「海の向こうの気になる本 気になる人――ハンガリー編」深見弾(「SF宝石」1980年4月号)

海の向こうの気になる本
気になる人――――ハンガリー編

すぐれた“ガリヴァ文学”を残したもう一人の異色作家

深見 弾

 オルダス・ハックスリイの『すばらしい新世界』(一九三二)が現われる二年前に、それと非常によく似た、優るとも劣らないすぐれた作品がハンガリーで書かれていたことは、あまり知られていない。サンドル・サトマーリの『カゾヒニヤ』(SZATHMÁRI Sándor, Kazohinia)(大野典宏注:サンドル・サトマーリはエスペランティストであったため、題名だけはエスペラント語になっている。本書はハンガリー語で出版された後、エスペラント語でも出版された)がそれだ。
 現在はこの表題になっているが、五〇年に出た初版は、『ガリヴァのカゾヒニヤ国渡航記』であった。
 このハンガリー生まれの二人目(ハンガリー生まれの二人目:傍点)の(すでにフリジェシ・カリンティのガリヴァがいた)イギリスの船医は、未知の島にたどりつく。その島にある国では今まさに機械文明の絶頂期にあり住民のビヒンズ人たちは、完全無欠な統制のとれた生活を送っており、かれらには感情や欲望、芸術、政治その他あたり前の人間なら誰もが示す反応がまるでない。ガリヴァはたちまちそうした完璧な、だが冷え冷えとした(と、かれの目に映ったのだが)暮らし方に絶望する。そして、魂と人間的特徴を備えたビヒンズ人たちが、かれらだけの閉鎖的な居住地に住んでいると聞くや、頼みこんでそこへやってくる。ところが、結局かれは、自分が魂のない統制のとれた存在の虚しさから、強迫観念にとりつかれた狂人たちの息づまるような地獄の毒気に身を移したにすぎないことを知る。かれらの生活を律していたのは、自分たちの生活を破壊する神々や法、規則といったものだったのだ。ビヒンズたちから解放されると、かれは島から逃げだし故郷に帰る。
 この作品が発表された当時、批評家たちはこれをスウィフトを真似て世界中に現われた社会批評文学のハンガリー版だと評した。だが、同じように『ガリヴァ旅行記』の続編をものにして成功したF・カリンティは、このユートピアと諷刺とSFをみごとに融合させた『カゾヒニヤ』を高く評価した。作者はこの作品を書きあげたとき、最初にカリンティに見せており、かれは最高の理解者だといっている。
 たしかにこの作品が書かれたのはハックスリイの『すばらしい新世界』の二年前だったが、最初に活字になったのは一九四一年のことであり、厳しい戦時下の検閲制度のもとでだった。したがって表題だけでなく、内容も不充分なものだった。それにもかかわらず発売後たちまち売り切れてしまったという。戦後四六年に、大幅に手を加えた完全な版が出て、その後現在にいたるまで、数版を重ねている。
 サトマーリは、ハンガリー文壇ではアウトサイダーで、あまり評価されなかった。この作品が現われたときも、有名作家がペンネームを使って書いたものだろうといわれ、その後も長くそう信じられていたくらいだ。
 今でこそ英訳版その他があり、この作品は国際的に高く評価されているが、国外で認められるのが遅れたのはやはり、ハンガリー語という特殊な言語だったからだろう。
 面白いのは、この作家に最初に注目したのがエスペランチストだったことだ。『カゾヒニヤ』とともに、かれのもうひとつの代表作『機械の世界』(Gépvilág)は今ではエスペラント文学の古典となっている。
 カリンティとともに、すぐれたガリヴァ文学を残したこの異色作家は、一九七四年にこの世を去っている。