「雷蔵と龍乃進」おだっくい

 事件が起こったのは西暦で一七五三年、宝暦三年神無月の頃であるから、九代将軍家茂様の治世である。その日、北町奉行所同心坂田龍乃進は、人相書きを懐に、根付け屋に押し入った泥棒を追っていた。
「どこを回っても手がかりはないなぁ。この泥棒、金目当てではなく、根付けそのものが欲しくて盗みを働いたのか? 売りさばくのだって一苦労だろうに?」
 龍乃進が首をかしげるのも最もである。何せこの泥棒、店の金子はもちろん、主の枕元の手文庫にも一切手を付けず、売り物の根付けだけをごっそり持ち去っていたのだ。
 それに奉行所の同僚からも、最近浅草寺の仲見世界隈に、妙なスリが出没するとも聞いていた。小刀を使って財布の根付け紐を切り、根付けの方だけを持ち去って行くのだ。
「手がかりは、盗みの現場から出てきた所を見た、と言う夜泣きそば屋に聞いて描かれた人相書きだけか。しかしこんな奴、江戸にはいくらでもいる顔なのだよなぁ」
 人相書きには、年は三十近い男で、右ほおに大きな黒子あり、髪型は総髪、黄八丈の着流しに黒の羽織で、足下は竹皮草履を履いていたと描かれていた。
「浅草寺にでも行ってみるか。手がかりがあるかもしれん」

「さて、今日も一稼ぎさせてもらうかね」
 浅草寺にある見せ物小屋の一つに、木戸銭を払って入った雷蔵はつぶやいた。雷蔵の職業はスリである。露店で買ったみたらし団子を食べながら浅草寺の仲見世を歩いていると、ずっしり重そうな巾着袋を腰に下げ、黄八丈の着流しに黒い羽織を着た男が見せ物小屋に入ったのを見たので、みたらし団子の包みを懐にしまうと、そいつの左隣にさりげなく座り込んだ。
(こいつ何なんだ? 見世物小屋に入ったって言うのに見世物を見もしないで、巾着袋から金属製の硯箱みたいな物を出してチラッと見て入れて、また出してチラッと見て入れてをずっと繰り返してやがる。落ち着かねえ奴だ。見世物小屋に来たなら見世物を見ろ、見世物を)
 よほど大事な物なのか、男は金属製の箱が入った巾着袋にずっと左手を置いて、決して離そうとしなかった。これは掏れないと思った雷蔵は、しばらくその男の隙を狙っていたのだが、おかしな事に気がついた。
 男は金属製の箱を見るのが終わったと思ったら、隣に座っている男の財布に付いた、竜宮城そのものを彫り込んである、豪華な透かし彫り根付けばかりちらちら見ているのだ。
「さてはこいつ、同業者か?」
 雷蔵は止めようかとも思ったが、男の羽織の左袖が重たそうに揺れているのを見て、考え直した。
 懐のカミソリを取り出し、羽織の袖の下をスーッと切り破いて、落ちてきた物を手で受け止め、さあ逃げようと十歩程離れると、男の帯に下げた巾着袋がビーッ! ビーッ! と大音響で鳴り出したのだ。
「お前! それを返せ! このスリ野郎!」
 と男が叫んでいるのを後ろに聞きながら、雷蔵は一目散に逃げ出した。
「ああ、びっくりした。何だったんだ? あの音は?」
 と見せ物小屋を飛び出し、路地から路地へ走って逃げた雷蔵が、盗んだ物を見ると、真っ黒いべっ甲細工のようにも見える何に使うか解らない物だった。
「何だこりゃ? こんな物では質屋にも売れやしない」
「ようやく追いついた。それを返してもらおうか」
 驚いた雷蔵が後ろを振り返ると、顔に黒子のある先ほどの男がそこにいた。
「何で俺の居場所がこんなすぐに解ったんだ? あれだけ路地を通ったと言うのに?」
「お前の居場所はどこにいても解る仕組みでな、路地の中を曲がりくねっている隙に大通りから先回りしたのだ。さあ返せ。返さないと痛い目を見るはめになるぞ?」

(お勤めをさぼっている訳ではないぞ。スリと言うものはこういう場所で稼ぐものなのだからな。ひょっとしたら根付け泥棒もいるかもしれんと思ったのだ)
 根付け泥棒の手がかりを求めて浅草寺に来た龍乃進だったが、手がかりはまるで得られず、ついつい見せ物小屋に入って芸人の見物をしてしまった。
 その日の目玉は、とにかく目立つのが大好きで、目立たない事は薬にもしたくないと言うのが売り文句の、甘粕屋久米太郎という芸人である。
 そいつは逆立ちをした後、右手だけで立ち続け、左手で七福神の描かれた派手な扇子を取り出した。観客のほとんどが扇子に目を奪われているときに、龍乃進だけは別の所を見ていた。
(芸人が派手な動きをしているときは、必ず反対で仕込んだネタを出す準備をしているものだ)
 龍乃進が注意していると、久米太郎の足がモゾモゾ動いて何かをしていると思ったら
「アッパラピーのプー!」
 というかけ声と同時に、駕籠に捕まえてあった蝶と小鳥が飛び出し、紅白の紙吹雪がひらひらと舞い散り、とどめとばかりにブーッ! ととびきりでかい屁が鳴り響いた。
(甘粕屋久米太郎という奴、なかなか面白い芸人だったな。土産にあいつの使っていた扇子と同じ物を買って帰ろう)
 と思った龍乃進が土産屋で扇子を買ったまさにそのとき、ビーッ! ビーッ! という大音響が鳴り響くと同時に、男が二人パッと外に飛び出して行ったのだ。
(今飛び出して行った黒い羽織の男、人相書きに似ていた!)

「これは何だか解らないが大事な物らしいな。そうだな、五両も払えば返してやるが?」
「今、この時代の金はそんなに持っていないのだ! 返せ!」
 と黒羽織の男は猛烈な勢いで雷蔵に飛びかかり、強引に手から黒いべっ甲細工のような物をもぎ取った。
「おいおい、大の男が取っ組み合いとは穏やかじゃないな。ようやく追いついた。俺は北町奉行所の同心、坂田龍乃進だ。そちらの黒羽織の男、奉行所まで来てくれないか? 聞きたい事があるのだ」
「北町奉行所? 役人なんかに捕まってたまるかよ!」
 と叫んだ瞬間、黒羽織の男が腰から下げた巾着袋から赤い光の線がパッと飛び出し、龍乃進の膝に命中した。
「痛っ! 何だ? それは……?」
 たまらず龍乃進が地面に膝を突くと、黒羽織の男は取り戻した黒べっ甲細工に
「タイムマシンの半径二メートル以内の人間を時間移動させろ」
 としゃべった。その途端、黒羽織の男と、雷蔵と龍乃進が消えてしまった。

「まさか北町奉行所に追われていたとはな。タイムマシン、俺たちを千年前のタクラマカン砂漠に時間移動させろ」
 と黒羽織の男は腰から下げた巾着袋を二人に構えながら言った。今三人がいるのは、真っ黒い壁で囲まれて、明かりが一つしかない狭い部屋だ。
「ここはどこなんだ? 江戸の町が何でいきなり消えたんだ?」
「逆だ。俺たち三人が江戸時代から消えたんだ。今はタクラマカン砂漠という所に移動している所だ」
「何が何だかさっぱり解らねぇ。お前は何者だ?」
「俺か? 俺はお前たちよりずっと後の時代の骨董屋だよ。お前等の時代より二千年後では江戸根付けの値段が高騰しているのだ。一儲けしようと思ったが、残っている江戸根付けの数が少なすぎて、まともにやったら商品の仕入れすら出来ない。そこで、世界初のタイムマシンを盗み出して江戸時代に来れば、タダで仕入れ放題と言う訳だ」
「お前の腰から下げた巾着袋に入っているのがたいむましんと言う物なのか? 何なんだ? その、たいむましんって言うのは? 痛っ! 膝が痛い……」
「解るように言えば、去年でも来年でも、その気になれば川中島の合戦でも湊川の戦いでも、好きな時間に行ける道具だ。これを作った奴が用心深くて、タイムマシンに武器まで内蔵してくれて助かった。もっともタイムマシンに指示するワイヤレスマイクを盗まれたとき用に、一定の距離を離れると鳴り出すと同時に、位置情報まで知らせてくれる紛失防止タグを、タイムマシンとマイクの両方に貼り付けたのは俺だがね」
「俺たちをどうするつもりだ?」
「商売の邪魔をしてくれたからな。誰も助けに来られない外国の砂漠に放り出す。お前等二人を始末したら、また元の江戸時代に戻って商品仕入れの続きだ」
 龍乃進は震え上がったが、膝をやられては切りつける事も出来ない。すると、雷蔵がスッと近づいて
「旦那、あっしら二人が助かる為だ。あいつの注意をほんの少しでいいんで、逸らしてくれないかね?」
「注意を逸らすだけで助かるのか?」
「ええ。あっしを信じて頼みます」
 龍乃進の手には先ほど土産屋で買った扇子が握られていた。こうなったら信じるしかないと思った龍乃進は、いきなり逆立ちを始めたかと思うと、右手だけで立ち続け、左手で扇子を広げ
「アッパラピーのプー!」
 と叫びながらブーッ! と屁を放ったのである。
「うわ! 何だ、何だ?」
 と黒羽織の男が思わず巾着袋から一瞬手を離して、龍乃進の方を見たときに雷蔵の手がスッと動いた。

「さて、着いたな。ここでお前等二人とはお別れだ」
 見渡す限り砂しかない荒野に三人が降り立つと、黒羽織の男だけ腰から下げた巾着袋を構えながら、雷蔵と龍乃進から五歩ほど離れた。
「変な動きをするんじゃないぞ。タイムマシンの半径一メートル以内の人間を、一七五三年の江戸市中に時間移動させろ」
 と、黒羽織の男がワイヤレスマイクにしゃべった。その途端、雷蔵と龍乃進の方が砂漠から消えてしまい、黒羽織の男が置き去りになった。

「何であいつではなくて、俺たち二人の方が江戸に戻ったのだ?」
 龍乃進が雷蔵に聞くと、雷蔵は懐から黒羽織の男が大事に持っていたはずの金属製の箱を取り出した。
「旦那、あっしの職業はスリだぜ。隙さえあれば、巾着袋の中のたいむましんとみたらし団子の包みをすり替えるくらい朝飯前だ」