「アストロノート」深田亨

 地方都市のデパートの屋上遊園地に、そのアトラクションはあった。大人一人で満員になりそうな、ロケットを模した部屋の中に座席があり、向かい合わせにロボットが座っている。
 胸の部分にディスプレイ――テレビのブラウン管がはめ込まれていて、両脇にスピーカーの穴が開いている。座席のひじ掛けのところにいくつかのボタンがあり、コインを投入するスリットもそこに付いていた。
 アトラクションの名前は『アストロノート』。
 小学生の私は、月に一度か二か月に一度、家族と共にデパートに来ると、必ず『アストロノート』を試さずにはいられなかった。そのころは、女の子らしくないと言われそうな風潮がいくぶん残っていたが、私はほかの遊技機を見向きもしなかった。
 いつ行っても『アストロノート』は空いていた。外観もずいぶん古びていて、もう人気がないのかもしれなかった。
 でも私には関係ない。座席に着き、コインを一枚入れると、カチャリと音がしてブラウン管が光る。
 まず映るのは暗黒の宇宙空間。やがて輝く無数の星の光が現れる。ディスプレイの上にある四角いロボットの顔の、目にあたる二つの電球が点り、スピーカーから声が流れてくる。
「ようこそ、わが宇宙船へ。ぼくはこの宇宙船のパイロット。ロボットだから、どんなに遠いところへも行けるし、どんなに過酷な環境にも耐えられるんだ。さあこれから、ぼくが訪れた宇宙の星々を案内しよう」
 そうして、ブラウン管の画面は、光の点の一つにずんずん近づいていく。
「まずはきみたちのいる太陽系。青い惑星――地球の衛星である月に降り立ってみよう」
 月の次は火星と木星。そして太陽系を飛び出して、ケンタウルス座のオーム星団。アンドロメダ銀河。おとめ座のM87。やまねこ座のNGC2770――そのほかさまざまな星の映像が、ロボットの解説と共にブラウン管に映し出されるのだった。
 最後にブラックホールに吸い込まれて旅が終わる。一時間、いや数年の時が過ぎたようにも思われたが、ロケットの部屋から出ると、ほんの数分しか経っていない。
『アストロノート』は映像が流れるだけでなく、ひじ掛けのボタンで質問が出来るようになっていた。ただし、あらかじめ定められた五つの質問から一つを選べるだけだ。

1 宇宙の果てはどうなっているの?
2 この映画はどうやって撮影したの?
3 人間も映画に写っているところに行けるの?
4 あなたはここで何をしているの?
5 あなたはだれなの?

 よく考えれば、変な質問も混じっているのだが、ロボットが案内してくれる宇宙の姿に夢中になっている私は、毎回何度もコインを投入して、5つの質問すべてを試さずにはいられなかった
 おそらくテープに吹き込まれているのだろう、同じ質問の答えはいつも同じだった。

「宇宙の果てはないんだよ、どこまで行っても、いつか元のところに戻って来るんだ」
「もちろんそこへ行って映したのさ」
「ロボットになったら行けるかもしれないね」
「きみたちに宇宙の姿を見せに来たんだよ」
「ぼくはアストロノートさ。宇宙飛行士のことだよ。正確にはね、アストロノートはアメリカで訓練した者を言い、ロシアで訓練した宇宙飛行士はコスモノートと言うんだよ」

 とりわけ私は5の答えが好きだった。いつか自分もアストロノートになって、ブラウン管に映し出される場所をすべて訪れるんだという、子供らしい――でも当時は女の子らしくない――夢を持つようになった。
 けれどそれも小学生のあいだのこと。中学生になると、デパートへ行っても雑貨や衣料品の売場か、書籍売場にいる時間が長くなり、屋上への足が遠のいた。
 高校にあがると、電車に乗ってもっと賑やかな場所へ足を伸ばすようになり、大学に進学して故郷の町を離れた。
 ただ、子供のころの興味が頭のどこかにあったのか、途中で学部を変更して、宇宙科学の分野に進んだ。そのため数年余分に大学に通うことになったけれど。
 そのあいだに、人類は火星や木星に足を踏み入れ、亜光速飛行技術を手に入れた。極めてプリミティブではあるが、ワープ航法の実験にも成功し、他の銀河系への進出が始まった。
 太陽系以外の星へのロケットに乗るのは、生身の人間ではなくロボットだった。ロボットのアストロノートたちは、ワープ通信でほぼリアルタイムの映像を送ってきた。
 院を卒業した後も大学に残って研究を続けていた私は、あるときふと気が付いた。宇宙の彼方の星から送られてきた映像が、デパートの屋上にあった『アストロノート』の映像と寸分の違いもないことに。
 私は休暇を取って、二十数年ぶりに故郷を訪れた。小学生のころすでに古びていたデパートはとうになく、そこには高層ビルが建っていた。
 向かいの歩道で少しかがんで、私は小学生の目の高さからビルを眺めた。デパートの屋上あったあたりは、地上からビルの四分の一ほどの位置だった。
 エレベーターでその階にあがると、そこはオフィスフロアのようだが、入居者がないのかがらんとしていた。見当をつけて探してみると、トイレの横に奥まった空間があった。
 オフィスが埋まっていれば、ソファや自動販売機を置いてレストスペースのように使われるのだろう。でもそこにあったのは、ペンキのはげかけた、ロケットの形をした箱だった。
 中に入ると、アストロノートのロボットが私を待っていた。昔と何も変わっていない。ただ、質問ボタンは6つ。たしかあのころは5つだったはず。一つ増えている。

6 タイムマシンは発明されるの?

 私は子供用の大きさしかない座席にお尻を押し込めようとして、ためらった。ほとんどすべての決済をキャッシュレスで行う時代なのに、ひじ掛けの横にはコインを入れるスリットがあるだけで、電子マネーの読み取り装置がなかった。小銭なんて普段は持ち歩かない。
 でも『アストロノート』がここにあるということは――。私は確信してポケットに手を入れる。コインが一つ、指先に触れる。