「小石」澤井繁男

 信濃は山国である。
 初秋ともなればさまざまな色合いに染められた葉が陽光に映え、きらきらと輝きが目にしみて来る。ここの土地の岩や石には生命が宿っていて、守護職の竹井三郎幸隆は当初はおどろいたが、いまでは自慢に思っている。蕎麦だけしかこれといった産物がないのだから、岩石に命と感覚が含まれるのはむしろ天の配剤だろう。岩には雌雄のべつがある。あるとき幸隆は、ユリの花のオシベを採取して、庭先の岩の裂け目に押し込んだら、いったい何が起こるかと想像してみた。生き物なら内部で受精するはずだろう。そして何かを産するに違いなかろう。ともあれ岩の性をメスと見定めてのことである。幸隆は受精で生まれ出てくるはずのものを用いてある策略があった。当時、室町から戦国時代にかけて、信濃の、今の松代辺りで、地侍の新丸五郎義重が権勢を誇っていた。守護職にある竹井家にとっては目障りな存在で、なんとかして「排斥追放」したかった。
 幸隆は機が熟すのを待った。オシベを切れ目に押し込んだのが、昨年の初春だから、もうそろそろ小児(こども)が生まれてもいいのではないか。すると気温が上がるにつれ岩が苔むしてきて、ついに全体が苔におおわれた夏至の頃、岩の子宮がやぶれて、小石がぼろぼろと外に転がり出た。あるものは土をうがってもぐり、あるものは転がり出てどこかへと去っていった。幸隆のもとには十個くらいの小石が残った。やはり岩の裡で受精が起こったのだ。幸隆の目に狂いはなかった。そして岩にも性別があることをいかにも不思議だと思ったが、あまり地味の肥えた土地柄とは言えない信濃国の宝として守るべき資産で、他国の者にめったに喋ってはならぬと自戒をこめ、それらの小石にはきっと何らかの力が秘められているだろうと踏んだ。
 そこでさっそく幸隆は一計を案じ、城下の石工の棟梁与衛門を召し出した。幸隆の御前でちぢこまっている与衛門に、幸隆は与衛門よ、かの地侍新丸一族の文武に秀でた頭(かしら)である五郎義重の力を探って来てもらいたい。それでこの小石をわたすから五郎義重にみせて、石の効能を見抜けるかどうか確かめるのだ、どうだ? 効能でござりますか? そうじゃ、この石にはある力が潜んでいると儂には思えるのだが、儂には見抜けぬゆえに知見の広い五郎義重殿にお願いいたす、と伝えてほしい。与衛門としてはご領主様からのたっての願い。断るわけにもいかず、石を押し頂いて、さっそく五郎義重の下に出向いた。五郎義重は評判通りの兵(つわもの)で、拝謁の座敷には与衛門風情の理解を超えた書が床の間にかかっていた。与衛門は座敷が身分不相応の場だとは知っていた。庭先で充分なのだ。ただ自分が守護職竹井家からの遣いゆえの待遇だからだろう。畏れ多いことだ。
 そこへ五郎義重が現われた。与衛門は平伏した。よいよい、まずは面(おもて)を上げよ。ははあ。与衛門は義重の膝に視線を合わせた。竹井様のご用事とは何でござる? はい、みどもが持参しました「小石」をご覧の上、その効力をお計りいただきたく……。小石か。はい。ですが、単なる小石ではなく、裡に何らかの力を宿しているのだそうでございます。ほう、力とな。竹井の殿様がそう申されたのか。そうでございます。ご覧いただけますでしょうか。むろんじゃ。与衛門は用人に石をわたした。すぐに義重の手にわたった。小石にしては重いの。はい、効能がありますゆえ。そう答えた与衛門には、義重が矯(た)めつ眇(すが)めつ石を眺めている姿が映った。これは品格があってたいそう美しく高尚な石じゃ。福眼に預かった。竹井様にお礼を申し上げてくだされ。ははあ、とかしこまった与衛門だが、五郎義重は小石の美しさや気品は褒めたが、肝心の効力については一言も言い及ばなかった。与衛門はそれを問おうとしたが、気おくれして言い出せず、城にもどって、ありのままを幸隆に伝えた。
 そうか、気品だけはわかったか。だが目当ての力のほうは無理だったか。幸隆は石工の与衛門を使者にしたのが、ひょっとしたら間違いのもとだったかもしれない、とあくまで五郎義重の眼力に信を置いていたので、今度は金細工師の作三(さくざ)を召し出して、同じ内容を伝えた。作三は何か感づいたらしく、一瞬、宙に目を遣ると、承知つかまつりました、と答え、石を三個いただけますでしょうか。一個ではまずいのか。はい、念のため数個の方が、新丸の殿様にも比較ができてよろしいかと。それもそうだ。好きなだけ持ってゆけ。ありがとうございます。作三はすぐに五郎義重の屋敷に向かわず、城外で三個の小石に目を凝らし、殿の仰せの力とは何かを考え巡らした。金細工に長けた職人としての矜持もあってか、他人(ひと)事ではすまされない。こちらが先に効能を見定め、五郎義重を試すかたちの方がよいだろう。かなりの重量があるこの小石の裡なる可能性とは何か。殿様は城からの去り際に、これなる小石がみなメスの岩石の子宮から地にこぼれ落ちたものだ、と庭の片隅の岩を指さして、信じ難い示唆を与えてくださった。岩石に子宮があるのかどうかさえわからなかったが、信濃国の言い伝えに岩にも石にも雌雄のべつのあることは知っていた。だがその実物を目にするのは初めてで、からだが震えた。小石は岩の小児に当たるわけだ。ならば息をして生きているはずだ。作三は石を耳にあてて息の音(ね)を確かめようとした。すると裡から、呼吸の音、人間なら心の臓に当たる鼓動も遠くから聞こえて来た。そうかこうした生命の力が素で何らかの力を発揮するに違いない。しばし沈思黙考してから、三個にたいして作三は、ある奇策を胸に潜めて出発した。
 五郎義重はまた来たかと口許に微笑をたくわえ、作三と、今回は庭先で面した。作三は考えを練って身につけた自信を心中にみなぎらせて、殿さま、もう一度お確かめください。あの小石のことかな? はいそうでございます。今回は三つでございます。ほう、三つか。竹井様も諦めがわるいお方じゃのう。はい、殿には何か存念があるようなのです。どれどれまたみせてみよ。作三は与衛門と同じように用人にわたした。それを五郎義重が受け取って眺めた。作三はその石が生きているとは知らせなかった。この知識は金細工師の特権だと信じていたから。
 五郎義重の反応は与衛門のときと寸分も変わらなかった。ただただ高邁で美しく気品に充ちた石だと答えるばかりだった。石はすぐに作三の手に、一個ずつもどされた。作三はかしこまって、殿様、この小石、実は生きているのです。お気づきになりませんでしたか。五郎義重は縁側に走り寄って身を乗り出し、ばかを申せ、石が生き物であるはずはないわ。拙者をたばかる気なのか。いいえ、滅相もございません。この小石には母親がいるのは確かなのです。ほう、母親がのう。はい。ではその証を立ててみせよ。かしこまりました。それでは、と作三が言って、まずこの最初の石を握りしめますと、お庭の池の鯉の数が三倍に増えるはずです、と言い切って、握りしめた。鯉が三倍にだと? 外記(げき)、みてまいれ、と初老の用人を顎でしゃくった。外記は草履をつっかけて、庭の奥の池に急いだ。後ろ姿から入念に池をのぞきこんでいるのが見て散れる。振り返って叫んだ、お屋形(やかた)様、ほんとに三倍に増えていますぞ。ご覧くださいませ。まことか、と腰を浮かせた五郎義重は、さっと庭におりて池に向かってすたすた歩いていった。おお、これはたまげたものだ。増えておるな! 踵を返して、作三と申したな。いまのは秘術か、それとも妖術か。もどって来た五郎義重に、いいえ、この石の効能です、と作三はしずかに答えた。
 たいしたものだのう。はい、これらの石はみな生きていてなんらかの力を裡に宿しているのです。その力を引き出すのがわたしの役目なのです。そうか、そちは秘術使いかの? いいえ一介の金細工師に過ぎません。魔術師と言う者もいますが……。ではその次の石の効果をみせてくれ。はい。作三は二個目の石を掌にのせ、これを握ると蕎麦が小麦に変わりましょう。えい、と掛け声を胸の奥で絞って握った。さあ、ご用人殿、お城の外に出て、田畑をお調べくだされ。外記、すまぬが行ってまいれ。よろしゅうございます。そんなことが起こっているとすれば、天変地異の先触れぞ。外記は腰を多少とも「つ」の字型にし、そこに左手をあてがって城外に去った。ここはあくまで比較の上だが、五郎義重の屋敷は城と呼べるほどの造りではなく、砦に映った。殿ではなくお屋形様と呼ばれているのがその証だ。庭の池も鯉もなんとなくそぐわない。だが、このぎこちなさが新丸一族の底力なのだろう。洗練された守護大名からすると不気味なのだ。半時ほどして外記が、あたふたとうろたえながらもどって来た。お屋形様、この目でみてまいりました、ほんとうです。小麦畑に変わっています。今年は豊作です。五郎義重は目を丸くして、まことか、蕎麦でなく小麦が。これでうどんが作れるのう。お主、小麦が蕎麦にもどってしまうことはなかろうな。はい、竹井三郎幸隆公に刃を向けることがなければ。おお、それはない。このような豊かな土地があるのだから。年貢を納めてもよいぞ。そうですか。殿にお伝えします。さあさあ、それでは最後の石を握ってみてくれ。
 わかり申した、といって作三は三個目の石を、歯を食いしばって、掌のなかで、精一杯の力で握りしめた。とたんに作三の姿が石もろとも宙に浮き、透明となって五郎義重の前から消え、幸隆公の城の庭先にあった。そのとき公は庭の植木に鋏を入れていたが、ふとひとの気配を感じて振り返った。幸隆公は、突然現われた作三に驚いて尋ねた。いったい何が起こったのだ? そうか五郎義重が石の効能を言い当てたのだな。しかし作三は金細工師の矜持で、自分が握っての結果であることを伝えた。それでは五郎義重の力量ではないのだな。……そういうことになります。ならば役目を果たしてはこなかったことになるではないか。作三にしてこのありよう、何たる失態! 申し訳ありませぬ。新丸一族排斥追放の件は幸隆の脳裡から消えずに残った。石が一種の宝石でその効能が、鯉の数を増やすこと、蕎麦を麦に変えること、握った者を透明にすること幸隆に伝えたが、これらはみな作三の功績で、五郎義重の才覚ではない。幸隆公は熟考してこのことに気がついた。岩石に備わった力を作三の策術で生かしめたのだ。それにしても作三の見事さよ。石の意図を何らかの形で作三が感覚した、そうなのに決まっている。あやつは透明となり空を翔ける人間になったに違いない。石にも感覚があって、互いに通じ合うもの、共感し合うものを両者が共有していているのだ。身分は低いがこうした力を身につけている男は優遇するのに越したことはない。
 作三は自分の姿が消えたとき、消えたと思った。不思議な感覚だった。全身が浮いて透明になった自分をみつめているのは自分しかいない。その事実が彼を歓ばせた。そして他人からはみえなくなった四肢が勝手に動いて、犬かきさながらに手足をバタつかせて幸隆公の庭先に向かっている自分がいた、すれ違った眼下の道行く農夫たちにも気づかれず……手に小石を握ったままだ。石は確固として大地を成すモノだが、それを握っている作三自身は透明という実体のない人間になっている。実在する所有者から実在性を奪う力が備わっているかもしれない。いまさらながらおどろいた。さらにおそらく小石はその能力を察知している者にしか効果をもたらさないに違いない。そして二個を棄て、三個目の小石だけを懐に潜ませた。
 
 幸隆は庭でことを成し遂げてきて鼻を高くしている作三に言った。作三よ、いまの報告によると、お主は自分の雅量を報告しただけで、五郎義重のそれは申しておらぬが、どうだ? これでは出兵しなくてはならぬがの。儂の申していることがわかるか。五郎義重に自分と同じくらいの眼力や教養があることなど全くわかっていないではないか。もういちどよく想いを巡らせてみよ。一方で幸隆は作三が突然帰って来た件については、幸隆自身も説明がつかないが、石の効力で、そうした石を産出し得る、ここは恵まれた土地柄だと考えれば得心がいった。
 だがそれでは話は終わらない。作三、まだ残っている石から選んで再び先方に出向き、義重の真なる力量を調べてまいれ。こんどはあやつに握らせよ。……はっ。思わぬ命令だった。期せずして首をひねったが、そうかそう言えば殿の仰せの通りだ、と得心するのに時間はかからなかった。作三は岩を横目に石を、今度は一個だけ拾い、立ち去った。あとはなるようになるしかない。小石の効能が新丸のお屋形を魅了するかどうか、情(おも)いを小石に託すしかあるまい。五郎義重にその力がないことはすでにわかっているのだけれども、双方に共感し合える「親和力」がもし備わっていて初めて成ることでもある。うまく行けば五郎義重も納得するはずだ。
 五郎義重は二度目、いや正確には三回目の職人づれの訪れに多少とも不機嫌だった。また来たか、勝手に消えたそなたが何用ぞ。いい加減にせい。幸隆公の心根はなにか。それでは申し上げます。公はこの小石の効能をお屋形さまに解いてほしいとのご意向なのです。拙者は褒めたはずだが。はい、それは外見であって中身ではありませんでした。与衛門もわたくしめも「効能」を、とお伝えしたはずですが。……そう言えば確かにそうじゃった。ふむふむ。だがそれは拙者には荷が重すぎる問いかけじゃ。拙者は武士で金細工師ではない。技(わざ)は持たぬ身よ。しかしながら、愛でるだけではなく、掌にのせ握ってくださらなければ結果はわかりませんゆえに。そういうものかのお。はい。技は実行の裡にこそその姿を顕わすものです。
 外記、どう思う? はい、この者の言うことにも一理ある、と。そうか、そうよのう。では外記、持って参れ。作三は外記にわたした。結果は目にみえていたが、職務を果たさなくてはならぬ。
 五郎義重は受け取ると、右の掌でころがしてみてから、ぎゅっと握りしめた。作三と外記は目を凝らした。……消えなかった。ただ宙に少し浮いた。三人一緒に、あっ、と叫んだ。とりわけ義重は、浮いたぞ、と声を上げた。兵と小石が共感し合ったのだ。作三は胸を撫でおろした。これでお役目は果たせた。幸隆公にはありのままを伝えればよい。戦をするかどうかは幸隆公の算段に任せるより手はないだろう。工匠の出る幕ではないのは充分承知だ。
 城への帰路、作三は懐に入れておいた例の三個目の石を取り出して、再度握りしめてみた。だが浮遊感は生じなかったし、自分が透明になっていないことを寸時に察知した。奇蹟は一度しか起こらかった。小石が一回こっきりの生命(いのち)を燃焼させたのだ。けれども作三の心底には不思議とある達成感が芽吹いていた。
                               〈了〉