「タイムカプセル」大梅健太郎

 とある研究所でのこと。白い実験台に置かれた缶ビールを、博士と助手は二人で並んでじっと見ていた。冷蔵庫から出してきたばかりで、キンキンに冷えている。表面はうっすらと結露していた。
「本当に消えますかね」
 助手が呟く。
「実験が成功していれば、十二時ちょうどに消えるはずだ」
 時計が十二時を指した瞬間、二人の眼前から缶ビールが消えた。
「やりました!」
「うむ、未来の我々は、ちゃんと時空転移装置を発明できたようだな」
 博士は笑みをこぼしながら言った。

           ○

 それから三年後。巨大な機械に取り付けられたモニターを覗きこみながら、博士は言った。
「ちょうど三年前の十二時に、この実験台の上に缶ビールを置いたはずだよな」
「そうです。僕たちの目の前で、缶ビールは消えました」
 助手がうなずく。三年前と同じ場所にある実験台の上には、何も置かれていない。
 博士が機械の操作を続けていると、急に甲高いアラート音が鳴った。
「あった! 過去の缶ビールの存在をマークできたぞ。よし、転移!」
 ブシューっとガスが抜けるような音とともに、機械の転移台の上に缶ビールが現れた。
「やりました!」
 助手が喜びの声をあげた。
「うむ、過去の我々からのプレゼントだな」
 博士が缶ビールを手に取ると、冷蔵庫から出したばかりのように、キンキンに冷えていた。缶に印字された製造年月日は、ちゃんと三年前だ。
「乾杯しましょう!」
 助手の嬉しそうな言葉に背中を押され、博士は缶のタブを引いた。助手が持ってきたコップにビールを注ぐ。味におかしなところはなかった。
「これで、過去に失われし調理法で作られた料理や、まぼろしの食材を食べ放題ですね」
「まぁ、料理ばかりが目的ではないが、楽しみではあるな」
 博士はビールの泡を口に付けたまま、笑った。
 しかし、話はそう簡単にはいかなかった。

           ○

「うーん、またダメか。時空転移できそうなものは、百年前のこのあたりには存在しなさそうだ」
 時空転移装置を操作しながら、博士は言った。
「やっぱりダメですか」助手がため息をつく。「過去から現在に動かせるものって、どういう法則で決まっているんですかねぇ」
「過去のものを未来に移動させるってのは、思った以上に厳しいのかもしれん。タイムパラドックスを引き起こしてしまう可能性もあるし」
 博士は時空転移装置から離れて、大きく伸びをした。
「状況を整理しよう。これまでに時空転移を成功できたのは、我々が過去に準備して実験台の上に置いたものだけだ。これはどういうことか」
「そうですね。実験台から狙いをずらして、そばにあるカレンダーに照準をあわせても、マークできなかったですものね。なにが違うんでしょう」
「ふむ」
 博士は腕組みをしながら、実験台の前に歩み寄った。そして、胸ポケットからボールペンを取り出し、実験台の上に置いた。そして、作業机から赤・青・緑の付箋を1つずつ取り、それも実験台の上に置いた。
「一時間後に、緑の付箋とボールペンを使うぞ」
 博士は大きな声で宣言した。
「どうしたんですか急に」
「見てろ。私の予想通りなら、緑の付箋とボールペンは消えないから」
 しばらくして、博士の予想通り、緑の付箋とボールペンは消えず、赤と青の付箋だけが消えた。
「あら? どういうことですか?」
 驚きの声をあげた助手を尻目に博士は緑の付箋とボールペンを手に取り、乱雑にメモを書き留めた。
「よし、一時間たったな。それでは、このメモ書きした付箋を実験台の上に置くぞ。今度は消えるはずだ」
 そしてまた予想通り、付箋は消えた。博士はそれを確認したのち、無言で時空転移装置の操作台に向かい、ほんの一時間前の時空に照準をつけた。すると、甲高いアラート音が鳴った。
「やはり、赤と青の付箋はマークできるが、緑の付箋とボールペンは不可能か。ひとまず転移してみよう」
 ブシューっと音がして、転移台に赤と青の付箋が現れた。博士はそのままついさっきの時空に照準をあわせ、メモ書きした付箋も転移させた。
「読んでみたまえ」
 博士はメモ書きした付箋を助手に渡した。
「ええと。『転移しようとする物体が、その時空よりも未来でなんらかの役割を果たす予定がある場合、その物体は時空に固定されて動かせないのではないか』ですか。なるほど」
 助手は赤と青の付箋を手に取る。
「つまり、一時間前から現在時までの間で、あっても無くてもどっちでもいいような物体であれば、動かすことができるってことですね」
「そうなるな」
「ん? 博士、いいことを思いつきましたよ」
 助手が得意げに言った。
「なんだ、言ってみたまえ」
「逆に、行方不明になったことが確定しているものは、動かせるのではないでしょうか」
「どういうことだ?」
「僕ね、小学校を卒業するときにタイムカプセルを学校に埋めたんですよ」
「ほう。昔流行ったよな」
「それで、二十歳になったときにみんなで掘り起こそうとしたんですけど、見つからなかったのです」
「埋めた場所の記憶が間違ってたとか、土中で風化したとかじゃないのか?」
「結構広範囲を掘り返したんですけどね」
「それか、誰かが事前に掘り起こした、とか」博士はそこまで言って、絶句した。「あ」
「そうです。タイムカプセルが行方不明なのは、僕が今からこの時空転移装置を使って、タイムカプセルを転移するからです」
 博士は唸った。「なるほど。やってみようか」
 助手は転移装置の操作台に向かい、博士のレクチャーに従って操作した。タイムカプセルを埋めた日時の記憶は曖昧だったので、照準をあわせるのに時間がかかったものの、しばらくして甲高いアラート音が鳴った。マークできたのだ。
「転移」
 ブシューっと音がして、転移台に黄銅色の缶が出現した。
「やった! 研究室以外の場所の物を、初めて転移できたぞ」
 博士が興奮気味に言う。助手は缶を手に取り、「そうそう、これですよ。懐かしい」と笑った。
「すごいなぁ。二十年以上も前のものには見えないですよ」
「そりゃ、埋めてすぐのものだからな」
 缶を開けると、中から手紙の束、ビデオテープ、当時の貨幣、写真が綴じられたアルバムなどが出てきた。
「入れたことを覚えているものと、忘れていたものがありますね」助手は嬉しそうに中身を眺めていく。「まだ連絡がとれる旧友たちと、これを肴に同窓会をすることにします」
「それは良いことだな」
 喜びにあふれた助手を見て、博士も嬉しくなった。そして、この時空転移装置を使いこなせそうなことに満足した。
「キーワードは、行方不明だな」
 次の日から、博士と助手はいろいろなタイムカプセルの捜索を始めた。実績を積むにつれ、評判は口コミで広がっていった。タイムカプセルによっては転移できるものもあれば、転移できないものもあった。転移できないタイムカプセルは、どこかの時空で掘り起こされることが決まっているのだろう。そういったものについては、今もまだ埋まっているから自分で探せば見つかると伝えて、依頼者に感謝された。
「埋めたタイムカプセルが見つからない、という話題がたまに新聞記事やテレビで取り上げられていたけど、その原因が我々にあったとはな」
 これまでに依頼されたタイムカプセル捜索についての記録をめくりながら、博士が言った。
「僕たちが時空転移装置を作らなければ、これらのタイムカプセルは普通に埋まったままだったんですかね」
「いや、ほとんどが朽ち果てていただろうから、どっちみち行方不明になったんじゃないかな」
 転移したタイムカプセルは、ほとんどが雑な作りで、菓子が入っていたであろうブリキ缶であったり、プラスチックの箱だったりした。防水が行き届いておらず、転移した時点ですでに傷んでいるものすらあった。
「そういうもんですかね」
 助手は、自分のタイムカプセルから取り出した、過去の自分あての手紙を眺めながら答えた。
「ところで、ついに捜索依頼が百件を超えたぞ」
 博士は得意げに言った。
「おめでとうございます」
「そこで、いよいよ次のステップに進もうと思う」
 博士は、古ぼけた和綴じの本やらノートやらの山を指さした。最近かき集めつつあったものたちだ。
「なんですか、これ」
「埋蔵金に関する資料だよ」
 助手が山と積まれた資料をめくると、そこには『徳川埋蔵金』やら『山下財宝』やら、怪しげな記述がたくさんあった。
「埋蔵金のようなものは、ある意味でタイムカプセルみたいなもんだろ」
「なるほど。それで言うと、戦災や災害で失われた貴重な美術品やら資料やらもいけるかもしれませんね。北京原人の骨を転移して保護できないですかね」
「やってみる価値はあるな」
 次の日から博士と助手は、タイムカプセル捜索を一時中止し、これらの時空転移に取りかかった。
「しかし、埋蔵金伝説というのは嘘ばっかりだな。埋められたと考えられる時空を調べても、それらしいものがまったく見当たらない」
 博士は徳川埋蔵金が埋められたとされる赤城山周辺や、山下財宝が隠されたとされるフィリピンの山奥にも照準をあわせたが、マーク以前にそもそもそれらしきものが存在しなかった。
「卒業生たちのタイムカプセルとは違って、埋めた本人から話が聞けないですしね」
 助手は、埋蔵金伝説について書かれた古書をめくりながら、苦笑いして言った。
「結局我々は、トレジャーハンターにはなれないってことか」
 次に博士は、焼失美術品やら北京原人の骨やらに照準をあわせてみた。こちらについては存在は確定しているものの、マークできなかった。そこで失われることが確定しているのだろう。
「目の前で、貴重なものが失われていく姿を眺めるしかないのは、悔しいなぁ」
 博士はため息をついた。
「こういうものは、現在に時空転移させると影響が大きいんでしょうね」
「あとは、人体実験か」
 博士は自分の身体を撫でながら言った。
「物騒なことを言いますね。博士自ら時空を超えるってことですか?」
「そういうことだ。ひとまず一時間後の未来から、現在の私を時空転移するようにしてくれ」
 そう言うと、博士は自ら実験台の上に座った。
「わかりました。ご無事を祈ります」
「ちゃんと転移できれば、それ……」
 しゃべっている途中で、博士の姿は実験台から消えた。
「ほんとに消えちゃった。大丈夫かな。体だけ転移して、魂はそのままとかだったら嫌だな」
 助手はぶつぶつと独り言を言いながら、一時間の経過を待った。
「そろそろだな」
 時空転移装置を操作し、一時間前の博士に照準をあわせる。しかし、マークすることができなかった。
「あれ? おかしいぞ」
 助手は何度も博士を転移させようとするが、どうやってもマークできない。
「博士は、この時空に転移したわけじゃないってことか。でもそうだとしたら、どこに行ったんだ?」
 この一時間後の世界に転移させることができなかったとはいえ、博士が消えたのはゆるぎない事実だった。助手は諦めることなく何度も照準をあわせようとしたが、無駄だった。一日過ぎ、十日過ぎ、一ヶ月が過ぎても、博士を転移させることはできなかった。世間的には、博士は失踪したこととされた。
「これは、そうとうな未来から時空転移させられているぞ」
 その後も、助手は数日おきに当時の博士に照準をあわせ、転移を試みた。しかし、何度やっても無理だった。時は流れ、助手も老いていく。このまま博士を放置しておくわけにはいかないと、助手は時空転移装置に人工知能機能を施し、全自動で転移を試みることができるように改造した。
「博士のご無事を祈ります」
 それが、いまわの際に助手が残した最後の言葉だった。

           ○

 ブシューっと音がして、転移台に博士が現れた。
「……は大丈夫だろう」
 話の途中で時空転移したので、眼前にいたはずの助手の姿が消えていた。
「ここは、一時間後の世界か?」
 博士はあたりを見まわしたが、どこにも助手の姿はなかった。その代わり、見たこともない服に身を包んだ数人の人が待ち構えていた。そして、博士の周りを囲んだ。
「ようこそ、千年後の世界へ」
「千年後?」
 博士は自分の頬をつねった。痛い。夢じゃないようだ。
「そうです。貴方は千年前にこの時空転移装置を発明し、自らの人体実験で、この千年後の時空へと移動してきたのです」
 博士を取り囲んだ人々のうち、一番年上のように見える男が言った。
「まさか千年後に飛ばされるとはな」半信半疑だったが、周囲の様子は明らかに博士のいた時代のものとは違っていた。「それで、私は千年後の世界で歓迎されるのだろうか」
「大歓迎です! 待ちに待っていました」
 あまりの力強い言葉に、博士は少し尻ごんだ。
「そんなに歓迎されるようなこと、私にあるかな」
「ありますとも。まず、千年前のことについて色々教えてください。そして、遺伝情報と免疫情報を我々にください」
「遺伝情報?」
「そうなんです」未来人は、恥ずかしそうに頭を掻いて答えた。「実はこの千年の間に核戦争が二回あり、地球の人口は激減しました。生き残った我々は遺伝的に近過ぎて、いわゆる近親交配が続いている状態なのです。もはや人類に遺伝的多様性は存在せず、ゆるやかに滅びつつあります。クローン技術を駆使して数の維持をしようとしてはいるものの、それには限界がありますので、このままでは人類の絶滅は不可避だったのです」
 横から、別の未来人が言葉を継いだ。
「そこに、千年前のフレッシュな遺伝情報を持った貴方がきてくださったことで、なんとかなりそうです」
 博士はうなずいた。
「状況を理解した。私の存在が全人類の役に立つのであれば、望外の喜びです」
「ありがとうございます。貴方はまさに、全人類にとって、過去の知識や失われし遺伝情報・免疫情報が詰まったタイムカプセルなのです」
「タイムカプセル」
 博士はその言葉に、苦笑いをした。