「甲府物語」飯野文彦

〈2022年3月9日フェイスブックより・一人で子守する晩に考えること。どんな生活が幸せか? 静かにウイスキーの、限りなくロックに近い水割りを飲んでいる光景が浮かぶ。他人はいらない、一人で良い。人がいると気をつかうから。朝起きて書いて、直して、読んで。その他の雑務を夕方までに終わらせて、ウイスキーを飲んで、倒れるように眠る。週に何度かは場所を桜座に移して、ただし帰りは酔っても一人で家に帰る。そういう生活を、私は送りたい。双子の孫、あと三年、保育園。四年後にはできるかな。と、これだけの文章を書くのに、おむつを変えたり、おやつを食べさせたり、暴れるので怒ったり。〉
    ◇ ◇
 同居している四歳の孫、陽斗(はると)と優斗(ゆうと)は娘に連れられて、上京している。娘はシングルマザー、東京で仕事をしているのだが、昨日土曜日、いったん戻ると、土曜保育を終えた夕方、双子を連れてあわただしく上京し、戻りは火曜午後の予定だ。前回、SFプロローグウエーブに「骨壷」という作品を書いた。その中で私は、双子に虐待といっていい行為を書いた。創作として発表したのであって、事実ではない。妻にも娘にも、そう答えてはいたが、本音を言うと、わからない。酔って幻視した出来事を文字に置き換えたはずだが、泥酔した私が行っていた可能性は否定できない。それを娘も感じとっているのか、なんだかんだと都合をつけて、双子を東京へ連れて行く機会が増えた。
 一人放りおかれて気楽、とかんたんに割り切れれば楽、そうもできない、気持ちを紛らわすため酒を飲む。漫画タイガーマスク、虎の穴のトレーニングでコールタールのプールを泳ぐというのがあった、酔った私が体感しているのは、まさにあれだ。コールタールならぬアルコールの中で、泳ぐのではなく溺れかけ、飲みながら、のた打っている。そんな状態で、どれが現実でどこからが幻視かなど、とうていわかるものではない。「夜も預けられる保育園ある」娘の声だった。「ママも週の半分は上京してるんだし」ママ? 妻と話しているのか。確かにエアロビのインストラクターをしている妻は、娘と入れ違いで上京している。「ベビーシッターを頼めば、だいじょうぶだよ」夢を見ているのか、幻聴が聞こえるのか。
 間違いないのは、昨日の夕方、双子たちが上京したあと、娘がこしらえてくれた野菜炒め、妻がつくった白菜漬けを肴、買い置きしてあったホワイトホース4リットルボトルを脇に置いて、ハイボールから飲みはじめたことだった。最初はU-NEXTで「ドクター・スリープ」を観ていたはずなのに、気がつくと、卑猥な呻き声(うめきごえ)をあげながら、全裸の男女、からみあっている。「ドクター・スリープ」は一度劇場で観ている、こんな映画ではない、誰かが私がトイレに立った隙(すき)にでも、H-NEXT、つまりアダルト物に切り替えたのだ。しかし映画に戻す気力も残っておらず、誰知らぬ悪戯にまかせて、卑猥な映像垂れ流す。いつしか寝て、起きて、飲んで、しかし一つだけ記憶に残っていることがある、午後四時から桜座でライブがある。贔屓(ひいき)のミュージシャン・堤広一さんのソロライブ、日曜のためか、ふだんよりはやい時間だったので、記憶の襞(ひだ)に張りついていたらしく、それにはどうしても顔を出したかった。
 そう思ったのは幽か(かすか)に憶えており、しかし家を出て、歩いた覚えはないのに、ふと気がつくと桜座にいる。奥の桟敷ではなく、手前の椅子席のほうで、ステージでは堤さんがアルトサックスを吹いている。私の前のテーブルには、飲みかけの液体が入ったコップが置かれ、口をつけてみると、ハイボールだった。恐る恐る回りを見ると、カウンターの中にいたマスターの龍野さんと目が合った。にこり顔を崩したので、ぺこりと会釈したが、何かやらかしたのではと怖じ気づき、目を逸らして辺りを見ると一人二人、知った人の顔もあり、十人近い客がいる。誰かと視線が合う前に前を向くと、演奏が終わった。
「それじゃ、ちょっと休憩します」
 どうやら最初のステージが終わったらしい。尿意はなかったが、席を立って、入口脇にあるトイレに向かった。自分が誰に、どんな対応をしているのかわからない、誰かに話しかけられるのは恐ろしさでしかなく、次のステージがはじまるまで、男子トイレは一つなのでノックされれば困る、こっそり二つ個室がある女子トイレに入って、その片方に籠もればいい。だがトイレに入る寸前、通路脇の椅子に座っている男が目についた。常連客ではなさそうだが、どこか見覚えがある。ソフト帽をかぶり、しゃれた背広姿である。見えない糸で引っぱられるように近づくと、何やらぶつぶつ言っている。
「桜座に出るくらいだ。筋がいいのは、わかるが……」どうやら堤さんを知らず、通りがかり、成り行き、何となく桜座に来たらしい。なんとか堤さんの魅力を伝えられないだろうか、独特の味わいがありますし、腕もピカ一で……頭で言葉を整理している途中、私の口から言葉が出た。「おじいちゃん」男は不審そうに私を見たが、徐々に表情をゆるめ「フミか」と目を見開いた。「うん」そうか、時代がちがうか。祖父が若かった頃は、こういう音楽はなかったか。詩吟が好きだった、私の前の結婚式でも唄ってくれ、終わった後「誰もわからんだ」と文句を言っていたっけ。それでも私は、自分でも何を言っているのかわからないが、懸命に堤さんの魅力を伝えている、と見ると、気の短い祖父が文句も言わず、私の言葉に耳を傾けている。その顔をどこかで見たことがある。そうだ、まだ私が幼かった頃、膝の上に乗せて、頭を撫でてくれたときに見せた顔だ。思わず見とれると、いっそう顔をくしゃりとさせる。
「どうしたの?」「あの泣き虫のフミが、立派になって」まだ若い、と言っても、今の私と同じくらい、六十路前後だろう。私が覚えている、かわいがってもらった祖父にまちがいないが、覚えているのよりも、ずっと若い。
    ◇ ◇
〈2022年5月31フェイスブックより・保育園に迎えに行ったら、先生が「父の日の顔の絵ですが、じいじを書いてもいいですか?」これだけで飲みながら、泣きます。〉
    ◇ ◇
「出るか」ぽんと判子でも押すように祖父が言った。「えっ?」「なんか食おう」「でも……」まだライブの二部が残っている。それを見てからでも、と思ったが、祖父はすでに客席に背中を向け、出口に向かっている。祖父につづいて桜座を出た。町は古めかしいが、活気がある。どこかで見た。桜座のロビーに飾ってある、昔の桜座があった甲府中心の町並み、そのものだった。祖父は無言で、すたすたと歩いて行く。もしかして、やっぱり。祖父は蕎麦屋に入り、天丼の上を二つ頼んだ。以前、私は祖父との幻想を掌篇にしている。    ◇ ◇
〈蕎麦屋にて〉
 甲府の中心に〈奥正〉という蕎麦屋がある。昔からあった。まだ小学校の、せいぜい三年か四年生だった頃、祖父に連れられて入ったことがある。母と中心に出たときに何か食べるとしても、蕎麦屋に入るという発想はなかった。洋食か、せいぜいうまいラーメン屋か。
 岡島百貨店の食堂へ行って、ライスカレーとハムポテトサラダ付きハンバーグ、チョコレートパフェを頼み、いっしょにいた姉に「そんなに食べられるわけないでしょ」と言われ、ムキになって食べた。帰りのバスで吐いた。
 祖父と二人で、中心に出たわけを覚えている。夏休み、岡島百貨店の特設会場で〈世界のヘビ展〉をやっていて、休み前、小学校で割引き券をくれた。ヘビが好きだった記憶など、まったくない。なぜ行ったのか。田舎町で娯楽が少なく、せっかく割引き券をくれたのだから程度の理由しかわからない。父は仕事で無理だし、母はヘビが大嫌い。それで「おじいさんに連れてってもらえし。どうせ暇だから」となったのだろう。
 ヘビ展へ行ったのは、暑さが過ぎるのを待って、午後三時過ぎだった。すたすたすた。麦わら帽子をかぶって、祖父と歩いていたとき、路面に映る影法師が長かったのを覚えている。ヘビ展には一人で入った。「ヘビなんか、野良でしょっちゅう見てら」祖父は口をへの字にして、外で待っていた。後で母に話したら「おじいさん、ヘビ嫌いだからだよ」と笑った。祖父が気の毒になった。それなら行く前に教えてよ、と思った。
 私が会場から出てくると、祖父はへの字の口のまま、出口近くの椅子に、杖に両手を置くかっこうで座っていた。私を見るなり、立ち上がり「行くか」と、まっすぐエレベーターへ向かった。母に話すと「エスカレーターだと、オモチャ売り場の階で、なんか、せがまれちゃ困るから」あのときは、そんなつもりじゃなかったと反論したが、きっと母が正解だろう。一階に着くと、祖父は先に歩き、外へ出た。帰るのとは、ちがう方に進む。
「ねえ」だぶだぶだった白い半袖シャツの脇をつかむ。「なんか食おう」と言われ、わくわくした。すたすた、すたすたすた。祖父は迷わず〈奥正〉に入った。蕎麦屋か。たまには、おそばもいいかな。向かい合って座ると、祖父はメニューも見ずに「天丼。……上、二つ」と言った。驚いた。子どもの私に、蕎麦屋で天丼を頼むという発想は、まったくなかった。夕方近い店内、ほかに客はいなかった。
 天丼が来た。大きな海老の天ぷらが二つ、お汁がかかって、丼のご飯に載っている。私たちは無言で食べた。おいしかった。が、私たちはたんたんと食べた。母に話すと「おじいさん、奮発して」と笑った。天丼、しかも上は、ご馳走なんだと知った。あれ以来、外で天丼など食べたこともないのに。うたた寝した昼下がり。ふと思った。
「よくないな」
 商工会議所の脇にある相生町のマンションを出ると、小走りに岡島百貨店に向かった。折しも祖父が、杖をつきながら、岡島百貨店から出てきた。ソフト帽をかぶり、だぶだぶの半袖シャツ姿。あの日とおなじだ。後につづいた。影を踏む。影があるんだ。こころが弾む。すたすた、すたすたすた。祖父は、腰をかけるのももどかしく「天丼」と言った。「上、二つ」言い足して、祖父の前に座った。きょとんとする祖父に「ご馳走だね」への字の口が、くしゃ。とろけた。
    ◇ ◇
「飲んでるだか?」祖父が言った。私の顔は、ずいぶん赤いようだ。「うん、まあ」「あのフミが……。おーい、ビール」祖父は店の奥に向かって声を上げた。程なく届いた瓶ビールは、サッポロの赤星、大瓶だった。SAPPOROとロゴの入ったコップが二つ、さらに小鉢を二つ、蕎麦を五センチほどに切って、揚げたものらしい。瓶をつかみ、祖父のコップに注ごうとしたが、いいと断られた。そうだ、祖父は若い頃から酒は飲まなかったと言っていた。代わりに蕎麦の菓子をぽりぽりつまんでいる。私は自分のコップに注いだ。ごくり喉を鳴らしたとき、上天丼が二つ来た。
「けろちゃん」と声がした。けろというのは、私のあだ名である。目を向けると、入口を開けて、ボムさんが立っている。本名は山元さんと言うのだが、通称クラッシュ・ボム。FKソールというバンドのボーカルとして活躍しているので、山元さんとは呼ばず、ボムさんと呼んでしまう。アフロヘアーでアロハシャツ姿、小錦を二回りか三回り小さくしたような体型をしている。「え、なんで、ボムさんが」「店の前を掃除していたら、ここに入るのが、見えたから」確かにボムさんは〈奥正〉の斜め前で、奥さんのエリさんと〈ボムズ・バー〉なる飲み屋を経営している。「でも……」テーブルの前を見るが、祖父はいない。けれども、空となった丼は、私の以外にもう一つ残っている。「おじいちゃ……ボムさん、いっしょに来た、男の人は?」
「一人だったよ。ふらふらしながら歩いてて、危なっかしいから、ずっと見てたけど」店内を見る。モノクロームでぼやけているが、ボムさんが立っている辺りから、どんどんと天然色の世界に代わろうとしている。立ち上がり「お勘定」と叫ぶ。奥から顔を出した割烹着姿のおばさんは、笑顔で「さっきの方が」。その姿を見て、思った。まだ間に合う。「ボムさん、ちょっと急ぎの用事があって」私は店を飛びだした。「けろちゃん、気をつけろし。足、ふらついてるよ」
 中心街は色彩も形も、喧噪や空気さえ捻れ(ねじれ)ている。目を懲らすと、祖父の後ろ姿が見える。「おじいちゃん!」振り返って、微笑み、煙のように消えた。町並みが色褪せてきた。急がなくては。私は走った。目指したのは、舞鶴城公園南側にあるラーメン屋〈独立軒〉だった。店内は混んでいた。見回すと奥の壁にモナリザの絵、ラーメン屋に? 瞬きすると、絵などなく、壁際のテーブル席、向かい合って座る男女がいる。どちらも二十代前半の若さだ。女の鼻の下に、ほくろがある。
    ◇ ◇
〈顎のたるみと母のほくろ〉
 私の顎は以前太っていて、痩せたせいか、ずいぶんとたるんでいる。先日、双子の孫をあやしていたら、二人とも私の顎をじっと見つめ、たるみが気になるのだろう、代わる代わる触りだした。
 不意に母のほくろのことが思い出された。母は鼻の下に小豆ほどの、ほくろがあった。たぶん今の双子くらいの頃だっただろう。母に抱かれていたとき、そのほくろが気になった。さわると母は困ったように苦笑したものだ。ほくろがなくなったわけではない。しかし、その後はまったくといって良いほど、気にならなくなった。いつしか、ほくろがあったことも、忘れていたくらいである。
 私の顎のたるみも、なくならないだろうが、双子はどう思うだろうか。
    ◇ ◇
 男のほうはラーメンを食べている。その前に二つ空の丼があり、女はおちょぼ口でラーメンを恥ずかしそうに食べている。昔、母が話した言葉が思い出された。「電気館で映画を観た帰りに独立軒へ寄ったんだけど、お父さんたらラーメンを二杯もお代わりするから、恥ずかしくて」私に気づいた女が顔を上げた。不審そうだったが、徐々に顔に驚きが浮かぶ。「ふみひこ?」私は肯いた。男が顔を上げ、私を見た。やはり不審そうな顔をする。
「どうしてここに?」女が訊いた。「どうしてって……」女は立ち上がり「だめよ、出てって」男も立ち上がり、「誰だ?」女は男をじっと見つめ「ふみひこだってば」男はぴくっと肩を揺らし、私を見た。「なんで、ここにいる?」私は事情を話した。桜座で祖父に会い、いっしょに天丼を食べた。そしたら、もしかして、ここにいるんじゃないかと思って。「だめ、はやく帰って」と女が叫ぶ。「でも……」「まだ早い。まだまだ若いでしょ、さあ早く」周りの客たちが不審そうな顔を向ける。すでにほろ酔いの男が「どうした、まあ飲めし」と私にビールを勧める。女がさえぎった。「いえ、この子は……」「この子? あんたのオヤジさんみたいなこいつを、この子だよと」店内に笑いが響く。「出よう」と男が言った。女が会計を済ませる。外に出ると、暮れかけた町は熱気が渦巻いている。「先に帰っててくれ、話してくる」男は女を残し、私を誘った。オリオン通り、岡島、電気館、一軒の飲み屋へ入った。混み合った店内のカウンターの隅、二人並んで腰を下ろした。「ぶう酎二つ」と男が注文、ぶう酎というのは焼酎を葡萄酒で割った、山梨独特の酒だ。
 ――若い頃、飲みに出ると、ぶう酎ばっかり飲んでた、安くてすぐ回るから。私がまだ甲府の実家で生活していた頃、たぶん中学か高校生の頃、夕食時に晩酌をしていた父が言ったことがある。なんだか不味そうだなと思った記憶がよみがえる。しかし、いざ口にすると、なかなか行ける。焼酎の臭いを葡萄酒が消して、飲みやすい。くいくいと行けそうだが、調子に乗って飲んだら危なそうだ。
「帰れ」「でも……」「母さんも言ってただろう、まだはやい」「でも……」胸が詰まった。父が死に、母が死んで、小説も売れず、目標もない、このまま老いるだけなのかという毎日。思いも掛けず、双子の孫と同居できたものの、その信頼も失いかけている。
    ◇ ◇
〈2022年9月5日フェイスブックより・昨晩の桜座、堤広一オールスターズライブ。とにかくすごくて。終演後飲んで、気がついたら朝、家のベッドで倒れてた。転んだな。右膝傷。今日一日、死んでました。ですが、娘が連れて上京していた双子が、そろそろ帰ってくる。早く会いたいよー!〉
    ◇ ◇
「ずっといる。ずっとある」父が言った。「あるって、町のこと?」「おれらは自分の過ごした、ここで生きてる。お前は自分の、この町で生きろ」「自分の、この町で」「おっと『生きてる』ってのは間違いか」父は照れたように言い、残っていたぶう酎を飲み干した。お代わりせず、腰を上げた。会計を済ませ、私を立たせ、外へ出た。混沌とした町、片方は賑やか、もう片方はシャッター街、賑やかな街中に母が立っている。そちらに足を踏み出そうとすると、父に腕をつかまれた。母は涙を流しながら肯き、その唇が動く。「双子の……」咽ぶように震えて、後は読みとれない。
    ◇ ◇
〈「水芙蓉」より抜粋・保育園からの帰り、陽斗がぐずったので、娘が助手席で抱いて。夕方の渋滞で進めない。陽斗は動いて、カーナビにふれて……画面を見て、びっくり。母が最期を迎えた養老院が映ってる。そのとたん「ふみひこ、双子の面倒を見てやれし」と母の声が聞こえた、気が。〉
    ◇ ◇
 唐突に一枚の古い写真が、記憶の底から浮かんできた。双子の孫と同じくらいだった私と若かった父が、どこかの食堂か、テーブルに向かって座り、私はアイスクリームのようなものを夢中で食べ、隣りに座る父は、幼い頃に憶えている怖かった父とは別人のように穏やかな顔で、陽斗に似た私を見ている。
「父さん。ぼくのこと……」なんと訊けばいいのかわからないでいると、まだ若い父は、あの写真と同じように微笑み、私の肩をぽんと叩いた。「さあ」と暗い町の方へ私を押す。「わかった」背中を向けて歩く。一歩一歩、背中の喧噪が消えていく。そして聞こえなくなった。振り返ると、暗いシャッター街が広がっている。ここで生きてる。父の言葉が脳裏に響く。お前は自分の、この街で生きろ。
    ◇ ◇
〈2022年11月4日フェイスブックより・今晩は桜座のライブですが、家を出るとき、そう言うと双子が「行きたい」って言うので「仕事に行ってくるね」と言うと、優斗が「こっそり、ついていこうかな」〉
    ◇ ◇
 桜座まで戻ると、表で龍野さんが煙草を吸っていた。「これか?」龍野さんは手で一杯やる仕種。答えられず、うつむくと「もうすぐ後半だ」「え?」休憩はせいぜい十分かそこらだ。私が祖父と父と甲府の街へ出ていたのは、もっと長い。そうか、時間が飲みこまれている、どこに……。中からギターの音色が聞こえてきた。「はじまったぞ」「あ、はい」わからないまま、お辞儀して、中に入ろうとした。「おい、けろ」呼び止められ、振り返ると龍野さんは「打ちあげ、残れよ」と杯を空ける仕種とともに微笑む。笑みが私にも伝わった。ここが私の生きている甲府の街、火曜には双子も戻ってくる。きっと……、……。
「もどるよ。もどる、もどる。もどるさ」(了)