「いない世界」飯野文彦

 あの人がふいに死んで一ヶ月あまり。葬儀や諸種の手続きやらでばたばたしてしまい、やっと人心地ついた昼下がりだった。
 あの人の仕事部屋に入って、机に向かって坐ったとき、ノートパソコンの電源がついているのに気づいた。ロックがかかっていると思いながらも、開けて見ると、すんなりワープロソフトの画面が映し出された。
 そうか、あの日、とつぜんだったから。ちょっと横になって、起きたらつづきを書くつもりでいたのだ。だから、ふだんならわたしに見られるのを警戒して、電源を切るか、ロックをかけるはずなのに。それもできず、そのままになっていた。
 生前、ことのほか原稿を勝手に見られるのを嫌っていた。盗み読みするのも悪いかと思ったけれど、もういないのだから。「読みますよ。断りましたからね」そう口にしてから、文章を最初までスクロールした。


 ◇ ◇1

 三月二十日、日曜日。明日は春分の日、連休である。娘は週の半分近く、仕事で上京している。三歳の双子の孫、玲偉(れい)と琉偉(るい)は甲府で生活しているため、私はたぶんに子守りに時間を取られる。だが昨晩、連休中、東京で遊ばせると娘に連れられて上京した。戻るのは明日の夕方らしい。連れ合いも仕事で、戻りは火曜になる。というわけで、昨晩から明日の夕方まで、私は一人、子守りの必要もなく自由である。
 岡島百貨店近くのファミマから戻ったのは、午後四時近くだった。面倒くさかったけれど、外はまだ明るく、この時間から買い置きしてあるウイスキーというのも何なので、場つなぎとして缶酎ハイを買いに出たのだった。
 二階の自室で、ルチオ・フルチの『マンハッタン・ベイビー』を見ながら飲みはじめた。ルチオ・フルチは二十代の頃、熱狂した。当時『マンハッタン・ベイビー』もレンタルしたはずだが、酔って見たのか、記憶にない。どうにか見られないかといじいじしていたのだが、U-NEXTで独占配信されたと聞いて、とりあえず入会。無料お試し期間のうちに見てしまおうという腹積もりである。
 五百ミリリットル九度の缶酎ハイを、三十分ほどで飲み干した。まだ外は明るい。買ってきた缶酎ハイはまだ二本残っているが、どうもべったりとした甘さが引っかかる。
 もういいや。それじゃ、どうする? まだウイスキーには手を付けたくない。でもほかにアルコールはないし、また買いに出るのも面倒だし……。
 階下に降りて、さてどうするかと考えたとき、玄関の棚に飾ってある〈いいちこ二十度、二百ミリリットル〉が見えた。円柱形の白いプラスチック容器に入ったやつである。
 なぜそこにあるかというと、我が家に神棚はなく、代わりといったら安直かもしれないが、神社のお札なんかを、その棚に飾っている。そこに招き猫とけろっぴの人形も飾ってある。その前にお供えとして〈いいちこ〉を置いたのだった。
 お供えだから、飲むつもりはなかった。しかし、今日は違った。そうか、これを飲めよ、と言ってくれているのか。お猫さんとけろっぴが言ってくれている。
「いいよ、これを飲みなよ」
 勝手な解釈かな。
「はい、ありがとうございます」
 今日しか、これを飲む日はない。私は両手を合わせ、ぱんぱんと柏手を打ってから、いいちこを取った。二階の自室に戻り『マンハッタン・ベイビー』の続きは、またのお楽しみにして、ノートパソコンを開いた。
 書きたいことがある。お供えしてあった、この〈いいちこ〉を飲みながら、今、書かなくてはならないことがある。

    ◇ ◇

 文章はこれだけだった。もっと書いてあるかと思ったのに。肩すかしされた気分になった。ほかに保存してある文章を開いてみようか。そう思ったものの、できなかった。罪悪感とか、そういったものだけではない。
 何か、この書きかけの、日記とも創作ともつかない文章に惹かれる。電源を切るどころか、ワープロソフトを閉じることもできず、そのままにしてノートパソコンを閉じた。
 数日、そのままにしておいた。大して電力を消費するわけでもなし、オフにするのは何時でもできる。それでも、このままにしておいても仕方がないか。どうするか決めかねながら、ふたたびノートパソコンを開いた。
 読むともなく文章の最後を目にして、あれっと思った。こんな文章だったかしら? 少し前に戻しながら読んでも、記憶にない。だが、しばらく前に戻ったとき、思わず声に出して言った。
「ここまで。この間は、ここまでだった」
 その前を読んでみると、たしかに数日前に読んだものである。後方にスクロールして読んでみたが、前回にはなかった文章が増えている。そんなはず、あるわけがないのに。


    ◇ ◇2

 昨晩、上京する前、玲偉と琉偉が玄関の棚に飾ってある、お猫さんとけろと遊びたいと言い出した。前から遊びたかったというニュアンスも言った。手が届かない場所だが見えるので、そこにあるのは知っていただろう。
 そういえば以前、保育園に行く前のあわただしくしていたとき「取って」と言われたことがあるような気もする。しかし深く考えず「だめだめ神様だから。それより急いで。クックはいて」と取り合わなかった。
 どちらも二十センチちょっとの大きさの、瀬戸物である。けろっぴは私の守り神みたいなもので、手ごろな大きさだったそれ(貯金箱になっている)を飾った。お猫さんのほうは、かなり年季が入っている。
 戦後すぐ(だと思うが)建てられた祖父母の家の神棚に飾ってあったものである。二人が亡くなり、空き家となって老朽化も激しく、建て壊すことになった。そのとき神棚にあった煤だらけの招き猫。捨てる気になれず持ってきて、神棚代わりの棚に飾ったのである。
「取って」「遊びたかったんだよ」
 だめだめと喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。迷った。だが昨晩は下ろして、二人の手に預けた。
 最初は二人とも大切に扱っていたが、ちょっとトイレに立った隙にやられた。それまで紙切りに使っていた子ども用のハサミで、けろっぴは頭の後ろ、お金を入れるところを割られた。お猫さんも額を傷つけられた。
 前だったら、怒っていただろう。それ以前に遊ばせなかった。ではなぜ渡したか。
 私の頭にあったのは、木喰さんの話だった。木喰さんは山梨県生まれの、江戸時代の僧侶で、生涯に千体を超える仏像を彫りつづけた。その木喰さんの彫った仏像で、顔がつるつるになっているのがある。私も木喰さんの生まれた身延町にある「木喰の里微笑館」に展示されたときに見ている。
 どうしてそうなったかというと、子どもたちが雪の日、橇にして遊んだためだ。それを見た大人が、神様になんてことをするんだと怒った。とうぜんと思える。しかしその晩、男の夢に仏様が出てきて、逆に男を怒った。
「子どもと楽しく遊んでいたのに、何で止めたんだ」
 昨晩、私は酔っていた。飲みながら、二人に与え、見ていた。こころで思った。
 ――これでいいんでしょうか。教えてください、と。
 遊び終わって、傷ついたけろっぴとお猫さんを棚に戻した。その後、双子の孫たちは娘の運転する車で上京し、私は一人で留守番。棚に向かって両手を合わせて、今度は声に出して訊ねた。
「これで良かったんでしょうか。教えてください」

    ◇ ◇

 これが増えていた文章である。混乱しながら、あわててノートパソコンを閉じた。あの人が、どこかから見ているような気がして。
 次にノートパソコンを開こうと思うまで、一週間近くかかった。誰かに相談しようか。しかし決心はつかなかった。わたしがおかしいと思われるだけだ。わたし自身、誰かからそんな相談を受けたら。親切な素振りで対応はするだろうが、病院の受診を勧めるに違いない。
 この前の最後の文章は脳に刻まれ、はっきりと覚えている。今度こそ勘違いや思い違いするはずがない。そう思って、ノートパソコンを開いた。同じワープロソフトの画面、だがやはり、文章が増えている。


    ◇ ◇3

 今朝起きて、すぐに思い出したのではない。少し経ってから、二日酔いのぼんやりとした頭に、じんわりと浮かんできたのである。
 朧気なのだが誰か、どこかのおじさんのように感じられるのだが、私に話している。何を言っているのかよく分からないけれども、怒っているのではない。私を説得するような口ぶりで、何かをやさしく話している。
 夢なのか。何なのか。たぶん夢だったのだろう。そんな思いが浮かび、ピンと来るものがあった。
「そうか。お猫さんもけろっぴも、あれで良かったと言ってくれている」
 昨晩、もしもっと割れたら、接着剤でくっつけようと思いながら見ていた。
 昔、高校の修学旅行で京都に行ったとき、ふとんに坐ったお多福さんの陶器人形を買った。母に似ていると思って、おもしろくて買った。テレビの上に飾っておいたが、ちょっとした弾みで落として割れた。厭な気がした。接着剤で貼り付けて、そしてまたテレビの上に置いた。
 玄関の棚の前に行って、両手を合わせた。ごめんなさい、ありがとうございます。もしまた遊びたいと言って、もっと割ったりしたら、きちんと貼り付けますから、と思いながら。でも間違っていたら、言ってくださいね。とも思いながら。

 

    ◇ ◇

 ノートパソコンを閉じた。部屋に気配を感じる。あの人がいる。そして、いつかわからないけれど、この椅子に坐り、文章を綴っている。
 何のために。思ったとたん、愚問だとわかった。書くことしかできない人だった。それしか、できない人だった。だから死んだ今も、唯一できることをつづけている。
 一週間待った。すぐにでも開きたい気持ちはあったけれど、この前、一週間近くであれだけの量の文章しか増えていなかった。生前もそうだったが、筆の遅さは健在のようで、せめて一週間、待ってあげないと。


    ◇ ◇4

 双子を連れて上京してから二週間あまり経った四月の上旬、娘が車で事故を起こした。午後八時近い時刻。東京での仕事を終えて、一人で帰ってくる途中の出来事だった。
 疲れていたのだろう。居眠り運転で中央道のガードレールにぶつかり、二転三転。反対側のガードレールにぶつかって、やっと止まったという。大事故だ。軽傷で済んだのは、奇跡といっていい。近所のおじさんに話したら「拾った命だよ」と言われた。

 私にはわかる。双子が必死になって、守ってくれたのだ。ママを。スピリチュアルな話になる。東京の霊能力者に、娘が見てもらたとき、
「二人とも前世でも、あなたの子どもでした。しかし、前世のあなたがはやく亡くなったため、親孝行できず、現世で親孝行するため、またあなたのところに来たんです」
 前世では間を置いて別々に、兄弟として産まれてきた。今回は双子となった。

 琉偉「待って。ぼくもいく」
 玲偉「いいよ、お前は。後から来いよ」
 琉偉「だって、ママはシングルマーザーなんだよ。いっしょに行かなかったら、いつ行けるか」
 玲偉「しょうがねえな。十月十日、ひとりでのんびりできると思ったのに」

 切迫早産で、予定日より二ヶ月あまり前、帝王切開となった。産まれ出たとき、長男の玲偉は仮死状態で、すぐに人工呼吸を施し、事なきを得たと聞いている。
 ママを守るために、産まれてきた。信じる信じないではなく、双子を見ていて、わかる。先日、娘が東京の仕事に戻る前夜、弟の琉偉が娘に言ったという。
「ママ、明日とおしごと? ぼく、えーんえーんって泣くの。だってママといたいもん。宝ものだもん」
 娘が車で大事故を起こしたとき、双子が助けてくれた。それならと、寝る前に願った。
「おまえたち、がんばったな。力を使ったんじゃないのか。それなら、いいよ、じいじの命、持ってって。ママとおまえらが幸せになれるのなら。いいよ、六十まで生かせていただいた。じいじも、お前たちみたいに未熟児で、産まれたその晩に高熱を出して、医者から見放されたんだって。それでもガラス容器のなかで育って、今じゃ飲ん兵衛の還暦じじいだ。うん、充分だ。曲がりなりにも、小説だって発表できたし……。いいよ」

    ◇ ◇

 事故の起こった翌朝、孫の世話をするためいちばん早く起きるあの人が、仕事部屋から出てこない。様子を見に行ったところ、すでに事切れていた。
 ノートパソコンを閉じ、さらに一週間待とうと思った。わざわざ死んだ後も書いているのだ。これで終わりとは思えない。その予感は当たったのだが。
 一週間経つ前、そのときはわからなかったけれど、強烈に読まなくては――と強迫観念のようなものに襲われ、数日後、ノートパソコンを開いた。


    ◇ ◇5

 だが翌朝、私は生きていた。左足が痛んだけれど、それだけで済んだ。酔って転んで、どこかにぶつけたんだろう。よくやるから。でも家飲みだったし、転んだらほかのところも痛むはずなのに。それだけで、済ませてくれたんだね。じいじ、まだだめだよ、かな。
 と思っていた時、今16時32分だが、娘が電話をくれた。映像付きで観覧車で遊ぶ、双子の姿を見せてくれた。通じてるな、どこかで、今でも。
 二階の自室で、缶酎ハイを飲んでいる。お猫さん、けろっぴ、乾杯。玲偉、琉偉、ありがとう。(了)

    ◇ ◇

 スマホを見た。5月22日16時51分だった。二十分ほどまえ、娘が電話をくれたのは本当だ。しかし、わたしのスマホに宛ててである。
「あなた、いるのね?」
 返事はなかったけれど、わかった。いる。左足が痛んだだけなんて強がって。あの人らしい。
 ああ、そうか、左足。あなたのお父さん、左足が壊死して、切断したのを段ボールに入れて火葬場まで、あなたが持って行ったんだっけ。でも……。
「(了)なんて付けずに、そこらへんのこと、もっと書けばいいのに。お母さんに似たお多福人形のことも、もっと」
 割れたとき、お母さんに何かあるんじゃないか、心配になって、お母さんの無事を祈りながら直したって……。
 仕事部屋の隅に置かれた小型冷蔵庫まで行って、扉を開けた。缶酎ハイが二本、入っていた。一本だけ取り出そうとしたが、二本とも取り出した。机に戻り、両方のプルトップを開ける。一本はノートパソコンの横に、もう一本は脇に立って持ち、飲む前に缶と缶を合わせてから、喉を鳴らした。
 仕事部屋に置かれた簡易ベッドに腰をかけ、時間をかけて、一本飲み終えようとしたとき、机のほうからかすかにゲップの音が聞こえた気がした。起ち上がって、ノートパソコンの脇に置いた缶酎ハイを持ちあげると、空になっている。自分の、残っていたのを飲み干したとき、かすかに聞こえた、気がした。
「……メール……」
「わかった」
 ノートパソコンに向かい、あの人が使っていたメールソフトを開く。宣伝やダイレクトメールばかり。いや、お目当てのメールはわかった。一通きている。

寄稿のお願いです。

 頂いた「落花生」を掲載してまだ間が無いところ恐縮ですが、次の作品の寄稿をお願いしてよろしいでしょうか。こちらの希望といたしましては、五月末くらいにいただければありがたいです。
              伊野隆之

「まだ十日ちかくあるじゃない。まったく。時間も、わたしとの約束も、ぜんぜん守らなかったくせに」
 ついつい苦笑したとき、気がついた。明日で四十九日となる。もうこれ以上は。これが最後だったのだ。
 翌日、納骨を済ませると、雑事もそこそこノートパソコンを開いた。添付ファイルにすると、返信のメールを書いた。

 伊野隆之様
 お世話になっております。飯野に代わって、このメールを打っております。
 実はまだ公表していないのですが、飯野は先日、亡くなりました。今日で四十九日を迎え、ぶじ納骨を済ませました。四十九日が過ぎたら、知人の方々にご連絡しようと思っておりましたところです。
 先日、飯野のノートパソコンを開きましたところ、添付しました作品が見つかりました。ご依頼いただきましたSFプロローグウエーブ用に書いていた作品のようです。
 ふだんは三稿、四稿、五稿と手を加える人でしたが、お送りしましたのは初稿です。まだまだ手を加えたかったのかもしれませんが、送らせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 送信を終えたとたん、じっとしていられず、岡島百貨店近くのファミマへ向かった。冷蔵庫に入っていたのと同じ、缶酎ハイを二本、いや三本買った。
 一本は玄関の棚に。もう一本はあの人のノートパソコンの横に。そして、もう一本のプルトップを開けた。


 どうやら、俺のいない世界となったらしい。
 声を掛けても、道ですれちがっても、誰も見向きもしない。
 俺のいない世界、俺のいない世界。俺のいない世界。
 立ち去るか。
 その前に孫の、双子の顔を見よう。
 保育園へ行った。
 弟の琉偉は、園の庭で、元気に三輪車を漕いでいた。
 玲偉は?
 砂遊びをしていた。が、ぴくっと顔を上げ、私を見た。とことことこと駆けてきた。
 見えるのかい?
 声にならない声をかける。
 玲偉は、私を見つめ、笑った。
 全身が光となって、霧散した。

                 (了)