「ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日 ――知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』書評」 山科清春

《シミルボン再録企画、開始にあたってのご挨拶》
 「シミルボン」という書評SNSがありました。2015年からα版が公開され、2023年まで存続したサイトです(運営:株式会社ブックリスタ)。
 綺羅星のごとき優れた書評が、数多く掲載されておりました。
 本企画は、そうしたシミルボン掲載書評のなかから粒よりの逸品を、寄稿者有志がSF Prologue Wave編集部と相談しつつセレクトし、版面権を考慮しレイアウトを変えて採録していくというものです。
 貴重な原稿が散逸してしまうことを防ぎたい、というアーカイブ保全の意味合いもあります。
 どうぞ、古くて新しい、本との出逢いをご堪能ください。
(「SF Prologue Wave」編集部 【岡和田晃・川嶋侑希】)

ゴールデンカムイが描かない「アシリパの妹たち」の苦難と明日
 ――知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』書評 山科清春

『ゴールデンカムイ』(野田サトル)。

マンガ大賞2016の大賞を受賞したこの作品は、明治末期の北海道を舞台に、日露戦争帰りの元兵士「不死身の杉元」と、アイヌの少女アシリパ(作中では「リ」はアイヌ語の表記法に則って、小書きで表記されている)の黄金探しの冒険を描いたものだ。

大賞の結果については当然だと思う。
連載初期から応援してきた僕としてはとても嬉しくもある。

アニメ化もされるくらいの超ヒット作なので、僕などがレビューを書かなくても、多くの方が書かれていると思うので、あえて書きません。
読もうかどうか迷っている人は、読んで下さい。文句なしに面白いので。

で、僕がここで紹介したい本は、

「あの後、アシリパがどうなったか?」

についてのことだ。

もちろん、『ゴールデンカムイ』は、まだ週刊ヤングジャンプに連載中の、
「終わっていない物語」である(編注:2016年当時)。

「アシリパがどのような人生を送るのか」
「この物語がどのような結末を迎えるのか」

といったことは、作者や編集者以外の人間には、知ることはできない。

ただ、僕たちは知ることができる。

アシリパと同年代、あるいはその先のアイヌが、
どのような境遇の中で生きたのかを。

たとえば、
物語の中のアイヌの少女・アシリパが、
アイヌの衣装を着て元気に野山を駆けまわっているあの時代、
明治末期の、
そのすぐ後の大正時代に生きた、1人の実在のアイヌの少女が残した本によって。

『アイヌ神謡集』。

明治36年に登別に生まれ、大正期に青春時代を過ごした、アイヌの女性、
知里幸恵の手になるものだ。

彼女は、この本を残して、19歳で亡くなった。

そして、これを読むと、知ることになる。

おそらくアシリパの歳の離れた妹とほぼ同世代であろう、その実在の少女が、
どのように生き、そして死んでいったかを。

あるいは、アシリパの妹や、子の世代のアイヌ女性が、
どのような世界、どのような待遇の中に生きなければならなくなったかを。

『ゴールデンカムイ』でアイヌの文化や歴史に興味を持った方は、

ぜひこの本を手にとってみてほしい。

そして、その「序」を読んでみて欲しい。

「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。
 天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しくくらしていた彼等は、
 真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。」

こんな言葉で始まる「序」の冒頭には、
『ゴールデンカムイ』の作中でのアシリパの姿を彷彿とさせるような、
アイヌが北海道の地で自由に生活していた頃の、「楽園」のような風景が語られる。

そして、大正11年に知里幸恵は云う。

「その昔、幸福な私たちの先祖は、
 自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、
 露ほども想像し得なかったでありましょう」

このような世界は、すでに失われて久しい、というのだ。
幸恵によって、この言葉が書かれたのは、
漫画の中のアシリパが駆けまわっている時代より、

わずか10数年の後にすぎない。

そう。

『ゴールデンカムイ』はフィクションなのだ。
それも、美しきフィクション。

それは、登場人物のアシリパへの態度にもあらわれている。

『ゴールデンカムイ』の作中人物は、主人公の杉元をはじめとして、
どのような端役であろうと、基本的にはアシリパに、
そして他のアイヌたちにも、とても紳士的に接する。

この世界では、ほとんどの人々は誰もアイヌであるアシリパを、
「ただアイヌであるから」という、ただそれだけ理由で侮蔑したり、
差別したり、無視したり、粗末に扱ったりはしない。

我々の、この世界で、かつて行われていたこと、
そして、現在も行われていることとは違って。

『ゴールデンカムイ』の巻末の参考文献リストに
『アイヌ神謡集』のタイトルがあるので、
作者は知里幸恵のことも、彼女たちが
どのような苦難に直面して生きたかも、よく知っているだろう。
(現に、ごく初期にはアイヌに対する和人の差別の存在と、
 それに対する杉元の毅然とした態度が描かれている)。

作者は、それをよく知った上で、エンタテインメントとして、
冒険活劇漫画としての純度を上げるため、

あの時代に、アシリパのようなアイヌの人々、
そして、後の世の幸恵たちが受けた苦しみの体験を、
あえて、徹底的に
「描かない」という選択をしている。

あるいは、優しさであるかもしれない。
アシリパにとって、そして読者にとって。
描けば、それはもはや、万人が楽しめる
エンタテインメントではありえないからだ。

物語のアシリパのわずか10年後に生きた、
現実世界の知里幸恵は、
『アイヌ神謡集』の「序文」の最後に、

「激しい競争場理に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、
 二人三人でも強いものが出て来たら、
 進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。
 それはほんとうに私たちの切なる望み、
 明暮祈っている事で御座います。」

と、自らの民族、アイヌの未来を次の世代に祈りとともに託して、
本文である「神謡」美しい神々の神話を物語を語り始めるのだ。

『ゴールデンカムイ』で、アイヌ文化に興味を持った方は、
作者がアシリパに託したアイヌの伝統文化や思想だけでなく、

作者が描かないでいる、
踏み込まないでいる、
もう一つの世界、
知里幸恵やほかのアイヌ民族、
いわば、アシリパの弟や妹、子どもたちが生きた
苦難の人生にも思いをはせて見てほしい。

彼らがどのような「明日」、
アシリパの時代より、
10年、100年先の「明日」を生きたのか、

そして、彼らがさらなる「明日」、
私たちが生きている「未来」に向けてたメッセージを、

ぜひ『アイヌ神謡集』の「序文」から感じてみてほしい。

(初出:シミルボン「山科清春」ページ2016年4月23日号)

山科清春(やましな・きよはる)
違星北斗研究会(http://iboshihokuto.o.oo7.jp/)を主宰し、『違星北斗歌集 アイヌと云ふ新しくよい概念を』(編集・解説、角川ソフィア文庫)、『アイヌの真実』(共著、ベスト新書)、『アイヌ民族否定論に抗する』(共著、河出書房新社)等の仕事がある。
『日本近代文学大辞典』増補改訂版(講談社・日本近代文学館)、『アイヌ文化史辞典』(吉川弘文館)で違星北斗の項目を執筆。 
タップノベル公式『装幀家探偵アドミ』のライティングや、漫画『ももいろヤングガン!』(マンガボックス)や『ブースカ+』等の原作を担当。