「骨壺」飯野文彦

〈ふみこ〉
 依然として不安の塊が離れない。睡眠不足、アルコール依存、それらが重なり、私を揺さぶる。双子座生まれ。血液はAB型。姉が二人。相方も二人目。孫は双子。すべてと言い切ってしまうのは誤りだと承知、私を取り囲む多くの事象、出来事が二つから成り立っている。実は私自身も二人、双子とかではなく、私の中にもう一人の私がいる、と言うとありふれた二重人格、多重人格か、「解離性同一障害」、「ジキルとハイド」から「24人のビリー・ミリガン」と手垢のついた説明うんざりされるのも、承知。じっとり忍び込むのは不安、昨今にはじまったことではないけれど、今では知っている。私は二重人格でも多重人格でもない、生まれたとき、私は女だった。
(いいのふみこ)。けれども四歳だったか五歳だったかのとき、男になった。どうやって? 以前「SFプロローグウエーブ」に発表した「甲府日記・四景」に詳細は書いた。ここでは大まかな説明程度にとどめるが、当時まだ健在だった祖母が山梨に伝わる伝説の遊び(らいこう)で白い札に(おかし)、赤い札に(最中)と書き、空の茶箪笥から最中を取り出す。次に幼い私に白い札を差し出し、何か書け、はやく書けと急かし、当時の私に書ける文字など限られていて、自分の名前を書くと、祖母はにやりと赤い札(男の子)と書いた。その日を境に私はおちんちんのついた男の子になり(いいのふみひこ)として、これまで生きてきた。
 私がそれを遠い記憶の底から思い出したのは母の死後、遺品を整理していたとき(ふみこ)の写真を見つけたからだ。母は私をかわいがってくれたが(ふみこ)を忘れたわけではなかった。それを知って私は私の中に(ふみこ)がいるのを知った。(ふみこ)は自分の生を奪われ、怒りでいっぱいになっている。私がこれまで生きてきて感じた怒りのほとんどは(ふみこ)のせいに違いない。
 男の更年期だと言ったのは、誰だったか。私だ、家飲みしながらテレビで地元ニュースを見ていると、私がノコギリで自分の頭に生えた鹿の角を切りながら言っている。出演した覚えもないのに、画面越し、私をじっと睨みながら、くりかえす「男の更年期。(ふみこ)も更年期。あなたの場合、更年期も二重で襲ってきます」。今回の凶行も(ふみこ)のせいだ。四歳になる双子の孫、玲偉(れい)と琉偉(るい)が奥の部屋でプラレールに夢中になっていたとき、二人を残して、家を出た。すでにかなり酩酊(めいてい)していた。夕方、保育園に二人を迎えに行って戻り、すぐに飲みはじめた。時間にすれば一時間半程度だが、それまで我慢という言葉では表現できない苦痛と辛さに耐えていたのだ。
 還暦を過ぎて一年、どこからも原稿の依頼はなく、応募した原稿も一次すら通らず、どうしようもなく飲むしかない日々なのに、それを遮(さえぎ)るのは子守りという壁。家人がいるのならまだしも、一人でまかされる日が、週に二度三度つづくとなると、夕方、保育園の迎えから帰宅、同時に息継ぎさえままならず飲むしかない。桜座に着いたのは、ライブの始まる午後七時、数分前だった。入口で煙草をふかしていたマスターの龍野さんが、私を見るなり微笑んでくれる。
「来たか。子守りはいいのか?」
「娘が見てますから」
 シングルマザーの娘は仕事で週の半分、上京している。今ごろは六本木か麻布十番辺りで、客の相手をしているだろう。相方も急な仕事で上京、戻りは明日になる。
 先日こんなことがあった。
[キックバイクで遊ぶのは、これまで庭に限られていた。ところが先日、フェンスの鍵を開けて、道路へ出てしまった。とても追いつける速さではない。しかも別々の方向へ走っていく。何とか琉偉をつかまえ、キックバイクから降ろしたが、玲偉がいない。と川沿いの車道に姿が見え、琉偉を引きずるようにして、駆けていった。玲偉は止まらず、路地の向こうに消えた。追いかけても見えない。どうにもならない。大声で助けを呼ぶか。必死に走ると公園の手前に玲偉がいた。私が呼んでも、ふざけて逃げる。必死の追跡。だめだ、車が来ている。どうにもならない。必死で覚えていない。よくつかまえて、二人を家に連れ帰れたものだ。奇跡とまでは行かないまでも、運がよかった。キックバイクは片づけた。休日、一人での子守りは無理だ。一時保育している保育園に預けるしかない。思い返すたび、叫びたくなる。子守りノイローゼになりそうだ。](フェイスブックより抜粋)
 この晩はご贔屓、泉邦宏さんソロライブだった。残念ながら客数は少ないけれど、最初から乗りに乗った演奏で、私は次々にハイボールを頼み、飲み、酒と音楽に酔い痴れた。終演後も残って飲みつづけた。「今日は双子は?」泉さんに訊かれたのを覚えている。「娘がいますから」「じゃ飲めるね」「ええ」と飲みつづけ(ふみこ)のせいだ(ふみこ)のヤツが(ふみこ)め……と記憶は消えた。
 肌寒さに目が覚め、身体を起こすとベンチにいる。舞鶴城公園だった。なぜここにいるのかわからず、太腿に両肘を置いた。東の空が焦げるように赤い、朝焼け、なぜここに……「うふふ」と私の中で女が笑った。どんより澱んだ脳髄を粘土の塊のように捏ねるうち、とつぜん心臓をハンマーで打ち破られた。
 必死に駆け出した、キックバイクを追ったように、あれ以上に。家に戻り、玄関の鍵を開け、靴を脱ぐ間もなく二人の名前を叫び、明かりのついたままの家内をリビング風呂場、奥の寝室、ああいた、ベッドに二人がいた。右手で玲偉の腕を、左手で玲偉の足首をつかみ、じっと見る。先に琉偉が動き、玲偉も息を吐く。涙が止まらなくなった。二人を抱き寄せ、頬擦りしながら何度も何度も詫びる。


〈かなった夢〉
 昼、何も書けず、かといって夕方、保育園の迎えがあるので、飲むわけにも行かず、ぶらり外へ出た。コンビニを見れば、飛び込んで缶酎ハイでも買いたくなり、中心へ出て、この時間でも飲める(富士アイス)へ繰り出すか、否、それができればやっている。だめだ、なぜ中心へ足を向けた、愛宕山へでも行って、高台から甲府の街でも眺めれば、まだ救われたのではないか。救われた? アルコールという病魔に巣くわれた私が、何に救われるというのだ。無数の蜘蛛の巣が行く手を阻むように、心身にまとわりつき、背中や首筋や額から脂汗が絞り出て、それらを振り切るように足を向けたのは、中央公園だった。
 平日のこの時間なら人けがないと思ったのだが、小学生らしき一団、騒がしい。近づくと子どもたちの中心に虫がいた。「おじさん。これ何か知ってる?」と少年の一人が訊いた。虫だろと私が答えると、全部で五人いる、その全員がえーと声を上げて、私を見た。無遠慮な視線の数々が、ささくれ立った神経をずたずたにする。「いじめるのはやめろ」と怒鳴った。「いじめてなんかない。それにこれは虫なんかじゃ――」一人が言ったが、私はさらに剣幕を荒らげて叫ぶ「それがいじめてるんだ」私をいじめるのはやめろ「やめろっと言ってるんだ」心身が震えた、息を整えて、顔を上げると、子どもたちも虫もいない。
 ふと頭に浮かんだのは、数日前の夕方のこと、保育園から帰った双子の孫が庭で遊んでいて、室内でハイボールを飲みはじめた私を呼んだ。グラスを手に行ってみると、家の壁に翠鮮やかな芋虫、大人の中指ほどもある大きさの、それが地面から二十センチほどのコンクリートの壁に張りついている。琉偉が触ろうとしたので、やめろと言った。玲偉は見ているが、触る勇気はなさそうだったので、琉偉に「触ったら、お化けになって出てくるから」と言ったら昨今、保育園でお化けの絵本を読んだらしく、思いのほか、効き目があった。すでに辺りがうす暗くなっていたこともあるが、それ以上、からかわず「YouTubeで、ジョブレーバー見よう」「ジョブレーバーの、ヘリコプターのを見よう」と二人して家の中に入った。
 私も家に入り飲みつづけたのだが、酔いが廻るにつれ、芋虫が記憶にべっとり張りつき、蠢(うごめ)き、不快の念を募らせる。なぜ我が家にいる、なぜ我が家の壁にへばりついている。たまらず相方が双子を風呂に入れているのをいいことに、懐中電灯を手に庭に出た。夕方見た場所にはいない。辺りを探すと、二メートルほど離れた砂利の上で蠢いている。靴底で踏みつけ、ぐずぐずにした。脳裏に蠢く、その幻影が消えるまでつづけ、肩で息をしながら室内に戻り、飲みつづけた。
 飲みながらメモを取る習慣は、以前からあった。(昼どき、ネットで創元長編ホラーの募集を見て、長い物が書けなくなって久しい私は、落ち込んだが、飲みはじめて、この落ち込む気持ち、不安こそ描写になると気づく。昼、書く時間を取ることだ。つらい? それを書け、心落ちる描写を。どれほど辛くても、書かずに生きるほうが辛い)
[朝、保育園に送ったとき、双子がすんなりと車を降りたので、車のエンジンかけたままにして私も降りた。二人とも園内に入ったと思っていたら琉偉がいない。車のクラクションが聞こえる。戻って見ると車内に戻り、扉をロックしてしまった。キーを持ち出して中からロックされると扉が開かない、反応しない。琉偉はご機嫌でクラクションを鳴らすが、エンジンを切ったのでキーが反応して扉が開いた。もしギアを変えられていたらと思うとゾッとする。](フェイスブックより抜粋)
 この日はたまらず、昼間は飲まずに机に向かうという決まりを破り、飲んで酩酊し、それでも夕方の迎えに備えて、昼寝して、何とか理性を取りもどした。まだそれだけの正気は残しておけた。ただ一回破ると――。最近になって、この病魔、私だけが原因ではないと知った。私の中に巣くっている、もう一人の私(ふみこ)が、そう仕向けたに違いない。
「ずるい、悪いこと全部、あたしのせいにしてる」「違うのか?」訊ねても(ふみこ)は答えず「お酒って、そんなにおいしい?」と訊いた。白々しさに苦笑しながらも皮肉で「飲むか」と訊くと(ふみこ)は、私の飲んでいたハイボールのグラスに口をつける。「うまいか?」(ふみこ)は答えない。
 若い頃、どうやって飲み代を得るかが悩みだった。金がなくても、どうやって酒にありつけるかが苦しみだった。どういう加減だったか、深夜に一人、新宿に残って、ゴールデン街に知人のボトル入っている、五百円あれば飲める。その五百円がない。花園神社の脇をぶらついていたとき、自販機に立ち小便するオヤジを見つけ「それ犯罪だ。五百円出せよ」「うるせえ」としょんべん臭い手を振られ、とたんに下手に出て「五百円でいいんです」と、ふらつき立ち去る後ろ姿に言ったことが、唐突に脳裏に浮かぶ。
(さあしんどいぞ、しんどいぞ。でも書かないと、もっとしんどいぞ!)
 スマホを見ると(22:13)と表示された。九歳離れた長女の姉に電話した。挨拶もそこそこ、本題を切り出す。「ふみこって知ってる? いいのふみこ」「誰それ?」「おれ、女の子だったんだろ」「ああ、覚えてたんだ。ときどきあるんだって。どういう加減か知らないけど、おちんちんが中に入ってて、女の子と間違うことが」「誰が言ったの?」「診てもらったお医者さんじゃない」「直接訊いた?」「ううん。お姉ちゃんだって、子どもだったから」「じゃ誰から?」「誰だったっけ」「死んだおばあちゃんじゃない?」「たぶん、そうだったと思う」「なぜ、言わなかったの?」「人に話すのもなんだし、あんただって覚えてないと思ったから」さらに私は「らいこうって遊び知ってる?」だが姉は「知らない。何それ?」と聞き返された。
 今は贅沢さえしなければ、娘の働きで、飲める。アマゾンの通販、娘のクレジットカードを使い、ホワイトホースの四リットル入りペットボトルと五百ミリリットルの炭酸水をケースで買っておけば、しばらくハイボールを家飲みできる。しばらく? 本来なら、しばらくなどと言わず、もっともっと速いペースで飲めるのだ。双子の孫さえいなければ。保育園の送り迎えもなく、子守りもしなければ、好きな時間に起きて、飲んで、寝て、時間が合えば桜座に行って、酒とライブに酔い痴れられる、というのに――。
 甲府でともに暮らすことになって、三年あまり、二人の寝顔を見ながら飲んで、心やすらいだ日もあった。「いつかこいつらと、いっしょに飲みに行きたいな」と夢見たこともある。(ふみこ)はハイボールを一口、二口飲んだだけで、うとうとしている。「なんだよ、相手しよろ」「居るじゃない、飲み相手なら。二人も」「そうか。そうだよな」
 夢がこんなに早くかなうとは。私はホワイトホースのペットボトルを手に、寝室に向かい、寝ている双子の口をこじ開けた。

〈みはらし台で〉
 愛宕山のみはらし台へ来た。本心は昇仙峡まで登りたかった、季節は秋、紅葉真っ盛りの中、それらを手向けの花代わり、仙蛾滝から飛び降りてしまおう。しかしまだまだ程遠く、わずかに坂道を歩いただけで、息は上がり神経は焦れて、それならと愛宕山へ登ったのだが、それさえも頂上にある科学博物館までは遠く、はあはあはあと息を荒らげて、みはらし台のベンチにへたり込む始末である。
 手にした紙袋から、途中、酒屋で買った角瓶のボトルを取り出し、ラッパ飲みする。とても素面では死ねない。最期の死に水ならぬ死に酒。死のうと思った、本気で思ったのだ。眼下に広がる甲府の街を見ていると涙があふれた。屑だ、人間じゃない、酒毒に犯されて、現実と妄想の区別すらつかず、信じられない凶行に及んでしまった。幸い騒ぎに気づいた相方が駆けつけ、私の手からホワイトホースのペットボトルを奪った。これまた幸い、双子たちの口にはほとんど入っておらず、相方がトイレで吐かせたため、ことなきを得た。
 凶行の後、一人、二階の自室に籠もっていると、深夜、上京していた娘が急きょ帰ってきて、私の部屋に来た。「どういうつもり?」「ふみこが……」と言っても信じるわけもなく、私は泣いた。「今度やったら追い出すから」「うん」「お酒も止めて。飲み過ぎ」「うん」「絶対だよ」「……」「答えられないの。絶対だからね」「うん」そんなやりとりがあった。舌の根もなんとやら、娘との約束を破っている。違う、いいんだ、死ぬためだから。
「また死ぬの?」気がつくと声を掛けられ、まだ中学くらいの少年が立っている、私を見ている。「また?」「この前も、そうだったんだよ」「琉偉か?」彼は肯いた。そんなはずはずはない、ウイスキーを飲み、改めて少年を見た。確かに琉偉だ。目頭が熱くなり、視界がぼやけた。と、気がつくと私は(どて焼き下條)の店内、カウンター席で飲んでいる。隣りにいるのは若かりし父だった。その向こうにいるのは、やはりまだ若い母である。私の目の前にあるのは、葡萄酒を焼酎で割った山梨ならではの酒、ぶう酎だった。脇にあるのは、キュウリとナスのお新香――
 まだ四歳だった琉偉が、私に言った言葉を思い出した。「じいじのパパが、キュウリとナスに乗ってやってきた」そうか、あのとき琉偉は言葉足らずだったが、母さんもいっしょだったのか。父は苦笑して、ぶう酎に口をつけた。何か言うかと思って待ったが、無言のままである。母も無言で微笑み、私を見ている。ふと以前、フェイスブックに書いた文章が頭に浮かんだ。
[この歳になって書くと、恥ずかしい気もするが、幼かった頃、母の着ていた寝間着の匂いを嗅ぐと、安心したなんてことがあった。昨日、桜座に行く前だけど、家飲みしていたらソファでごろごろしていたルイが「あーいい匂いだな、じいじの服」と言うので見てみたら、ぼくのパジャマを抱いているのだ。加齢臭、酒臭いなら言われ慣れてるけど……]
 いつしか家のリビングで飲んでいる。テーブルを挟んで年老いた父と母がいる。すでに死んで久しいけれど、元気だった頃の思い出話に花が咲く。玄関が開いて「じいじ」「ただいまー」と声がする。娘に連れられて、イオンモールへ行っていた玲偉と琉偉が、帰ってきたのである。「じいじ、誰かいたの?」「じいじの父さんと母さんがいたんだ」「どこ?」「帰ったよ」「会いたかったなー」「会えるよ、今晩」「どこで?」「二人の夢に出るって」
 父や母と会うというのは時間軸で言えば、過去に遡っていることになるのだろう、それなら逆にこれから起こる事に、こうして遭遇できても不思議はない。否、不思議、不可思議ではなく、私は〈此処〉に居る、〈此処〉に居るしかない。
「すまない」と私は、玲偉と琉偉に頭を下げた。「なんで謝るの?」玲偉と琉偉が口々に訊いた。「じいじはお前たちに……」飛んでもないことをした。「本気じゃなかったって、わかってる」琉偉は屈託なく笑った。「その前だって、お前らだけにして桜座へ――」言葉に詰まると玲偉が言う。「ぼくらだけじゃなかった。じいじのパパとママが来てくれた。ふみこちゃんも」「ふみこも来たのか」
 そうか、ふみこは今では父さんと母さんと、いっしょに暮らしているのか。それならそれで幸せか。目の前にいるのは琉偉一人、少年となった琉偉だった。「なあ琉偉、じいじはこれから……」どうなるんだと訊こうとしたのだが、アンフェアだと思って口ごもる。「このままだよ」琉偉が言った。意味が分からず顔を見ると、琉偉は愛らしく微笑み「じいじは、これからもずっと、このままなんだから」という彼は、幼かった、まだ四歳だった頃の彼そのものに思えた。「玲偉は?」「ここでは、ぼくの妹」とスマホを取り出して私に見せた。かわいい女の子の写真、確かに顔に名残りがある。「何でも二つ。じいじの世界は何でも」写真を見ているうちに、じわじわとダブってくるものがあった。園服を着た(ふみこ)と似ている。ふみこは私、それだけでなく、別の世界では琉偉の妹……。
「でも、おまえたちにひどいことを」「ふみこちゃん、じいじをからかったのさ。ほら、レイくんだって、ぼくに意地悪したでしょ」「弟のお前に、よく意地悪してた」保育園のお誕生日会で「好きな人は?」と訊かれた玲偉は「ルイくんです」と答えたくせに。「だからぜんぜん平気だよ」琉偉は明るく笑った。
「なあ、じいじの夢をかなえてくれるか?」「もうかなってるよ」気がつくと若かりし父と母と私が居るカウンター席、その向こうに二人の青年がいる。良く似た二人は私たちに向かって、ぶう酎の入ったグラスを掲げている。「うふふ」と笑う声に目を向けると、幼い頃の私とも玲偉にも似た少女がいる。「みんな、ありがとう」私がつぶやくと、二人の青年と父と私はぶう酎を、母とふみこが持っているコップは橙色、オレンジジュースだろう、銘々がコップを口に運ぶ。だがコップを置いて涙を拭おうと、わずかに俯(うつむ)いた隙に、場所は愛宕山のみはらし台に戻っている。
「そうか、確かにここだった」あの日、私はここに来て、ウイスキーをラッパ飲みした。脇の狭い坂道に、台数は少ないが、車が往き来している。とてもすれ違えない道幅、おそらく付近住民だけが、通行を許されているのだろう。次はいつ来るか、と見ていると、軽トラックが上がっていく。軽自動車が下りてくる。何台か見ているうちに、ふらふらとそちらに向かった。路肩の石にすわっていると、すぐ目の前をバイクが通った。しばらくして軽トラックが下りてくる。それを見た私は、衝動的に道路に飛びだして――。私は頭に乗っている蓋を外した。陶器の蓋の裏側、俗名という下に、私の名前が書いてある。(了)