「ゆめ細工」江坂遊

 そう。丁度、きみと同い年くらいのころでした。どんなものを見ても目を輝かせて驚くことができたあのころ。思えば、とてもありがたい宝物のような日々を送っていたのだと思います。
 縁日で飴細工のニワトリをひと目見たときのことは、忘れられません。身体から魂がふわりと抜け出た感じがしたからです。真っ赤なトサカの色と真っ白な羽根。生きている目と今にも襲ってきそうな恐ろしい爪。細密に描かれた絵なら見たこともありましたが、それを食べられる飴で作ってしまえるとは思ってもみないことでした。まさに超人技です。
 それから僕は飴細工のことが頭から離れなくなってしまいました。僕は僕が見たあの「飴細工」の作り手になるにはどうしたらいいのかと考え始めたのです。記憶に頼って、材料をそろえたところで、しょせん我流ではうまくいきません。それでも、あのときの感動をどうしても再現したくて、無駄な時間とは分かっていても、必死でもがいていたのです。
 強く思えば叶うとよく言いますが、まさにその通りになりました。ある日、村の近くの温泉宿に小松斎快竜という飴細工師が立ち寄っていると耳に入ったのです。僕はこの機会を逃してはいけないと奮い立ちました。思いを長々と文に書きつけ、その師匠の元に通い詰めたのです。とっくの昔に親の許しはもらえていたので、都合よく「それを条件になら」と言ってもらえたときは、天にも昇るほど嬉しかったですね。やっと、念願叶い、弟子にしてもらうことができました。それが幼いときに見たあの師匠、その人だったというのは、実に幸運なことでした。
 でも、修行はたいへんでしたよ。指が火傷でボロボロになったりしてね。
 熱いままの飴を、こねたり、引いたり、膨らませたり、つまんだりするのですからたいへんです。でも、キャッキャと喜ぶ子どもの顔には代えられません。辛い修行もそれを思い出せば、なんとか耐え忍べました。その子が頭に思い描いたものを目の前に出せたときの、その驚いた表情があればこそ、です。
 ところが師匠の指はとても綺麗だったので、そっと聞いてみたことがあります。
「じゃ、お前はわたしのあの技のことを知らなくて、門下に入ったのかい」
 と、とても驚かれましたが、まだまだ先には素晴らしい細工ものが作れるのだと分かり、胸を高鳴らせました。
 師匠の技をひと通り習得するのに三年です。でも型通りの動物や花や鳥はそんなに難しくはなかったのです。型からはずれた師匠の独特の細工に時間がかかりました。僕が師匠に褒められたのは、握りばさみの使い方で、チョンチョンと形を整えていく手際の良さは自分でも少々うぬ惚れていたくらいですね。
 師匠の教えは、「形をその子の頭の中から抜き出してきなさい」というもので、初めは何を言われているのかわからなかったけれど、やってみるとそんな風にしか語れないということまで含めて分かるようになりましたね。まさにそういうことで、頭の中の思いを取り出す大切さっていうのか、まぁ、同じことしか言えないけれども、まさにそういうことに尽きるのです。
 千里眼? 妖術? まぁ、匠と呼ばれるようになると、妖術使いと紙一重のところにいるのは確かですね。
 四年目に入って、師匠が「そろそろ、あれを教えてやってもいいだろう」と言ってくれました。小松斎の一門しかできない秘技「ゆめ細工」をその頃から習い始めたわけです。修行は更に険しい次の段階に入りました。
 それまで僕は「ゆめ細工」についてまったくといっていいほど知らなかったのですが、そんな不思議なことができるんだと知ったときは、師匠の技に酔いしれてしまいました。
 簡単に言うと、「飴細工」の材料は飴だけれど、「ゆめ細工」の材料は「ゆめ」ということになるわけです。「ゆめ」をこねたり、引いたり、膨らませたり、つまんだりして、その子が目を閉じて見る「ゆめ」を細工する。「ゆめ細工」、それは思いの形の「ゆめ」を見てもらうおうという技のことだったのです。
 自分の手を温めその子の顔の上にかぶせて宙でこねまわしていると、その子はすぐにいい気持ちになって眠りに落ちます。するとすぐに、鼻や口や耳から柔らかな甘い匂いがする七色の糸くずが飛び出して来て頭の上にそれが集まり棒状の雲の形を作ります。するともう、普通の飴細工と変わりはなくなります。富士山、鷹、なすび、飼い犬も猫も、恋するお相手の顔であっても自在に形作ることができるのです。
 師匠についてもらってですが、見よう見真似でやってみて、僕は三年でその技をものにしました。七年経って、ついに僕は「ゆめ細工師、小松斎飛竜」と名乗らせてもらえることになり、ひとり立ちすることもできたのです。僕は、夢にも思わなかった「ゆめ細工師」になりました。
 そうなれば、もう大道芸人のような扱いは受けなかったし、お客様の方からお呼びがかかり、生活もずっと楽になりました。お客様は上品な方々ばっかりだったので、こんな「ゆめ」を見たいという要望も、おめでたいものや美しいものばかり。やっているこちらも、心が洗われました。観音様などという要望のときは、完成させたのが明け方ぎりぎりになることもあったのです。ええ、とても喜ばれました。
 けれども長く続けていると、困った要望と言うのもなくはありません。
 そうそう。こんなことがありました。美しい四人姉妹が飛竜を困らせてやろうと、奇妙な要望を出して来たことがあったのです。断りたかったのは山々ですが、師匠からのたっての口利きということもありお話を受けました。師匠は慢心し始めていた僕に更なる修練の場を与えてくれたのです。
 長女が「あめ」と言ったときは、ポカンとしてしまいました。飴細工をしろという風に一瞬勘違いしたからです。よく聞いたら、ザーザー空から降ってくる「雨」のことでしたね。何しろ、形のないものだから、どうしようかと戸惑ったのですが、綺麗な女性からの挑戦を邪険にも出来ず、やってみることにしました。
 それが何とかやれました。彼女が目を覚ましたら、「飛竜さま、確かに雨の夢を見ました。あら、寝巻の袖が濡れています」と言ってくれたのです。ギュッと抱きしめられたのには目を白黒させたものです。
 次女の要望は、「風」でした。これにも形がない。難題続きで、僕を困らせようと言う魂胆が見え見えじゃないですか。
 でも、次女の目が覚めたら、彼女は風に吹き飛ばされて、お庭の池であっぷあっぷというありさま。「飛竜さま、確かに風の夢を見ました。あら、こんなところまで飛ばされちゃって」。僕が手を差し伸べると、僕も池の中にドボンとね。水の中で抱き合うはめになるとは思ってもみないことでした。
 三女が「お日様」と言ったときには、二人顔を見合わせて笑ってしまいました。
 結局、三女は目を閉じてうとうとっとしたら、夢の中で太陽がピカッと輝いて、飛び起きました。「飛竜さま、確かにお日様の夢を見ました。でも、もうすっかり熟睡しました」と飛び起きるなり、家業の手伝いを始めたから、驚いたの何のって。いや、さすがに三女は働き者なので、僕と抱擁する時間はありません。
 そして、残る末っ子の要望ですが、それがとびきり変わっていました。
 四女は「ゆめ」を形にしてほしいと言って来たのです。形がないから夢のようだと言うくらいのものですからね。僕は、首を傾げたまま、しばらく腕を組んで黙り込んでしまいました。「さすがに、それはできそうもない」と断ったのですが、四女はとても褒め上手、乗せ上手でした。これが出来たら嫁入りしても良いとまで言うのです。上のお嬢様以上にずいぶん積極的でした。その約束になびいたわけでは決してありません。小松斎の名折れになってはという意地でしょうかね、「ゆめ細工」を言われるままに試みることにしました。
 さて、その顛末ですけれど、これがうまく行き、「ゆめ」を見てもらえたようですが、……。
 言いにくいことですが、四女はそれからずっとこんこんと眠り続けています。今も、目が覚めたらまた「ゆめ」の中にいるという不思議な「ゆめ」を繰り返し見続けているのに違いありません。
 ああ、僕はその家から、明け方近く、這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げ出しました。それからのことはよくわかりません。すまないことをしたとは思っています。それがおのぞみだったとは言え、飛竜に罪がないとは言えないでしょうね。
 さぁ、もういい頃合いでしょう。そろそろ思い出してもいい頃じゃないですか。
 きみは何の夢を見せてほしいと僕に頼んだのでしたかね。
 あぁ、ようやく思い出してくれましたか、嬉しいな。そう、きみが頼んだのは、「ゆめ細工師のお、じ、さ、ん」だったのですよね。つまり今、……。
(了)