「Arena of Democracy」伊野隆之

Arena of Democracy

 サイキュロプスが投げた巨岩が俺の頭上で静止していた。土壇場の石化魔法が効いたわけではない。石化魔法が通じるのはサイキュロプスだけで、宙に浮いた岩を止める効果はない。あとコンマ一秒もせずに、俺は巨大な岩の下敷きになり、底を突きかけていたライフがすっからかんになってゲームオーバー、というタイミングだった。
 ――ただ今より、第百二十三期全都民総会が始まります。都民の皆さんは、都民アリーナにアクセスして下さい。繰り返します……。
 時間を確認すると全都民総会の二分前。クリアする十分な時間があると思ってアクセスした『魔獸宮殿――復活のサイキュロプス』の第七ステージだったが、クリアどころか、今や死亡寸前。通知による中断で岩が空中に止まっているから良いものの、リスタートしたところで下敷きになる運命は変えられそうにない。
 ここで俺の選択肢は二つ。リスタートして潰されてから全都民総会に参加するか、ストップしたまま参加するか。止まっている間は都民ポイントも減らないから、今までの努力をふいにしないためには全都民総会に参加しながら対策を考えるのが正しい。
 結論が出たところでアリーナにアクセス。五万体のアバターが収容されたアリーナには、すでに千二百万の都民がアクセス済みで、俺の使っているアバターは二百十二人が共用中。アリーナの臨場感と、全都民のアクセスを両立させるための措置で、気にならない程度には機能している。
 ――全都民総会は定足数を充足しました。
 アナウンスの後も、参加者数を示すカウンターの数字は増え続けていた。総会への参加が都民ポイントが付与されるための条件だから、参加しないのはあり得ない。全ての有権者が参加できるアリーナでは、全員が意見表明の機会を与えられる直接民主主義が実現できている。
 ――ここに全都民総会の成立を宣言します。
 アリーナの中央、円形のステージにスポットライトを浴びて立っているのは『議長』だ。公平で公正な議事運営を担保し、住民の意思を行政に反映する無私の存在は、アリーナを運営する基幹システムのアバターだ。
 その『議長』が一号議案を呼ぶと、小役人めいた貧相なアバターがステージに現れ、訥々(とつとつ)と説明を始めた。三分間の説明時間のうち、まだ十秒も経過していないのに支持が集まり始めている。
 アリーナの抽象度を上げるとアバターが剣と盾を持ったグラディエイターに変わった。討議の状況を、直感的に把握するためのレイヤーで、議論の詳細はともかく、討議の趨勢(すうせい)をざっくりと把握できるようになる。アリーナにこのレイヤーがあるからこそ、つまらない議論から逃げ出さずに見ていられる。そんな参加者は俺だけではなく、相当数いるはずだった。
 とはいえ何人が俺と同じグラディエイターを見ているのかはわからない。嗜好によっては巨大なチェスボードだったり、ブレイキンのダンス対決かも知れない。俺の見ているアリーナは巨大化した古代ローマのコロッセオのような場所だったが、それだって変幻自在だ。もちろん、いつでもレイヤーを遷移し、昔ながらの議会での趣旨説明を選ぶこともできるが、それはよほどの変態だ。基幹システムは、都民の政治参加を進めるため、つまらない議事をエンターテインメントに変えていた。
 議案の説明が終盤にさしかかっても、まだ、大部分は様子見のようだった。説明のテキストが流れるが、音声はオフ。文字だけの方が集中できるからという建前で、その方が気にならないからにすぎない。
 時間通りに説明が終わったところでグラディエイターのデータを見るとほとんど変化がない。確定した支持は数十万人といったところだろう。
 ――では、反対意見を求めます。
『議長』の呼びかけで、反対意見が姿を現す。こちらも議案に輪をかけて貧相だったが、レイヤーを変えると徐々に装具が現れ、盾と槍を持ったグラディエイターに姿を変えた。もちろん、議案の方でもその間に支持を増やしており、反対意見に追い抜かれることはない。ただ、その速度は十分じゃなかった。
 ――両者の主張が終わりましたが、現時点で議案に対する支持、反対ともに、議決に十分ではありません。討論を続けます。それぞれ持ち時間は二分、三ラウンド終了していずれかに十分な支持が集まらなければ、一号議案は継続審議となります。それでは……。
 一号議案は蓄電施設の拡充投資だった。一方で、反対意見は投資予定額の不足を主張するグループと投資に反対するグループで、現時点において一号議案の議決を阻止するという一点において同盟関係が成立していた。
「……どうでもいいのにな」
 そう呟いたのは、隣にいるアバターにオーバーレイされているミノルだった。
 ミノルとは、アリーナでよく一緒になる。基幹システムがアクセスしてきた都民をアバターに割り振る際に、それぞれの関係性を参照し、意見表明の前に相談できるようにしているのだ。それに加えて同じような意見の都民を特定のエリアに集めるようになっている。その方が応援が盛り上がるからだ。もちろん、アクセス状態は常に流動的で、意見表明と同時に別の場所に移っていることもめずらしくない。
「どっちが優勢なんだ?」
 議案と反対意見のアバターに反映されるのは支持者数だけではない。基幹システムが支持者の意見の強さを含めて可視化している。抽象化された反対意見は鋭い槍のひと突きで、議案の反論は剣の一撃だった。
「まだ微妙だな。でも、オチは見えてる」
 剣と槍で打ち合いながら、実際にやりとりされているのはそれぞれの意見を支持するテキストだった。だが、無味乾燥な文字情報は基幹システムや、ごく少数のマニア以外に読まれることはない。基幹システムが意見と反論を解析し、論理的強度とともに支持者数や支持の強さを加味して攻撃の強度に反映させている。
「どうする?」
 充電施設の整備、拡充は必要だろう。一方でリソース配分には優先度がある。
「まあ、見てろって。すぐに状況が変わるから」
 ミノルの方が一歳年上で、アリーナでの経験が長い。この手の議論がどう進むかわかっている。
「あれは?」
 議案が出現させたのは投資スケジュールを前倒しする修正提案だった。その修正提案が剣の形で反対意見の右腕を切り落とす。
「やっぱり反対派の一部が支持に回ったようだな」
 ミノルが言った。
「寝返ったのか?」
 倍ほどのサイズになった一号議案のグラディエイターが大上段に剣を構え、反対意見のグラディエイターに向けて振り下ろす。きっと、将棋の盤面では起死回生の一手だろうし、サッカーならディフェンダーの裏を抜くキラーパスだ。 
 ――第一号議案は一部修正の上、採択されました。
 反対意見のグラディエイターが打ち倒されると同時に『議長』が宣言した。討議に関する統計情報も可視化され、アリーナに表示される。発せられた意見はおよそ六万件で、文字数換算で二億文字になる意見の七割が議案支持だった。一方で、参加している住民の八割が俺と同じく意見表明をせずに見ているだけだったが、それでも議事は淡々と進む。
「なあ、終わったらオフで会わないか?」
 おもむろにミノルが言った。
「ああ、いいよ。四時くらいかな?」
 具体的な場所は言わない。言わなくてもわかっている。その間にも二号議案が現れ、反対意見とのバトルが始まる。
「了解。じゃあ、四時だ」
 支持者数が少ないのだろう、反対意見は小柄なグラディエイターだったが、互角に戦っている。
「これはどうなるんだ?」
 反対意見は議案の問題点を的確に突いているようだった。支持者数では圧倒的でも、議案のグラディエイターが防戦一方になっている。
「継続審議だな。まだ論点整理の段階だ」
 ミノルの予想が当たったのか、それとも反対意見を支持して継続審議に持ち込んだのか、傍観者を決め込んでいた俺にはわからなかった。

 自分に石化魔法をかけるアイデアは悪くないと思ったのだが、結果はさんざんだった。確かに、サイキュロプスの投げた岩で潰されずに済んだが、岩の下で身動きがとれなくなり……。
 石化魔法のタイムアウトとともにゲームオーバー。あわてて『魔獸宮殿』からログオフし、ミノルとの待ち合わせ場所であるプライバシーバー、『デルファイ』に急いだ。話をするだけならネットワーク上の交流プラザで話せばいいんだが、基幹システムが運用する交流プラザは、政策立案のために常時モニターされている。交流プラザで不満を言えば、いつの間にか解決策が議案に上ってくるから良いんだけれど、プライバシーは保てない。仮想空間には基幹システムから独立した有料のプライバシーゾーンもあったが、ミノルはアクセス履歴が残ることすら嫌っていた。
「お待たせ~」
 電車を乗り継いで『デルファイ』に着いたのは三十分後。入り口の階段を降りて、地下にある店の扉を開けると席はほとんどが埋まっていた。特別のご神託が聞けるわけでもないのに、いつだって賑わっている。
「そんなでもないさ。ちょうど一杯作ったところだ」
 ベンダーで買えるモヒートの五倍はするハンドシェイクの一杯は、ミノル自身が作ったもので、これを目当てに通ってくる常連客もいるくらいだ。とはいえ、ミノルは店のバーテンではなく、店は材料と設備、ビジネス機会を提供しているという建前で、気に入らない客は無視することもできることになっている。
「いいのか?」
 返事を聞く前に、俺は手を伸ばしている。
「おごりだ。ところでどの駅を使った?」
 気にしすぎだと思うが、ミノルは最寄り駅を使うのを嫌っていた。
「もちろん、新宿だよ」
 核テロで被災し、多数の犠牲者を出した新宿は、急速な復旧を果たしていた。その過程で、旧都庁のグランドゼロメモリアルの地下に作られたのが基幹システムの入った《シェル》だ。分厚いコンクリートで守られた《シェル》は、新宿を壊滅させた爆弾の百倍の威力の核弾頭が炸裂しても耐えられるらしい。
「悪くはないが、たまには他の駅を使ったらどうだ?」
 いつも同じことを言うミノルの言葉を聞き流す。
「そう言えば、南口で路上ライブやってたぞ。たまには明るい所に出た方が良くね?」
 こんどは俺の軽口をミノルがスルー。
「あ、オーダー」
 テーブルに置いたタブレットを見て立ち上がる。
 店内でのオーダーと、独立系の仮想通貨、《アルト》での決済に特化したタブレットは、基幹システムから切り離されている。
 何となく状況は察していた。基幹システムに依存する経済圏が拡大するに従って、残された領域は狭くなる。どこにいても基幹システムの追跡からは逃れようがないという事実が、ミノルのような人々を追いつめている。受け入れてしまえばいいと思いつつ、簡単には受け入れられないのだ。
《シェル》は核テロの原因になった分断を回避するための大規模な社会実験だった。決済システムを含む膨大な情報の統合による高度な政治体制の実現を、住民の全員参加で実現するという目標は、政治体制の正当性を強化する一方で、参加したくない者の存在を前提としていない。それが、ミノルには息苦しいのだろう。
「いけ好かない奴だったよ」
 しばらくして戻ってきたミノルが言う。
「ふっかけたのか?」
 自分で注文したピリ辛のタコライスをかき込みながら、ミノルに聞いた。
「まさか。苦情を言われるとややこしい」
 苦笑いを見せるミノル。客とのトラブルは厳禁だった。どっちに原因があるかには関係なく、出入り禁止にされる。俺は、少し前に小遣い稼ぎで働いたときのことを思い出す。
「そう言えば、『黒夜城』もつぶれたしな」
 基幹システムからの独立がウリのプライバシーバーはトラブルを嫌う。トラブルは監視の強化を招き、監視するのは基幹システムだ。プライバシーバーからプライバシーが失われれば客足が遠のき、経営が成り立たなくなる。当たり前だ。
「あれは奴らに仕組まれたんだよ。ここだっていつまで保つか……」
 ミノルはそう言うと大きく息を吐いた。
「奴ら、ね」
 ミノルが言う『奴ら』は、『参加と包摂のための都民連合』という組織だ。都からの補助金を受けて都民の政治参加を促進する目的で形成されたNPOの連合体で、彼らのモットーは『誰一人も取りこぼさない優しい政治』というものだ。その彼らからすれば、基幹システムの目が届かないプライバシーバーは危険な存在に見えるのだろう。
「なあ、おまえはなんでこんなところに我慢できるんだ?」
 正直言って、俺にはミノルの不満が理解できていなかった。知られて困ることをやっているわけではないし、都民連合が言う基幹システムの盲点で犯罪が起きるという主張もわからないわけではない。
「いや、確かに気持ち悪いけど……」
 ミノルに完全には同意できない気持ちを、言葉を濁して誤魔化したつもりだった。
「やっぱおまえには無理か」
 あきらめたようにミノルが言った。

 サイキュロプスが投げた巨岩を、俺のマジックソードの赤熱する刃が真っ二つに切り分けていた。表情がないはずの巨人に、驚愕の表情が浮かんだようにも見える。
「さあ、これで終わりだ」
 ダメージがゲージで可視化されているわけではない。だが俺は、サイキュロプスのライフがほとんど残っていないことを確信していた。少なくない都民ポイントをつぎ込んで買ったマジックソードの出力を最大値に維持したまま、たった一つの巨大な眼球に向けて大きく振りかぶる。
 ――ただ今より、第百二十四期全都民総会が始まります。都民の皆さんは、都民アリーナにアクセスして下さい。繰り返します……。
 時間を確認すると二分前。十分な時間があると思ってアクセスした『魔獸宮殿――復活のサイキュロプス』の第七ステージはクリア寸前だったが、強制通知による中断で、俺は剣と一緒に空中に止まっている。
 ここで、俺の選択肢は二つ。リスタートしてサイキュロプスを倒してから全都民総会に参加するか、ストップしたままにするか。リスタートすればサイキュロプスを倒せるだろうが、その後に続くステージのエンドロールをじっくり見ている時間はない。次のステージの攻略の手がかりがあるエンドロールをはしょるのは愚の骨頂だから、全都民総会に参加したあとで、ゆっくりとエンドロールを見るのが正しい。
 結論が出たところで、アリーナに転移。五万体収容のアリーナにはすでに二千二百万人がアクセス済みで、アクセス中のアバターのステイタスは千九百七十人が共用中。
 ――全都民総会は定足数を充足しました。
 参加者数を示すカウンターの数字が増え続けていた。
 ――ここに全都民総会の成立を宣言します。
 アリーナの中央で『議長』が宣言した。俺は、周囲にミノルの姿を探す。
 ミノルとは、『デルファイ』で会って以降、連絡を取っていなかった。いつもなら、基幹システムに照会しなくてもミノルはそばにいる。そのミノルが今日はいない。アクセスしていないのだ。
 全都民会議への参加は、都民の基本的な義務だった。参加しなければ、特別の事情を証明しない限り、文化的な生活を保証する都民ポイントが減額されてしまう。それが賢い選択だとは思えない。
 一号議案は基幹システムの大幅な拡充と、近隣システムとの統合だった。復興予算を投じて作られた《シェル》は、他県の基幹システムよりも十分に強力で、処理能力にも余裕がある。一方で、近隣の千葉と埼玉の基幹システムには最小限の機能しかなく、連携による効果が制限されている。そんな状態を改善するため、千葉や埼玉のシステム改修を計るのではなく、《シェル》を拡充し、その中に千葉や埼玉のための領域を割り振ることで、一気に両県のシステムの拡充と連携の強化を実現し……。
 どうでも良いと俺は思う。どっちにせよシステムは拡充され、連携が強化される。ミノルなら基幹システムの強化に反対するだろうが、そこは論点じゃなかった。
 反対意見は見るからに貧相な騎士で、基幹システムの拡充による裨益者は、一義的には両県の県民であるため、受益者負担の原則に反すると主張していた。それに対する議案の反論は、両県のシステムとの連携強化による都民の間接的利益を強調するとともに、《シェル》のフレームを使うことで、投資そのものが効率的になるというもので、負担能力に応じた負担は受益者負担と同等の……。
 次第に俺は苛ついてきていた。こんな時、ミノルが側にいてくれれば、的確な論評をしてくれるだろう。けれど、ミノルはおらず、俺には議論の意味がわからない。屈強な戦士と貧弱な騎士の戦いが続いていたが、俺にはもはや興味が持てるようなものではなくなっていた。
 ……さっさと終わらせろ!
 そんな声が聞こえた気がした。局面は、議案が優勢だったが、決め手に欠けている。ならば議案を支持し、戦いを終わらせればいい。
 ミノルが都の提案する議案に対していつも懐疑的だったことをすっかり忘れていた俺は、議案を支持した。多分、同じような理由で支持を集めたのだろう、よりパワフルになった戦士が貧弱な騎士を窮地に追い込む。
 ――現時点で第一号議案の支持が過半数に到達しました。第一号議案は全都民総会で採択されました。
 俺の周囲で歓声が沸いていた。俺もその一部となり、歓声を上げていた。
 俺の意思が、都の意思決定になった。そのことに興奮していたのかも知れない。
 それから、後に続く議案でも、俺は優勢な議案を支持し続けた。議案の内容はどうでも良かった。勝ちさえすれば早くゲームに戻れる。俺の支持する議案は、勝利し、継続審議となり、また勝利した。

 サイキュロプスの巨大な目玉を真っ二つに叩き切り、見事にステージをクリアする……はずだった。だが、マジックソードを振り降ろした瞬間、サイキュロプスは、思いがけないほどの俊敏さで、後ろへと飛び退いていた。
 盛大な空振りでバランスを崩した俺の体を、サイキュロプスが手にした棍棒がしたたかに打つ。
 地面に転がる真っ二つになった巨岩に叩きつけられた俺には、棍棒と岩との二重の物理的ダメージが加わり、ライフが一気に底を突きそうになる。
 パワーを失ったマジックソードを杖の代わりにして、かろうじて立ち上がった俺を、サイキュロプスの巨大な単眼が見下ろしていた。その口から発せられるのは、勝利の雄叫びだ。
 体勢を立て直す余裕もあったものじゃなかった。真上から振り下ろされた棍棒を受け止めるだけの力は、俺にはもう残っておらず……。
 都民アリーナでの高揚感そのままに、『魔獸宮殿』のステージをクリアしようと思っていたもくろみはあっさりと潰えていた。マジックソードの強化にポイントをつぎ込んだせいで、もう一度トライするには軍資金不足。
 ログオフした俺は、小さな部屋のベッドで大の字になり、天井を見上げる。
 腹が減っていることに気付いた。それなのに、出かけようという気力も沸かない。
「……くっそう!」
 外したゴーグルと部屋の隅に向けて放り投げる。壊れたところですぐに支給される。政治参加のための道具は無償で提供される。
 なぜミノルは来なかったのか、急にそんなことを考えた。ミノルがいれば、俺は都民アリーナで違う判断をしていただろうし、サイキュロプスに向けた一振りも、もう少し慎重なものだったはずだ。空振りという途中経過は変わらずとも、次の攻撃を受け流すくらいのことはできていただろう。アリーナに来なかったミノルに文句を言いたかったが、失敗はミノルの所為ではなく、俺自身の不用意さが原因だったこともわかっていた。
 無性にミノルと話したくなった。けれど、俺はミノルの連絡先を知らない。ミノルと会うのは、いつだってアリーナか『デルファイ』だ。
「よっしゃ、タコライス食うぞ!」
 俺は自分に気合いを入れた。『デルファイ』なら、バイトで稼いだアルトが使える。

『都の議決に抗議し、営業を休止します!』
 ドアに無造作に貼られた、殴り書きの告知に呆然とする。そんな俺の耳に、これ見よがしの声が聞こえてくる。
「やっぱりやましいところがあったんだろうな」
「ええ、四号議案が可決されて良かったわ。これでこのあたりの治安も良くなるわね」
「得体の知れない連中が出入りすることもなくなるしな」
「おしゃれなカフェができると良いわね……」
 そんなカップルの会話。聞こえない振りをしていた俺は、手元のスマホで四号議案を確認する。
《特定施設の適正化にかかる都条令》
 何のことかわからないし、ぜんぜん記憶になかった。
 その時、通知音が鳴る。
「……嘘だろ」
 アルトの交換レートがダダ下がりしていた。変化が急すぎて、売るに売れないくらいの下落に俺は呆然とする。俺の一週間のバイトは、今や缶コーヒー一本分の価値もない。
 立て続けの通知はミノルからだった。もちろん、ミノルのことだから、基幹システムに見られても良いように偽装されており、解読用のアプリを使うとメッセージはこんな内容だった。

 東京は制圧された。
 関東が制圧されるのも時間の問題だ。
 だから俺は、とりあえず東京を出る。
 それから、政治はゲームじゃない。議決権を行使するときは、ちゃんと考えてからにしろ。さもないと、奴らの思い通りにされる。

 でも、ミノルの言う『奴ら』は何者なのか。何となく『都民連合』とは違う気がする。
 優しい政治の顔をして、全体主義がやってくる。そう言えば、いつかのミノルは、そんなことを言っていた。