ゆったりと目が覚めた。
目覚ましの音に起こされるのではなくて、自然に目が覚めたんだ。そしてきょうは学校がおやすみなのを思い出した。
とてもいい気分だった。さっきまで何だかふんわりした夢を見ていたような気がしたけれど、どんな夢だったのかは思い出せなかった。
わたしってそうなんだよね。目が覚めて、今さっき自分が夢を見ていたなと思う事があっても、どういう夢だったのかが思い出せないことが多いんだ。
起き上がってベッドから床に足を降ろした時、スリッパの横に何かが落ちていた。拾って目の前に持って来るとどうやらパンくずみたいだった。指で押さえてみるとまだやわらかだったのでそんなに古いものじゃないようだ。でもわたし、この部屋で最近パンなんか食べたりしたことはなかったはずなんだよ。
部屋を出ようとしてドアの取手に手をかけた時、その足元にもパンくずが落ちているのに気がついた。ドアを開けると廊下にもパンくずが点々と続いてる。
そのパンくずにさそわれるようにして階段を降りて、外へ出る玄関のドアの前まできた。ドアには鍵が掛かっている。ふり向いて、壁の時計を見る。パパもママもまだ眠っている時間だ。
ドアを開くと、ポーチの石のタイルの上から、庭の向こうまでもパンくずは続いている。それをずっとたどって庭を出て、路地を歩いて広い道路へ出る。
さっき目が覚めたばかりなのでお日様がまぶしかった。
大通りへ出て、たくさんの自動車の通る道路の歩道をどんどん歩いた。歩いて歩いて、歩き続けた。もし、今まで落ちていたパンくずを全部拾って集めたら、多分、もうコッペパン五個ぐらいにはなるかもしれないぐらい歩き続けた。
だんだん建物が少なくなってきて、パンくずは、わたしが来たことのない、町のはずれの林の間へと続いていた。それでも歩いて行くうちに道はだんだん細くなってきて、とうとう大きな薄暗い森の中へ入ってしまった。その森を奥へ奥へと歩いていると、わたしは昨日見た夢の中の出来事を思い出し始めていた。
「そうだわ、夢に出て来たのはこの森だったんだ」
そうそう、夢の中のこの森に、おばあさんの住んでる家があったんだよね。わたしがその家の前を通りかかった時、ドアが勢いよく開いておばあさんが家の中から飛び出してきたんだ。
「ああ、困った、困った。シナモンの枝がなくなってしまった」
そう言いながら頭を抱えているおばあさんとわたしの目が合った。
「だれだい? あんたは」
わたしは正直に自分の名前を言った。
「ふん。そんなへんてこな名前の女の子なんて知らないね」
「何に困ってるんですか?」と、わたしは聞いてあげた。
「魔法を使うのに絶対必要な、先祖代々のシナモンの枝がなくなったのさ。たぶん小鬼の奴が持ってったに違いない。シナモンの木はこの森には生えていないと言うのにさ。ああ~、困った、困った。魔法が使えてる間にどうしてシナモンの枝の複製を作っておかなかったんだろうね」
「ふーん。シナモンの木ならうちあったわよ。リビングの鉢植えに、たぶん『シナモン』って書いたカードが刺さってたけど」
「そ、それはどこなんだい? お前の家はどこだ?」
わたしはわたしの家の所番地まで教えてあげた。ついでに電話番号もね。
「なんじゃそれは。この世界にそんな場所があるわけないだろ」
それはしょうがないかもしれない。わたしは夢を見てて、おばあさんはその夢の中の住人なんだからわからなくても仕方がない。
「おお、どうかそのシナモンの枝を一本取って来ておくれ」
わたしは説明した。この森は、わたしがいま夢に見ている夢の中の場所だという事を。
「ふむふむ、そういうことか。それならば歩いて帰ればいいさ。このパンを持ってお行き。小さくちぎりながら道に落として行って、帰って来るときの目印にするんだよ」
そう言っておばあさんはわたしの身長ぐらいありそうな大きなパンを持たせてくれた。
「でも帰り道がわからないわ。まあ、これは夢なんだから、目が覚めれば自然と帰れるとは思うけど」
「だめだめ。目が覚めて帰ったんではここに戻って来られないのさ。歩いて帰らなくちゃね。このまま森のはずれまで行って、そこから先は目をつぶって時々パンくずを落としながら歩くんだよ。夢の中だから、目を閉じてても何にもぶつからず、必ず帰れるからね。そして、ちゃんと帰れたらシナモンの枝を持ってパンくずを目印にまた来ておくれ。頼んだよ」
そうなんだよね。
目が覚めた時はすっかり忘れてたんだけど、そんな夢を確かに見たんだ。そして、わたしが落としながら帰って来たそのパンくずをたどってわたしは今、その夢の中の森にもどってきたってわけ。歩いているうちに、だんだんその夢を思い出し、森の中のおばあさんの家の前までやって来た時には、きっちりと細かいところまで、全部思い出していたんだ。
ということは、歩きはじめた時はおばあさんとの約束を忘れていたので、とうぜんシナモンの枝を持って来るのも忘れていたわけなんだよね。
その時、おばあさんがわたしの足音を聞きつけたのか、家から飛び出してきた。
「シナモンの枝はあったかい?!」
「そ、それが……」
わたしはおばあさんに今までのことをお話しした。
「そうかいそうかい。それはしかたがないかもね。夢なんだから忘れることもあるかも知れないさ。それならば、もう一度、今度は忘れないようにメモを持って帰ればいいよ」
そう言うとおばあさんは羊皮紙とかいうものにインクをたっぷり付けたペンでこう書いたんだ。
『シナモンの枝を一本持って、パンくずを道しるべに、森の中の家へ』
わたしはそれをパジャマのポケットに入れて、もう一度家に歩いて帰る事になった。そこでわたしはまだパジャマのままだったことに気が付いた。ま、いいか。
道にわたしが落としたパンくずは、まだそのまま残っていたので今度はただ歩いて帰ればよかった。森に住んでいるリスが、そのパンくずをいくつか食べているのが見えたけれど、たくさんあるので、すぐに行って帰ってくればまあ大丈夫だろう。
森の外れで目をつぶってそのまま歩きつづけた。
じんわりと目が覚めた。
目覚ましの音に起こされるのではなくて、自然に目が覚めたんだ。そしてきょうは学校がおやすみなのを思い出した。
でも、なんだかちょっと体が重く、起き上がる気分になれず天井を見ていた。さっきまで長い長い夢を見ていたような気がしたけれど何も思い出せなかった。わたしってそうなんだよね。夢って、起きたしゅんかんに、たいてい忘れちゃってる。
ぐっすり眠ったにしてはなんだかとても疲れていて、足が痛かった。で、そのまま二度寝してしまったみたいで、ママに起こされた時にはもうお昼近くになっていた。まあ、お休みの日はみんな朝寝坊するんだけどね。
食卓の前に座るとパパが言った。
「なんだよおまえ。まだパジャマのままじゃん」
「ありゃ。ほんとだ」
そう言いながら見ると、パジャマの胸ポケットに何かが入っていた。
へんてこな紙に文字が書いてある。
『シナモンの枝をありがとう。一生恩に着るよ』
うーん。何のことやらわからなかった。
柔らか食パンをちぎって口に入れた時、何かを思い出しそうになった。
「シナモンの枝。パン。シナモンの枝。パン。シナモンの……」
頭の中でなんどもくりかえしたけれど、やっぱり、けっきょく、さいしゅうてきに、なーんにも思い出せなかった。