コンピューター技術書の温故知新 第五回 雲は万能ではなかったが」大野典宏

コンピューター技術書の温故知新

第五回

大野典宏

●雲は万能ではなかったが
 クラウド・コンピューティング……これほど画期的でありながらも、使い道に困ったアイデアは無かったかもしれない。クライアント・サーバという概念が理解されていなかった頃には、一台のサーバーに端末でアクセスしていた頃のダム端末による中央集権的なタイムシェアリングシステムを思い出し、「昔のアイデアじゃん」と嘲笑っていた識者もいたが、根本的に発想が違うことまで気がつかないのが何とも……(ry
 とはいえ、登場時にはそれこそ「雲をつかむようなアイデア」が多かったのも事実である。Javaの仮想マシンしか搭載していないコンピューターをNC(Network Computer)と名付けて普及させようとしたり、ドキュメントに機能が必要になった際にコンポーネントを呼び出すというOpenDocという構想もあった(WindowsではOLEとして実装されている)。Appleの考案によるOpenDocは、コンポーネントを必要な際にはネットから呼び出すというアイデアだったのだが、「できることはJavaと同じじゃん」との勘違いによって頓挫した。実際には違う技術を「目的は同じ」というだけで混同してしまうのはよろしくない訳である。
 今になってChromebookなどのネット上のサービスに依存しようというコンセプトが実現したのだが、それはネットワークやCPUの速度が上がったために実用になっただけであって、十年前まではまだまだ遅かったのも事実である。
 さて、そこでAWSの話になるのだが、Amazonは小売業よりもAWSでの売り上げのほうが多いし、商品の検索が異様に速いのはそれだけ優れたデータベースを持っているからである。今ではAWSよりも廉価なサーバーのホスティング・サービスが出てきているのだが、まるっと全部をまかなってくれるとなると、AWSとかWindowsAzure、GoogleCloudPlatform(GCP)といった三大巨頭にはかなわないのだが、特定の目的だけなら安くできる。
 「すべてのソフトウェアアーキテクチャはクラウドになる!」と退屈な予言をしたPCライターまで登場するという変な世界になった。今の「AIによって人間の仕事が無くなる!」と言っているのと同じだと気がつかない人はいつの時代にでも存在するのである。
 筆者としては「魔改造できない環境は自由じゃねぇ」と考えているので、すべてをクラウドに任せることはしないし、グラフィックスやゲームなどの用途となると手元にあるコンピューターの性能に依存するわけである。スーパーコンピューターが独立して存在しているのは、まだまだ果てしなく高速な計算が必要になるジャンルがあるためだ。生成系AIによるチャットは、まだまだ電気代と見合っているとは思えないし、ローカルでは実現できないほどに巨大なシステムが必要になる。囲碁や将棋だって、世界一の思考エンジンが常時動いている訳ではなく、必要最小限の部分を動かし、改良を重ねている。
 結局、何が出てきても、「現実だけを見て、不必要な夢を見すぎない」。この一言に尽きる訳である。


書評 2009年3月13日

クラウド化してゆく社会のサービスを積極活用するために

『Amazon EC2/S3クラウド入門』
学びing著
秀和システム社
ISBN-10: 4798021555
ISBN-13: 978-4798021553
160ページ
1,500円(税別)
2009年1月

 クラウド・コンピューティングといえば代表的なのがSaaS(Software as a Service)です.今やGmailやDropboxの便利さを体験してしまうと元には戻れません.そして今,PaaS(Platform as a Service)といった仮想マシンなどのプラットホームを提供するサービスや,IaaS(Infrastructure as a Service)といったサーバなどのインフラストラクチャを提供するサービスまで本格化しています.
 PaaSの代表的なサービスはForce.comですが,仮想的な開発環境をネットワーク経由で提供しています.すでに数百万のユーザがいると言われています.Force.comは環境のメンテナンスをサービス会社がやってくれるので便利です.これがローカルだと,個別にアップグレードしたり,メンテナンスをしなければなりません.
 そして,今回の話題であるIaaSはハードウェアやOSまでも含めて仮想化してしまうサービスです.その最も代表的な例が「Amazon EC2/S3」です.
 現在,IaaSで最も使われており,実績を上げているのがAmazon EC2/S3です.自前でサーバ機,OS,データベース,サーバ・アプリケーションをセットアップし,メンテナンスしてゆくとなると大変ですし,初期投資費用もかかります.しかし,IaaSはネットワーク経由のサービスとしてこれらの初期投資が驚くほど安く済んでしまいます.しかも,ハードウェアやサービスが動作するソフトウェア環境もIaaSを提供する側が行うのでずっと楽になります.そして,これを「サービス」として提供するという方針なので,従来のホスティング・サービスなどよりも安く,しかも大手のIaaSであれば得られるサービスの品質も信頼するに足るという利点があります.
 つまり,ユーザの側からはクラウドという「抽象的な何か」としか考えなくて済んでしまうので,これまで気にしていたハードウェアやソフトウェア,インフラストラクチャなどのことで頭を悩まされずに済んでしまうということです.
 これを積極的に利用しない手はありません.
 数年前,「ネット・コンピューティング」という言葉が流行りましたが,残念ながら実態として普及することはありませんでした.しかし,今は時代が変わったのです.ネットワークは十分に速くなり,クライアント側の性能も上がったので,十分に使い物になるようになったというのが正直なところだと考えています.
 ただ,現在のクラウド・コンピューティングが完ぺきな次世代のワーク・モデルだとは言い難いのも事実です.
 サービスを提供する会社に「何か」が起こった場合,すべての業務や作業が停止してしまいます.もちろん,サービスを行っている企業は,そういった保守やセキュリティに対して細心の注意を払って運営しているのは事実でしょう.それが自社への「信頼」になるわけですから,頻繁に「何か」が起こってしまうと経営自体が成り立たなくなるでしょう.
 とはいえ,それを逆に捉えれば,自社で人的資源を割かなくても,「プロに任せることができる」という安心を安く買えると考えることもできます.
 クラウドの向こう側が全く見えなくなってしまうので,細かい要求の反映や変更が難しくなってしまうという点も欠点の一つでしょう.ローカルであれば,自前で勝手に設定を変更することができますし,UI(User Interface)を変えたアプリケーションを選ぶこともできるわけです.しかし,クラウドになると,「みんなが同じ物を使う」ということになって,選択する自由度が下がってしまうのです.
 ただ,これも逆に捉えることが可能で,「どこに行っても,どんな環境でも,操作性は同じにできる」と考えれば,会社ではUNIX,自宅ではWindowsで,使い分けるのが面倒だということもなくなるわけです.
 要するに,クラウド・コンピューティングが「究極の姿」だとは思えないのは,上記のように利点もあれば欠点もあり,これから普及していく間でまた試行錯誤され,もっと良い利用形態が考え出されると信じているからです.
 そのへん,評者は楽観的で,「便利な物はどこまでも便利に進化し続ける」と確信しているからです.でも,今の時点で「最も便利な利用方法」の一つじゃないかと考えられるのがクラウド・コンピューティングだというだけの話です.
 今回紹介している本は,そのIaaSでは圧倒的なシェアと実績を誇る「Amazon EC2/S3」の概念と,実例,そして具体的な使用方法まで解説した親切な本です.ベンチャ企業を立ち上げたいんだけど,何かのプロジェクトを立ち上げたいんだけど……といったユーザは,格安で便利に利用できる「Amazon EC2/S3」の利用を検討してみてはいかがでしょうか.
 それが最適解ではないかもしれませんが,頭の良い選択であることは確かでしょう.