「ねこのおまわりさん」川島怜子

 最近、愛猫のフクが夜にでかけて、明け方まで帰ってこない。猫がなわばりをパトロールするのはよくあることだが、フクはいつも暗くなる前に帰ってきていた。飼い主の夏希は心配でしょうがなかった。
 フクは、夏希が手作りしたピンクのリボンがついた首輪をつけている。気に入っているようだ。
 フクがでていくそぶりを見せたので、夏希は慌てて、お気に入りの猫じゃらしをふってみたが、フクは一瞥しただけで、さっさとでていってしまった。
「……よし、あとをつけよう」
 夏希はフクがなにをしているのか探ることにした。
 フクはしっぽをピンとたてて、さっそうと町を歩いていく。そして、人気のない通りにある、知らない店の中へと入っていった。看板には「クラブ キャット」と書いてある。踊るクラブのようだ。
 夏希はクラブに潜入することにした。受付で手続きを済ませ、ドリンクチケットをもらった。今日は女性は無料の日だと聞かされた。
 フロアでは大音量で音楽がかけられ、たくさんの猫たちが、曲に合わせてしっぽをふったり、飛び跳ねたりして踊っている。ちらほらと人間の姿も見える。
「ねえねえ、あなたたち、モデルに興味ない? 私、ファッション誌『月刊 猫セレブ』の者なんだけど……」
 猫をスカウトにきている人が多い。その中でも、猫マニアだという男の人が、しつこく三毛猫に話しかけていた。
「ねえ、その綺麗な肉球で僕をビンタしてくれたら、お小遣いをあげるよ」
「絶対にイヤ!!」
 三毛猫は、毛並みをふくらませ、シャーっと威嚇の音をたてて怒った。
「セキュリティ! 変質者よ!」
 呼び声に、シベリアンハスキーが数頭現れ、たちまち男性をどこかへ連れていった。
「ねえ、あの人、どうなるの?」
「え? 迷惑な人はつまみだされるのよ」
 話しかけると、三毛猫が教えてくれた。シベリアンハスキーはボディガードとして働いているそうだ。
「さーて、カシオレでも飲もうかな。あなたも飲む?」
「カシスオレンジ?」
 人気のカクテルだ。
「なに言ってるの。かつおぶしオーレよ。猫用ミルクとだしの味がおいしいんだから」
「えっと……今度にするわ」
 夏希は一気に飲む気がなくなった。フロアをうろうろしてみたが、周囲は猫だらけで、フクの姿はなかなか見つけられない。
 そのとき、にゃあああっと歓声があがった。お立ち台の上で猫たちが踊りだした。
「嘘……! フク!?」
 お立ち台の真ん中にいるのはフクだった。首輪にスワロフスキーで「☆FUKU☆」と夏希が縫いつけた文字が、スパンコールのように光を反射している。かわいいメロディに合わせて、猫たちはラインダンスを踊り始めた。
 ふわりと煙が漂ってきた。見ると、猫のカップルが巻きタバコを吸っていた。
 フクには声をかけずに帰ろう。夏希はそう思い、フロアからでていこうとした。
「ちょっと、そこのカップル! なに吸ってるの!」
 さっきの三毛猫だった。腰に手を当てて怒っている。注意された猫のカップルはふてくされている。
「私はマトリよ。覚悟しなさい」
「マトリ……!」
 カップル猫はぶるぶると震えだした。麻薬取締官をマトリというと聞いたことがある。この猫のカップル、薬物に手を染めているのだろうか。
 仲間だと思われて、一緒に逮捕されたら困る。そう思った夏希はうしろにさがった。フロアにいる猫たちが見物しに集まってくる。知らない猫が夏希に話しかけてきた。
「まさか、マトリが張ってたとはねえ」
「マトリって麻薬取締官?」
「やあだ、違うわよ。マタタビ取締官よ」
 マタタビを使うと、猫によっては泥酔したり、熟睡するので、クラブで使うのは禁止されている。自宅で楽しむ分には問題ない。
「そういえば、マトリって、おまわりさん?」
「え? さあ? そうなんじゃない?」
 フクにも家の中でたまにマタタビをあげている。外で与えないで良かったと夏希は胸をなでおろした。
「ちょっと、そこのマトリ、待った!!」
 大声が聞こえた。見るとフクだった。夏希は慌てて、身を低くした。フクは夏希には目もくれず、つかつかとマトリ猫のところまで歩いてきた。
「その案件は、こちらに任せてちょうだい。私は公ニャン。内偵の仕事なのよ」
「公ニャン……!」
 マトリ猫が驚いている。近くの猫をつかまえてたずねると、公安のことだった。
「ねえ、公ニャンっておまわりさん?」
「さあ? そうなんじゃない?」
 小声でたずねると、キジ猫は興味なさそうに答えた。おまわりさん猫が二匹もいるなんて。夏希は驚いた。
 三毛猫は声を張りあげた。
「あなた、お立ち台で踊ってた猫よね? うまく化けたものね。でも、今回は公ニャンは手を引いてもらえないかしら? マタタビは公ニャンさんの管轄外よね?」
「いえ、マタタビとは別の案件なの。守秘義務の関係で詳しくは話せないんだけど。それに、こっちも上司の指示で動いているの。……困ったわね。別にマトリさんと争いたいわけではないのよ」
「私も同じ意見。公ニャンと争いたいわけではないわ」
「じゃあ、手柄を半分こにしない? マトリと公ニャンで分けましょうよ」
「賛成! それ、いいわね」
 見物の猫がどんどん集まってくる。セキュリティのシベリアンハスキーが様子を見にきた。
 夏希はしゃがんでいたため、猫のしっぽが何本も顔に当たった。くすぐったくて、立ちあがったら、こけて倒れ、床で頭を打った。
「セキュリティ、こっちにきて!」
「どうかしましたか?」
「人間の女性が気絶したわ! ほらここよ」
「奥に運び、診察してもらいます」
「……じゃあ、マトリと公ニャンで、今日から親友ね。……え、なに? どうしたの? ……やだ、夏希じゃないの! なにやってんの! ちょっと! バカ夏希! さっさと起きなさいよ、こら! ……夏希――!」
 意識がもうろうとしている夏希の耳に、フクの涙声が聞こえた。そして夏希は完全に気を失った。

 目を開けると見慣れた天井だった。
「……え? 夢?」
 いつのまにかソファで眠ってしまっていたようだ。枕元にはフクがいた。
「ねえ、フク、変な夢を見たのよ」
 夏希はフクを優しくなでた。フクはのどをゴロゴロと鳴らす。ブラッシングをしたり、猫じゃらしで遊んだりした。いつものフクだった。
「……やだ、もうこんな時間。急いでシャワーを浴びてベッドで寝るわ」
 夏希は慌てた様子で浴室へと向かった。ひらりとポケットから紙が一枚落ちたが、夏希は気づかなかった。
 フクは急いで紙を拾いあげた。
「夏希ったら、ドリンクチケット、まだ持ってたのね。ふう、危ない危ない」
 フクはチケットを破ってゴミ箱に捨てた。それからひらりと電話の横に飛び乗った。慣れた手つきで電話をかける。
「もしもし、セキュリティ? うちの夏希を犬ぞりで運んでくれてありがとう。ええ、ええ。夢だと思ってるみたい。うまくいったわ。またお店にいかせてもらうわね。そうね、今度は仲良くなったマトリさんと一緒にいくわ……え? 私たち、おまわりさんじゃないわよ。マトリはマタタビ取締官で、公ニャンは警察の中にある組織……え、なに? ややこしくてよく分からない? あー、分かった分かった、じゃあ、おまわりさんでいいわよ。私たち、最高にかわいい、猫のおまわりさんよ……」
 フクは上機嫌で喋り続けた。