「スタントバイミー」川島怜子

 いつものように、なごみがぼんやりと歩いていると、信号を無視した車が突っ込んできた。
「……え? なに?」
 黒いかたまりがなごみを突き飛ばしたかと思うと、代わりに自動車にはねられた。
 自動車は派手にクラクションを鳴らすと、あっというまに去ってしまった。なごみはうずくまっている黒いかたまりを見た。
 猫だった。
「あ、待って、猫ちゃん……」
 近寄ろうかどうか考えているうちに、猫はいなくなってしまった。突然のことだったので顔も見えなかった。そういえば、なごみが木から落ちたときは、黒い猫が受け止めてくれたし、岩で頭を打ちそうになったときも、崖から落ちそうになったときも、身代わりになってくれた。
「猫ちゃん……?」
 いつも、なごみがかたまっているうちに、黒猫は風のように去ってしまう。なごみは今回もお礼を言えなかったと後悔する。

「……私、もしかして、呪われてるのかな」
 なごみは呟いた。
「飼ってたミーちゃんを、まちがえてホウキで叩いたり、木から落としたり、ミーちゃんが車にはねられたこともあったもの。猫の神さまが怒って、私に天罰を与えているのかなあ。あれ、じゃあ、あの黒猫ちゃんはなんだろう?」
 その姿を黒い猫が物陰から見ていた。なごみを見つめる視線は優しく、表情もやわらかかった。前足を交互にふみふみしている。飼い主への愛情表現だ。
「まーったく」
 そう言うと、黒猫は毛皮を脱いだ。ツヤツヤとした白い毛並みがあらわれる。
「なごみは本当にバカなんだから。私は呪ったりしないわよ」
 ミーは、いつだってなごみをハラハラしながら見守っていた。
「……ホウキで叩いたのは、私が野良猫に追いかけられていたからでしょう? 木から落ちたのは、私を抱いたまま木から降りようとして足を滑らせて、地面に落ちたんでしょうが。それから、車にはねられたときだって私を助けてくれようとしたのよね」
 ミーは生きていた頃のことを思い浮かべた。
 あるときは野良猫に追いかけられていたミーを、なごみがホウキを持って助けにきてくれた。しかし、振りおろしたホウキがミーに当たってしまい、「ミーちゃんに傷でも残ったらどうしよう、女の子なのに」とわあわあ泣くなごみにミーはそっと寄りそった。
 またあるときは、高い木にどんどん登って、降りられなったミーを、なごみが助けにきてくれた。でも、なごみはミーを抱いたまま木から落ち、骨折してしまった。しばらくギプス姿だったなごみ。「ミーちゃんはケガしなくて良かったね」と笑顔で話しかけられるたびに、ミーはのどをぐるぐると鳴らして応えた。
 ミーが車にはねられそうになったとき、なごみがかばって、車にはねられてしまったこともあった。ポーンと飛んだなごみの姿を、ミーは今でも覚えている。まっさきになごみにかけよったミーに、なごみは「ミーちゃん、どこか痛くない? すぐに動物病院に行こうね」と言ってやさしくミーを抱いた。車の運転手も、通行人も、みんながなごみを心配し、救急車を呼ぶからと言ったけど、なごみは「私は大丈夫です。ミーちゃんを病院に連れていってください」と頭から血を流しながら何度も頼んだ。

 なごみはとてもとても人が良くて、やさしくて、そのせいか、とてもとても運が悪い。
 ミーはなごみにかわいがられて、幸せに生きた。
 最後は老衰で、なごみの腕の中で亡くなった。

 なごみはゆっくりと道を歩いていく。
「……もう、本当にバカな子よね、なごみって。私がいないとダメなんだから。私はもう死んでいるから、少しぐらい危ない目にあったって、大丈夫」
 今のミーは猫の幽霊だ。
 なごみを守るために、虹の橋を渡ることをこばみ、幽霊となった。天使と話しあい、正体がバレたら、すぐにペットの天国に行く約束だ。
 なごみは黒い色が嫌いで、黒猫が苦手だ。
 そこでミーは黒猫に変装することにした。なごみは黒猫には近寄ってこない。それに、黒猫の毛皮があれば、幽霊だってものを動かせる。
「なごみ……私が守ってあげるからね」
 そのとき、近くの店から、炎が噴きだした。火事だ。
 メラメラと燃えた柱がなごみに向かって倒れてくる。
「なごみ、危ない!」
 ミーは黒い毛皮を慌ててかぶり、黒猫に化けると、なごみに向かってかけていった。