「『折口裕一郎教授の怪異譚 葛城山 紀伊』外伝『市川大賀interviewed ・1』」市川大賀

 
「ふぅん……。毎回思うけど、作り話みたいな出来事にばかり出くわすねぇ、折口」
 大賀はICレコーダーのスイッチを止めて、ため息をついて、まるで手持無沙汰のように、たまたま居合わせた宝井が淹れてくれた珈琲に口を付けた。
 市川大賀は、僕が昔、とある事件で知り合ったライターだ。書評、風俗ルポ、ジャーナリズム、エッセイ、脚本、何が本業か分からない。知らない人からすれば、実に「怪しい男」だ。見てくれも、スキンヘッドにサングラス、とてもじゃないがまっとうな社会人には見えないが、それでもなんだかんだと言いつつも、文章で飯を食っているらしい。
 最近では、しばしば民俗学の教授である僕、折口裕一郎の実体験を聞き取って、文章にしたいと言い出してくれている。最初はとんだ悪趣味だと思ったが、僕の実体験は、いろんな伝承や都市伝説と織り交ぜれば、面白い文章になるらしい。僕もなぜか彼には惹かれるものを感じているので、何か奇妙奇天烈な出来事に遭遇した時は、彼とこうして話すようになっている。
 僕が大賀に、葛城山で起きたことと、紀伊で起きたことを語っている間、うらぶれた民俗学部のこの部屋では、助手の准教授・金城が、表情を変えないままパソコンを叩き続け、今回の騒動ではすっかり巻き込まれ組になった女生徒・宝井が、驚愕の三日間を反芻するかのように、僕の話に耳を傾けていた。
 なので“事件”に居合わせた、金城と宝井の証言も、僕の記憶を補完するものとなり、まぁまぁ体感したままの出来事を、大賀に話せた手応えはあった。
 民俗学教授の僕から言わせると、大賀の方が面白い。なにせ大賀は、今や民俗学の世界では異端となり排斥されつつある「大和朝廷騎馬民族説」を支持していたりするからだ。
「そりゃ俺だって、佐原真の『騎馬民族は来なかった』は読んでいるよ。その論調に異論はない」市川大賀が続けた。「かといって、俺は江上波夫の信者ってわけじゃない。分別はついているさ」
 そりゃごもっとも。大賀は僕に向かって身を乗り出した。
「でもそれってさ。俺のライターとしての矜持みたいなものでさ。学説が正しいか、間違っているかじゃないんだよ。折口、お前だって江上氏の二番煎じの、えーとなんだっけ。『大和朝廷二重構造説』なんて言説を追いかけているじゃないか」
「一緒にするもんじゃない」僕は一蹴した。「『大和朝廷騎馬民族説』に対して井上光貞の評価があるのは理解できるが、僕自身が唱えているのは、もっと普遍的な日本の民族構成論だ。大陸からの侵略と、そこで起きた先住民族との二重構造という外郭だけなら同じかもしれないが、僕は決して、“現日本人・自称大和民族”を、大陸から渡ってきた騎馬民族に限ってはいない」
「しかし折口、田中琢が『倭人争乱』で語った『騎馬民族が国家を形成経営しうる能力を持った優秀な民族で農耕民はその面で劣っていると決め付け、人間集団をラベルを貼るような危険』は、騎馬民族だけではなく、お前が主張する二重構造説でも同じことは言えよう」
「それはあまりにも乱暴な二元論だ」僕は多少熱くなっていた。「先住民族の農耕民が、必ずしも国家形成できる力をもっていなかったと決めつけてしまう田中琢の前提、結論ありきのミスリードにしかなっていない。大陸から侵略民族が大挙移住するまでは、先住民族は『国家形成経営能力がなかった』のではなく、その必要性に迫られていなかったというだけの話だ。大陸からの民族大侵略で、日本全体の人口が激増したからこそ、そこで初めてこの島国には、国家を形成運営する必然が生じた。それだけの話じゃないんだろうか」
「それを裏付けるだけの証拠がない」
「いや、大賀。君が主張する『大和朝廷騎馬民族説』の方こそ、近代の考古学の発展や、アカデミズムに浸食してきた右傾化した論調と共に、実際の反証のデータや学説も伴って、今や否定が定説になっている。消極的支持の大塚初重にしても『多くの考古学者はこの仮説には否定的であったが、アジア大陸での雄大な民族の興亡論にロマンを感じる人も多かった』といった、情感としてのロマンへ落とし込むしかなくなってるのが現実論なのではないのか?」
「お、そうだよ。分かってるじゃないか、情感なんだよ、折口」大賀が悪びれずに珈琲を飲み干すと、空になったマグカップを宝井に渡した。宝井は、うーんと理解不能の表情のまま、再び珈琲を淹れに行った。「俺は学者じゃない。だから俺が、現代風俗ルポやジャーナリズムでないジャンルで描く物語の設定は、既製の学説によるパワーゲームに拘束されないんだ。考えてもみろ。柳田理科雄の『空想科学読本』に重箱の隅を突かれないように作ったからといって、本当に楽しく面白い空想科学エンタメが書けると思うか? スーパーヒーローがマッハ7で空を飛ぶと首がもげるからおかしいというのは、科学論文では有効な指摘かもしれないが、俺はもうちょっと“既存の科学では計り知れないもの”への敬意をとりこみたいね」
「リアリティラインの問題というのもある。SFで言うならばある程度の理系リテラシーの中で、実証されている定理を無視した設定は、読者の興を削いでしまうだろう」
「使い方さ。二本足の巨大ロボットアニメや怪獣映画だって、星雲賞や日本SF大賞を受賞することだってあるんだぜ?」
 
 そこまでを聞いていた宝井は、珈琲を淹れなおしたマグカップを大賀に渡したあと、静かに引き下がり二人の「おとなげない大人」の論争を邪魔しないように、金城の横に立って二人を見つめた。
「金城さん、あの二人、喧嘩してるんですか?」
「Twitterの議論好きじゃあるまいし」金城が少しにやっとしながら答えた。「あの二人は昔ながらの友人なんだよ。アレはね、珠美ちゃん。二人はものすごく今『楽しい』の。ああやって論争するのが、なんていうかトレーディングカードの対戦ゲームをやってるみたいなもんなんだよ。まぁ今回の紀伊・新宮での出来事も、あのライターさんが教授に成り代わって主観で書いてくれることになってるから、取材のラストを飾る、主観のすり合わせ、みたいな儀式なんだろぉねぇ」
 金城は、パソコンへの打ち込みを一休みして、僕と大賀の論争を眺めていた。「そーゆーもんなんですねぇ」宝井も金城の言葉に納得して、僕たちの喧々諤々を遠巻きに眺める。
「しかし折口よ」市川大賀は、資料のメモをひらひらさせた。「お前さんからの資料にあった名前の問題なんだけどな。重要な存在の木花佐久夜比売のことなんだが、書き文字としての漢字は、本当にこれでいいのか?」
「というと?」
 僕はそう答えるしかない。質問の意味が分からない。市川大賀は鼻で笑った。
「お前、仮にも民俗学の教授なんだろ? 木花佐久夜比売が『記紀』の記述では、木花之佐久夜毘売、木花之開耶姫など、複数の記述名があるのは知っているだろう? 俺が聞いているのは、その中でも『コレ』でいいのかい?ってぇ話だ」
「なんだ、そんなことか」
 特に驚愕の新事実ということでもなく、僕は答えるしかなかった。。
「僕が今回、実際に体験した事件にとって、そういうディテールはあまり意味をなさない」
「……と、言いたいんだろうけどさ、折口」
 そう言うと、大賀は手持ちのパッドを操作して語り始めた。
 
「コノハナノサクヤヒメは、『日本国語大辞典』にはこう書かれている。『このはなのさくや-びめ【木花開耶姫・木花之佐久夜毘売】記紀などに見える神。大山祇神の娘。磐長姫の妹。美しい容姿を天孫瓊瓊杵尊に好まれてその妃となり、火酢芹命、火― 65―佛教大学 文学部論集 第103号(2019年3月)明命、彦火火出見尊を生む。神吾田鹿葦津姫。神阿多都比売』とね」
「うん。僕はそこに異論はない」
「はやまるなよ、折口」大賀は続けてパッドを操作した。「『日本国語大辞典』では名前の由来には言及してなかったが、これが『大辭典』にかかると、途端に面白い説明が記されている。『コノハナノサクヤヒメ 木花之佐久夜毘賣・木花開耶姫 大山祇神の女。瓊々杵尊の妃。一名、鹿葦津姫・神吾田津姫。木花は櫻花のこと、開耶は開光映にて咲き匂ふこと。即ち櫻花の光り映ゆる如く麗しき女神の意。記・上「木花之佐久夜毘賣」神代紀「時彼國有美人、名曰鹿葦津姫、(亦名木花開耶姫)、……美人對曰、妾是大山祇神所生兒也、皇孫因而幸之……生火 降命・彦火々出見尊・火明命」』とされているんだ」
「ふむ……」僕はそこまでを聞いて唸るしかなかった。「大胆な仮説だが、文字列から推測を重ねただけにしか思えない、心理学の八木に『民俗学なんてアナロジーだ』と言われたが、まさにその典型だな」
「だろう? 俺がお前に確認しておきたいのはここからなんだよ」
大賀はパッドを手にしたまま、僕の脇に椅子を運んできて座ってモニターを見せてきた。
「お前も民俗学者の端くれなら知っているだろう。茂在寅男が『記紀』の中に、古代ポリネシア語が多く混じっていることを指摘した。井上夢間はハワイ語との関連も指摘している。それだけじゃないんだ。黄當時という、佛教大学の中国語学教授が、『古代日本語の船舶の名称における異文化の要素について』という論文の中で、外来語、特にポリネシア語の特殊構造を解釈に持ち込むだけで、コノハナノサクヤヒメが『大型船+労働+貴婦人』の意味構造であると分析しているんだ」
「へぇー!」
素っ頓狂なリアクションを僕より早く上げたのは、案の定宝井だった。
「じゃ、あの紀伊での三日間の謎解きになった、木と茸の関係とか、裏と表と第三界とかの話って、どうなってきちゃうんですかぁ!?」
 僕は苦笑して答えるしかなかった。
「どうともならないし、何も変わらないよ、宝井」
 僕はそう答えると、昨日仕事帰りに買った白い箱をデスクの中から取り出して、机の上に置いた。
「確かに比較言語学の世界では、90年代半ばまでは、日本語に対して、アイヌ語と琉球語にのみポリネシア系言語との相似形が認められていて、日本語だけが独立言語であるという論がメインだった。それは大賀の『大和朝廷騎馬民族説』にも、僕の『大和朝廷二重構造説』にも有利な言説だった。日本語だけが大陸系であれば、それはシンプルに日本列島における、弥生時代の大陸系民族の侵略と統治を立証出来る。しかし近年、その定説も崩れつつある。だけど、言語学だけが僕の説の論拠というわけではないから、僕の説は揺るがない」
 宝井は、分かったような分からないような表情で受け止めていた。
「“あの時”教授が言っていた、八俣遠呂智とアジェスターの符丁みたいなものですか?」
「そういうことだ」僕は胸を張った。「地球は全てが地続きで、統治や侵略がなくても、交流や文化の流れは当然あっただろう。大賀の話は面白いが、僕たちが紀伊で体験した三日間の事実を覆す要素はなにもない。いったい大賀、なにを僕に言いたかったんだい?」
 尋ねられると、大賀は悪戯っぽく笑ってみせた。
「さっきも言った、リアリティラインの問題だよ。この国には、かつての二つの『記紀』の間に“なにか”が起きた。その後にそそり立ったのが大和朝廷であり、俺たちの旅の目的は、その隙間が“確かにあったのだ”と信じて、いつかは深淵を覗くこと。それでいいんだよな?」
 僕が一言「あぁ、もちろん」と答えると、大賀は「じゃあ次の仕事の打ち合わせがあるから」と、荷物をまとめてそそくさと帰っていった。
いつものことだが、相も変わらずバタバタと忙しい男だ。だがそれが、彼のバイタリティでもある。
 大賀が帰った後、パソコン仕事を終えた金城が、いつもの明るさを置いてきぼりにした表情で近づいてきた。
「でも、折口教授、これで良かったんですかね?」
「何がだい?」
 僕が尋ねると、少し金城の口調が渋った。
「紀伊での三日間のこと。本当に今のスキンヘッドのおっさんに書かせちゃって、いいんですか?」
 スキンヘッドのおっさん。なかなか単刀直入過ぎるとしか言えない、奴への適格な言語表現だった。
「あ、あたしもそれは思いました!」宝井も、紀伊での三日間の体験の直後と同じぐらいに真面目な表情に戻って声をあげる。「なんていうか。巧く言えないけれども。あの三日間での出来事は、誰にも告げず、明かさず、そっとあの熊野の山の中に残しておいた方がよいんじゃないかなって」
 僕は、二人の気持ちはわからなくもなかった。もっとも“それ”は、こういう不議な体験をしたのが、二人とも今回が初めてだったという理由に他ならない。僕だって、今回のような奇妙な存在に、初めて出くわした時は、その話は墓までもっていくつもりでいた。
 しかし、先ほどまでいた市川大賀という男との出会いや、僕は大賀と繋がることによって『語り部』として、形に遺しておかなければならないものがあると思ったのである。
「教授、なんでですか? さっきの大賀……さん? 見た目よりは、気さくな方だとは思いましたけど、あの人にそこまで任せて世に広める必要があるのかなって、そこはなんていうか……」
 宝井が、納得できない表情で言葉を失った。僕は金城に、助けを求める視線を送った。金城は、あからさまに呆れ顔だった。
「いつだって発端は教授でしょうが。まぁ僕は教授が依頼したことに対しては、決して反対じゃないです。あのライターさんも、何度かネットで文章をみかけましたし信用はしています。ただ、本当にこれで良かったのかなという珠美ちゃんの疑問は、分からないでもないです」
「そんなことは、この先の未来で、歴史が決めてくれるさ」
 僕の回答に、宝井はきょとんとしていた。金城はというと、むしろ「やれやれ」という反応をしていた。僕は言葉を続けた。
「『日本書紀』や『古事記』を、誰が、いつ、どんな目的で記したのかすら、僕たちは知らないし分からない上で、貴重な『古代を知る資料』として向き合っている。僕が大賀に文章化を頼んだのも、結局はそれと同じなのさ。そこで大賀によって書かれた文章の、正しさや意味は、誰かが未来に決めてくれるんだろう。そうならずに埋もれて消えるのも運命かもしれない。けれど、僕が今回の一連の事件で出会った“彼ら”は、この国の歩みの裏に居続ける事を選んだ。それは尊重したい。尊重すると共に、彼らがそこに居続ける事を伝えていきたいんだ。僕が彼らにしてあげられることは、それぐらいしかないんじゃないかな」
 僕は、机の上の箱を開けた。中に入っていたのは、最新型のiPhoneだった。
 
「え!? 教授……。教授、それって!?」
「あーっ! iPhoneの最新モデルだ! すごい教授! すごいですね!」
「いや、珠美ちゃん、これはもう、すごいとかすごくないとかじゃないよ。我が大学きってのガラケー王、IT周回遅れの象徴と呼ばれた我が教授が、ついにガラケーを手放しスマホを手にした。これはまさに、歴史が今動いたんだよ!」
 うまく言えないが、助手と教え子の二人に、フルパワーで馬鹿にされているように思えるのは、本当に気のせいなのだろうか?
「きょ……教授、本当にこれ使えますか? いいですか? 困ったときは自分にこう言い聞かせるんですよ。『しょせんこれは電話なんだ』って」
「教授、なんか辛い事でもあったんですか? 僕でいいなら話ぐらい聞きますよ? こんな散財しちゃって、まるで女子高生の衝動買いですよ」
 どうでもいいが、たかが携帯電話の購入ごときで、なんでここまで言われなければならないのだろうか。
「よぉし決まった!」金城が、拳を握りしめて立ち上がった。何がいつ決まったというのだろう。悪い予感しか湧いてこない。「今日はこの後、居酒屋でも行って、そこで教授に『iPhoneの使い方』を、一から教える会合を開きましょう!」
 なんでだ。
「珠美ちゃん。君もくるよね」
「まぁ、今夜の予定は入ってませんけど……」
 けど?
「果たしてお酒の入った居酒屋の数時間程度で、ガラケー王の教授がiPhoneを使いこなせるとは、とてもじゃないけど思えないですよねぇ……」
 あぁ……はい。
 なんだかんだ、今夜この後、僕は二人に好き放題に弄られて、玩具にされて一夜を過ごすのだろう。木花佐久夜比売の話題から数分でiPhoneか。僕の日常も十分に一寸先が読めないことは確からしい。
 さてさて。大賀は今回の顛末を、どうまとめてくれるのだろうか。僕は果たして、24回ローンで買ったこのiPhoneを、使いこなせるようになるのだろうか?
 僕はとりあえず、なぜか盛り上がる金城と宝井を前にして、冷めた珈琲を飲み干した。
 
 
参考論文・黄當時『古代日本語の船舶の名称における異文化の要素について』