「日本SF史再構築に向けて――その現状と課題についての考察④」長澤唯史

日本SFの情報発信状況についての補足
 この連載の第1回で、日本SFに関する英語圏での発信状況について触れたが、それに関連して寄せられた情報を紹介させていただきたい。
 これまた岡和田晃氏によるご示唆だったのだが、ジョン・クルートとジョン・グラントの編集によるThe Encyclopedia of Fantasy (1997)にあるJapanのエントリー(1)が、日本のファンタジー/幻想文学についてのかなり包括的かつ的確な記述である。「古事記」や「今昔物語」にさかのぼる歴史観は石川喬司氏の日本SF史に近いが、日本の幻想的文学の直接的な起源を上田秋成の「雨月物語」におき、泉鏡花の「高野聖」や夏目漱石の「夢十夜」、夢野久作の『ドグラ・マグラ』などのいわゆる三大奇書、戦後の『幻想と怪奇』誌やSFにおける怪奇幻想趣味、そしてファンタジーノベル大賞出身の酒見賢一や佐藤亜紀まで、簡潔ながら過不足ない日本幻想文学史だ。少なくとも日本幻想文学史の入口としては、ちょうどいい分量と内容だろう。牧眞司氏の筆になるものだそうで、さすがと言うほかない手際と目配りのよさだ。ここはぜひ牧氏には本格的な日本SF史の執筆を期待したい。
 それ以外では、「英語圏を中心としたSF・幻想文学・変な小説を翻訳するサークル」を標榜する〈バベルうお〉が、スコットランドのSF同人誌『Shoreline of Infinity』第18号(2020)に、”The History of Japanese Science Fiction: from the 1930s to 2010s”というエッセイを寄稿している。こちらは一時期無料公開されていた折に目を通したが(現在は有料でしか読めないようだ)、やはり初学者には十分な情報量だと感じた。ただ主要な作家や作品名を年代順に紹介する構成からは、何らかの「史観」のようなものを提示するものではなかったように思われる。

日本SFの〈浸透と拡散〉をめぐる問題点
 本連載の第1回で紹介したように、『Mechademia: Second Arc』Vol. 14.1 (2021)のSF特集で、私と立命館大学准教授のドゥニ・タヤンディエー氏が、日本SF史に関する議論を展開している。その紹介の中で「タヤンディエー氏と私の論文に共通する〈浸透〉の問題については、稿を改めて論じる予定だ」と書いたが、この問題は山野浩一のSF論に密接に関わる主題でもあるので、山野論のウォームアップのためにここで検討しておきたい。
 タヤンディエー氏も私も、奇しくも”Infiltration”(浸透)をそろってタイトルにおいている。もちろんこれは偶然なのだが、今のSFをめぐる研究の文脈の中では必然でもある。たとえば拙稿では、現代のコンテンツではSF的手法や表現が当たり前のものとなったがゆえに、逆にSFというジャンル自体の存在意義が問い直されつつある状況について触れた。〈浸透〉の結果として、SFジャンルが自らのアイデンティティを声高に主張するためにかえって自閉的になりつつある、という危惧が念頭にあったからだ(今でもある)。
 タヤンディエー氏は荒巻義雄論を出発点に、「日本SFを中心に、科学とSFの中に現れる「科学」がどのように関係するかを探り、そこから科学技術の社会的影響、科学言説がもたらす世界観、科学技術に溢れている現代社会を捉えよう」とする研究活動を続けている(2)。 一方私はアメリカ文学史の中にSF/ファンタジーを位置づけると同時に(3)、現代のポップカルチャーにおけるSF的様式や想像力を跡づけようとしてきた(4)。つまりどちらも、SFというジャンルが現代社会において強い影響力をもっているという出発点を共有しているのだ。したがってどちらも明治政府の富国強兵政策から語り起こし、現代文学におけるSFの「浸透」までを通時的にまとめ、日本SFがいかに現代社会への〈浸透と拡散〉を果たしてきたのかを記述する構成となった。先行するデーナ・ルイスや長山靖生らもほぼ同様の視点から語られており、近現代日本SF史のフレームワークは、これでほぼ確立していると考えても差し支えないのではないか。
 この〈浸透と拡散〉は、かねてより日本SF界のめざしてきた方向であったはずだ。その結果、現代はSFと意識されずにSF的コンテンツが流通し消費される時代となった。だが皮肉なことに、その結果としてSFというジャンルの存在感やアイデンティティが揺らいでいるのが現代の状況なのである。このパラドックスとどう向き合うか。そのカギを与えてくれるのが、山野浩一とその思想だ。

「日本SFの原点と指向」
 山野浩一が『S-Fマガジン』1969年6月号に発表した「日本SFの原点と指向」(以下「原点と指向」)は、その時点での日本SFに関するポレミックな評論だった。日本SFの視野の狭さや閉鎖性を糾弾するその挑戦的な内容に対して、荒巻義雄がすぐさま反論を寄せ、そこからいわゆる〈山野―荒巻論争〉がはじまったことは、巽孝之も紹介するとおりである(巽、140)。
 さらに「原点と指向」はダルコ・スーヴィンが編集した『Science Fiction Studies』1994年3月号で英訳されている。『SFの変容』で精緻な構造主義的/マルクス主義批評的SF論を構築したスーヴィンがこの(英語にして10ページ強と)コンパクトな日本SF論をあえて訳出し紹介したのは、山野のSF観や理論的展開に可能性を見いだしたからに違いない。アメリカSFへのラディカルな批判、という点でも山野とスーヴィンのSF観は共通するのだが、それ以上にSFが新たな時代の文学表現/文化表象となるという信念も共有されているようにみえる。そこでまずは「原点と指向」のロジックを再検討し、その普遍性や現代性を改めて評価してみたい。
 山野の「原点と指向」の鍵となるのは、有名な〈日本SF=建て売り住宅論〉だろう。山野が指摘した日本SFの問題点とは、戦後のアメリカSFの翻訳を通じて「日本文明への対応性とか、作家の感性に対する適応性などに無関係にジャンルが存在し始めた」(山野、144)ということだ。日本の風土や文化や歴史に根差したSF的表現が内発的に生み出されることなく、借り物のアイデアや構造にむりやり作家の「主体体系」(山野、145)を適応させてしまったのが、戦後の日本SFであった。これは、ルイスや長山も指摘する、戦前と戦後の日本SFの断絶に端を発する問題でもある。だが、戦後日本SFを成立させているアメリカSFへの依存の構造を、実作の作品世界や個々の作家性にまで落とし込んで分析した山野の慧眼と透徹した知性には驚くほかない。
 アメリカSFという「客体」にたいして作家という「主体」がどのように反応したかを、山野は星新一、小松左京、筒井康隆、光瀬龍という第一世代の四人の作家を例に挙げて論じている。星新一は「初期には建て売り住宅をショートショートの部分にしか利用しなかった」し、光瀬龍は「彼の創作原点に適応した『SF的時間』のみを作品に反映」することで、「自己の理念を一歩も出ようとせずに、あくまで主体の論理にSF的世界を反映した」(山野、144-5)。その一方で小松左京は「SFの持つ可能性のすべてが小説に反映し、変幻自在の対応力をもって様々なイデーに立ち向かった」ものの、その結果として「客体として拡大したSF世界に主体を強引に対応していったため」、その小松左京の後を追う日本の作家においては「主体的論理体系の不備が最大の欠陥となっている」(山野、146)。そして筒井康隆は〈演技する主体〉として振舞うことでこの主体と客体の相克を乗り越えようとしたが、それは「やがて不毛状況に不毛世界を対応させているような空虚さにおちいらざるを得ない」(山野147)。つまり山野は、日本SFがアメリカSFから学んだ舞台装置やアイデアやイメージに縛られているかぎり、真に主体的で自由な想像力を獲得することはできない、と主張するのだ。
 その上で、山野は星新一の作風の変化や光瀬SFと川端康成の親近性、スタニスワフ・レムの示す人間の思考の可能性、フィリップ・K・ディックの「想像力による世界の展開と、精神世界との往復作業の中で拡大する形而上学」(山野、154)などに、日本SFの進むべき方向性を見いだしている。光瀬龍については「小説世界を強引に主体体系に適応させることをやめて、自ずから矛盾世界に踏み込み多様な観念の中に迷いこまねばならない」と、SF的想像力が主体の変容を促す可能性を示唆し、一方小松については「全面的に客体を受け入れたため、主体的な自由を失って」おり、「地には平和を」や『日本アパッチ族』の原点に一度戻ること、そこで「この複雑な風土から文明の本質に迫る重要なテーマを発見」できるのでは、と提案している(山野、153-4)。
 「原点と指向」ではかなり抽象度の高い議論が続くため、ここは山野の観念や思想を具体例で補足する必要があるだろう。たとえば光瀬龍はハインラインの年代記の方法を採用はしたが、そこで展開される文明論、人間論はあくまで光瀬個人の観念の中にあるものだ。それが光瀬の作家としての主体性ではあるが、逆にいえばその主体の檻の外に出る扉は閉ざされてしまっているかもしれない。それが光瀬の「主体の論理」の功罪だ、という訳である。
 その一方で、小松左京はアメリカSFから融通無碍にアイデアを借用し、それを自家薬籠中のものとした。そこに小松のオリジナリティがあり、小松によって小説としてのSFの可能性は拡大しつづけている。だが、そこには小松左京の一貫した作家主体が見られない。
 筒井康隆についていえば、最初から「真の主体などは存在しない、自己は演じつづけられるものなのだ」という態度を取りつづけており、この客体と主体の相克を回避しているようにみえる。だがそれは「無指向な主体」の無責任な振る舞いに陥りかねない危険性も孕んでいる。

山野浩一のアメリカSF批判
 山野はアメリカSFについて、「エンターテインメントとしてしか発達しなかった小児病」を抱え「行きづまり」にあると断じる。さらには「SFの広大な世界をのんびり楽しむことだけに時間を費やして、SFを閉鎖状況に追いこんだ張本人」と手を緩めることなく糾弾する。その中でももっとも辛辣に批判されているのはロバート・A・ハインラインだ。曰く「いかにもアメリカ小市民らしい他人指向」、「要するに主体性に欠け、理想を追求しようとせず、現実の中でいかに巧く生きるかという文明も形而上学も不在の生活感覚」と、山野は情容赦なくハインラインの通俗性を切り捨てる。
 この山野のハインライン批判に対して異を唱えたのが荒巻義雄の「術の小説論」であることは言を俟たない。そこには荒巻らしい、SFの技術や技巧を芸術的な方法論にまで高めようという意思と、ハインラインに対する寛容な理解が込められている。だがSFをその〈脱倫理性〉において読むという姿勢や、その上で「事実的問題を前にして既成の知識をいかに適用するか」(荒巻、172)という“術”にSFの本質を見るという眼差しは、山野の議論とはじめからうまく噛み合っていないという印象だ。実際のところ、荒巻はその後「大いなる正午」や『白き日旅立てば不死』などで、山野の提唱する新たな日本SFのモデルともいうべき作品を生み出していく。山野と荒巻の論争をことさら対立的な図式で捉える必要は、わたしには今のところ感じられない。
 閑話休題。山野にとってのSFとは何だったのか。日本SFがアメリカSFの建て売り住宅を退去して自分の手で建てるべき日本的SFとはどのようなものだったのか。

(以下引用) 
 日本SFの小説世界は、その小説世界の対応する現実世界及び可能世界の論理体系を包容せねばならず、そのためには借りもののSF世界が、日本の文明に対応した作家主体の論理により真実性を与えられねばならない。そして、この主体的作業の苦悩こそ、日本SFの指向性でなければならないのである。
 SFは自由にすべての分野に対応できる。
 しかし、それは自由を楽しみながら、意図も気軽にすべての分野に接することであってはならない。自由だからこそ、確固たる主体性が必要なのだ。全体主義的な暗黒世界では反体制以外に真実はないが、自由な世界では多様な思想の中で主体性のテーゼを苦労してつかみとらねばならない。SFはその大いなる可能性故に、大いなる苦悩と共に進まねばならないのだ。(山野、157)
(引用終わり)
 
 まるでアジ文のような勢いの文章だが、現実の問題に対して単一の答えを求めるのではなく、複雑で多様な現実に対峙して思考する態度を涵養することこそ、SFのめざすべきところだということだろう。たとえばこのすぐ後ではこうも言う。

(以下引用) 
 すべては単純なヒューマニズムでも、社会主義でも、科学主義でも、簡単に片付くような問題ではない。しかし、SFはそれらに対し多元的に対応し得るただ一つの文化である。
 エンターテインメントとして小世界に閉じこもることもできるSFが、そうなってはならない理由は、このジャンルのみに与えられたこの大きな役割にあるのである。(山野、157)
(引用終わり)
 
 SFこそがその自由さゆえに、現代の世界の諸相をもっともよく映し出す鏡となり、その複雑な問題を解くための思考実験の場となり得る。それこそ山野が訴えつづけたSFのあるべき姿だった。そこには〈なぜSFなのか〉という問いに対する答えも含まれている。「SFとは何か」という議論は不毛である、と一刀両断する宣言からはじまり、「SFを原点とした現代文明への対応力の発展性」をこそ議論すべき、という「原点と指向」の主張は、その後の山野の執筆活動についても貫かれつづけた軸となる。

「原点と指向」から「NW-SF宣言」へ
 「原点と指向」を世に問うた翌年、1970年に山野は『季刊NW-SF』を発刊する。そこで山野のめざしたものは、まさに「SFを原点とした現代文明への対応力の発展性」を示すことだった。第1号の巻頭に収められた「NW-SF宣言」でも、その主張が簡潔かつ力強い言葉で繰り返されている。

(以下引用) 
 もう一つの世界、人々の外にある現実ではなく、騒音によって破壊されていない人々の内にある世界、それこそ本当に“世界”と呼ぶべきものである。その“世界”をアトム化から、或いは管理から救出するために、SF――NW-SFが必要なのである。
 SFは想像力世界を殆ど全面的に受け入れることができるだけの広大な小説世界をもっている。しかし、その大部分は空白のままである。
 NW-SFは、多くの人々の思考世界を表現していきたい。自由な小説として、思考世界の小説としてのSFを開拓するために、NW-SFを開放していきたいと考える(「NW-SF宣言」、3)
(引用終わり)

 ここで山野が夢みた「自由な小説、思考世界の小説としてのSF」はその後、実現されたのだろうか。また、この山野独自の思想はどこまで普遍性をもちえたのだろうか。
 じつは、この山野の宣言は、ブライアン・マクヘイルの提唱した〈存在論的ドミナントとしてのポストモダニズム〉を先取りするものだった。その〈存在論的〉ポストモダニズムについては私もかねてより、SFや現代文学を論じるうえでの最重要概念として、たびたび論じてきているが、だからこそ山野の思考の先進性と視野の広さは改めて評価されるべきと、ここで強く訴えたい。
 もっとも、「原点と指向」に触れただけでは、まだ山野の思想の奥深さや拡がりを十分に示したとはいえまい。山野のSF論でも最重要といえるであろう「内宇宙の構造」(『カイエ』1978年12月号)や、現代文学とSFの越境をめざした「大江健三郎の三作に於けるタイムトラベル的同時代論」(『ユリイカ』1980年4月号)など、検証すべき論はまだまだ数多く残っている。(続く)


(1) https://sf-encyclopedia.com/fe/japan?fbclid=IwAR1xz_9R97PlZtAwqr_1-NdV_6HziwO67qoZHNGV3qM85DYt-26OWFXgCJY
(2) 「立命館大学 研究者学術情報データベース」

https://research-db.ritsumei.ac.jp/rithp/k03/resid/S000824

2021年11月7日アクセス
(3) 「ポストモダンはSFを夢みる――SFをめぐる批評理論の概観」などを参照
(4) 『70年代ロックとアメリカの風景』(小鳥遊書房、2021)所収のキング・クリムゾン、イエス、EL&P、ジミ・ヘンドリックスなどに関する論考を参照

参考文献
山野浩一.「日本SFの原点と指向」.巽孝之編.『日本SF論争史』.勁草書房、2000、142-158.
——-. 「NW-SF宣言」.『季刊NW-SF』vol.1.1970、1-4.
Mechademia: Second Arc. Vol.14 no. 1. Minneapolis, MN: University of Minnesota Press, 2021
荒巻義雄.「術の小説論――私のハインライン論」.巽、162-187.
長澤唯史.「ポストモダンはSFを夢みる――SFをめぐる批評理論の概観」.『文学 特集SF』第8巻第4号(2007年7・8月号)、岩波書店、2007、123-136.