「上品な味」深田亨

 ずいぶん昔のいつのころか、都から遠く離れた山深い村に、得も言われぬほど高貴で上品な女の人が住んでおりました。
 女の人は一人暮らしで、小さいけれどさっぱりと片付いた家に、村の子供たちを招いて、読み書きやお行儀を教えていたのです。
 教わる子供の親もそのまた親も、そうしてずっとその女の人から、習い事を受けてきたのでした。
 ですから女の人は、村の長老よりもだれよりも歳をとっていたはずなのに、肌はつややか髪の毛は黒く、若い娘ごのような容姿でありました。
 いつも微笑みを湛えている小さな口からは、都の宮中に仕える上流の女官たちが使うような言葉があふれ、その嫋やかな立ち居振る舞いに、村人たちは目を見張るのでした。
 そんな人に教えられるのですから、その村ではだれもが、すっかり洗練された品格のある暮らしぶりをしていたに違いないと思うでしょうが、いいえ、なかなかそうはいきません。
 もともと山あいの貧しい村なので、そんな悠長なことでは暮らしは成り立たず、どんなに丁寧に教えられても、大人も子供も身につけることはありませんでした。
 ただ、子供にとっては優しいお姉さまを、大人にとっては決して叶えられることのない、都人の優雅な姿を女の人のうちに見て、ひととき苦しい日常を忘れるよすがとするばかりでした。
 ある年に、ひどい飢饉が国中を襲いました。
 その村も、例外ではありません。それまでは無理をして納めていた年貢も、とうとう滞ってしまったため、お城から役人がやってきました。そして、城下でも出会ったことのないような、美しく高貴な女の人を見つけたのです。
 役人は、年貢が払えないのなら女の人を殿さまに差し出せと、村の長老に迫りました。そんなことは出来ませぬじゃと断られた役人は、直接女の人のところへ行きました。
 お前は百年以上も若いままの姿だそうだな。わしと一緒にお城へ行って、その秘密を殿さまに明かせば村の年貢はまけてやる。
 すると女の人はこう答えました。
 私にお行儀を教えてくださった先生は、もう何百年も前に寿命が来てお亡くなりになりました。先生は村人だけでなく、村に棲む獣や魚や鳥や虫たちにも同じように教えてくださったのです。
 でも村人たちは、教えても教えても下品なふるまいに戻ってしまいます。まして人でないものどもに伝わろうはずがございません。ただおそばにずっと仕えておりました私だけが、無知蒙昧の輩(やから)であるにもかかわらず、日々、先生のご薫陶を受け、そのお心を継いでいこうと決心したのでございます。
 そんな村人たちでも大切な先生の教え子です。私が都に行くことで村が助かるなら、喜んでまいりましょう。
 ただ私はこのままでは歩けないので、本来の姿に戻って従うことにします。
 そう言ったかと思うと、雛にも稀なと役人が褒め称えた女の人の身体は一気に崩れて、無数のまっ白な蛆虫となったのです。
 その昔、先生の教えを受けた蛆虫が寄り集まって、先生そっくりな女の人の姿となり、蛆虫が蠅になって卵を産むと、それがまた蛆虫となって何代も何代も、村人たちにお行儀作法や上品な振舞いと言葉遣いを教えてきたのです。
 驚いた役人は這う這うの体でお城へ逃げ帰り、恐ろしさのあまりおかしくなって、わけのわからない報告をしたのが幸いして、村のこともうやむやになってしまいました。
 村人たちは、女の人がいなくなったので、お城へ連れ去られたのだと諦めるしかありませんでした。
 ただその住まいの跡に、丸々と太った大量の蛆虫が発生していたのを見つけ、飢饉で食べる物にも事欠いていたので、みんなで食べてしまいました。
 それはそれは上品な味がしたそうであります。