バロン編著の先進性
デーナ・ルイスによる日本SF史の存在は、岡和田晃氏からのご紹介で知った。ルイスは「鳥はいまどこを飛ぶか」などの山野浩一作品や評論の英訳で知られている翻訳家だが、1981年に出版されたニール・バロン編のAnatomy of Wonder: A Critical Guide to Science Fiction(『驚異の解剖』)に、David Lewis名義で”Japanese SF”(日本SF)という30ページにわたる日本SF論を掲載していたのだ。
前回紹介した『SF百科事典』のオンライン版には、少なくとも私が前回紹介したORELの論文を執筆していた2015年頃の時点では、まだこの書誌情報はなかったと記憶している(したがって私がこれまでこの論に辿り着けなかったのは致し方ないことと、なにとぞご理解とご容赦のほど、お願い申し上げたい。また岡和田氏には改めて、この場を借りて感謝申し上げます)。またこのバロン編の論集とルイスの日本SF論については、すでに岡和田氏による紹介(「山野浩一とその時代(6)三つの英訳版『鳥は今どこを飛ぶか』」)もあるが、ここではより詳しくその内容と意義を論じてみよう。
このバロン編のSF論集は、当時としては期待しうるかぎりの情報を網羅し、SFの歴史とジャンル全体を俯瞰できる内容となっている。①SF創成期から1920年代まで、②大戦間期(1918-1938)、③第二次世界大戦以降(1938-1980)の三つの時期に分けての通時的記述と、ジュブナイルSFや英米以外の各国SF(ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、日本、中国)の紹介、そしてSF研究に関する各種資料やアプローチの紹介などで構成されている。
たとえば②の大戦間期については、SF作家・研究者のブライアン・ステイブルフォードが英米をバランスよく紹介しており、書誌情報ではさらに幅広く、カレル・チャペックなどの東欧作家、シンクレア・ルイスやアプトン・シンクレアなどの文芸畑の作家、さらにはデヴィッド・リンゼイの『アルクトゥールスへの旅』までが採りあげられている。ステイブルフォードはその後Creators of Science Fiction (2010)などで、SF史の再構築や過去の作家の再評価、発掘などを積極的に進めている。
また中国SFについては、中華人民共和国建国後の翻訳事情やオリジナルなSF作品の誕生などについての貴重な情報が得られる。そして本書全体として書誌情報が極めて充実しているので、まさにSF研究・批評への導入にはうってつけの書物だ。こうしたSF研究アンソロジーが1980年頃にすでにまとめられていたことだけをとっても、日本の状況とは大きな違いがある。
デーナ・ルイスの日本SF論
その中で、ルイスの日本SF史は10頁ほどの通史の記述に、20頁の書誌情報が続くという、各国SF紹介の基本構成に従っている。書誌情報については作者名と作品名に、数行から20行弱ほどの内容紹介があり、これも他の項目と共通するフォーマットである。紹介されているのは星新一、小松左京らの戦後第一世代にはじまるSF作家の代表作が中心ではあるが、鈴木いづみ『女と女の世の中』(1978)や山尾悠子『夢の棲む街』(1978)までもカバーされ、さらに石川達三『最後の共和国』(1952)、佐藤春夫「のんしゃらん記録」(1929)三島由紀夫『美しい星』(1962)まで含まれた、幅広く目配りの聞いたリストになっている。もちろん稲垣足穂『一千一秒物語』(1923)、夢野久作『ドグラ・マグラ』(1935)、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(1948)、沼正三『家畜人ヤプー』(1970)など、現在の日本SF史の記述には欠かせない作家や作品も忘れていない。
通史の記述については、長山の『日本SF精神史』と同様に、明治政府の富国強兵政策とそれに伴う科学教育への関心の高まりから、主としてヨーロッパの科学ロマンスの翻訳紹介から始まったことを紹介する。そして日本人によるオリジナルなSF作品は押川春浪『海底軍艦』(1900)にはじまり、海野十三が「十八時の音楽浴」(1937)や『浮かぶ飛行島』(1939)によって戦前の科学ロマンス小説の頂点を極めたことが的確に記述されている。また、この原稿の執筆時点ではおそらく日本人のあいだでも忘れられていたであろう小坂井不木の「人工心臓」(1926、ただし不木は”Fugi”、作品名は”Jinzo Shinzo”と誤記されている)にまで言及しており、その情報収集力の高さには驚かされる。
特異な戦後日本SF史
だがルイスの論考のオリジナリティは、戦後SF史の記述によるところが大きい。それは戦後の日本SFの再出発を戦前との断絶とアメリカSFの翻訳へのシフトに着目し、そこから日本の戦後SFの出版や受容の構造が形作られていったことを指摘しているからである。
この二つの時期(戦前と戦後)に受けた西洋の強い影響によって、日本人作家の作品よりも海外作品の翻訳により注意を払う日本のSFファン層が形成された。とくに第二次世界大戦後の時期に日本のSFは、ある種の未来への志向を具体化するために書かれるというよりは、西欧SFの翻訳に集まるファン向けのものとなった。日本のSF作家の作品が掲載されるのは、アシモフやブラッドベリなどの翻訳作品を掲載するための雑誌であり、彼らの長編は古典的な英米SFの出版に特化した出版社の刊行リストの穴埋めとして扱われていた。(468-9)
かなり極端な意見のように感じるかもしれないが、実際に早川書房や東京創元社などは翻訳SF作品を主力商品とする出版社であり、SFファンとはすなわち海外SFファンである、という時代は確かにあった(ルイスはそれを1950年代から60年代初頭としている)。それが日本SF界における「翻訳家の特権的な地位」(469)を築いたという指摘も間違いない。ただし、これは決してネガティブなことではないと考えている。英米SFの翻訳紹介とそこで翻訳家が果たした役割については、私も第一回で紹介したオックスフォード研究百科事典の記事で紹介しており、この点についてはまた改めて考察をしたい。
またファンダムや同人誌の重要性や、そうしたファンの集まる場としてのコンベンションの紹介、また当時のSF雑誌や文庫本の実売部数のデータなどは、70年代初めから何度も日本を訪れてリサーチをしていたルイスだからこその記述として、現在でも重要な価値を持つ部分だろう。
そして70年代後半のSFブームの時期にようやく翻訳中心の状況を脱し、日本人作家の作品が正当に評価され広く読まれるようになった、という当時の最新の状況も紹介されている。この当時の海外SFファンからの日本への眼差しについては、日本比較文学会第83回大会(2021年6月)のワークショップ「SF的環境としての現代日本」において報告をさせていただいたので、また稿を改めて紹介をしたい。
ルイスがみた日本SFの死角
1980年前後という時期を考えると、ここまで日本SFの状況を外から分析的に眺めた論述があったことは驚くべきことである。だがルイスの視線はそのような外形的な日本SFの特徴にとどまらず、その本質や精神性にまで到達する。そしてその指摘は、日本SFの関係者にとっては必ずしも心地よいものではない。
まずルイスが指摘するのは、日本ではハードSFが極めて少ない、という事実である。ここでルイスがいうハードSFとは、「超空間」や「ブラックホール」などのありきたりなSF的アイデアを散りばめたものではなく、科学や未来への興味に基づいた純粋な思考実験としてのSFである。フランク・ハーバートの『デューン』やル・グインの『闇の左手』を引き合いに出し、日本のSFにはこのような人類学的な視点や関心から未来社会を描こうという作品がない、とルイスは言う。かろうじて光瀬龍の〈宇宙年代記〉や眉村卓の〈司政官〉シリーズがそれに近いものとして挙げられているが、それでも日本SFには徹底して「異質なもの」を想像力で描き出す試みが欠けている、というのがルイスの見立てだ。
そうして日本のSF作家の関心は、環境や世界よりも個人の内面に向かう。現代の日本人と同じモラル・ジレンマを抱え、未来よりも現在に関心を持ち、「われわれは何者か」とは問うても「われわれは何になれるか」は問わない。それが現代日本のSFである、とルイスは指摘する。ルイスはその原因をよく言われる日本の〈同質性社会〉に求めており、その点についてはより緻密な議論が必要ではないかとは思うが、半村良や光瀬龍、豊田有恒らの歴史SFを、そうした日本人の未来志向の欠如として位置づけるのも重要な論点を提供している。
三島由紀夫が『宇宙塵』に出した手紙を引きながら、三島がSFを近代的ヒューマニズムを根本的に問い直すジャンルとして評価していたこと、その観点から安倍公房や沼正三を高く評価し、知的営為としてのSFの可能性を追求すべきとしていたこと、などもルイスは重視している。そして「日本SFはいまだに西欧SFの亜流でしかない、その知的営為としての可能性をいまだに引き受けようとしていない」という手厳しい言葉で、ルイスの日本SF論は結ばれている。
「思弁小説」としての日本SFの可能性へ
このルイスの日本SF論を一読して、その理解の深さと鋭い問題意識には驚くばかりである。何より、岡和田氏が「ルイスは『日本文学の正嫡としてのSF』を論証しようとしたのではないだろうか」(188)と指摘するように、日本SFをより幅広い文脈に接続しようとする試みとして重要だ。40年のこの日本SF論は、肝心の日本SF関係者の間では、どの程度認識されているのであろうか。
もちろんこのルイスの議論が100パーセント正しい、と主張するつもりはない。というより、私の浅学菲才ではこのルイスの議論の妥当性を十分に吟味することは無理である。ここはぜひより深く日本SFを理解する論者に検討していただきたいものであるが、そのためにはこのルイスの日本SF論、ひいてはバロンの『驚異の解剖』全編の訳出を期待したいものである。
ところで、ここまで紹介したルイスの日本SF史観に、山野浩一の影響を見て取る方は当然たくさんいらっしゃるだろう。山野の「日本SFの原点と指向」(1969)はまさに、戦後のアメリカSFという「建て売り住宅」がいかに日本SFから想像力と思考力を奪っているか、という挑発的な問題提起であった。デーナ・ルイスは日本SFの調査のために来日した際に山野と知己を得て、その後長期にわたる親交を持っていた。その点から鑑みれば、山野の影響のもとにこの日本SF史の記述が成り立っていることは間違いないだろう。
だがそれは、逆にいえば山野浩一やデーナ・ルイスの問題提起がいまだに妥当性を持ち、それに対していまだ有効な回答が行われていない、ということではないだろうか。それは私見として、先の三島のSFに対する問いかけが十分に検討されてこなかったこと、そして山野や三島が課題として挙げていた〈安部公房のSFとしての再評価〉ともつながる問題である。そこから、山野やルイスが指摘するような「思弁小説」(Speculative Fiction)としてのSFへと可能性が拓かれるものと信じている。(続く)
David Lewis, “Japanese SF.” Neil Barron, ed. Anatomy of Wonder: A Critical Guide to Science Fiction, Second Edition. NY: R. R. Bowker Company, 1981. 467-496.
岡和田晃.「山野浩一とその時代(6)三つの英訳版『鳥は今どこを飛ぶか』」『トーキングヘッズ叢書TH No.77「夢魔?闇の世界からの呼び声」』.2019.186-9.
岡和田晃他.「山野浩一氏追悼パネル 電子版限定(3)」.『読書人WEB』Photo Archive.2021.12.12アクセス.https://dokushojin.com/reading.html?id=7062
山野浩一.「日本SFの原点と指向」.巽孝之編.『日本SF論争史』.勁草書房、2000.