもセーラに先を越されたのね。
 玄関の呼び鈴は私が小さい頃に使われていたの。もちろんいまのインターホンなんてついていなかった。だからセーラの世界では、インターホンは鳴らなかったのよ。あなたは呼び鈴を押して、セーラに渡した。認め印はキッチンのあそこの引き出しに入れてあるから、奥の部屋にいた私に気付かれずに持ち出せる。
 ――だとすると、荷物はもうみつからないかもしれないわね。だってセーラは、私にとっては過ぎ去った過去にしかいないのだから」
「セーラさんが持っていったのは何だったんですか」
「イギリス製の抱き人形よ。小学生のとき、何かで見てすごく欲しくなったけれど、子供には高価な値段がついていたので買ってもらえなかったの。つい最近同じものを見つけて注文したわ。きっとセーラも憶えていたのね」
「どこかにあるかもしれません、探してみますか」
 出されたクッキーをほおばりながら、そう聞いてみた。
「たぶんだめでしょうね。でもいいの、セーラにも楽しませてあげたいし。それで私の記憶が変わるわけではないけれど。同じものを、またネットで探してみるわ。こんどはセーラに横取りされないように工夫しなくちゃね。
 紅茶のおかわりはいかが?」
 ぼくは遠慮なくいただくことにした。
 ひと月ほどたって、おばあさんの家に配達に行った。以前の荷物と変わらない大きさの箱だった。同じものを見つけたのかなと思った。
 玄関でインターホンを押しても、前のときと同じように鳴っている気配がしなかった。呼び鈴には『故障中』の紙がない。
 ぼくは迷うことなく、玄関わきに設置された真新しい宅配ボックスに、荷物を入れた。