「天才子役」川島怜子

「アン、ドウ、トロワ! アン、ドウ、トロワ!」
 バレエの稽古場に先生のかけ声が響く。
「はい、そこから流れるようにアダージョ……オデット! それではダメよ」
 オデット役の小学生の少女――藍咲(あいさ)は何度目かの叱責の声を浴びた。
「あなただけ目立っているわ。周りにいる他の子たちをよく見て、動きに合わせてね」
 純白のチュチュ姿の藍咲は黙って聞いている。今はリハーサルの最中だ。白鳥を思わせる真っ白い衣装に、トウシューズ。頭飾りも羽でできている。
 明日はバレエの発表会の日だ。演目は「白鳥の湖」。オデットは主役の名前だ。
 小学生の発表会なので、プロの舞台のような厳しいレッスンではない。でもオデットがうまく踊れなければ、舞台自体が台無しとなる。
 私は我を忘れて、藍咲のもとに駆けよった。
「藍咲! 真面目にやりなさい! 本番は明日なのよ!」
 さらに大声をあげる私に、バレエの先生は「落ち着いてください」と声をかけてきた。先生が藍咲を注意するたびに、その五倍は私が怒っている。
「……ともかく、藍咲さん、周囲の人の踊りかたに合わせてちょうだいね」
「分かりました」
 藍咲は頷いている。おとなしい性格で口数が少なく、先生の言いつけに素直に従う子だ。
「藍咲! 分かっているのなら、ちゃんと踊りなさい!」
「大声を出さないでください。指導はこちらがしますので見守っていてもらえますか?」
 私は不服ながら「はい」と返事をした。
 藍咲は、私の勤務先の芸能事務所に所属している十歳の子役だ。性格は真面目で無口。見た目はどこにでもいる普通の少女だ。
 しかし、現場での藍咲は、化粧と髪型で別人のように変わる。まだ大きな役はもらえていないけれど、女優の仕事が向いているのだろう。天才子役だと噂されている。
 私はマネージャーとして今日、現場についてきている。今回は女優の仕事ではないので心配していたが、予感は的中した。先生から注意されてばかりいる。

 休憩に入ったので、私は藍咲に近づいた。
「藍咲、どうして先生の指導の通りに踊らないの?」
「踊っているつもりです……」
「でも全然できていないじゃない!」
 大声を出してから、慌てて口を押えた。すぐにカッとしてしまう。
 私は腕時計を見た。時間だ。
「さあ、次の現場に行こうか」
 稽古場にはスケジュールのことは伝えてある。私は先生に挨拶をした。
「すみません、しばらく中座します。また戻ってきますので」
「あら、もうそんな時間なのね。いいわ、藍咲さん抜きで稽古を進めておきます」
 控室でチュチュとトウシューズから、白いブラウスと紺色のスカートに素早く着替えさせた。お団子の頭を隠すのに、黒髪おかっぱのウイッグをかぶせた。上品に紅茶を飲んでいそうな雰囲気だった藍咲が、毎日十時間ぐらい勉強していそうな堅い感じの子になった。別人にしか見えない。さすが天才子役だ。急いで隣のスタジオに入った。
 児童合唱団が稽古中だった。藍咲は挨拶をして、列の中に入る。
 私は他の保護者達に混じって、練習風景を眺めた。藍咲の高い声がよく聞こえてくる。
「そこの子!」
 合唱団の先生にも、藍咲は注意された。
「みんなで歌うのが合唱なんだから、一人で歌わないようにね」
「はい……」
 藍咲はおとなしく聞いている。
「藍咲! どうして先生の言うことが聞けないの! あなただけ目立ってたわよ! ちゃんと歌ってよ!」
「怒鳴らないで見学だけしていてください」
 私は無言で頷いた。
 その後の練習もうまくいかず、私は声を荒らげそうになるのを押さえるのに必死だった。
 腕時計を見た。時間だ。
「すみません、次のスケジュールがありますので」
 先生に挨拶をして、合唱団が練習している部屋を抜けだした。控室で今度は、ダボダボした衣装に着替えさせた。藍咲のおかっぱのウイッグを外し、カラフルなエクステをつけた。真面目な優等生から、かっこいいBガールへと変身した。別人だ。感心しつつも隣のスタジオへと移動した。
 そこではヒップホップダンスの練習が行われていた。
 色とりどりの衣装に身を包んだ、独特のヘアスタイルの小学生たちが、音楽に合わせて体を動かしている。さきほどのバレエとはまた違う踊りだ。
 藍咲は挨拶をして、練習している子たちの中に入っていった。
 でもやっぱりダメだった。
 藍咲のステップに、先生は何度も注意をした。そのたびに私が大声をだすので、最後は私が先生に叱られた。
 私は練習場からそっとでて、事務所に電話をかけた。
 昨日、食中毒がでた。公民館で開催される、小学生の発表会のリハーサルで配られたお弁当が原因だった。急だったので代役が間に合わないサークルもあり、天才子役ならできると頼みこまれて、事務所がかけもちの代役を引き受けた。でも藍咲は女優なので、演技しかできない。バレエも合唱もヒップホップも、先生に注意されてばかりだ。
「もしもし、社長? 須山です」
「どうかした?」
「はい……藍咲が完璧すぎて浮いてしまっています」
 社長の溜息が通話口から聞こえてきた。
 藍咲はロボットだ。
 台詞は一度で完璧に覚えるし、通行人として歩かせれば二十四時間歩き続ける。人間の役者を引き立てるためのロボットだ。映画やドラマの撮影現場で最近増えてきている。
 小学生の発表会の代役に、小学生型ロボットの藍咲は適役だと思われたが、バレエも合唱もヒップホップも、プロの完成度だった。上手すぎて使えないと言われた。加減をするのはロボットには難しいのかもしれない。
 社長は忙しいのか、うんざりした口調になっていた。
「では、今から技術者を二名そちらによこすから。向こうの説明に従って。こっちも忙しいから……。ああ、またか……」
「……社長? なんのお話ですか?」
 社長は溜息をついただけだった。
「マネージャーさん、そろそろバレエの練習の時間です」
 通話が終わると後ろから声をかけられた。藍咲だった。バレエの衣装に着替えている。
 技術者たちが現れた。手には機械を持っている。ロボットの調整に使うのだろう。
「須山さん、お待たせしました」
「え? ああ、須山です。初めまして」
 技術者たちは一瞬顔を見合わせた。
「須山さん、藍咲ちゃん、こちらの部屋へ」
 了解をとってあるからと、空いている部屋へ連れていかれた。二人がイスに座るようにと言い、藍咲と私はそれぞれに腰かけた。
「それでは、二体の調整を始めます」
 二体? どういうこと?
 口を開きかけたときには、視界はもう暗くなっていた。

「一度目、小学生ぐらいの機能にしたつもりが、藍咲って子は直立したまま、須山って人はいびきをかいて居眠りするとはね……」
「二度目、機能を強めに設定したら、藍咲って子はプロレベルだし、須山って人は怒鳴り散らすし……」
「まったくロボットの調整も楽じゃないな。記憶の回路も修正しないといけないしね」
「……はい、完了。藍咲って子は、小学生にしては上手だなぐらいだし、須山って人は、ニコニコして見ているよ」

 かすかに、誰かが話している声を聞いた気がする。藍咲と私のことをなにか……。

 目を開けたときには、見ていた夢は覚えていなかった。
 バレエの練習の途中で、休憩になったので、藍咲と二人で空いている部屋に入った。どうもそのままウトウトしてしまったようだ。
 腕時計を見る。
「やだ、もうこんな時間。藍咲ちゃん、起きて」
「あれ? 私、寝ちゃってた? あ、もしかして須山さんも眠ってたの?」
 藍咲は私と目が合うと、にこっと笑った。藍咲はいつも笑顔でいる無邪気な子だ。
「バレエのレッスンに戻ろうか」
「私がいないと、練習できないものね。主役だもん。ねえ、あとでジュース飲みたい」
 私は藍咲と手をつないで、練習部屋へ向かって歩いていった。
「バレエのあとは、合唱。そのあとはヒップホップの練習よ、忙しいわ。明日はもっと忙しいかも? でも藍咲ちゃんの実力なら大丈夫よ。心配しないでね。私もついてるし」
「須山さん、優しい~!」
 藍咲と喋りながら、なにか前にも同じようなことがあった気がしたけど、思いだせなかった。

(川島怜子氏は、江坂遊会員の推薦によりご参加頂きました:2021年1月2日)