「ねぇ、おじさん」
シンイチは、おじさんの横に座って話しかけた。
「おじさんはどこから来たの? どこに住んでいるの? みんな気にしてるよ」
「うーん」おじさんはしばらくうなった。「遠いところから来たんだよとしか言いようがないかなぁ。うまく説明できないな。きっとシンイチ君には、言ってもわからないと思うんだ」
「じゃあなんで、いつもここにいるの?」
聞きたくてたまらない一方で、見知らぬ大人と二人きりの状況では、質問しかできない自分がもどかしかった。
そんなシンイチの心情を察してか、おじさんは笑顔で川面を見つめながら口を開いた。
「かんたんには説明できないんだけどね。ぼくは、とても大事な人と旅をしていたんだ。そうだなぁ、シンイチ君のパパにとっての、ママみたいな人かな。その旅の途中でここに立ち寄ったんだよ」
「その人は今どうしてるの?」
「死んじゃったんだ。ここでね。嵐の夜に」
「どうして!? おじさんはすごい力をいっぱい持っているじゃないか。どうしてその力で、助けてあげなかったの?」
「どうにもならなかったんだよ。ぼくも必死にがんばったんだけど、その人を助けられなかった。ぎゃくに……ぎゃくにぼくはがんばりすぎたから、元いた場所へ帰ることができなくなっちゃったんだ」
「あんまり意味がわかんない……です」
「あっはっは、だから言ったろう? じゃあシンイチ君だけに教えてあげよう。ぼくのあの力はね、本当は手品じゃないんだ。手品なんかじゃなく、本当の魔法なんだ。でもね、あの魔法は本当は、ああやってみんなを楽しませるために使うんじゃなく、もっと大事なことのために使うように、ぼくには生まれながらにそなわっているんだよ」
「え!」シンイチは思わず声をあげてしまった。
とっぴょうしもない夢物語だったが、あの手品が、とてもいつもテレビで見る手品などと同じではないと、素直に信じられた。
「おじさん、もっと大事なことって、どんなこと?」
「それはね……」おじさんは空を見上げた。「本当に大事な人を守るためだったり、故郷へ帰るためだったり、そういうことに使うんだよ」
シンイチはそれを聞いておどろいた。
じゃあ……だったら……。
「だったらダメじゃないか、おじさん! いつもみたいに手品を見せていたら、おじさんが故郷へ帰る分が、なくなっちゃうじゃないか!」
いきなりシンイチが、生真面目な表情で声を荒げたため、おじさんはいっしゅんはおどろいたが、すぐさま笑い、シンイチの頭をなで、また笑った。
「シンイチ君は頭がいいなぁ! きっと学校の成績もいいんだろうね」
笑い事じゃないじゃないか。シンイチはおじさんの手をふりはらおうとした。
しかしおじさんは、そのままシンイチの頭をくしゃくしゃなでつづけた。
「心配しなくてもいいんだよ、シンイチ君。ぼくにはもう、君と出会ったあのしゅんかんには、故郷へ帰るだけの力は残っていなかったんだ」
「……え?」
「さっき言ったろう? 大事な人を助けられなかったって。結果としてぼくはあの人を助けてあげることはできなかったけど、でも、ぼくなりに必死に、がんばったんだ。シンイチ君だって、もしも大事なママやパパが大変なことになったら、自分にできるかぎり、必死にがんばるだろう?」
「うん……」
「それとおなじだよ。おじさんはがんばったんだ……。でも、全てが終わったあとには、ぼくには大事なあの人も、故郷へ帰るだけのエネルギーも、どっちも残っていなかったんだよ」
「そんな……」
シンイチは、こんなときなんと言えばいいのかまったくわからなかった。
もちろん、そんなことはおじさんにはとっくにわかっていた。
「シンイチ君、アストロマンは好きかい?」
おじさんは、だから急に話題を変えて話しかけてきた。
いきなりの話題の変わりっぷりにとまどったが、シンイチは少し考えて、素直に「うん」と言った。
「小さい頃は好きだったよ! テレビでよく見た。あれは子どもが見るテレビだから、ぼくはもう見ないけど、でも好き。今でも……かな?」
「じゃあ、アストロマンはどこからやって来るか、知っているかい?」
「M87星雲! 光の国だよ!」
今度はシンイチはすぐに答えた。おじさんはシンイチにわからないように、少しくちびるをかみしめた。
「そう……光の国だよね。じゃあ、じゃあさ、シンイチ君、もしも……もしもだよ。ぼくがその光の国から来たと言ったら、きみは信じるかい?」
「え!」
おじさんの言葉は、シンイチの想像をはるかに超えていた。
アストロマンなんて、テレビの世界のお話じゃないか。
だから光の国だって、本当はないんだってことくらい、3年生になれば知っている。
でも、おじさんがみせてくれたあの手品の数々が、そういうのもありえるのかも、とシンイチに思わせていた。
「じゃ……じゃあ、おじさんはアストロマンなの? おじさんはアストロマンに変身できるの?」
シンイチが思わずたたみかけると、おじさんは笑顔のまま「うーん」と声に出してこまった顔をした。
「ぼくは、テレビのアストロマンにはなれないな。変身もできないんだ」
「なぁんだ……」
シンイチは、がっかりしたような、安心したような、ふしぎな気持ちになった。
「シンイチ君が信じてくれなくても、信じてくれても、どっちでもいい。ぼくは光の国からやって来たんだ。空のかなた、光の国から、とても大事な人と二人でね」
「信じるよ! ぼく信じる!」
今、このおじさんの途方もない話を信じるかどうか、試されている感覚だった。
もしも、いま目の前のおじさんの話を笑い飛ばしたら、あのとき感じた「夢」のような感覚を、二度と味わえないんじゃないか。
いや、どっちでもいいって言ってくれてるけど、もしぼくがおじさんの話を信じてあげないと、きっと、自分もおじさんも、大切なものをなくしちゃうんじゃないかシンイチは感じた。
「アストロマンも怪獣も、あれは全部地球の人が考えたつくりものなんだけどね。でも、光の国は本当にあるんだ。誰も覚えてないだけでね」
「覚えてない……?」
「そう、本当は皆が知らないんじゃない、忘れているだけなんだ。
だから、人が空想でお話を作るときに、かたちのない記憶にだけ残ってた『光の国』ってことばを、つい使っちゃったんだね」
シンイチはすぐにはそのりくつが理解できなかった。けれど今、目の前のおじさんは、とても大事な話を自分にしてくれているんだと感じた。学校で先生が授業でしゃかりきになっているのとはまた違う、本当の本気のようなものを、シンイチは感じとっていた。
「じゃああるんだね、おじさん、光の国は本当にあるんだね」
「あるよ。君が想像する景色じゃないけれど、光の国はちゃんとあるんだ」
「じゃあおじさんは強いの? 正義の味方なの?」
「あはは……」
おじさんは、シンイチを優しく見つめながら、そして力なく笑った。
「シンイチ君、シンイチ君の知っている、光の国の住人のアストロマン。もしアストロマンがいるとして、必要な条件てなんだと思うかな?」
予想していなかったいきなりの質問。
シンイチは、いつもクラスで、授業で当てられるとすぐさまこたえる頭の良さがあったが、それは、いつもちゃんと勉強をしていたからだった。
家に帰ると、ママやパパにせかされて、次の日の学校の勉強をやらされていた。
だから質問も、あるていどは予想がついたし答えもできた。
けれど、いまこのしゅんかんのおじさんの問いかけは、シンイチの予想をはるかにこえていた。
「アストロマンに必要な条件……。ううん……。勇気! 信じる心が強さだ! あきらめない心! 正しいことをつらぬく気持ち!」
今まで見てきたアストロマンで、使われていた言葉を次々にさけぶシンイチ。
おじさんは、それを聞きながらうんうんとうなずいて笑っている。
「それから……えっと……えと……」
「シンイチ君、本当のアストロマンは、本当の光の国の人たちはね、誰もそんなに強くないよ。誰ひとりそんなえいゆうはいないんだ」
おじさんはゆっくり立ち上がった。
今日はまだ、おじさんの手品を見に来る友たちが誰もいない、変だなと思いながら、シンイチはおじさんの背中をながめていた。
「好きな人を好きでいること。大事な人を失いたくないと思うこと。それくらいしか、光の国の人たちにはできないんだよ」
「えっ、じゃあ怪獣は?」
「はっはっは。だから怪獣なんていないんだよ」
「じゃあさ、じゃあさ!」シンイチはおじさんのそばにかけよった。「おじさんの魔法は、なんのためにあるの? 光の国に帰るエネルギーをつかって、魔法はなんの役にたつの?」
おじさんはどんどん遠くをみているようだった。
その視線の先で、川面の水が糸のように天に向かってのぼりはじめた。「水の糸」は、シンイチの目の前でさまざまな結晶のもようを作った。
「うわあ! きれいだ!」
驚きのこえをあげるシンイチ。
「シンイチ君、ぼくの手品が魔法だってことは、君とぼくだけの秘密だよ。すてきな秘密をもつと、ちょっとどきどきして、うれしいだろう?」
「うん……」
はにかみながらこたえるシンイチ。
「奇跡なんて、魔法なんて、ちょっとうれしくなるくらいが、本当はちょうどいいんだよ」
その日の夜、シンイチはベッドの中で何度も目をさました。
おじさんの指先からでる光には、タネもしかけもなくて、本当のことなんだって考えるだけで、胸がどきどきした。
夕飯のあとは、ママがおじさんの影響でこりだした手品の練習につきあわされたけど、ママはやっぱり、まだまだしろうとで、おじさんの本当の魔法にはぜったいにかなわない。
本当の魔法をいつまでも見たいから、おじさんとの約束はぜったいに守ろうと、シンイチはベッドの中でなんどもちかうのだったが、そう思うたびに、ねむけは覚めてしまった。
明日は日曜日。
ママとお昼からおじさんのところへいって、いっぱい魔法をみせてもらうことになっている。
ちゃんとねむっておかなければ自分がそんをする。
それはわかっている、わかっているのだけど、いろいろ考えるとねむれない。
こんなことは、去年の秋に高尾山へ遠足へ行く前の夜以来だった。
おじさんがやってきた、本当の光の国ってどんなところだろう。
それを想像することで、シンイチはようやくねむりにつけたのだった。
天気はさわやかな晴れだった。
シンイチはいつもの日曜日よりも、ほんの少しねぼうをして目をさました。
そのぶん、朝ごはんはいっしょうけんめいに急いで食べて、おくれをとりもどしたつもりだった。
けれど、会社が休みのパパがのんびりとトーストをかじるので、けっきょく、ママといっしょに家を出たのは、お昼を少しすぎたころだった。
もうショウゾウやケイやミキは川原にいるのかもしれない。
もしも、ぼくがとうちゃくするまでに、魔法が始まっていたらどうしよう。
おじさんは、魔法をつかうたびにエネルギーが消もうするって言っていた。
だったらそんなにいっぱいの魔法は、一度には使えないはずだ。
おくれたら、それだけ魔法を見れずにそんをする。
シンイチは、ママチャリを押すママを引っぱるように早足で川原へ急いだ。
「やあ、これはどうも! シンイチ君とお母さん」
川原へ向かうさいちゅうに声をかけて来たのは、ケイとケイのパパだった。
そのうしろには、ミキとそのパパもいる。
でも、ケイやミキ親子は川原へむかうのではなく、川原の方からこっちに歩いてきた。
なぜだろう? シンイチはそれをふしぎにおもった。
「これからどちらへ?」ケイのパパが笑顔でそうたずねてくる。
「知ってますでしょう? 川原の手品のおじさんのところですよ」
シンイチのママが明るい声でそう答えると、ケイのパパは結んだ口をくいっとあげて「それなんですけどね」と話しはじめた。
「私もケイから聞いて、一度見にいったんですけどね。あそこにうちの子を行かすのは、もうやめようと思うんです」
「えぇ! どうしてですか!」
ママはもちろん、そう反応した。シンイチにしてみてもいきなりの話である。
そんな話ってあるものか! シンイチは心のなかでさけんだ。
「いえね、まずはあのおじさんのすじょうがわからないってことなんですよ。どこから来たのか、どこに毎日住んでいるのか、いや、名前すらもわからない。これ、完全に不審人物じゃないですか。そういう人が、子どもばかりを集めるのってどうかと。イマドキは、子ども相手の犯罪も多いじゃないですか。そういう異常な人は、子どもの性別も関係ないって聞きますしね」
おじさんは不審人物なんかじゃない、どこから来たのかって、それは光の国だ。
シンイチはそうさけびたかったが、おじさんとの約束があったので、だまっていなくてはいけなかった。
「わたしからは、いいおじさんに見えたんですけどねぇ……」
ママが力なくそう言い返す。
「一見そう見えるのが、一番あやしいっていう考えかたもありますよ」
こんどはミキのパパが、まるで名たんていアニメの主人公になりきったような顔をして言った。
「それに思ったんですけど、あのおじさんの手品は火を使うこともあるでしょう。燃えるものがやまほどある川原で、なんの準備もしないで火を使うなんて、もし、火事になったりして子どもたちがまきこまれたらどうします? もしもあの男がただのホームレスだったら、責任もとってもらえませんよ?」
「そうねぇ……たしかに」
ママ! シンイチは心のなかでさけんだ。
どうしてそんなへりくつに、ママは耳をかすんだよ。
おじさんは悪くない、何も悪いことはしていない。
ただ、大事な人との思い出の場所で、魔法を見せてくれるだけなのに、どうしてそれを、悪くいうんだよ!
シンイチは心の中で何度もさけんだが、口ではママにも先生にも勝てないとわかっていたので、ただ、無言でママの手を力いっぱいにぎることで、おうえんを伝えようとしていた。
「そこでですね」ケイのパパがまるで「犯人はおまえだ」というときのような顔できりだした。「せっかく子どもたちの間で、手品が流行したんですから、われわれ責任を持てる親同士で協力して、子どもたちといっしょに手品を学ぼうじゃないかと、考えついたんです」
そしてミキのパパが続けた。
「実はぼくは、これでも大学時代は手品サークルをひきいていたんですよ。手品はいい、夢がある。子どもに夢を与えられる。ぼくの手品はちょっとしたもんですよ。ぜひシンイチ君のママもいっしょに楽しみませんか」
「あら! まぁ、いいかも!」
ママの顔がぱーっと明るくなるのをみて、シンイチはあぁダメだとあきらめた。
たしかにママは、ゆうべも遅くまで手品にはまっていた。
今のママなら、そのさそいはとってもうれしいのだろう。
ママの変わりようを見たケイのパパは、さらに言葉をつづけた。
「今まではあまり交流のきっかけがありませんでしたけど、とてもよい機会ですから、これからは親同士、ぜひなかよくしましょう」
ケイのパパがそう言うと、ミキのパパがうんうんとうなずいて話しはじめた。
「やっぱりね、親は親同士がなかよくしたほうがいいですよ。子どもをもつ気持ちは、親同士でしか理解しあえません。ましてや、どこの誰ともわからない、気持ちのわるい手品師なんて、子どももわれわれも、近づいてはいけませんよ。それに、ぼくの手品もうまいんですよ! うちの子どもにはいつもよろこばれてるんです」
「まあそうなんですか! わたしもぜひ見せてもらいたいです。言われてみれば、あんな不気味な人に子どもを通わせるなんて母親失格でした。子どもは親がきちんと守ってあげなければいけませんよね!」
「そうですとも! これからが親同士みんなでしっかりなかよくなって、子どもを危険な目にあわせないように、しっかりがんばりましょう! それについてですけどね。この近所に、お昼のランチがとてもおいしいイタリアンのお店があるんですけど、今からそちらへ行きませんか?」
「まぁ、すてき! 」
「ぼくが、その手品おじさんに近づく子どもさんの親の皆さんには連絡しますよ。みんなで食事や手品で、楽しく集まるようになりましょう!」
「そうですね。そのほうがきっと子どもたちもよろこびますよね!」
ママとケイのパパ、ミキのパパは、シンイチをそっちのけで、すっかりもりあがってしまった。
どうしたらいいのだろう。このままママについていくより、おじさんの魔法が見たいけど、ママにさからうなんて、シンイチにはできやしない。
ケイの表情をそっと見たシンイチだったが、ケイはもともとあまりおじさんの手品に興味がなかったようでもあり、ただ、流されるままに自分のパパについていってるだけに見えた。
ミキはつまらなそうにしていたけど、シンイチと同じで親の言うままにするしかなかった。
結局、その日シンイチはおじさんのところへは行けなかった。
ケイのパパとミキのパパが音頭をとって、川原に集まっていた親子をケイの家にさそい、あり来たりの手品の練習や、見せ合いっこをするだけの時間がながれた。
明日は学校の帰りにおじさんのところへ行こう。
シンイチは、たいくつな時間をすごしながらそのことばかりを考えていた。
おじさんは、ただ川原でのんびりと時間を過ごしていた。
ふだんはおおぜい来るはずの子どもたちが、今日にかぎって誰もこなかったが、だからといって、おじさんには何かをできるわけでも、うったえられるわけでもなかった。
生きてきて得た何もかもを失って、一番大事な人と二人でたどりついたこの場所。
けれど、その一番大事な人はもうどこにもいない。
流れる川の水は、たえずいれかわり続けるが、おじさんは、この場所にしばられるように動こうとはしない。
おじさんの大事だった人が光になって消えたこの場所で。
そのときの名残はもうどこにも残っていないのに。
おじさんはそこに存在しつづける。
【つづく】