工場から呼び出しがあるのは大抵いつも真夜中だ。
FSSC22022認証のクリーンな工場内は常に一定の温度と湿度に保たれ、光量だって変化しないのに、なぜだか奴らが「目覚める」のは決まって夜中か、でなけりゃ僕が珍しく休暇を取って、彼女と一緒にビーチで寝転んでいる時とかだ。まあ、しかたがない。結構な高給をもらえるのも、このちょっと変わった仕事のおかげなんだから。
渋々ベッドから起き上がって、うるさく点滅しているフォンを取り上げる。
「こんな時間にすまないな、また豚舎で発生だ」
夜勤中のオペレーターの声はさしてすまなそうでもなかった。そりゃそうだ。いつ発生しようが彼にはなんの責任もない。
「ああ、すぐ行く」
「ん……また呼び出しなの?」
傍らで寝ていたローズが眠そうにつぶやく。
「シーッ、良い子で寝てな」
僕は、上着を引っ掴むだけの最低装備で家を出、無人タクシーを拾った。どうせ工場内に入るにはシャワーを浴びてクリーンルーム用のつなぎに着替えるのだ。今は顔を洗う時間も惜しい。
豚舎――正式名称クリーンポーク培養棟は、海岸近くの工場地帯に建ち並ぶ巨大な箱型の工場の一つで、一辺が数百メートルもある外壁を闇夜に白く浮き上がらせている。
フォンで指示されたポイントになるべく近いエントランスから入り、ロッカールームから始まる除菌ゾーンで、面倒な規定通りに自らを可能な限り無菌状態に近づける。最終チェック用の鏡に映る自分の姿は上から下まで白づくめに加えて、ゴーグル、マスク、手袋、長靴。まるで、宇宙人を捕まえにきた役人のようだ。ここまでやって、さらに気密室でエアシャワーを浴び、やっと食肉の培養室への入室が許される。
途方もなく広い室内に、ステンレスのバスタブのような培養槽が無数に並んでいる。ここでは毎日数十トンにもなる豚肉を育て、出荷しているのだ。オペレーターはすでにドローン姿で現場に来ていて、手招きの代わりにチカチカと赤いランプを点滅して問題が発生した場所を教えてくれた。
「出てるだろ?」
ドローンがモニターを指し示す。
「ああ、出てるな」
「範囲はF8からH12くらいか?」
「いや、もうちょっと広く、E3からJ2まで切除しよう」
「わかった。メスは用意してある」
「助かるよ」
僕は培養槽の重い蓋を開け、レーザーメスをパネルから遠隔操作して、問題の部位を摘出し、培養液で満たされたステンレス容器に入れた。
「ラボへ頼む」
容器を乗せたワゴンが静かに走り出した。
「これで反応しなくなったと思うけど、どうだろう?」
オペレーターが培養槽に残された肉塊に微弱な電流を流し、神経細胞特有の反応が多すぎないかチェックする。
「うん、大丈夫だ。隅々まで優良なヒレ肉だ」
「よし、じゃ、ここの後始末は任せるよ」
僕は、ワゴンの後を追い、工場のさらに奥にあるラボへと向かった。
牛、豚、鶏など、いわゆる家畜と言われる動物を屠殺して肉を得る時代はとうに過ぎ去り、今は培養肉が主流になっている。畜産業が環境に悪いとか、動物愛護の観点からとか、培養肉を選ぶ理由は色々だけど、最初から最後まで清浄な環境で最高に美味しくなるように管理・培養された肉は、味・安全性ともに本物を凌駕したのだ。黎明期には、ボソボソしたひき肉状のものしか作れなかったのが、今や、霜降りだろうが、赤身だろうが、自由自在に組成をコントロールでき、本物以上に本物らしい食感と食味を低コストで構築できる。それに、生で食べても寄生虫や細菌の心配がない。
だが、培養肉が世間に広く定着した矢先、とんでもない事件が起きた。ある食肉会社の豚肉の培養槽で、突然、筋繊維や脂肪を上回る勢いで神経細胞が増殖しはじめたのだ。少量の神経細胞なら問題にならない。けれど、数十億の神経細胞の塊というのはもはや脳である。
気付くのが遅れたため、その「脳」は重量だけなら人間の脳以上の巨大な塊になり、外からの電気的な刺激に反応し、自らも微弱な電流を発する――つまり何らかの意識を持っているらしいものへと成長してしまった。
のちに「タロウ」と名付けられた哀れな「脳」は手足も感覚器官も持たないまま、直方体の肉塊の中で六十三日間生存した。もっといくらでも長生きできたはずだが、処分に困った会社が、培養槽への栄養補給を止め、全てを闇に葬り去ろうとしたのだ。
しかし、同じような事例が何度か発生し、内部告発にも事実を認めない食肉会社、世間からの轟々の非難……と、お決まりのステップを踏んで、培養肉産業界は培養槽の中で生まれうる命に対して責任を持たなくてはいけなくなった。それで、僕のような仕事があるわけだ。
ラボでは、先に到着した摘出部位がすでに容器ごと手術台の上に乗っていた。神経細胞の数はまだ数億程度だが、このまま増殖すればまた「タロウ」のような、何もできないのに意識だけはある生命体になってしまう。不思議なことに、この異常が起きるのは豚だけで、同じように培養している牛や鶏では一度も観測されていない。
僕の仕事は、神経細胞の異常増殖があった食肉培養槽から、問題部位を摘出し、生まれてしまった意識が命をまっとうするに相応しい体を与えることだ。具体的には、豚の幹細胞から脳の無いミニブタの胎児を生育し、時期を見て問題の「脳」を移植して、完全な仔豚にする。脳は脳で、身体が出来上がる間、豚に相応しいサイズになるようプラスチックの頭蓋骨の中で育てておく。
何故ミニブタかって言うと、普通の豚じゃ大きすぎてペットにしにくいからだ。工場産のミニブタは人気が高く、隔月で開かれる譲渡会ではあっという間に飼い主が決まる。飼い主たちは「責任を持って、一生幸せに飼います」という誓約書にサインして、可愛いミニブタをそれぞれの家庭に連れ帰る。
脳になりかけの神経細胞を余計な筋細胞から切り離し、頭蓋骨の中にセットして、培養液に浸し、新しい幹細胞を培養器に入れて始動すると、もう夜が明ける時間になっていた。
ラボの別室では、次の譲渡会に出せるほどに成長した豚たちが数頭、ケージの中で固まって眠っている。みんな一級品の仔豚だ。賢いけれど賢すぎない、豚にふさわしい知能。そう、ローズみたいじゃなく。
ローズが生まれた時――あの時は、オペレーターが異常を発見するのが遅かったのと、僕が休暇中で駆けつけるのに時間がかかったのとで、摘出時には、神経細胞の塊がすでに豚の脳としてふさわしいサイズを超えて成長してしまっていた。だから僕はそのちょっと大きすぎる脳を持ったミニブタに人工声帯を移植したのだ。発達した知能が幸せに命をまっとうするには、言語によるコミュニケーションが必要だろうと思って。
瑕疵があるから譲渡会には出せないと言って、僕は仔豚を自宅に連れて帰り、ローズと名付けた。それまで付き合っていた彼女とはビーチで別れてそれっきりだし、真相を知っているのは僕と社長とローズだけ。だって、食肉工場から喋る豚が生まれたなんて世間に知れたら、また大変なことになってしまう。
僕には恋人はいないけど、家に帰れば薔薇色のおしゃべりな仔豚がいる。今のところ、僕とローズの生活は幸せそのものだ。