「海の向こうの気になる本 気になる人――ポーランド編」深見弾(「SF宝石」1981年6月号)

海の向こうの気になる本
気になる人――――ポーランド編
沈黙を破って新しいテーマの連作に挑むレム
深見 弾
 ここ一年、スタニスワフ・レムの作品がさかんに紹介された。結果的に見ると昨年秋からはじまったポーランドの自由化問題に便乗してきたような格好になってしまったが、それとは無関係だ。この傾向はまだしばらく続きそうだが、こう矢継ぎ早に翻訳が出ると、読者は、レムがどんどん新作を書き続けているような錯覚にとらわれるかもしれない。ところが実際には、ほとんどが六〇年代末までに書かれたものばかりだ。それでは、今後訳されるのは、いよいよ七〇年代の作品かと期待されそうだが、残念ながらそうではない。ここ十年ぐらいの間に発表された長編SFは『枯草熱』(76)ぐらいのもので、他に目ぼしい作品といえば、連作短編集『完全な真空』(71)と『虚数』(73)しかない。
 こうして見ると、ほかに残っているのは、いわく付きの『火星から来た男』と『マゼラン星雲』(いずれも作者が再版、翻訳を禁じている)を除けば、六八年に発表された長編『天の声』だけ。だから、今後訳されるものは、現代小説と称される数点の作品や自伝小説、『技術大全』、『SFと未来学』、『偶然の哲学』などに代表される重要な研究書だということになる。
 七〇年に発表した長大な労作『SFと未来学』で、この作家はSFに深い失望を表明しているといわれるが、では、SFと訣別したのだろうか。たしかにそれ以来ほとんど新作を発表していないが、どうやらそれは新しい方向を模索していたためらしい。すでに、ユニークな試みとして注目された、存在しない本の書評や序文という形式をとった新しい作品群がある。だがレムは八〇年代に入った今、「泰平ヨン」シリーズから『宇宙創世記』を生み出したように、『虚数』から新しいテーマの連作を生み出そうとしている。『虚数』に収められている作品の中に「ゴーレムXIV」がある。これは、マサチューセッツ工科大学出版局が二〇二九年に出版した本に寄せた序文ということになっている。他の作品はいずれも”序文”にふさわしい適当な長さであるにもかかわらず、この作品だけは〈序文〉、〈序説〉、〈解説〉、〈ゴーレムの最初の講義〉から成っており、序文らしからぬ分量をもっている。どうやらレムは、この作品を書きながらすでに次の連作の構想を練っていたようで、さらに〈講義四三〉が書き加えられた。
 これまでのレムのロボットたちは、人間と対等であるか、一定の距離をおいて人間を蔑んでいた程度だったが、ここに登場する主人公のスーパーコンピューター〈ゴーレムXIV〉は、公然と人間を見下している。この超高性能電算機はもともと軍事目的用に開発されたのだが、知的に成長しすぎた結果、そういうくだらない問題を扱うことを拒否するようになり、MITの科学者に払い下げられてしまう。人間よりすぐれた〈神〉のような存在であると思いこんだ〈ゴーレムXIV〉が尊大に人類を見下し憐れむようになる。それをゴーレムの講義という形で、エピソードを織りこんで語られていく、というものである。
 目下、これはどうやら『泰平ヨンの回想記』に加わる一編のようだが、新作に取り組んでいる。すでに二〇〇ページ相当の原稿を書きあげたというから、これは間違いなく長編になるだろう。レムは今のところ国内問題については沈黙を守っているが、あるいは今度の事件がこの作品になんらかの影響を与えるかもしれない。