『霧縫』吉澤亮馬

歩いても歩いても、霧はどこまでも続いていた。
 自分の掌が霞んでしまうほどの濃霧だった。周りにある徒ヶ峰(ただがみね)の木々や道路のアスファルトは見えない。深くて濃い霧の中、僕は独りだった。
 今、僕はどこを歩いているのだろう。進む先は何も見えない。この先に道が延々と続いているかもしれないし、急に途切れて崖の底へ真っ逆さまに落ちるかもしれない。目の前に何が待ち受けるのかわからないのに、僕の足はまったく止まらなかった。
 もう、どうでもいいのだ。僕は早くこの世からいなくなりたいのだ。
 しばらく歩き続けて疲れたのでその場に座った。山のふもとで買ったお茶を一気に飲む。あとどれくらいで目的地なのだろう、と思ってぼんやりしていた時だった。
「誰だ?」
 しわがれた老人の声がした。かなり近い場所にいる。
 しまった、見つかってしまった――僕は慌てて立ち上がり霧の中を進む。どれだけ足を動かしても、景色が変わらないので進んでいるという手ごたえはなかった。
 次の瞬間、僕は右の手首をつかまれた。骨と皮が目立つ染みだらけの手だ。驚いて振りほどこうとしたけど、強い力で握られて外れなかった。
「お前、ここいらの人間じゃないな。何をしに来た」
 僕は口を固く閉ざした。そんな理由が言えるはずない。
 自殺するためにこの徒ヶ峰に来たと知られては――。
「ああ、お前も自殺志願者か。それなら大歓迎だ、こっちへ来い」
 ぐいと手を引かれて連れていかれる。山を下り始めたかと思ったら、急に足元の感触が柔らかくなった。どうやら山道に入ったらしい。何度かつまずきながらも引っ張られていくと、気がつけば目の前に小屋のようなものがぼんやり見えていた。
 その中に入ると老人の姿がはっきり見えた。小柄でやせ細り、頭は禿げている。目を細めて観察するように僕を見てきた。
「なんだ、ガキか。いくつだ」
「……十四」
「ビビることない。命あるもの、無くなるのが早いか遅いかだけだ」
 そう言って老人がため息をついた。
「この小屋の先に名所がある。険しい崖のところに大きな裂け目があってな、地下深くまで繋がっているみたいだ。そこへ身を投げさえすれば、遺体はもう誰にも見つけられないだろうよ」
「えっ……」
「何を驚いている?」
「……てっきり引きとめられるのかと思って」
「はっ。他人であるお前がどうなろうと知らん。一人で行って勝手に逝け。ただ、裂け目まで行くには霧縫ができなくちゃならない」
「霧縫って?」
「文字通り、霧を縫う。それができるようになればお前の目的地まで行ける」
「はあ……」
「いいか。徒ヶ峰が自殺の名所なのは、儂がここで霧縫をしているからだ」
     〇
 エヌ県中部にある徒ヶ峰を知ったのは、二日前のことだった。
 その日、両親が罵り合う声で目を覚まし、中学校では僕の座席が消えていて、帰りにクラスメイトからトイレで水を浴びせられ、帰宅してから模試の結果に満足いかない母にぶたれ、父にスマホを没収されて自室に閉じこめられた。
 これ以上、無理だった。生きていたくない。
 実りのない人生はいつまで続くのだろう。あるのはしつこく絡みついてくる苦痛だけ。胸の奥深くで、トマトがゆっくり押しつぶされるような感覚があってから、もう誰にも見つからないままひっそりと消えたくなった。
 部屋の窓ガラスを割って外へ出た。持っていたのは少ない荷物とわずかなお金だけ。誰にも見られない場所で、この生を終わらせようと思った。どこか遠くへ行きたくて、電車を何度も乗り継いで、生まれ育った街から知らない町へやってきた。
 早朝、朝食を買おうとコンビニへ寄った時、ふと気になる雑誌に目を引かれた。それは『真相・日本の自殺スポット100』というタイトルで、まさにその時の僕にぴったりだった。それをぱらぱらとめくっていくと、そこに徒ヶ峰が載っていたのである。
『エヌ県中部にある徒ヶ峰は一年の半分以上が濃い霧で覆われている。その霧は地元の人間すら踏み入ることをためらうほどで、断崖絶壁の山道は危険を伴う。数多くの遺体があると噂されているが、その真相は深い霧に今も包まれている』
 ここしかない、と直感した。まさに僕が望んでいた場所だった。数時間後には徒ヶ峰を登り始めて、そして今では老人の後ろを歩いている。
 霧縫を見せてやる、と言うので僕は老人に続いて歩いた。相変らず視界は悪い。老人はきょろきょろと辺りを見ていたが、その場に立ち止まると周りの霧が揺れた気がした。
「見ていろ」
 老人が霧に向かって手を伸ばす。すると霧をつかんだのだ。老人が引っ張ると、まるで大きなカーテンのようにはためく。その霧を手に持ったまま、老人はまた歩きだした。
「ど、どうやって?」
「造作もねえ。普通の霧とそうでない霧を見分ければ誰にだってできる」
「誰にでも……」
「つかめるってことは、縫えるんだ」
 老人は立ち止まり、どこからか針のようなものを取り出した。手にしていた霧をかかげ、それに次々と針を刺していくと空中で霧が固定される。その一部分だけ周りの霧と空気の流れが違うのか、変に浮いて見えた。
「これが霧縫だ」
 縫われた霧が周囲と同化した瞬間、霧が濃さを増した。老人の姿も見えなくなる。
「古くから山人の間で受け継がれてきた技だ。縫いつけて重ねれば、意図的に霧を濃くすることができる。人の出入りを拒み、入ってきた者には先の見えない恐怖と孤独を与える。禁忌の場所が存在した日本の風習だな」
「あの、そんなことより裂け目に連れて行ってもらえませんか。霧縫でしたっけ、それができたところで意味ないです」
「断る。自殺志願者と直前までいたなど知られてみろ。儂が怪しまれる」
「場所を教えてくれるだけでいいんです」
「だから霧縫を教えてやろうって言ってんだ」
「縫えるのと行けるのは別の話じゃ――」
「いいか、死にてえんだろう? それだったら儂の言うことに従え。それとも今すぐ警察に通報してやろうか?」
 苛立った老人の声を聞いて血の気が引いた。
「け、警察だけは……」
「なら黙ってやれ」
 老人が僕に針を渡した。よく見れば三センチほどの小骨で、少し歪んでいるけれど先は鋭く尖っている。その尻に半透明な糸のようなものがついていた。
「鹿の骨と霧の糸だ。これで縫ってみせろ」
 これ以上逆らって気分を悪くさせたら、本当に通報されるかもしれない。それだけは嫌だったので渋々言うことに従った。
 闇雲に手を伸ばしたものの、霧はつかめない。そもそも霧の見分けすらできないのだ。目の前には濃くて深い霧が広がっているだけ。
「数をこなせばそのうち見えるようになる。儂は先に戻るぞ」
「え、ちょっと待ってください」
「霧縫ができれば小屋まで戻ってこられるだろうよ」
 なんだか、その言葉に違和感があった。この人は僕に対してネガティブな印象を持っているのは、態度から伝わってきた。
「あの、聞いていいですか?」
「なんだ」
「どうしてわざわざ教えてくれるんですか?」
「そうだなあ……」
 老人は少し黙ってから言った。
「見ていて楽しいからだよ。自ら命を絶ちたいのに、必死に努力して霧縫をしようとしている。死んだら何の意味もないってのにな。お前みたいに頭の働かない奴らを見てるとな、ああこうはなりたくねえな、って思うんだわ。惨めな負け犬連中の、最後のひと踏ん張りはどんな娯楽よりも面白い」
 はじめて老人の明るい声色を聞いた。
 本当に、心の底から楽しそうな声だった。
     〇
 霧縫を試みてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
 足の裏が痛くなってきた頃だった。濃い霧の中で、ひらりと揺らめくものが見えた気がした。それに向かって手を伸ばすと何かつかんだ感触があった。
 引っ張ってみれば霧を手にしていた。なんだか変な感じである。手につかんではいたけれど温度感や手ごたえがない。それでも上下に振ると霧はたしかに揺らめいた。
 これを縫う――具体的にどこへ、と老人は言っていなかったので、適当に霧を掲げて針を通していった。持っていた霧をざくざくと縫っていくと、その部分だけ霧が濃くなった。また自分が縫った所には空中に縫い目ができている。かなり色が薄いので、注意していなければ絶対に気づけないだろう。
 辺りを見渡せば、無数の縫い目が浮かんでいた。これはあの老人が霧縫した跡に違いない。縫い目が密集した方へ進んでいくと、山小屋まで戻ってくることができた。
 小屋の中、老人は布団の上であぐらをかいていた。
「やはり縫い目を見れるようにするには、霧縫させるのが手っ取り早いか。よかったなあ、これで命を絶つことができるぞ」
 老人の笑顔を初めて見た。前歯が欠けている。
 生まれて初めてのイヤな感じだ。
 老人は僕を見ているはずなのに、僕自身にはまるで興味がない。僕がこれから進んでいく未来と結果しか気にしていないのだ。
 両親からの罵声とも、クラスメイトの暴力とも、質が違う。何かを直接ぶつけられているわけではないのに、ひたすら気分が悪かった。
「――何が楽しくて、霧縫なんてしているんですか?」
「そりゃあ、自分の手を汚さずに人の命を奪えるからさ」
 言い方にためらいを感じなかった。
「ここはいい。儂が霧を濃くしてやっただけで、お前みたいにひっそりとこの世を去りたい連中が蟻のようにやってくる。儂は背中をちょっと押してやるだけでいい。他人の生と死が自分のてのひらの上にある、この喜びと愉悦がお前に分かるか」
「知りませんよ。そこまでして人を手にかけたいなんて……」
「勘違いするな。死を渇望しているから少し手助けをしているだけ。生きたいと望む人間に何かをするつもりはない。お前は楽になりたくてここに来たんだろう?」
「……まあ、そうですけど」
「お互いの利害は一致した。お前はこの世を去りたい。儂は背中を押したい。どちらも得しかねえんだから、うだうだ言うな」
 またイヤな感じがした。この老人の皮をはいで、肉を裂き、骨を割って、心臓を切り開いたら何が現れるのだろう。
 きっとあるのは『人』に対する、真っ黒な憎悪だ。
「もう日暮れだ。一晩は小屋の隅を貸してやるから、朝になったら出ていけ」
「……ありがとうございます」
「食うものも毛布もねえがな」
「どうして、そこまで人を憎むんですか」
 老人は僕をじっと見た後、無言で毛布をかぶって寝転がった。悪意だけむき出しにしてぶつけておきながら、それを答えないのは卑怯だと思った。
     〇
 翌朝、僕が出発の準備をしていると老人が目を覚ました。
「まだいたのか。まさか、気が変わったとか言うんじゃなかろうな」
 一晩が過ぎたけれど想いは変わらない。どうせ生きていても楽しいことがないのは目に見えていた。僕が立ち上がっても、老人は寝転がったままだった。
「もう行きますよ」
「いいか、縫い目の集まっている方へ進んでいけ。そうすればいずれお前を飲みこむ裂け目まで行ける。気づいた時には奈落の底まで真っ逆さまだ」
「一緒に行ったりはしないんですか?」
「馬鹿が、着いて行くわけなかろう。他人の血と断末魔なんぞ気分を害すだけだ。見たくねえから霧縫を教えたんだぞ」
「お邪魔しました」
 僕は小屋を出る前に一礼した。顔を上げると爛々と目を輝かせている老人がいた。
 小屋の外は相変わらず霧が濃かった。朝のさわやかな日差しは届かず、灰色の世界がどこまでも伸びている。その中に浮かんで見えたのが霧の縫い目だった。ある方向にだけ縫い目が集中していたので、そちらに向かって歩き始めた。
 山道は険しかった。土だけでなくむき出しの木の根や石を踏むこともあった。傾斜もかなりきつくて思うように上っていけない。
 進むにつれて縫い目の数が増えていく。たまに何重にも縫われたところもあり、霧は進んだ分だけ濃くなった。今では手も顔から数センチのところまで持ってこないと見えない。あの老人はどれだけの時間をかけて霧を縫い続けてきたのだろう。
 しかし、である。僕は足を止めた。
 なんだか気に入らなかった。僕は自分の意思で徒ヶ峰に上り、命を終えようとしている。それなのにどうしてあの老人が楽しむのだろう。僕の苦しみや辛さを共感しようとしないあの他人に。これでは操り人形じゃないか。
 どうせ消えるのだから、最後に嫌がらせをしてやりたくなった。
 思いつきで霧の縫い目に針をひっかけてみた。そのまま無理に引っ張ると糸はほどけて霧がはがれ落ち、辺りが少し見やすくなった。すっきりである。僕は次々に糸を外しながら歩いていった。霧はどんどん薄れていく。
 こうなると糸を外すこと自体が楽しくなってくる。あの老人は長い年月をかけて霧縫を繰り返してきたのだろう。その努力を台無しにしているのだ。老人が僕のしたことを知った時、どんな顔をするのか想像しただけで気分が良かった。
 霧が薄くなっていくと自分の足元がはっきりしてきた。いつの間にか高い山を登っていたらしく、草と石ばかりで木がなくなっていた。
 そして、ある一つの縫い目をほどいた瞬間だった。
 一気に霧が晴れて視界が広がる。空はどこまでも青くて、不安になるほどの開放感が待っていた。また眼下には小さな湖があった。空の色とは違った深い藍色をしていた。
 僕は山道を外れて湖のほとりまで下りた。あとどのくらい進めば裂け目があるのかもわからないのだ。僕は休憩がてら草の上に座り、人気のない湖を眺めていた。
 しばらくの間そうしているうちに、背後から足音が聞こえた。老人が追いかけてきたのでは、と思って振り返ると、登山の服装をした若い男性がこちらに近づいていた。
「お、こんにちは」
 日焼けした短髪の男性はにこっと笑った。しまった、と思ったがすでに遅かった。男性は僕の隣に腰を下ろした。
「やっと見つけたよ。よくここまで来れたね」
「……警察の人ですか?」
「いや違うよ。俺は地元がこの辺なんだ。別に君を探していたわけじゃないんだけど、誰かが山にいるのは知っていたから。これ、飲む?」
 男性が未開封のペットボトルを渡してくれた。ありがたく受け取り飲み始める。
「君も自殺しようとしていたんだろ?」
「……」
「答えはいらないよ。ただね、俺は君が山を下りたいなら協力したいんだよ」
「協力って?」
「徒ヶ峰の霧が晴れる時って、ほぼ確実に地元ではない人がいるんだ。しかも君みたいに、この山を登るにはあまりにも不適切な格好でね。そういう人たちはとても苦しそうでしんどそうな顔をしている。そんな人と出会えたら道案内をしてあげたいんだよ」
「山から下ろして、警察にってことですよね」
「そんなことはしない――ちがうな、どうもできない。徒ヶ峰の霧を抜けてくる人たちは、本当に大変だったんだと思う。限界が来たからここまで来られたんだ。俺にはどれだけの想いがあるのか理解はできないし、和らげることもできない。だから聞く。もし話をしてくれるなら、俺だけは時間をかけて聞く」
「もし僕が下山するって言ったら?」
「うまい飯おごるからさ、色んなことを聞かせてよ」
「それは……」
 胸の奥に温かいものがじわりと広がった。僕を引き止めるための言葉であるのは分かっているのに、その優しさが深くまで染みた。でも決意は固い。老人が言っていた裂け目に身を投げるのだ。このまま山を下りても、現実は何も変わっていないのだから。
 自分が歩いてきた道を見る。霧が晴れたのは少しの間だけだったらしく、再びほんのりと霧がかかり始めている。老人がすぐに気がつき、霧を縫い直したのだろうか。
「徒ヶ峰の霧、凄かったでしょ。霧のかかる時期は地元民でさえ近づかないほどなんだから。昔はそうじゃなかったらしいんだけどね」
「霧が薄かったんですか?」
「昔からこの湖と地形の影響で霧はかかりやすかったんだけど、二十年くらい前から急激に濃くなったみたい。年寄り連中は『霧自体が別物になった』って口をそろえて言うよ。僕も登山するから分かるけど、たしかに特殊だね。霧に入るとほんの先も見えなくて無性に不安になる。ここにいてはいけない、って本能が警戒する。普通の精神状態であれば前に進むなんてとても無理だよ」
「僕が普通じゃないって言いたいんですね」
「そりゃあね。自ら命を絶とうとしている人の精神状態って普通なのかな」
「……知りません」
「でもまあ、結果的に霧が濃くなったのは本当に良かったんだけどね」
 男性の言葉がよく分からなかった。聞き違えたのだろうか。
「濃くなって良かったんですか?」
「もちろん。霧が濃くなってから、徒ヶ峰での自殺者は激減しているんだよね」
「……は?」
「あの濃い霧の中を歩き続けられる人は本当に一握り。ほとんどの人は踏み入れた瞬間、怖くなって引き返すんだ。実際、この山での人命にかかわる事故は霧の出ない冬季に集中しているからね」
 頭をがつんと殴られたかのような衝撃があった。
 僕はてっきり老人が霧縫を始めたからこそ、この山が自殺スポットとして有名になったとばかり思っていた。ところが実際はその逆だという。流石に命を絶った時期まではあの雑誌に載っていなかった。
「それに、自殺者が減った理由はもう一つあるんだ」
「なんですか?」
「君は霧の中で老人に出会った?」
 きゅっと喉の奥が締まる。正直に答えない方がいいと直感した。
「知りません」
「会えなかったんだ。この山の霧が濃くなったのと同じ時期に、どこからかやってきて住み着いたんだ。ずっと山の中、しかも霧の中にいるらしい。たまに君のような人たちから話を聞くんだけど、本当に素晴らしい聖人だね」
「せ、聖人?」
「あの人に会えて変われた、っていう人が多いんだよ。きっと、これまでもこれからも、霧の中で命の大切さを説いていくんだろうね」
 そんなはずがない。あの老人が抱いていたのは憎悪だ。他人の不幸を心から願い、苦しんでいる姿に面白さを見出すやつだ。ろくな人間じゃない。
「いや――」
「ん?」
「な、なんでもないです。そんな人がいるんですね」
「俺も一度は挨拶しておきたいんだ」
 もし男性が隣にいなかったら、僕は腹を抱えて大笑いしていたに違いない。
 霧の中、今も老人は独りで憎悪を煮詰めているのだろう。どす黒い悪意を持ちながら、嬉々として霧を塗っていくのだろう。
 それが結果として、数多くの人を思い止めさせていたなど知りもせず――。
「あの。僕、ご飯を食べたいです」
「おお、いいね。それじゃあ行こうか」
 もう少しだけなら、生きてみてもいいのかもしれない。
 僕はこれまでの人生で自分の想いを口にしていなかった。嫌なことをはっきりと言えず、ワガママも言ってこなかった。自分の思ったことを素直に口に出して、自分をさらけ出したっていいのだ。ただ、あの老人のようになったら人として終わりだけど。
 霧縫し続けてくれてありがとう、おじいさん。
 あなたの底知れない憎悪のおかげで、僕は命を投げ出さずに済みました。