「新聞が信用されていた頃」大野典宏

「新聞が信用されていた頃」 大野典宏

 ここに再録するのは阪神・淡路大震災が起こった1995年1月から約11ヶ月後、緊急出版された本についての書評である。まだインターネットは今のように普及はしておらず、速度の遅い電話線を用いたモデムで何とか行っていた頃だった。
 Webサイトこそは存在したが、SNSなどは無く、CGIを利用した掲示板プログラムをアップロードしているか、掲示板サービスにリンクをして使っている状態だった。
 そんな具合だったので、現在使われているSNSのような速報性や拡散性は無く、自分で大手のPC通信サービスや新聞社系のWebサイトを探して情報を集めるくらいだった。ただ、すでに2chのようなサイトはあったのだが、よほど気をつけないといけない情報源ばかりであり、まだまだテレビや新聞の報道だけが頼りだった。
 その後はインターネットの猛烈な普及により、情報網が整えられていったのだが、2011年の東日本大震災では停電や電話線の不通が相次ぎ、なんとか携帯電話で繋いだTwitterくらいしか情報源が無かったため、停電が続く中ではバッテリの減り具合を気にしながら時々情報を拾うくらいしかできなかった。電気が回復した時には、当時の標準的なメッセンジャーだったICQアカウントには世界中のフレンドから心配の声が届いていて、世界は変わったんだと実感することができた。
 その後、世界はどう変わったのだろうか?
 正直に書かせてもらうが、たった十年の間で新聞もテレビも信頼するに足るメディアでは無くなってしまった。これは否定しがたい事実として記しておかなければならない。
 去る2022年1月15日、トンガで起こった海底火山の爆発による大津波においては、過去の東日本大震災の記憶が残っていたのでテレビが津波速報を流しっぱなしにし、SNSでもニュースが大量に流れてきた。
 それもあり、津波での被害は小さくて済んだ。だが、残念なことに東日本大震災で受けた傷が十年経っても消えていない事実を残酷な形でありながら思い知ることになった。
 そう、日本政府は情報を出さず、復興も遅く、まともな復興支援もせずにオリンピックを開催するという愚行に出てしまったのだ。新型コロナウィルスによるパンデミックが起こっており、しかも大震災で起こった原発事故が隠蔽され、未復興の地域を映さないように「まるでセットの中で撮影されたかのようなテレビニュース」や、獲得メダル数の報道がパンデミックによる被害者の報道よりも多くなるという不思議な体験をすることになった。
 新聞という記録されるメディアや、テレビ・ラジオといったリアルタイム性のあるメディアが作り話しか流さなくなってしまったのだ。
 1995年に起こった阪神・淡路大震災と、2011年の東日本大震災・2022年のトンガで発生した津波が日本に到達した先日の事件までとは、圧倒的に違う部分がある。東日本大震災では、どんな津波であっても原子力発電所での事故は起こり得ないと断言していた「政府の嘘」がばれ、しかも震災対策として検討されていた「スーパー堤防」すらも震災では耐えられなかったと土木学会が発表したことにより、「政府は嘘をつく」と知られることになった。さらに悪いことに、新聞もテレビも政府に懐柔されていて、「何の不正が行われても何も報道されない」ことがはっきりとしてしまったのである。
 さて、今の我々は何を信じたら良いのだろうか?
 ここに再収録する書評は、まだ新聞が真実を報道し、携わる人々が真剣に報道と向き合っていた時の記録として読んでいただきたい。
 そして問い直したい。「報道とは何のために存在しているんだろうか?」。


神戸新聞の100日
阪神大震災,地域ジャーナリズムの戦い
神戸新聞社 著
プレジデント社 刊 1600円

逆境に耐えながら必死で使命
を果たした人々と組織の記録

 1995年1月17日午前5時46分,神戸市一帯を襲ったマグニチュード7の烈震は多大なる被害を与えた。いまから約1年前の出来事である。実際に被害にあった読者も多いと思われるし,ニュース番組などで伝えられた生々しい被害の模様に戦慄した読者も多いことだろう。
 だが,そのすぐ後に起こったサリン事件やオウム騒動によって,多くの人々の関心が神戸から遠ざかってしまったのは,悲しいことだが事実である。
 あれから1年。ニュースやパソコン通信などから徐々に復興が進んでいるという話を聞く。しかし,住宅問題などまだまだ未解決の問題が多いとも聞く。
 本書は震災で壊滅的な打撃を受けた神戸新聞社がいかに途切れること無く新聞の発行を続け,被害から回復していったかを記した記録である。会社のコンピュータ・システムや印刷設備が使用不可能になろうとも,新聞発行を止めないという不可能とも思える作業をこなしていく様は感動的である。
 たとえば,震災で実の父親を失いながらも新聞を待っている読者のため,休むこと無く配達し続けた販売店経営者。自ら震災に遭い,家を焼け出されるなど,仕事どころではないような状況にありながら,家族を残して仕事に出かけた記者。さらには無理を承知で新聞社に協力する建設会社やコンピュータ会社の人々など,エピソードには事欠かない。
 こう表現すると誤解を与えるかもしれないが,本書に登場する人々は仕事中毒の気こそあれ,決して社畜と称されるような人間ではない。もし,彼らが会社に言われるがまま,使われるがままに,これだけの無理をしたのであるのなら,本書は残酷な話としてしか読めなかったことだろう。
 本書に登場する人々と社畜とを大きく分けるのは彼らの自覚である。震災の中にあるからこそ新聞を出さなければならないこと,そして新聞を出すためには,たとえ無理をしてでも自分の使命を果たさなければならないということを自覚しているから,ここまでできたのだろう。
 自覚を持った人間がいかに逞しいかを知る,そして何よりも震災があったということを忘れないためにも,多くの人に本書を読んでもらいたいと思う。
 なお,残念ながら本書はパソコンの本ではないが,震災によって大きなダメージを受けたコンピュータ・システムがいかに震災から復活したのか,災害対策実例としても読める。