「伊藤計劃『虐殺器官』における核と世界の責任――フィクションを通じた現実への問いかけ」モハンマド・モインウッディン

伊藤計劃『虐殺器官』における核と世界の責任――フィクションを通じた現実への問いかけ

                                                モハンマド・モインウッディン
                                       大阪大学大学院人文学研究科 人文学専攻 助教

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序論

 2025年4月から5月にかけて、インドとパキスタンの間でカシミール地方を巡る軍事的緊張が急激に高まり、両国は相互に空爆や砲撃を行い、多数の民間人死傷者を出す事態となった。 特に、インドの攻撃に対して、パキスタンが報復を示唆する中で、核兵器の使用が現実的な選択肢として言及されるなど、核戦争の危機が再び国際社会の懸念事項となった。[1]
 このような現実の緊張は、伊藤計劃の『虐殺器官』が描く、インドとパキスタンの間の紛争、核兵器の使用のフィクション化・破壊といったテーマと深く共鳴する。 このような背景の中、伊藤計劃の『虐殺器官』について考察を行う。
 『虐殺器官』は長編SF小説で伊藤計劃の小説家としてのデビュー作である。本作品は2006年の第七回小松左京賞最終候補に残り、加筆訂正されて2007年6月に早川書房から単行本として発表された。『虐殺器官』はベストセラーになっただけではなく、「ベストSF 2007」[2]国内篇の第一位を獲得し、「第一回PLAYBOYミステリー大賞」を受賞した[3]。後に、漫画化及びアニメ化され、現在に至るまで英語(2012)をはじめ、韓国語(2010)や中国語(2014年の簡体字訳と2015年の繁体字訳)に翻訳されている。
 本作品は五部に分けられ、最後に数ページの「エピローグ」も加えられている。21世紀の世界に見られる内戦や大規模虐殺がこの作品の主題であり、先進国の発展途上国に対する政策も批判的に取り上げられている。先進国が武力で発展途上国をコントロールする政策や、元軍人が民間軍事会社にリクルートされ、「殺し屋」(第一部2、p.20)として任務に就くといった描写も見られる一方、そのような政策における大企業の役割に関する描写も見られる。暗殺を専門とする米情報軍のクラヴィス・シェパード大尉が主人公であり、大量殺戮が行われている諸国へそれを防止するために派遣されている。彼はそれらの国々における謎めいた虐殺の裏に共通の人物がいることに気づき、米国人のジョン・ポールであることを発見する。ジョン・ポールは本作品の言わば敵役である。
 本作品はSF小説として高く評価されており、 娯楽性にとどまらず、現代社会の構造的な問題を鋭く描き出している点が魅力的である。SFというジャンルは、しばしば空想的な未来像の提示にとどまるものと誤解されがちであるが、伊藤計劃の作品はまさにその対極に位置する。佐藤亜紀は、「(前略)、『虐殺器官』は単なる近未来SFではなく、NV的軍事行動小説で終るものでもなく、今ここにおける切実な事柄を拾い上げ、見詰め、語った小説――まさに今、私やあなたのいる世界で起っていることを語った小説だ。」[4]と述べ、作品が現実世界に深く接続していることを強調する。
 さらに、『虐殺器官』の解説(2010年2月、ハヤカワ文庫JA)を担当した大森望[5]は「SF作家・伊藤計劃の最大の特徴は、ひたすら、いま現在の人間と世界が抱いている問題を描こうとしたことだろう。」と述べた上で「『虐殺器官』の世界では、テロ、新自由主義経済、グローバリズム、民間軍事会社、環境破壊、貧困など、いまここにある問題が恐ろしく冷徹(れいてつ)に分析される」と指摘している。このように、本作品は世界が実際に直面している問題を取り上げていると指摘する。
 第5回日本SF評論賞優秀賞を受賞した岡和田晃も「(前略)日本SFは、まさしく本書によって、時代のエッジを鋭敏に掴みとることのできるジャンルとして再生したのだ。」[6]と評しており、SFという形式を通してこそ、社会のリアルに対する鋭い洞察が可能であるということを裏付けている。伊藤自身のSF観については、ウィリアム・ギブスン『パターン・レコグニション』を論じた「SFの或る一つのあり方」(『SFマガジン』2009年1月号、『伊藤計劃記録』所収)においても、現実と連続したフィクションとしてのSFの可能性が語られており、娯楽と批評性の両立を追求する文学的系譜に属することを指摘している。
 前述のように、『虐殺器官』は2007年に単行本として出版される際大幅に加筆訂正されている。第四部(インド篇)が丸ごと新しく追加された部分である。作者は「ほとんど資料調べをしないで書いた」[7]という。この部分を書く際、インドに関して自身の持つ情報や知識に頼ったと思われる。ここでは「ヒンドゥー・ナショナリズム」や「ヒンドゥー・インディア」はキーワードとして使われており、ヒンドゥー過激派によって行われた少数派ムスリムの大虐殺や隣国のパキスタンとの間に起った「核戦争」による破壊や様々な影響が描かれている。フィクションであるにもかかわらず、物語の背景には現実の出来事があると感じられる。例えば、印パの緊張、「ヒンドゥー・ナショナリズム」、ムスリムに対する暴力など。
 日本では、未だ遠い国であるインド国内の状況をこれほど細かく作品で描写できたのは、作者がインド国内の状況や動きについてかなりの程度の知識を持っていたからであろう。2002年に西インドのグジャラート州で起きた宗教暴動[8]では、女性や子供、高齢者を含めて2000人を超えるムスリムがヒンドゥー過激派によって殺害されている。これは、「ヒンドゥー・インディア」を目指すヒンドゥー至上主義組織によって行われたと言われている。この事件については、日本のマスコミでも二、三か月ほど続けて報道されていた。
 本稿では、五大紙や「ヒンドゥー・ナショナリズム」に関して日本で出版された書籍を調査することによって本作品の考察を行いたい。

一 伊藤の想像力とメディア

 『虐殺器官』第四部では、ヒンドゥー至上主義組織の活動や国際社会の反応が中心的な課題となっている。「ほとんど資料調べをしないで」インド国内の状況を語った著者にとっての情報の源はどこにあったかを調べるためには、執筆当時の日本における「ヒンドゥー・ナショナリズム」に関する情報について調査し、作者のイメージを作った環境について考える必要があるだろう。21世紀のインドにおけるヒンドゥー至上主義組織の暴力的な活動について言えば、2002年のグジャラート州で起きた宗教暴動は世界で最も注目を浴びた事件である。また、この時期は印パ関係が最悪になっており、いつ核兵器が使われるか日本のメディアで盛んに議論が行われていた。本節ではグジャラート事件や印パ関係について、特に五大紙による報道や「ヒンドゥー・ナショナリズム」について日本で出版された単行本を調査し、検討してみたい。

(一)2002年のグジャラート事件・印パ関係と五大紙

 グジャラート州で、2002年2月27日ゴードラー駅における列車放火事件をきっかけに反ムスリム暴動が起こった。この放火はムスリムによって行われたという噂が地元メディアや政党関係者などによって繰り返し流布され、そのまま全国のメディアで流された。しかし、後の調査報告の多くによれば、この噂は事実ではなかったという。[9]
 列車放火事件では、サーバルマティー急行のS-6車両に乗っていたヒンドゥー教徒の乗客58人が死亡した。その事件の「報復」の名のもと、ヒンドゥー・ナショナリストの団体と言われている世界ヒンドゥー協会(VHP)やバジュラング・ダルなどアール・エス・エス(民族義勇団)関連団体がムスリムに対する暴動を起こした。当時のマスコミによると、暴動は一気に州内で拡大したが、州政府の対応は極めて遅く、中央政府から派遣された軍は三日経っても鎮圧行動を開始できなかった。[10]
 子供、妊娠中の女性、老人などを含めて200人以上の死者が出た。生きたまま焼かれたり、妊娠中の女性の腹が切られたりし、胎児まで殺された。[11]
 ビルキス・バノー(Bilkis Bano当時19歳、ムスリム)という妊娠5ヶ月の女性が親戚17人とともに貨物自動車で逃げようとした時、暴徒に捕まり、2歳の女の子を含め14人が殺された。その女性は集団強姦を受けたが生き延び、後に裁判で詳細を語った。[12]
 また、インドの国会議員エフサン・ジャフリー氏(Ehsan Jafri、当時73歳、ムスリム)が自宅から引っ張り出されて、裸で行進させられ、手や足など体の部分が一つ一つ切られて惨殺された。[13]
 このような事件が数多く起こり、後に大変貴重な参考文献の一つとなった『Communalism Combat』(76号、2002年3-4月)にそれらの多くが記載されている。この暴動は宗教対立ではなく、多数派が州政府の機関の支援のもとに少数派に対して行った「Pogrom」(組織的な大虐殺)[14]、「Massacre」(大虐殺)[15]「Genocide」(集団殺害)[16]だったとも言われている。この事件は人権団体などの注意を惹き、日本を含めた世界中のメディアで幅広く報道された。
 以下に日本の五大紙によるこの事件に関する記事を検討してみよう。

五大紙の報道

 当時世界中のマスコミの注意を引いたグジャラートの事件は日本のメディアでも長く報道された。伊藤計劃はどの新聞を読んでいたかはわからないが、五大紙のどれも見ていなかったとは考えにくい。
 2002年2月27日の列車放火事件については、28日の五大紙、『朝日新聞』の8面、『毎日新聞』7面、『読売新聞』6面、『日本経済新聞』8面、『産経新聞』5面に記事が載っている。その後の3月、4月の新聞を調査すると以下のような見出しの記事がある(一部省略)。

『朝日新聞』
「暴動広がり20人死亡 インド西部」[「地球24時」というコラム] 2002年3月1日 8面
「インド 宗教抗争死者180人以上 政府、州都に国軍1000人投入」2002年3月2日 3面
「インドの宗教暴動 聖地の争い憎しみ連鎖」(写真付)2002年3月2日 7面
「インド 宗教抗争、激化の一途 死者295人 軍展開 追いつかず」2002年3月2日(夕刊) 2面
「インド 暴動拡大死者408人」(写真付)2002年3月3日 3面
「印パに新たな火種 インドの列車放火 非難合戦、激化も」「暴動、飛び火懸念 インド」2002年3月3日 7面
「黒こげの街 人影なく イスラム教徒「暴徒の後ろに警官」」(写真付)2002年3月4日 3面
「死者427人に グジャラート州」2002年3月4日 3面
「インド暴動死者516人に 3900人を逮捕」2002年3月6日 9面
「インド 至上主義の運動制圧 アヨディヤ 宗教暴動再発を懸念」2002年3月16日(夕刊) 2面
「西も東も宗教暴動 苦境続きのインド政権」2002年3月18日(夕刊) 2面
「インド 宗教暴動で6人死亡」[「地球24時」というコラム] 2002年4月4日 7面
「インド ヒンドゥー主義台頭」(写真付)「対イスラム 共存破れ抗争頻発 政府、対応に苦慮」「寺院復興、聖地で運動 モスクと同じ敷地」(写真付)2002年4月9日 9面 [「世界発2002」コーナー]
「インド宗教暴動 「事前に計画 州政府後押し」 英の極秘調査BBCが報道 死者2000人超す?」2002年4月27日 7面

『毎日新聞』
「インド列車放火 報復で38人死亡 宗教対立 住宅に放火」2002年3月1日 7面
「インド陸軍が事件現場入り 宗教対立」(写真付)2002年3月1日(夕刊) 3面
「インド列車放火 暴動の死者300人に迫る 政府 鎮圧軍の倍増検討」(写真付)2002年3月2日 (夕刊) 2面
「暴動「国家の恥」首相、平静求める インドの死者400人超す」 2002年3月3日 7面
「刻まれた深い憎悪 死者500人に」(写真付) 2002年3月4日 7面
「インド 宗教暴動地方に拡大 イスラム教徒30人を虐殺 死者540人に」 2002年3月5日 7面
「インドの宗教暴動 幼子に焼き打ちの傷跡 自宅にガソリン投げられ…11人中9人死亡」(写真付) 2002年3月6日 7面
「インド暴動の地アーメダバード イスラム教徒「狙い撃ち」か ヒンズー教徒の商店閉店後に発生…随所に計画性」 2002年3月8日 7面
「インド暴動 反イスラム感情噴出 対パキスタン背景に」 2002年3月10日 6面

『読売新聞』
「列車放火 ヒンズー教徒「報復」 インド イスラム教徒ら60人死亡」2002年3月1日 7面
「インド暴動 死者400人超 各地に飛び火 ヒンズー至上団体 因縁の寺院「建立を」」(写真付)2002年3月3日 7面
「インド西部暴動、死者700人超す」 2002年3月10日 7面
「ヒンズー至上団体がデモ強行 インド北部緊迫」(写真付)2002年3月16日 6面
「インド西部で暴動17人死亡」2002年4月23日 9面

『産経新聞』
「列車放火事件 ヒンズー教徒”報復”」 2002年3月1日 5面[17]
「インド 宗教暴動死者200人以上 軍投入も鎮圧できず」 2002年3月2日 5面[18]
「インド 宗教暴動、死者400人に」 2002年3月3日 4面[19]
「インド 列車放火の首謀者逮捕 地元紙報道 宗教暴動 死者400人超す」 2002年3月3日4面[20]
「インド 宗教暴動死者478人に」 2002年3月4日 5面[21]
「宗教暴動死者580人超す インド」 2002年3月5日 4面[22]
「宗教暴動死者600人超す インド」 2002年3月7日 4面[23]

『日本経済新聞』
「インドで大規模暴動 イスラム教徒ら40人死亡か」2002年3月1日 8面
「暴動拡大、死者200人 インド宗教対立 数千人が衝突」(写真付)2002年3月2日 6面
「インドの暴動、400人死亡か 首相、自制呼びかけ」(写真付)2002年3月3日 5面
「インド暴動の死者540人以上」2002年3月5日 8面

 以上の新聞記事の見出しだけからでも、日々続いていた反ムスリム暴動の様子が明らかであろう。新聞記事の中では、「ヒンドゥー」「ヒンドゥー至上主義」「ヒンドゥー至上主義者」「宗教暴動」などがキーワードとして使用されており、インド国内の状況をあまり知らない外国人でも、ヒンドゥー至上主義者が「少数派のイスラム教徒」[24]を「虐殺」[25]していることが理解できよう。
 インドでのこの事件は多くの場合、イスラエルのパレスチナへの抑圧に関する記事と同じページに載っている。例えば、グジャラートの列車放火事件の後起こった反ムスリム暴動を振り返る記事「インド宗教暴動 「事前に計画 州政府後押し」 英の極秘調査BBCが報道 死者2000人超す?」(『朝日新聞』2002年4月27日 7面)の側に、「「虐殺」訴え」と大きな活字の見出しでパレスチナ住民に対するイスラエルの暴力的抑圧を伝える記事が載っている。「虐殺」の文字に目を引かれた日本の一般読者が、インドに関する記事の「死者2000人超す?」を目にした時、頭の中で似たようなイメージが広がるであろうことは容易に想像できる。
 伊藤計劃『虐殺器官』第四部の最初のページでは、過去に起こったインドとパキスタンの間の「核戦争」が語られている。作中の所謂「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍」(第四部、1)と呼ばれる団体は、この戦争を「始めた連中の成れの果て」(第四部、1)だと語っている。周知のごとく両国は、インドが独立しパキスタンが成立した後から緊張関係にある。今まで、1947年、1965年、1971年、1998-99年に両国間に戦争が起きている。上に述べたグジャラート事件前後にも両国の関係はあまりよくはなかった。日本のマスコミではグジャラート事件に関する報道の一方、「印パ緊張」に関する記事も出始めた。そこで、両国の間の核戦争の可能性についてそれぞれの政府の発言やニュース解説が次々と見られるようになった。五大紙からめぼしいものを拾えば次のようである。

 「印パ「全面核戦争なら1200万人死亡」米に強い危機感」(『産経新聞』(朝刊)2002年6月2日 4面[26])、「印パ緊張「最悪」」(作戦行動中の兵隊の写真付)(『読売新聞』2002年5月21日 7面)、「パキスタン、核搭載型ミサイル実験 インドとの緊張激化か」(『毎日新聞』(夕刊)2002年5月25日 1面)、「印パ核戦争なら1200万人死ぬ」(『朝日新聞』(夕刊)2002年5月28日 2面)、「インドの核最大で150発」(『日本経済新聞』(夕刊)2002年5月31日 2面)など。

 原子爆弾による被害を直接経験した日本では、「核」という言葉だけでも大きな関心を呼ぶのは当然である。上記の「印パ核戦争なら1200万人死ぬ」のような見出しが新聞に表れるのは、不思議ではない。そしてそれは人々の心に強い印象を残すだろう。2011年3月11日福島第一原子力発電所事故が発生すると、広島・長崎の原爆は再び話題となり、日本各地で原発反対デモが復活した。「太陽が落ちた日(THE DAY THE SUN FELL)」[27]というドキュメンタリー映画が現れるのはそのようなタイミングである。
 この映画は、国際的に大きな注目を集め、「第68回ロカルノ国際映画祭 2015」のドキュメンタリー部門にノミネート[28]された。この映画は原発反対デモを大きく後押ししたと考えられる。ドメーニグ綾監督はこの映画の中で、被爆者の治療にあたる祖父、土井茂医師を中心に描いている。祖父はもう亡くなっていたため祖母をインタビューし、多くを語らせている。また、原爆投下後に広島赤十字病院の看護婦として活躍した内田千寿子(92才)から当時の状況などを直接語ってもらっている。彼女は日本の反核運動に参加し、福島第一原発事故後、被害者支援運動にも熱心に参加していた。
 このように「核」に関して、世界中で日本人ほど敏感に反応する人々はいないだろう。『虐殺器官』において、印パ核戦争の事後を描いた伊藤計劃の想像力には日本人のそのような背景があったと言えるのではなかろうか。

(二)2002年のグジャラート事件以後出版された書籍を巡って

 日本のマスコミで2002年のグジャラート事件や印パ緊張に関するニュースがまだ盛んに報道されていた時期だったが、同年7月頃中島岳志の『ヒンドゥー・ナショナリズム ― 印パ緊張の背景』(中公新書ラクレ、2002年7月)という単行本が出版された。本書は、新聞などのメディアの散発的な情報に対して、より集積された知識を提供するものとなった。著者は、インドで直接行った調査[29]の結果、写真などを載せ「ヒンドゥー・ナショナリズム」をわかりやすく説明しようとしている。ヒンドゥー・ナショナリストが集まる団体アール・エス・エスとアール・エス・エスの従属団体を紹介し、それぞれの活動に焦点を当てている。また、従属団体の指導者や幹部、地方レベルの責任者たちや普通のメンバー何人かのインタビューを掲載している。
 第一章「ヒンドゥー・ナショナリズム」において、アール・エス・エスの組織や主な活動が紹介されており、アール・エス・エスのメンバーたちが主張する「ダルマ」に焦点を当てている。また、棒術や組体操などの日頃の訓練や、仮想の敵と戦う様子の写真が載せられている。そして、これに対して著者は「このような身体パフォーマンスが観衆に、「パキスタンなどの敵国と戦う勇敢さ」を想起させるのであろう。」(第一章)と述べている。これらは読者に、ヒンドゥー・ナショナリストの心に隣国パキスタンに対する敵意が根付いていることを感じさせるのではないだろうか。

 本書では「ムスリムとの対立」と名付ける章もあり、そこでヒンドゥー至上主義者のムスリムに対する暴動が取り上げられている。同章に氏が出会った青年メンバーとの会話がある。

 話の中で彼は私に次のように尋ねてきた。/「あなたは日本人だから仏教徒だよね?ムスリムじゃないよね?」/「そうだよ。仏教徒だよ」そう私が答えると、彼はニヤリとしながら次のように言った。/「もしあなたがムスリムだったら、私はすぐあなたを殺します」/彼の目は笑っていなかった。彼なりのきつい冗談なのだろうが、私は笑えなかった。(第二章、94頁)

 ここからは同じ国、社会に住んできたムスリムに対するヒンドゥー・ナショナリストの憎しみが窺える。
 伊藤計劃がこの単行本を読んだかどうかは寡聞にして知らないが、新聞などに書評[30]が掲載されていることが確認できる。本書の売上数について中央公論新社に問い合わせてみたが、確認できなかった。が、2007年に再版が出ていることから考えると、かなりの冊数が売れたことが想像できるだろう。
 続いて、2005年8月頃同著者によってハードカバーの『ナショナリズムと宗教―現代インドのヒンドゥーイズムとナショナリズム運動』(春風社)という単行本が刊行された。本書は、以前の『ヒンドゥー・ナショナリズム ― 印パ緊張の背景』の内容を更に深化し、より分析が進んでいる。第一章ではインドの社会における宗教と政治の関係やそこに見られる宗教の役割について述べ、ヒンドゥー・ナショナリストが、宗教をナショナリズムとうまく繋いで運動をしてきたことが良く理解できる。それは、かつてのナチズムの反ユダヤ主義を思い出させるものである。第二章では、ヒンドゥー・ナショナリズムの歴史について詳しく記し、第三章においては、ヒンドゥー・ナショナリズム運動の組織や理念、そこで見られるアール・エス・エスやアール・エス・エス関連団体の組織の実態や活動について考察を行っている。最後の章である第六章「ヒンドゥー・ナショナリズムと暴力」では、ヒンドゥー・ナショナリスト諸団体の暴力行為などに焦点を当てている。そこで、しばしば暴力事件を起こすバジュラング・ダルの活動を取り上げ、その暴動には宗教的な正統性が与えられていることを指摘している。前書であまり明らかになっていなかった点や不十分と思われた点は、この著書で十分補足されたと言える。本書は2007年度(第1回)日本南アジア学会賞を受賞[31]している。つまり、専門家たちにも高く評価され、マスコミの注目も引いたと言える。
 売上数について出版社に問い合わせたが、これも返事をもらうことができなかった。しかし学術雑誌や新聞などにたくさんの書評[32]が掲載されたことから、日本の知識人や物書きの目にとまらなかったとは考えられない。故に、伊藤計劃がこれらの著作について全く知らなかったとは考えにくい。

二『虐殺器官』第四部を巡って

 第四部は、「紛争地帯」つまり「旧印パ国境地区」を「国家地球空間情報局の衛星から捉えられた高解像画像」を通して、「核戦争」による破壊や様々な影響を描く場面から始まっている。ハーグの国際刑事裁判所の命令による「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍のリーダー及び上級メンバー八人のうち三人を逮捕する」ための活動の様子が主な内容である。

(一)盲信・貧困・ファナティシズムの関係及び「日本政府の軍事代執行者」

 伊藤は本部で「ヒンドゥー・インディア」「ヒンドゥー・ナショナリズム」「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍」などという表現を繰り返し使っている。

 「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍を名乗るこの集団は、核戦争を始めた連中の成れの果てです。戦後、国際社会の介入で成立した正式なインド政府は、特定の宗教を支持しない世俗主義を掲げていますが、他方片田舎でくすぶっているだけだったこのヒンドゥー・インディアが、数年前から急速に活動を活発化し、辺境の村々を襲っては、モスレムを虐殺し、強姦し、子供を誘拐しては教化して、戦闘員に仕立てあげています」見ていると、ボードが様々な惨状を列挙しはじめた。処刑のあと、石灰をかぶせられて白くなった村人たちの骸が、一列に並んでいる様子。その石灰は小麦粉のようで、まるでパン粉をつける前のフライドチキンを連想してしまう。焼き払われて炭化した家々と、その間の歩道に投げ出された、全裸女性数人。ただの映像。(第四部、1)

 ここには、今まで日本の文学で描かれてきたインド、つまり芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(1918年)『アグニの神』(1921年)、堀田善衛『広場の孤独』(1951年)『インドで考えたこと』(1958年)、遠藤周作『深い河』(1993年)などとはまるで違う視点が見られる。すなわち今まで日本の一般の読者には伝えられていなかったことが、フィクションの形式で現実味を帯びて描かれている。上記の引用部では「子供」「村人」「女性」など戦争で最も影響を受ける弱い立場の者に特に注意を向けている。国家間の戦争なのに同じ国民である「モスレムを虐殺」することは外国人には理解し難いかもしれない。二つの国の間の戦いよりも宗教間の戦いだったかのような印象を与えるだろう。これを理解するためにインド国内の状況について知らなければならないと考えられる。
 実際の状況をたどってみると、インドにおける「ヒンドゥー・ナショナリズム」の起源はアール・エス・エス(民族義勇団)の設立(1925年)から始まったと一般的に言われているが、実はそれよりもずっと前のはなしである。上に取り上げた中島岳志の「ヒンドゥー・ナショナリズム」に関する著作においても、ほとんどアール・エス・エスの活動について記されている。現代において「ヒンドゥー・ナショナリズム」で最も活発な組織はいうまでもなくアール・エス・エスであるが、その起源となる集団はほかにあった。第一次インド独立戦争とも言われる1857年のインド大反乱以後、ヒンドゥー社会の改革運動がだんだん盛んになっていった。このような運動は主に知識人や商人によって東インドであるベンガル地方で起こり、高等教育を受けた若者たちによって進められた。当時ベンガルには知識人が多く集まっており、この地方は運動の中心となった。このような運動の最初の目的はヒンドゥーイズムの改革だったが、後にしばしば秘密結社が結成され、時にはテロも行われた。[33]
 ムスリムへの反抗を描く小説[34]なども出版され、一般のヒンドゥー教徒の間でムスリムへの敵愾心(てきがいしん)が燃え上がった。その結果宗教的な対立が始まり、ヒンドゥーとムスリムの間の大暴動が起きていく。その数年前つまり1857年にはヒンドゥーとムスリムが肩を並べて独立運動でイギリス人と戦っていたのに、今やその一体感に亀裂が入った。19世紀後半から20世紀初頭はヒンドゥーとムスリムの間の確執が深刻になっていく時期であり、両者の間でいくつもの暴動が起こっている。[35]
 1907年に色々な州でヒンドゥー・サバー(ヒンドゥー協会)が過激思想の元で設立され、1915年ヒンドゥー・マハーサバー(ヒンドゥー協会連合)という全国組織となった。[36]
 ヒンドゥー・マハーサバーは活発に活動し、ヒンドゥー国の創立を目指した。このように、「ヒンドゥー・ナショナリズム」の運動は1925年に始まったのではなく、それよりずっと前だったと言えよう。
 2015年に出版された500頁以上の著作物『Gita Press and the Making of Hindu India』は、ヒンドゥー・インディア運動についての今までなかった文献であろう。著者は本著においてギーター・プレス(Gita Press)という出版社の役割について検討し、ヒンドゥー・マハーサバー、アール・エス・エスのような団体との関わりについて考察を行っている。ギーター・プレスはヒンドゥー教に関わる宗教本を出版する一番大きい出版社である。氏は、「最初のうち、ギーター・プレスは慈善的な目的のためのプロジェクトだったと考えていたが、数百のファイルを調査した後これは政治的なプロジェクトで、ヒンドゥー右翼団体であるヒンドゥー・マハーサバー、アール・エス・エス、ジャナ・サングなどのために大変便利な手段でもあったことが確認できた。」[37]と指摘している。
 これは、ギーター・プレスが刊行している月刊雑誌『カルヤン(Kalyan)』[38]の記事の内容からも確認できる。この雑誌は、ヒンドゥー右翼団体のイデオロギーを一般の人々に普及する主要な手段となっていた。1930年、40年代の雑誌を見ると、ムスリム、ダリット(「不可触民」とも言われる)、教育を受けた女性に対する激しい憎悪の拡大に、果たした役割の大きさに驚かされる。[39]
 なお、『虐殺器官』に戻って考えよう。作中「ヒンドゥー・インディアはどういう集団だ」(第四部、1)という質問が投げかけられ、以下のように述べられている。

 「ここ一年で、インドの主に貧困層を中心に急速に勢力を拡大した武装勢力です。戦後数年は大人しくしていましたが、戦後介入した国際社会への反発から起こった国体(アイデンテイテイ・)危機(クライシス)を埋める存在として、辺境で反政府活動を行なっていました。しかし核戦争の惨禍をもたらした原理主義に対して、同情的な国民はほとんどいませんでした。」/「それが急速に勢力を拡大した理由は……」ウィリアムズがなおも訊く。「みんな戦争にはウンザリしていたんじゃなかったのか」/「皆、そう思っていました。政治学者や、臨床経済学者はさまざまな仮説を立てていますが、ここにきてヒンドゥー・ナショナリズムが急速に勢力を伸ばした理由を説明できる学者はまだいません。どの仮説も、体のいいこじつけです。」(第四部、1)

 社会的、時代的な背景は違うが、上記引用で描かれた状況は、イラク戦争の後フセイン元大統領支持派の新政権に対する反政府運動やアメリカへの反発から武装勢力が台頭した現実を想起させる。作者は、「国体危機/アイデンティティ・クライシス」、「貧困層」、国民の政策への不満などを「ヒンドゥー・インディア」という集団が急速に勢力を拡大した理由としてあげているが、「国体危機/アイデンティティ・クライシス」と「貧困層」の関連性については説得力ある説明はされていない。貧困層が感じ得るアイデンティティ・クライシスは、果たして「国体危機」と言えるのか。
 多文化・多言語社会のインドにおいて国際社会への反発よりも国内に存在する「者」への反発が起こり得る。アイデンティティ・クライシスは必ずしも「国体危機」ではなく、異文化への反発から起きる問題だと考えられるのではないだろうか。インドの政治的な状況や以前に述べた「ヒンドゥー・ナショナリズム」の過程を振り返ると、同じ国民の間で異集団への反発が頻繁に起きている。「国際社会への反発から起こった(後略)」という書き方からは、インドにおける「ヒンドゥー・ナショナリズム」はよく理解されていないのではないかと考えられる。
 また、「ヒンドゥー・ナショナリズムが急速に勢力を伸ばした理由を説明できる学者はまだいません。」や、それと似た表現が数ページ後において「ヒンドゥー・インディアが急速に勢力を伸ばした理由は不明だと。」(第四部、1)と繰り返されている。ここでは、「ヒンドゥー・ナショナリズム」と「ヒンドゥー・インディア」は同じ意味で使われているようだ。
 この引用文の続きは「しかし、この部屋に限っていえば、大佐とぼくの二人には明白なわけだ。あの男の紡ぐ呪言。人を虐殺へと誘うハーメルンの笛吹き」となっている。あの男とは、「インドのどこかにいる」(第四部、1)ジョン・ポールを指している。彼は作品の中で頻繁に顔を出す卑劣な人物である。この文章より三、四行前に、彼は「世界に混沌をまき散らしているのか」(第四部、1)とさえ言及されている。ジョン・ポールがインドに滞在していることと「ヒンドゥー・インディアが急速に勢力を伸ばした」ことが結び付けられていることから、この団体が急成長した理由はジョン・ポールの存在だということになってしまうだろう。そのため、テロ対策の「大佐とぼく」たちがその団体と戦うときジョン・ポールとも同時に戦うことになるのだ。では、以下の場面を見てみよう。
 〈シーウィードより各員、そろそろ降下地点だ。高飛びこみに備えてくれ〉/カーゴベイで準備に余念がない兵士たちに、パイロットからの通信が飛びこんできた。(中略)/この変態的な形状の戦略爆撃機はいま、その腹に―どこが腹だかさっぱり判別できないが―爆弾のかわりに数基の侵入鞘(イントルード・ポツド)を抱えている。機体である長方形の四辺を囲む、人間の指かのような、しなやかで微細なフラップをわらわらと動かしながら飛行安定を維持し、大地に大穴の開いたインドの上空を飛行している。/シーウィードのカーゴベイでぼくらは降下準備に忙しかった。チェックすべきことは山ほどある。さや(ポツド)の最終動作チェックはとくに重要だ。これがきちんと作動しなければ、ぼくらは地面に叩きつけられることになる。/ポッドのチェックが終わると医療スタッフがやってきて、僕の鼻に注入器具を突っこんだ。(中略)コンバット・メディカルの技術者が、僕の鼻腔から注入器具を引き抜く。(第四部、4)

 レーダーに引っかからない「イントルード・ポッド」の最終チェックやコンバット・メディカルで分隊に医療処置が行われ、「ジョン・ポール」やら「ヒンドゥー・インディア」に対するの「作戦」(第四部、3)の準備は最終段階に至っている。降下してから分隊が直面する「敵」は子供兵である。

 子供特有の、天使のような周波数の高い怒声を発しながら、民兵たちが僕らのチームを止めようと無駄な努力を費やす。第二次性徴がはじまる前の子供の叫び声は、男も女も区別がつかない。上官と性交中だったのだろうか、まだ乳房もろくに膨らんでいない少女が全裸で廊下に飛び出してきて、その痩せた脇腹にAKを持ち、腰だめで乱射してきた。ぼくは冷静に裸の体に点射する。平らな乳房に立て続けに穴が開き、少女は倒れる。子供が飛び出してきた部屋を覗きこむと、上官らしき男があわててズボンを履いているところだったので、ぼくはそれも撃ち倒した。(第四部、4)

 前述した中島岳志氏の著書の中に、武術の訓練を受けている子供たちの写真が載っており、もしもそれを伊藤が目にしたことがあれば、イマジネーションをかき立てられた可能性がないとも言えないだろう。実際、世界大戦中であれ、アフリカ・ウガンダ抗争のような戦争状態であれ、少年兵が多く使われたことは周知のごとくである。『虐殺器官』で描かれた紛争状態の中でも、男女を問わず多くの子供が出てくる。が、その中でも特に少女が上官の性欲を満たす対象ともされていることに注目したい。子供、特に少女がこのような紛争状態という暴力の世界でいかに性的に搾取されやすい存在であるかを、作者が描き出そうとしていることが窺える。ここに、戦争とセクシュアリティーの関係が問題点としてさりげなく提起されていると見ることもできよう。

 ぼくとウィリアムズに続いて、リーランド陣も室内に入ってきた。閃光と衝撃波で息を詰まらせている少年の額に弾を撃ち込み、次いでボスの愛人兼ボディガードであろう、PPhを持った半袖の少女を無力化する。ヒンドゥー・インディアの幹部連は、早々に手を上げて降伏したり、部屋の奥でむせこんだりしていた。(中略)「誰だお前らは」/とその中の一人が言った。流暢な英語だ。海外経験のある知的エリートがこうした猿山のボスに納まっていることはままあることだ。/「国際刑事裁判所の執行部隊だ。(後略)」/(中略)男の呪詛をウィリアムズは淡々と返しながら、敗北感に死んだ瞳の幹部連中を拘束して手首をテーピングし、ブルーボーイたちと後頭部にSWDを貼りつけていく。/「われわれは大いなるインドの大地を汚すモスレムどもと戦っている聖戦の戦士だ。貴様ら拝金主義者と一緒にするな」/狂信者の罵倒は聞き飽きていた。狂信のかたちは宗派に拠らない。どこにあっても似たり寄ったり。どんな戦場でも、どんな悲惨でも、同じような人間が同じようなことを言う。(中略)/部屋の片隅に白人が佇み、ぼくらがインド人たちを拘束するさまを、落ち着き払って見つめている。その顔、その体格には見覚えがあった。ジョン・ポール。(第四部、4)

 ジョン・ポールと「ヒンドゥー・インディア」との親密な結び付きが明確になっている。作者はまた、〈エリートと狂信〉〈狂信と宗派〉の関係に言及し、先進国から来た「ジョン・ポール」を持ち込むことによって、発展途上国における政治的・社会的混乱と先進国との繋がりを示唆している。作中第四部の初めあたりに「インドの主に貧困層を中心に急速に勢力を拡大した武装勢力です。」とあるが、上記の下線部のように「海外経験のある知的エリートが」その集団の行くべき道を決めている。つまり「貧困層」は兵卒となり、「海外経験のある知的エリート」は指揮官になっている。経済的な困難により人生に選択の余地のない「貧困層」と、盲目的な信仰を持っている者たちとの間に、それほど大きな違いはないだろう。その両者ともが、ファナティック(熱狂的な人物)の餌食となりやすい。つまりファナティックを支える幅広い階層を成すことになる。
 上記の「狂信のかたちは宗派に拠らない。どこにあっても似たり寄ったり。どんな戦場でも、どんな悲惨でも、同じような人間が同じようなことを言う。」からは、世界中どこでも、盲信、貧困、ファナティシズムの関係はあまり変わらないということであることがわかる。

(二)日本をはじめ国際社会が世界平和に果たすべき役割

 作者は、国連など国際的な組織の世界平和維持のために果たすべき役割を呼びかける一方、「新インド政府」が直面している問題の解決のために国際社会特に日本の責任を示唆している。以下に見てみよう。

 「ハーグの検察がやってきて、現地で調査をし、新インド政府の提訴が正当なものだと認められました。ローマ規定に定められた人道に対する罪、子供を兵士に徴発した戦闘に参加させた罪、そして虐殺罪です。ハーグの裁判官はこの凶悪な武装集団の逮捕状を発行しましたが、新インド政府国軍にそれを執行できる武力はありません」/「そこで俺たちにお鉢が回ってきたってわけだな」/ウィリアムズが先回りすると、男はうなずき、/「本作戦は、ハーグの国際刑事裁判所から逮捕状の出ている、ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍のリーダー及び上級メンバー八人のうち三人を逮捕するというものです。われわれは日本政府の軍事代執行者として、人道に対する罪とジェノサイド罪に問われているこの連中を拘束し、ハーグに連行します。奇妙な話ですが、日本政府の軍事代執行者として、という微妙な立場をとらざるをえない以上、ジュネーブ条約では『傭兵』のカテゴリに類別されてしまうため、敵勢力に捕らえられた場合、条約の下の保護は受けられません。(第四部、1)

 ここで「人道に対する罪」という表現は二回繰り返されており、「ローマ規定」などが取り上げられることによって、人権を守るために日本を含む世界各国が持つ責任について描かれている。ここで「ローマ規定」の「前文」、「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪が処罰されずに済まされてはならないこと並びにそのような犯罪に対する効果的な訴追が国内的な措置をとり、及び国際協力を強化することによって確保されなければならないことを確認し、」[40]の反映が見られるだろう。「国際刑事裁判所ローマ規程」の日本語版が公開されたのは2007年3月であり、本書の第四部が新しく追加された訂正版が出る三か月前のことである。つまり「ローマ規程」が日本で話題になっていた時期だと考えられる。
 なお、本規定の第6条と第7条はそれぞれ、「集団殺害犯罪」と「人道に対する犯罪」についてである。第6条の「集団殺害犯罪」のはじめに「本規程の目的に関して、「ジェノサイド」とは、国民、民族、種族または宗教集団の全部または一群を破壊する意図をもって、次に掲げる行為を行なうことを意味する。」[41]のように説明されている。その行為とは、「集団の構成員を殺害すること」、「集団の構成員に対して、重大な身体的または精神的な害悪を加えること」などである。他方、第7条の「人道に対する犯罪」においては、「人道に対する罪とは、一般住民に向けられた広範な攻撃または系統的な攻撃の一環として、この攻撃を知りながら行なった次に掲げる行為のいずれかを意味する。」[42]
 その次の行為は「殺人」、「せん滅」、「住民の追放または強制移転」、「拷問」などである。本稿の「2002年のグジャラート事件・印パ関係と五大紙」において述べた西インドのグジャラート州でヒンドゥー至上主義組織によって行われたムスリムへの暴動は「ローマ規程」がいう「集団殺害犯罪」と「人道に対する犯罪」に該当しているだろう。伊藤が第四部において「ローマ規程」を扱ったのはそのためだと考えられる。
 さて、先の引用部に戻って考えると、ここでは、日本のような正式な軍隊を持たない国にも人権を守るため武器で戦う必要が生じた時果たすべき役割があることや、世界平和への義務が日本にも大いにあることが指摘されていると言えよう。波線部の如く「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍」と戦う分隊「日本政府の軍事代執行者」は作中ほかのところにもみられる。

 「国際刑事裁判所の執行部隊だ。 (中略)僕らはアメリカの正規軍だ。とはいえ、この作戦においては確かに「雇われ兵」でもあった。形式上の日本政府の軍事代執行人として、彼らを逮捕しに来たのだから。」(第四部、4)

 この分隊は「アメリカの正規軍」なのに、直接アメリカから参加しない理由は「アメリカが国際刑事裁判所に関する条約を批准していないからです。」(第四部、1)と述べている。アメリカは直接に参加できないから、それを日本に回してきたのだ。つまり、他の国々よりも日本はアメリカに次いで国際的な場で活躍することが期待されている。

 「これはわれわれが日本政府に依頼して受けた作戦だ。こういう形をとってくれと話をつけたのだ」そう大佐は切出した。(中略)「逮捕状が出て、ユージーン&クルップスの営業はこの逮捕作戦を日本政府にプレゼンしたようだ。まあ、当然だろう。むこうでの軍事作戦を仕切っているのは彼らなのだからな。(後略)」(第四部、1)

 「(前略)ローマ規定や人権問題が障害になって、一見インド復興に積極的に参加していないように見えるアメリカも、ユージーン&クルップスを通じて影響力を及ぼすことができる。国軍を送らずに、民間軍事企業(PMF)を投入することによって。ユージーン&クルップスにインドの警備活動を発注しているのは日本政府をはじめとする国連インド復興計画だが、それを受けているのはほかならぬアメリカ企業というわけだ。」(第四部、3)

 ここから、作戦における民間軍事企業の参加、アメリカが持つ世界平和への責任感や日米間の親密な協力が窺える。このように、伊藤は作中において国連や国連に係る機関を平和と人権を守る存在として描く一方で、アメリカと日本の連携が強調されるような描写も見られる。これらの描写は、現実の国際政治の構造を反映しつつ、その在り方の是非について読者に問いを投げかけていると考えられる。

(三)核問題の回想と深刻な状態になっていく人類の存在への脅威

 繰り返しになるが、第四部は核戦争後の「旧印パ国境地区」の様子を描く場面から始まっている。そこで、「核戦争」による破壊や様々な影響を生々しく具体的に表現している。

 画像をさらに一ピクセルあたり五センチ、つまり最大解像度まで拡大すると、武装集団の駐屯する村の中央の横たわる個々の死体が顔を持つようになる。死体は焼け焦げて収縮し、胎児のように丸まっている。少なくとも五十体はあるだろう。凝集した死体の塊は衛星画像のストリーミング動画の中でいまだ燻っている。/あそこで人間たちが殺されていた。ひとつの村丸ごとが、別の人間たちの手によって。(第四部、1)

 脂肪が燃え、筋肉が縮みゆくあの臭い。髪の毛のタンパク質が灰になるときに出す臭気。人間の焼けるあの臭い。(第四部、1)

 広島、長崎の原子爆弾投下を取り扱った数多くの日本の文学、ドキュメンタリー・映画、絵画などにおいて上のような描写が繰り返し見られる。作者が原爆被害を想起させ、21世紀の読者に核戦争の危機について警告を発していると理解するのが妥当であろう。
 作者は「サラエボで核爆弾が炸裂した日、世界は変わった。」(第四部、3)と第四部の3の冒頭で述べて、「ヒロシマの神話は終わりを告げた。」「冷戦の時代、核は終末の象徴だった。」、そして「インドとパキスタンが起こした核戦争」について語っている。第二次世界大戦の終結後、冷戦中いつ核兵器が使われるかという恐れがあったが、幸いそれは使われないまま終わった。作中「冷戦の時代、核は終末の象徴だった。ソ連とアメリカが互いに核を撃ちこみあって、放射能の雲が天蓋を覆い隠し、地球は永遠の冬に包まれ、人類は滅亡する。だからこそ、核戦争は起こしてはならなかったし、また実際に起きなかった。「核による終末」という神話を皆が信じこんでいたからだ。」(第四部、3)と描きつつ、下線部のように核戦争は人類に対する重大な脅威となることを強調している。一方、「そんな神話の時代はサラエボで永遠に終わりを告げた。」ことで「世界は変わった。」のは「膨大な数の人間が死んだ。にもかかわらず、多くの軍人たちの目には、それが「よく管理された」爆発のように見えた。でたらめな被害が多く出たわけではない。手製の核爆弾が穿ったクレーターを目の当たりにして、軍人や政治家たちは核兵器が利用するに足る兵器であるという確信を得たのだった。」(第四部、3)サラエボは紛争の長い歴史のあるところである。20世紀の初めごろに、サラエボはオーストリア皇太子の暗殺事件の現場で、第一次世界大戦の引き金となったことでよく知られている。20世紀の終わりごろは「サラエボ包囲」(1992年4月5日~1996年2月29日)が起こり、多くの文学作品やドキュメンタリーの素材となっている。周知の如くこれはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で発生し、1万2千人が死亡、5万人が負傷し、そのうち85%は一般人だったと言われている。この事件は、2003年に国際的に取り上げられ、人道に対する大きな罪とされた。伊藤は、サラエボの過去の歴史を踏まえ、この地が更なる紛争の中心地となるという虚構を現実のものとなる可能性を予測し「サラエボで核爆弾が炸裂した日、世界は変わった。」と描いたのであろう。
 他方、印パ間の「核戦争」の場合は、「意外にもそれほど世界の注目を集めることができなかった。」(第四部、3)という。その原因として「そんなもの、世界はとっくにサラエボで済ませていたからだ。大量に人が死ぬことに、世界は慣れつつあった。」(第四部、3)とあげている。現世界は「核戦争」にもう慣れたのだと示唆しているのである。核の危険をよく理解しているにもかかわらず、非核化を実現するどころか「核エネルギー」などのような形で核を持とうとしている国々は増えてきている。伊藤はこのような文章を通して、世界の指導者たちの世界平和に対する無責任な態度に注目を集めようとしているのかもしれない。そして、インドとパキスタンの間の紛争を、第二次世界大戦と冷戦のような世界の政治を左右した出来事と並べているのは、アメリカとロシアと同じく核保有国である印パの関係も世界平和のために重要であることを示唆しているだろう。
 作者は、普通の人の目に付かない「核戦争」の背景について、例えば「ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍を名乗るこの集団は、核戦争を始めた連中の成れの果てです。」と指摘している。つまりそれぞれの核保有国に存在している過激派が核戦争の脅威を引き起こしている、言い換えれば、もし核兵器が過激派の手に入れば、国際規則を守らないこのような団体は自分の考えに従わない他国・他民族をどうにでもするだろう。ドイツでナチが起こしたユダヤ人のジェノサイドやグジャラート州でヒンドゥー過激派が起こしたムスリムの虐殺のようになるに違いない。[43]作中「ヒンドゥー・インディアの殺されたモスレム(注:ムスリム)や仏教徒の村人たちを見たという怪談が、何年にもわたって語り継がれ、ここに詰める兵士たちを怖れさせている。」(第四部、5)のようにヒンドゥー過激派が他宗教に対して起こした暴動が回想されている。
 作者がこのように核戦争の場面を作り出し、実際に三回以上戦火を交えた現核保有国インドとパキスタンを扱っていることは、両国の国民をはじめ、他の核保有国や今後核兵器を持とうとしている国々に対し、大いに示唆するものがあると言えよう。

結論

 作中第四部で扱ったインドの現状を描いている作者は、ヒンドゥー右翼団体の活動のほかカースト制度、街の中の風景、「聖なる牛」(第四部、3)、売っている「神様のイコン」(第四部、3)などにも触れている。インドの神々や牛は日本でよく知られているが、インドの経済的首都と言われるムンバイについても「子供、妊婦、あらゆる人間が、通過する列車のすぐそばで寝て、食って、用を足していた」(第四部、3)のような描写を可能とするのは難しかったはずだ。ムンバイのスラムを主要な場面とするアカデミー賞を受賞した2008年のイギリス映画『スラムドッグ$ミリオネア』(原題: Slumdog Millionaire)の原作『ぼくと1ルピーの神様』[44]の中では先のような描写が多くある。伊藤がムンバイのスラムを描くに当たり、この作品は大いに参考になったのだろうか。
 なお、作者は2007年に加筆訂正した第四部(インド篇)の追加について「ほとんど資料調べをしないで書いた」というが、ヒンドゥー右翼団体の活動などについてのイメージを作るのに、本論で考察を行った如くメディアの影響がなかったとは考えにくい。印パ紛争やそこに関わる宗教意識の描写には、当時の日本のメディアで報道されていた事実の影響は強い。また、現核保有国インドとパキスタンの間の核戦争という場面を作り出すに際し、J・G・バラードの影響、とりわけ『終着の浜辺』のイメージが重要な参照点となっていると考えられる。一方で、伊藤自身が日本の原爆文学、たとえば原民喜らの作品に親しんでいた可能性も十分にあり、そうした記憶や表象も無意識のうちに表現に影響を与えていたと想像することもできよう。ただし、原爆による惨禍を実際に経験した日本と、地理や気候条件の異なる印パにおける被害の描写にその点が反映されていないのは、SFとしてはリアリティの欠如と捉えられる可能性もある。作者は、印パ関係やインド国内における宗教的な対立、そしてその対立の政治的利用は現在の南アジアの事実であり、この問題を解決するために世界各国が責任をもって動くべきであることを呼び掛けている。他方、南アジアの右翼団体・原理主義者による世界平和に対する脅威は、日本を含む先進国が緊急に対応すべき問題だと示唆しているだろう。
 今日の印パ関係は本書の出版当初よりさらに悪化しており、インド国内の人権侵害について国際連合人権高等弁務官事務所はインド政府に個人の自由と人権を守るよう呼び掛けている。最新の例は、ヒンドゥー右翼団体からヘイト・スピーチを受けているフリーランスのジャーナリスト、ラーナ・アッユーブに対するものである。2018年5月24日の「我々(注:国連の人権専門家)は、ラーナ・アッユーブを保護するために、彼女に対する脅迫が即座に完全に調査されるよう、至急行動を起こすべきであるとインド政府に呼びかける。」[45]という声明である。つまり、インド国内の状況に対して国連が警告しているのである。伊藤が11年前に小説に描いた、インドの国内の状況に関して国際機関が命令を出したという創作は、現実になりつつあるのだろうか。
 伊藤計劃の本作品は、未来の技術的想像力に加え、戦争、政治、倫理といった現実の社会問題への鋭い洞察を内包しており、ニューウェーヴSFやサイバーパンクに見られる社会批評的SFの系譜に連なるものと考えられる。この作品は人権問題、アンチ・ミリタリズム、反資本主義、反核運動など、人類の存在に直接かつ間接的に関わる多様な側面から評価し得るさまざまな論点を含んでおり、21世紀の日本の文学の新しい展開を予感させるものである。

【付記】『朝日新聞』、『毎日新聞』、『読売新聞』、『日本経済新聞』の記事は縮刷版、『虐殺器官』の引用文は『虐殺器官』〔新版〕〈JA1165〉早川書房 2014年8月に拠る。

【参考文献】

〈書籍・論文・解説〉

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http://www.thedaythesunfell.com/

謝辞:本稿の執筆にあたり、評論家・総合学園ヒューマンアカデミーシナリオカレッジ特別非常勤講師の岡和田晃氏ならびに国士舘大学体育学部体育学科目野由希教授に貴重なご助言をいただきましたことに、深く感謝申し上げます。

【注釈】
[1]https://www.yomiuri.co.jp/world/20250423-OYT1T50028/https://mainichi.jp/articles/20250423/k00/00m/030/014000chttps://jp.reuters.com/world/security/VDRE3RDS5VNBJPPAC2H4GDYBJY-2025-05-06/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250508/k10014799251000.html https://www.bbc.com/japanese/articles/c5y23w1z6znohttps://www.asahi.com/articles/AST5F36QWT5FSFVU2JQM.html?iref=com_topics_00360c50-b06d-4088-a299-0f4d10012092_news_article_list_2
(いずれも2025年5月20日アクセス)
[2] SF作家、評論家、翻訳家などのアンケート投票で決まる年間ランキング。(初出は『SFが読みたい! 2008年版』(2008年、早川書房))
[3] ミステリーとして評価されたとき作者は驚いたようである。「伊藤計劃 x 円城塔「装飾と構造で乗り切る終末」」において「(前略)ミステリとして評価していただいたときは正直「えっ?!」っていう感じがありましたね。どこがミステリなのか、最初はわからなかったので。」 という伊藤計劃の発言が見られる。
[4] ウェブ上日記 http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2007/07/ (2017年4月28日アクセス)
[5] 大森望「『虐殺器官』新版 解説」(『虐殺器官』新版 早川書房 2014年8月)
[6] 岡和田晃『「世界内戦」とわずかな希望―伊藤計劃・SF・現代文学』 (書苑新社 2013年)
[7] 伊藤計画 x 円城塔「装飾と構造で乗り切る終末」
[8]この事件に関する最新の論文、岡山城子「インド・グジャラート州における反ムスリム「暴動」をめぐって」(『アジア研究』Vol.63 No.1 2017年1月)を参照。他に、英字報告書等John Dayal『Gujarat 2002: Untold and Retold Stories of the Hindutva Lab』(Justice & Peace Commission and All India Christian Council 2003年)、Siddharth Varadarajan ed.『Gujarat: The Making of a Tragedy』(New Delhi Penguin Books 2002年)、『Communalism Combat』(Year 8 No.76 March-April 2002 Sabrang Communications) http://www.sabrang.com/cc/archive/2002/marapril/index.html ウェブアクセス2017年5月8日)など。
[9]http://www.sacw.net/Gujarat2002/GujCarnage.html (2017年5月2日アクセス)、 http://timesofindia.indiatimes.com/india/Godhra-train-fire-accidental-Banerjee-report/articleshowprint/1437742.cms?null (2017年5月2日アクセス)、「Gujarat Carnage 2002: A Report To the Nation by An Independent Fact Finding Mission」Kamal Mitra Chenoy et al」(2002年4月11日 http://www.outlookindia.com/website/story/gujarat-carnage-2002/215160 より2017年5月2日アクセス)など。
[10] Varadarajan, S.
[11] 「Genocide in Gujarat: The Sangh Parivar, Narendra Modi, and the Government of Gujara」(Coalition Against Genocide, 2005年3月2日 http://www.coalitionagainstgenocide.org/reports/2005/cag.02mar2005.modi.pdf より2017年5月12日アクセス)
[12] Lokhande, S. B.
[13] 『Communalism Combat』(Year 8 No.76 March-April 2002)
[14] http://www.countercurrents.org/zargar260215.htmhttp://conconflicts.ssrc.org/archives/gujarat/brass/ (いずれも2017年5月12日アクセス)など。
[15] https://www.theguardian.com/commentisfree/2012/mar/14/new-india-gujarat-massacre 、https://www.nytimes.com/interactive/2014/04/06/world/asia/modi-gujarat-riots-timeline.html?r=0#/#time287_8192 (いずれも2017年5月12日アクセス)など。
[16]http://www.sacw.net/Gujarat2002/GujaratReportCAG0305%202.pdf 、https://www.dissentmagazine.org/article/genocide-in-gujarat (いずれも2017年5月12日アクセス)など。
[17] 産経新聞マイクロ資料より
[18] 日本経済新聞社データベースより
[19] 同上
[20] 同上
[21] 同上
[22] 産経新聞マイクロ資料より
[23] 同上
[24] 「インド暴動の地アーメダバード イスラム教徒「狙い撃ち」か ヒンズー教徒の商店閉店後に発生…随所に計画性」(「毎日新聞」 7面 2002年3月8日)
[25] 「インド 宗教暴動 地方に拡大 イスラム教徒30人を虐殺 死者540人に」(「毎日新聞」7頁 2002年3月5日)
[26] 産経新聞マイクロ資料より
[27]http://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%AC%AC%EF%BC%96%EF%BC%98%E5%9B%9E%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8E%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD-%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%95-%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%8C%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%81%9F%E6%97%A5?%E5%BA%83%E5%B3%B6%E3%81%A8%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%E5%8F%8D%E6%A0%B8%E3%82%92%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%A7%E6%8F%8F%E3%81%8F/41601038 (2017年6月14日アクセス)、http://www.thedaythesunfell.com/ (2017年6月20日アクセス)
[28] http://www.imdb.com/title/tt4929364/awards?ref_=tt_awd (2017年6月20日アクセス)
[29]若手研究者の故か、調査に不十分さも見られる。
[30]近藤 光博書評 中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム:印パ緊張の背景』(南アジア研究 (15), 180-186, 2003-10)、布施 裕之「ヒンドゥー・ナショナリズム」中島岳志著 (『読売新聞』2002年9月 22日 12面)、「「ヒンドゥー・ナショナリズム」中島岳志」(2002年7月26日 『産経新聞』 東京朝刊 総合・内政面) ≪産経新聞ニュース検索サービス(The Sankei Archives)より 2017年5月28日アクセス≫
[31] http://jasas.info/award/winner/
[32]上田 知亮「書評 中島岳志著『ナショナリズムと宗教―現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』」(『アジア研究』 53(3), 93-97, 2007)、近藤 高史「書評 中島岳志.『ナショナリズムと宗教―現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』」(『アジア・アフリカ地域研究』 (5-2), 253-256, 2005)、近藤 則夫「BOOK 多面的にインドを理解するための5冊 『南アジアを知る事典』『ネクスト・マーケット』『ナショナリズムと宗教』『日本とインド交流の歴史』他」(『日経ビジネス アソシエ』 2007年6月19日 88-89);阿部 仲麻呂「書評 中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』(中央公論新社2002)(略)『ナショナリズムと宗教 現代のヒンドゥー・ナショナリズム運動』(春風社2005)(後略)」(『白百合女子大学キリスト教文化研究論集』 (7), 124-132, 2006)
[33] http://apcss.org/Publications/Ocasional%20Papers/OPHinduNationalism.pdf (Arun R. Swamy「Hindu Nationalism- What’s Religion Go to Do With It?」Asia-Pacific Center for Securities Studies, 2003年3月)
[34] Bankim Chandra Chatterjee(バンキム・チャンドラ・チャタルジー)著『Anand Math(アナンドマト)』(ベンガル語1882年)など。この小説の中でヒンドゥー教徒がムスリムの村を燃やしたり、ムスリムの女性や子供など皆を殺したり、モスクを破壊する場面などが繰り返し見られる。暴力を使って宗教や国を守る方法がこの小説の主なテーマであろう。
[35] Akshaya Mukul『Gita Press and the Making of Hindu India』(Harper Collins Publishers India, 2015年)
[36] Arun R. Swamy (氏は、B.D. Graham “The Congress and Hindu Nationalism”, Sarkar “Modern India”, Judit M. Brown “Modern India: The making of an Asian Democracy”, Delhi: New York: Oxford University Press, 1985, Brown, “Modern India”;などを参照している。)
[37]https://www.dailyo.in/arts/gita-press-hinduism-hindutva-akshaya-mukul-rss-ms-golwalkar-nationalism-bhagavad-gita/story/1/9218.html (2017年11月7日アクセス)
[38] 1926年8月から出版され始めた。
[39]https://www.dailyo.in/arts/gita-press-hinduism-hindutva-akshaya-mukul-rss-ms-golwalkar-nationalism-bhagavad-gita/story/1/9218.html (2017年11月7日アクセス)
[40] http://d.hatena.ne.jp/kazuma_002/20040701#p1 (2018年4月4日アクセス)
[41] 同上
[42] 同上
[43] 作中「この人々は、どうしてムンバイへ行くのだろうか。ヒンドゥー・インディアから逃れるためか、貧しさから逃れるためか。(中略)これではまるで、ユダヤ人たちを運んでいるナチの郵送列車だ」(第四部、5)のように、ヒンドゥー・インディアとナチが並べて語られている。
[44] 『ぼくと1ルピーの神様』(ヴィカス・スワラップ著 ; 子安亜弥訳、2006年9月)
[45]http://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=23126&LangID=E (2018年5月29日アクセス)