「日本SF史再構築に向けて――その現状と課題についての考察⑤」長澤唯史

山野浩一再評価の動き
 山野浩一がSFに積極的に関わったのは、おおよそ1980年代までだったようだ。81年に長編小説『花と機械とゲシタルト』を、83年に連作短編集『レヴォリューション』をそれぞれ〈NW-SFシリーズ〉として出版するが、『季刊NW-SF』は第18号(1982年12月)を最後に休刊、山野が顧問としてその創刊に深く関わったサンリオSF文庫も1987年に終刊する。私の確認できたものでは、1991年の河野典正『街の博物誌』の解説や『数学セミナー』1991年11月号に寄せた「情報の集合としての意識と原始的トラウマ」という1ページのコラム(『花と機械とゲシタルト』についての自己解説)のような、日本SF界の周辺からのコメントや雑感めいた文章が中心だった。
 その後、山野の文筆活動は競馬評論が主となるが、そちらでも数多くの優れた著作を残しているのはよく知られているだろう。この山野の競馬評論については、岡和田晃が『いかに終わるか: 山野浩一発掘小説集』(小鳥遊書房、2022)の解説で、比較文化論や文明論的な文脈と接続しその意義を的確に伝えているので、ぜひご参照いただきたい。
 山野は残念ながら2017年7月に病没(享年77歳)。だがそれ以前から、2011年の『鳥はいまどこを飛ぶか』と『殺人者の空』の復刊(いずれも東京創元社より)を契機に、小説家としての山野浩一については再評価の機運が高まっていた。山野の没後も、直後に静岡で開催された第56回日本SF大会(ドンブラコンLL)で〈山野浩一氏追悼パネル〉(パネリスト:荒巻義雄、増田まもる、巽孝之/司会:岡和田晃)が緊急開催され、同年には日本SF大賞功績賞が授与される。また翌年のSFセミナーにおいてもデーナ・ルイス(翻訳家)、高橋良平(フリー編集者)、大和田始(翻訳家)の各氏を迎えて再び〈山野浩一氏追悼パネル〉(司会・岡和田晃)が開催されるなど、その功績を振返り再評価する試みは、その後も続いている。
 そうした再評価の一つの成果が、先にも挙げた『いかに終わるか』だろう。山野に深く私淑しその業績を丹念に拾い集めてきた岡和田が編集し、既発表作品とはまた別の角度から、山野の芸術性と思想性に新たな光が当てられている。山野の時代や社会へのコミットメントが見事に浮かび上がってくる編者による渾身の解説も見事だ。
 その一方、山野の批評活動やその意義については、残念ながらいまだにその全体を捉えることができる形で書物にはまとめられていない。だが現在、岡和田が『TH(トーキングヘッズ叢書)』(アトリエサード)で「山野浩一とその時代」を連載中だ。現在(2022年3月)で18回目を迎えているこの連載が書物の形でまとめられるのが待ち遠しい仕事である。また山野の思想へのアプローチの一例として、前田龍之祐による「山野浩一論 SF・文学・思想の観点から」という論文もあげておこう。日本大学芸術学部の卒論として執筆されたもので、現在noteにて公開中だ。

 (https://note.com/ryumaeda0103/n/n14210e7ede6f)。山野が『宇宙塵』に投稿したごく初期の評論や、そこで繰り広げられた〈山野-荒巻論争〉の顛末、前回採り上げた「日本SFの原点と指向」や『季刊NW-SF』で展開したスペキュレイティヴ・フィクション論など広範に狩猟した資料を丁寧に解きほぐし、三島由紀夫や安部公房などの文学やマックス・ピカートなどの思想と接続しながら、山野の思想の全体像を提示しようとする野心的な試みとなっている。
 私もここまで個別の評論やコラムを参照しながら、山野の思想を総体として捉えるための作業を進めてきたわけだが、それは山野の同時代性や越境性を明らかにすることで、その山野の思想を十分に咀嚼しえなかった過去の日本SF界の問題点が逆にあぶり出されるのでは、と考えているからだ。そのカギとして、前田の論文ではとり上げられていなかったいくつかの評論をここから読み解いてみたい。ひとつは山野の残した数少ない音楽に関する論考の中から、前衛ジャズミュージシャンのサン・ラーのアルバム評「サン・ラの太陽中心世界」(1978)。そこからジャンルにとらわれずその表現の本質や時代性をすくい取る山野の知性のあり様が見えてくるだろう。そしてその山野の融通無碍な知性の一つの到達点として、SFの本質を改めて探究した「内宇宙の構造」(1978)と、大江健三郎の読解を通じてSFの地平拡大を試みた「大江健三郎の三作に於けるタイムトラベル的同時代論」(1980)を紹介したい。
 
「サン・ラの太陽中心世界」
 サン・ラー(サン・ラとも表記)は本名ハーマン“ソニー”ブラント。前衛的なジャズミュージシャン・作曲家であり、1940年代に音楽活動を開始してから93年にこの世を去るまで、生涯を通じて百枚を超えるアルバムと数十枚のシングル、千を超える楽曲を作曲した「20世紀で最も多作なレコーディング・アーティスト」だった(『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』パンフレットより)。伝説的なカルト・ムービー『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』(1974)が、2021年に突如日本で初公開され話題になったことも記憶に新しい。山野もそのサン・ラーの代表作の一つ『サン・ラの太陽中心世界』(1965)のレコード評を、『季刊ジャズ批評』30号(1978)年に発表していた。
 ジャズに「人間性」を求める旧弊なジャズ批評家たちのサン・ラー批判に対して山野は、「人間性」の欠如、「コンプレックスや自意識」を超越したところにサン・ラーの創り出す内宇宙があり、そこから「白人と黒人の区別すら超えた人間すべての根源的な音楽」が生み出されていると、サン・ラーを全面的に擁護する論陣を張る。700字強の短い評の中で、サン・ラーの音楽の本質のみならず、山野の音楽観・芸術館も展開された見事なレビューだ。そして山野がサン・ラーの音楽に共鳴したのは偶然ではない。サン・ラーは単に60年代のフリー・ジャズや前衛芸術の文脈のみで語られるべき存在ではないからだ。上記のパンフレットで丸屋九兵衛が論じているように、アフロフューチャリズムの最重要人物の一人なのである。
 アフロフューチャリズムとは「非西洋的な宇宙観のもと、アフリカ主義とSFやファンタジーを組み合わせた美学」(丸屋)だ。それは「我々はここで生まれたのではなく、他の場所から来た存在だ」(ブーツィ・コリンズ)というアメリカ黒人の歴史観の上に成り立つものであり、奴隷としての過去の上に気づかれた現在の状況を拒否し、新たなアメリカ黒人やそのコミュニティのあり方を追求する運動である。アフロフューチャリズムが「宇宙的イメージを極限まで追求」してきたのも、〈今・ここ〉にある現実=〈アメリカ〉を否定し、〈過去〉としてのアフリカと、〈未来〉と〈ここではないどこか〉の象徴としての宇宙を直結される回路を生み出すためだった。サン・ラーはまさにそのアフロフューチャリズムにおける〈未来志向〉〈宇宙志向〉の先鞭であり、同時にひとつの到達点でもあった。
 さらに、アフロフューチャリズムは〈哲学でもあり、アティテュード〉でもあり、〈音楽、文学、映像、展覧会〉など多岐にわたるジャンルで展開された運動でもあった。つまり70年代に生まれたヒップホップと同様に、アフリカン・アメリカン文化の雑種性、ハイブリディティの表象に他ならないのだ。その名称ゆえ一部には「SFジャンル内から派生した運動」のように捉える向きがあるようだが、本来は1960年代から70年代のアメリカ黒人音楽から生まれたムーブメントである。また最近はアフリカ人SF作家が「アフリカン・フューチャリズム」を唱えたりする動きもあるようだが、奴隷の子孫であるアメリカ黒人たちが、その起源と未来、民族としての歴史と個人のアイデンティティを直結させる思想として誕生したものであることは忘れてはならない。
 こうしたハイブリッドな、ジャンルを超越した表現活動は、『季刊NW-SF』やサンリオSF文庫を通じてSFの可能性を追求していた山野に共感をもって迎えられるのも当然だろう。サン・ラーにSFと通底する内宇宙への志向を読み取った山野の慧眼は今でも色褪せない。というより今だからこそ、その真価がより明瞭に理解できるはずだ。
 そして、その山野の内宇宙論の集大成ともいうべき評論が、「内宇宙の構造」である。
 
「内宇宙の構造」から大江健三郎へ
 「内宇宙の構造」は、冬樹社が出版していた月刊文芸誌『カイエ』の1978年12月号「特集・SFから現代文学へ」に寄稿された。『スター・ウォーズ』(1977)の公開をきっかけに突如沸き起こったSFブームのなかで組まれた特集であろう。J・G・バラードの「ウェーク島へとぶわが夢」(山野浩一・野口幸夫訳)やアーシュラ・K・ル=グイン「終り」(山田和子訳)、スタニスワフ・レムのインタビュー(沼野充義訳)、巌谷國士や富山太佳夫らの評論、河野典生や村上陽一郎のエッセイなど、まさに現代文学/現代思想とNW-SFの人脈が交差する野心的な企画と文章が並んでいる。その中で特集の冒頭近くに置かれた山野の「内宇宙の構造」は、特集全体の方向性を示す基調講演の役割を果たす。
 まず山野は、「内宇宙は必ずしも外宇宙と対立するものではない。同時に鏡面に映った二つの世界のように対照を形成するものでもない」(「内宇宙の構造」94)と、内宇宙と外宇宙の二項対立を否定する。内宇宙とは、この現実の規則や論理にしばられない自由な想像力が発露する空間である。その意味で、内宇宙を主題とするニューウェーヴSFは「サイエンス・フィクションらしさをさらに強調している」(95)のであり、そこから「現代という時代の文明の人間の意識そのもの」(96)を逆照射することが、SFの機能であり存在意義なのだ。
 H・G・ウェルズが〈タイム・マシン〉というアイデアによって、ウェルズ独自の〈内宇宙〉を紡ぎ出した。そこでウェルズは「テクノロジーの発達によるユートピアを求めたが、単にテクノロジー文明の危険性を認めただけでなく、ユートピア思想そのものの絶望的な行末を内宇宙に見届けることになった」(96)。タイム・マシンはただ単なるテクノロジーとして考案されたのではない。世界のあり様や人間の想像力を変革する装置なのである。それと比較すると、つねづね山野の批判の対象となってきたアメリカSFでは、テクノロジーは人間の意識を変える力を持たない。ハインラインの『夏への扉』でのタイム・マシンは「シンボルとしての意味を失って現実的な幸福感へと向かう個人の道具」(97)でしかなく、認識の変革をもたらす力を失った単なるガジェットに堕している。そこで展開されているのは言ってみれば、ホレイショー・アルジャーの「ぼろ着のディック」(1868)と何ら変わらない立身出世物語なのだ。「SFの内宇宙は原則的に日常的な意識に忠実なものではなく、むしろ積極的に外宇宙に対応して内宇宙をそのものを創造していこうとするものである」(100)という山野が何より唾棄したものは、こうした現状追認と保身主義に他ならないだろう。

(以下引用) 
サイエンス・フィウションが扱ってきた多くのシチュエイションは、そうした探求への重要な鍵となっており、創造されて五〇年ぐらいしか経ていない言葉に想像以上のアレゴリーやシンボルとしての意味が生れているのである。ロボット、タイム・マシン、宇宙船、火星人、核戦争、超人、細菌、そうしたSFのシチュエイションは決して他愛のない言葉の玩具ではなく、我々の意識の中でさらに重要な内宇宙の風景となっていくはずである。(100)
(引用終わり)
 
現実の軛から逃れて自由に飛翔する想像力が生み出した虚構の世界は、個人の内面を変革するのみならず、社会変革への原動力となるだろう。少なくとも優れたSFに触れた読者の目に映る現実は、すでにかつてとは同じ姿ではないはずだ。そう信じる山野が、そのSF的な眼差しをもって現代文学を読みなおす試みを行ったのが、『ユリイカ』1980年4月号「特集SF」に寄せた「大江健三郎の三作に於けるタイムトラベル的同時代論」である。
 この『ユリイカ』のSF特集では、ダルコ・スーヴィンやロバート・スコールズのジャンル論に、星新一、小松左京、筒井康隆、半村良らのSF作家と三島由紀夫、安部公房、倉橋由美子などのいわゆる〈純文学〉作家を論じる作家論が並置される構成となっている。その中で山野は大江の『洪水はわが魂に及び』(1973)、『ピンチランナー調書』(1976)、『同時代ゲーム』(1979)の、同時代の学生運動や政治思想に深くコミットした三作をとりあげ、これらがSF的な時間認識や時空間構造をそなえた同時代論であり優れた現代小説であることを解き明かしている。
 「『洪水はわが魂に及び』はスペキュレイティヴ・フィクションであり、『ピンチランナー調書』はサイエンス・フィクションであり、『同時代ゲーム』はファンタジイである」(「タイムトラベル的同時代論」、103)という山野独自の見立ても挑発的だが、なにより「連合赤軍が少なくとも’60年安保以後の正しい時系列を同時代としてきたのに対し、私をも含めた〝社会〟は安保の決着した時代に短絡した世界に飛び込んでしまっていた」(99)という、現実の政治的時空間をパラレルワールドやタイムトラベルの比喩で思考しようというあまりにラディカルな姿勢には、さらに驚くほかない。だがそれにとどまらず、山野はこのわずか6ページほどの論考で、大江の作品構造がまさにSF的な内宇宙によって成立しているとまで主張するのだ。
 そこにあるのは、現実をフィクショナルな結構を通じて解き明かそうとする大江と山野の知性の共振である。山野は「天皇も核も含めた同時代=現代を大江作品に読んできて、天皇をユートピア観のシンボルとして、核をイデオロギーのシンボルとしてとらえ」、「それが最終的に合流して訪れるカタストロフィの投影としての同時代に正しくアイデンティファイされるものを得てきた」(103)という。天皇や核兵器こそが時代や社会の寓意として機能する表現空間。それが山野が大江を通じて得たヴィジョンなのだろう。ここに示されているのは、狭いジャンル意識を超えてSFという表現と思想の可能性を追求した山野の一つの到達点である。
 
待ち望まれる山野浩一の後継者
 山野浩一のSF論をかなり駆け足でここまで辿ってきたが、この山野の内宇宙SF論は従来のジャンル論を超えた射程と可能性をそなえていることが、少しでも伝えられただろうか。第2回に紹介したデーナ・ルイスの日本SF略史は明らかに山野の影響下に書かれたものだ。そのルイスの日本SF史観を生み出した山野のSF論は、第3回で紹介した安部公房や今回の大江健三郎など、狭いジャンル意識を軽々と超える豊かな可能性をはらんでいるのである。
 実際、山野のその後の活動は、狭義のSFの枠をはみ出していく。『すばる』1989年4月号に寄稿した「ゴールデンサマー 反夢の風景」は、当時どころかいまだに情報の少ないオーストラリアの芸術文化(絵画、映画、音楽他)とそれを生み出した風土、そしてオーストラリアの歴史や人種民族問題にまで目配りをした、貴重なオーストラリア文化論である。
 またこれは少し前にさかのぼるが、1982年に出版されたゴシックに関する論集『城と眩暈 ゴシックを読む』(小池滋他編、国書刊行会)に収録された「サイエンスフィクションとネオゴシック」では、イギリスとアメリカのゴシックから20世紀のSF/ファンタジーがどのように生まれたか、その軌跡を丹念に追った論考である。ローズマリー・ジャクソンの『ファンタジー 転覆の文学』(1981)とほぼ同時期、フレッド・ボッティングの『ゴシック』(1996)が書かれるはるか以前に、ここまで本格的なゴシック/SF論を書いていたとは。山野の慧眼には恐れ入るばかりだ。(註)
 山野のSF論をさらに丹念にたどることで、20世紀後半の豊かな表現世界の見取り図が明確な形をとって来るだろう。そのため本連載の最後に、今私が進めているポストモダニズム/アヴァン・ポップ再評価との連携の可能性を考察しておきたい。だが、そろそろ紙幅も尽きたようなので、この問題への見通しは次回、新たな視点からの日本女性SF史の見取図とともに補遺として示すことで、この連載を終える予定である。
 
(註)私見だが、この山野の闊達で無碍なSF観をもっともよく継承している現代の批評家は、やはり岡和田晃であろう。岡和田の「『世界内戦』とわずかな希望――伊藤計劃『虐殺器官』と向き合うために」(『「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃・SF・現代文学』アトリエサード、2013)は、伊藤計劃の『虐殺器官』(2007)という稀代のテクストを、カール・シュミットやジョルジョ・アガンベン、リチャード・ローティらの議論を援用しながら縦横無尽に論じ、狭いSFというジャンルの枠から解放してその驚異的なポテンシャルを開示してみせてくれた。この伊藤計劃論を含む最初の評論集ではSFと現代文学を同列に論じた岡和田は、その後も時評等の仕事を通じてSFジャンルの解体と現代状況へのコミットメントとしてのSF/スペキュレイティヴ・フィクションの追求を続けている。その一方で向井豊昭のアーカイブ運営や山野の遺稿整理などでは文学史家としての知見や能力が存分に発揮されており、時代や社会、ジャンルという〈横糸〉と、歴史という〈縦糸〉を織り合わせた総合的な文芸史をまとめるのにふさわしい能力をそなえていることは、誰の目にも明らかだろう。いつか岡和田による日本SF史/現代文芸史が読める日が来ることを楽しみにしている。

参考文献
岡和田晃.『「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃・SF・現代文学』アトリエサード、2013.
——-.『向井豊昭の闘争 異種混交性(ハイブリディティ)の世界文学』.未來社、2014.
前田龍之祐.「山野浩一論 SF・文学・思想の観点から」.https://note.com/ryumaeda0103/n/n14210e7ede6f
山野浩一.「サン・ラの太陽中心世界」.『季刊ジャズ批評』30,1978.『季刊ジャズ批評別冊 私の好きな一枚のジャズレコード』.1981.
——-.「内宇宙の構造」.『カイエ』1978年12月号「特集・SFから現代文学へ」、94-101.
——-.「大江健三郎の三作に於けるタイムトラベル的同時代論」.『ユリイカ』1980年4月号「特集SF」、98-103.
——-.『いかに終わるか: 山野浩一発掘小説集』.岡和田晃編.小鳥遊書房、2022.
キングレコード映像制作部他編.『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』パンフレット、2021.