「データセンター」江坂遊

 診察室に入って来た中年男性はとても顔色が悪く肩を落としていた。その姿は、誰がどう見ても、病んでいるなと見て取れた。
 ドクターはマスクを鼻の上にかかるように持ち上げ、男とモニター画面とを交互に見て口を開いた。
「どうしました」
「はい。おかしなことが起こりました」
 そう言って黙ってしまい、男は身体を揺らしながらさかんに首を振りだした。
「どこかが痛いとか、かゆいとか、不調を覚える箇所を教えてください」
「あぁ、はい」
「痛いのなら、どんな風に痛いのか、それがいつ頃から始まったのかも」
 男は話したいのに、言葉がうまく出てこないといった様子だ。ドクターは仕方なく看護師から受け取った問診票に目を落とした。
「えっ。三か月ほど前からスマホやパソコンを重く感じて持てない、と書かれていますが、これはどういうことでしょうか」
 男は雑巾のように身体を振り絞ってやっと声を出した。
「先生、よろしくお願いいたします」
 ドクターは男のちぐはぐな反応に、笑いがこみ上げて来た。それをぐっと押し殺して言葉を返した。
「ええ、こちらこそよろしく」
 男は緊張がいっぺんに解けたようで、それからはすっかり流暢に話し始めた。
「いきなり、感覚的に重く感じてしまうようになりました。スマホを手からポトリと落としてしまうのです」
「私も時々やりますが」
「うぐぐ、重い。こんな具合に、ですよ。手がしびれて、なかなか手の関節もきしきしと、きしんでしまい、その後は何も握れなくなってしまいます。うーん、でもレントゲンに異常はなかったんです。それは別の医院で検査してもらいました」
「なるほど。あぁ、データが来ています。確かに異常はないようです」
 カチャカチャとキーインして症例データベースを検索すると、すぐに数件のヒットがあった。ドクターはテキストデータを『ふむふむ、そうか』と読みながら、男にさらに質問を試みた。
「お仕事や家族のことで、お悩みはありますか」
「ないと言ったらウソになります。悩みに大小の違いはあっても、先生、悩みがまったくない人間はいませんよね」
「まぁ、そうですね」
「少々、人見知りしますが、慣れれば普通ですし、心に問題もないと思います。そんな病院にも診てもらいましたから」
 なかなか男は手ごわそうだった。
「あぁ、カルテを見つけました。二日前でしたか」
 症例対応を走り読みすると、心因性疾患の疑いありと判断したドクターも多く、二日前の診断結果もそれに沿っているようだ。確かに軽度な精神疾患で間違った見立てにはならないだろう。しかし、何とも異例で興味深い症状の訴えだなと感じた。それでドクターは迷いながらも、自分の目で確かめてみる行動に出た。
「このペーパーウエイトを手に持ってくれませんか」
「切子ガラスですね、これは。大学のマークがくっきり浮き出て綺麗です。かまいません。いいですよ」
 男は素直にそれを自分の手のひらの上に置いた。そして重さをはかるように、二、三度上下させた。
「どうですか」
「持てます。ペーパーウエイトとしては軽い方です」
「じゃ、これはどうですか。私がいつも使っているブックパソコンですが、いかがですか。超軽量タイプです」
 画面が開いたままのパソコンを男に手渡すと、途端に男の頬が引きつった。
「先生、冗談でしょ。冗談はやめてくださいよ。こんな重いもの、わたしにはとても持てません。あぁ、もう駄目だ」
 落っことしそうになっているので、ドクターは必死でパソコンを抱きとった。
「そうですか。重く感じるものと、軽く感じるものがあるのですね。ペーパーウエイトは軽くて、パソコンは重い」
「それは当たり前でしょ」
「はい。当り前ですが、あなたは重いものは普通の人よりずっと重く感じられるわけですね」
 ドクターは続けてマスクの中で聞こえないように「そんなことってありうるのか。私はもてあそばれているのではないか」と呟いた。
「先生。普通の人よりずっと重く感じられる。ええ、まさにそうなのです。わたしの仕事はIT関係なのですが、先生、IT関係と言っても広いのですよ。ご存知ですか。コンピュータの製造をしているわけでもなく、ソフトウェアを開発しているわけでもありません。お客様の大事なデータをお預かりしているところで働いています。言わば金庫屋さんです。センターって言うのですが、何故そう言うのかまでは知りません。コンピュータとコンピュータをつなぐ中心的な役割です。それで、なのかなぁ。でも、あれれ。野球のセンターの守備位置は球場のど真ん中じゃないなぁ」
「どちらもなくてはならないお仕事ですね」
「まぁ、そういうことは言えます。でも、お医者さんにはとてもかないません」
「いえいえ。金庫屋さんあってこそ、私たち医療関係者です」
「ええ、そうですよね。それで、話を進めますが」
「えっ? いいかと思います」
「うちのセンターの産業医さんですが、女性でしっかりされています。彼女はこう言っていました」
「はい、お願いします」
「あなたは仕事関係のものはすべて重く感じてしまうんじゃないか、仕事のし過ぎで、身体が拒否反応を示しているんじゃないか。長い休暇をとって沖縄でリフレッシュしなさいと言ってくださったのです」
「そうですか、沖縄に行かれたのですね」
「行きました。いいところでしたが、改善は見られません」
「産業医さんの助言通りにしても症状はいっこうに変わらなかった。相変わらず、重いものは普通の人よりずっと重く感じられるのですか」
「はい。おかしいでしょ。一週間休んでも、重くってノートパソコンを移動させることができません」
 ドクターは足を組みなおし、症例データをさらに何例か詳しく読んでみることにした。
「同じ症状の方との共通点と言えば、……。あっ、このごろ、IT関係の従事者で同じ症状の方がちらほらいますね」
「流行りの職業病ですかね。で、治りますか、先生」
「端的に言って、経過観察がほとんどですね。新しい病気という認定もされていなくて、治るとか治らないというものでもないわけですよ、しばらく重いものは待たないように心がけてもらいながら、カウンセラーにかかってもらっている方もおられます。目新しい症例だという捉え方をしているドクターもいますが、ほとんどは産業医さんの処方と同じです」
「沖縄がいいんですね。もっといれば良かったのかなあ。で、完治された方はいますか」
 ドクターは額に手をやったが、平常心を保つのに必死なところをなるたけ見せないように努めた。
「残念ながら、完治された方は出ていません。繰り返し言いますが、病気とも認識されていないので、そう答えるしかありません」
「先生、最近地震が多いでしょ」
「そうですね。怖いですね」
「休み中にもそのたびに、呼び出しやリモートでの対応支援がかかりましてね。ディスクの破損なんかがありまして、修復作業が大変なのですよ」
「それはよくわかりますねえ、ではそのご心労が原因だったのでは?」
「対応している間は重さも感じないし却って調子がいいくらいだったのです。心労なんてとんでもない。むしろ修復が終わるとまた重さを感じるようになったくらいですから。それについこの間、免震装置が導入されて修復作業が減ってから、ますます症状がひどくなった気がします。元々私は仕事が好きで、仕事が嫌になるってこともありません」
「もう一回試してみてもいいですか。まさかとは思うのですが、少し閃いたことがあります。それを試してみたくなりました。こっちのパソコンに刺さっているUSBメモリを抜いてみてと、これを持ってみて下さい」
「はい。先生、とても重いです。持てません」
 床に落とされないうちにドクターはあわてて回収した。
「じゃ、こっちのUSBメモリはどうですか」
「あっ、持てます。これなら持てます。軽いです」
 ドクターは顎をカリカリとかいた。
「演技していませんよね」
「滅相もないことで」
「実はですね。後で持ってもらったUSBメモリはデータが空っぽなのです。先のは、有効なデータが何十ギガと詰まっています。もしかすると、あなたは、有効な情報量を重さで感じ取ることが出来るようになられたのかも知れません」
 男はぽかんとしたまま、声にならない驚きに耐えているのが見て取れた。
「ええっ」
「こっちのUSBメモリには情報がいっぱいだから、あっ、重い。おやおや、あれれ、いかんなぁ」
「先生、演技力ありますねぇ」
「違いますよ。たった今、わたしも重く感じられるようになったんです。いかんよ、これは。パソコンが重い。持てない。スマホも重い。持てない。いかんなぁ。これはいったい。感染? あなたから感染した? うっ、通信データが肩に重くのしかかる」
「そっちは慣れてきますよ」
「おおおおお、ほんとうだ」
 二人は思わず顔を見合わせて、同時に腕組みをした。
 すると突然、ドクターが見ていた画面が真っ暗になった。
「何だ。おっととっと」
ドクターは立ち上がって辺りをキョロキョロと見回した。
「地震ですかね。少し揺れています。強く、弱く」
「感じます。揺れています。手術の真っ最中なら大変ですね」
「いや、うちの手術室は手術台や機械の転倒は起こりにくいので大丈夫。フロア全体に揺れが低減できるようになっていて継続できます。経験ありますが、このくらいなら平気です」
 ドアが突然大きく開いて、看護師が大声で叫びながら二人に近づいて来た。
「先生、大丈夫ですか、お怪我ございませんか。予備電源に切り替わりました。今、うちの大事なデータを預かってもらっているEYセンターさんとの通信が不安定になっているという報せがありました」
「あっ、こっちのモニター表示は元に戻ったけれど、別のはダウンしたままだ」
「ちょっと覗かせてもらいますが、ネットワークの通信到達確認のためにピングを打ちまして」
「詳しいんですね」
「はい。そのEYセンターというのは私が勤めているところです」
「おっ!」
「免震効果が高いスライダーの上に載っていたサーバ。それとつながっているPCはまだ生きているんでしょう。スライダーに載っていなかったのは倒れたり損壊したりと被害を受けたってことかも知れませんね。その差が出ましたね」
 看護師の目が真ん丸になった。
「そのデータセンターが入っているビルが今まさに陥没しようとしている様子が映しだされています。スマホで少し見にくいですがニュースでやっています。世界各地の最新鋭データセンターがずぶずぶと地中に沈み込んでいっている。あっ、画像が消えた」
 ドクターと男は顔を見合わせた。
「先生、まだうちのデータセンターは安全を守る免震技術を駆使しているので、最後までダウンは耐え忍んでいますが、ほかのセンターならこうはいきません。うちのは特殊な構造物でね。ほら、オートバイの荷台に岡持ちを載せるとき使うでしょう、あれは出前機っていうのですが、揺れても中のものがこぼれなくなっている。原理的には同じで……。あっ、おや、こんなときだからとは思いますが、急に頭が重くなってきました」
「なるほど。頭の記憶域がついに、ですか。これで、わかった。情報が重さを持ち始めているんだ」
「何ですって?」
「情報量を重さで感じとれる能力を持った人がだんだんに増えていっているうちはまだ良かったのですよ、それは予兆みたいなものでね。今度は実際に有効情報そのものが重さを持ちだしたんでしょう。最初の段階では軽い地震を伴って重くなったり元に戻ったりしていたのがいっきに今をむかえた。そんな風に考えられなくもありません」
「1ビットが何ピコグラムとか……。いや、そう簡単でもないか。いずれにしてもうちのデータディスクは大容量だからなあ。あぁ、さらに頭が痛くなった」
「計算にはコンピュータが使えなくなってしまいましたし」
 男は頭を抱えた。
「で、ところで、先生、治りますかね」
 ドクターは一呼吸おいて答えた。
「今日のところは精神を安定させるお薬を出しますので、経過観察ということで」