「伝え人」大梅健太郎

 ある秋の朝、U博士の元に0助手がやって来て言った。
「博士、お客様です。どういたしましょうか」
 U博士は作業の手を止めて答えた。
「客とは珍しいな」
 以前に客が来たのは何年前だったろうか。すぐには思い出せないくらいだ。最近は自分の研究に没頭しているせいか、世間のことにも疎い。
「要件は何だろうか」
「祝電を打ちたいそうです」
「祝電? 誰に?」
「もしよろしければ、お客様に直接聞いていただけませんか」
 そりゃそうだと呟いた博士は、0助手に客を通すよう指示した。
 しばらくして、青白い顔の男が現れた。年は二十代前半くらいだろうか。見るからに不健康そうだ。
「初めましてU博士。突然の訪問をお許しください」
「祝電を打ちたいと聞いたが」
 単刀直入な博士の言葉に、男は頭を掻きながら答えた。
「古くからの友人が結婚すると知り、どうにかして祝意を伝えたくて。手段が無く困っているところに、博士の噂を聞いたのです。なんとかお力を貸していただけませんでしょうか」
 U博士はうなずき、手元の機械を見せた。
「確かに私は今も通信機についての研究を行っているが、多分力にはなれないよ」
「どうしてですか」
「こちらから一方的に送ることのできる通信機は、まだ開発できていなくてね。交信するためには、受信機が必須なのだよ」
 博士は男に機械をひとつ渡し、少し離れたところに移動した。
「聞こえるかい?」
 男の手元の機械から、博士の声が聞こえる。
「はい、聞こえます」
「このように送信機と受信機がそろえば、通話も可能なのだけれども。あっちの世界には、それが無い」
 通信機越しに、博士の軽い笑い声が伝わった。
「まずあっちで受信機を開発してから、死ぬべきだった。完全に順番を間違えた」
「つまり、方法は無いということですか」
 そうだね、と博士は申し訳なさそうに答えた。
「あとは夢枕に立つなど、原始的かつ不確かな方法しか無いかな」
 男は通信機越しに、大きなため息をついた。
「彼女には、霊感が無いんです」
「それじゃ、どうしようもない。諦めなさい」
 博士は男のそばに戻り、通信機を男から受け取ろうと手を伸ばす。男は通信機を握り締めたまま、離さなかった。
「この通信機をあっちの世界に届けることができれば、交信が可能なんですね」
「理論上は、ね。その、届ける方法があれば良いのだけれども」
 男は手に持った通信機を眺めながら言った。
「方法は、ありますよ」
「ん?」
「臨死体験って、ご存知ですか? 仮死状態の人にこの通信機を渡すことさえできれば、ひょっとして」
 博士は、そうか、と小声でつぶやいた。
「考えたこともなかった。こっちの世界とあっちの世界を渡ることなど不可能だと思っていたが、確かに仮死状態の人に渡すことができれば、ひょっとするかもしれん」
 興奮気味に話す博士と男の間に、0助手が割って入る。
「そんなの無理ですよ。確かに仮死状態の人に通信機を託せば、あっちの世界に運んでもらえるかもしれません。しかし、どうやって仮死状態の人を探すのですか? そんな都合よく、人は仮死状態になりませんし、そもそも幽霊になったばかりの人を探すのも困難ですよ」
 確かに、と男は残念そうに言った。
「死んだ人はすべて閻魔大王の元を通過するものだと思っていましたが、そんなことなかったですしね」
 そこで、U博士がコホンと咳払いをした。
「私を誰だと思っている。生前は世界を変える、とまで言われたUだぞ。データさえ取れれば、仮死状態人間探知機くらい簡単に作れるわい」
「データを取るって言っても、どうするんですか」
「日々、たくさんの人間が死を迎え、幽霊化している場所があるではないか。そこへサンプリングしに行くから、ついて来たまえ」
 U博士は0助手と男を連れ、近くの大病院へと向かった。確かに博士の言うとおり、救急病棟では多くの幽霊が誕生していた。
「私は長年の研究成果から、幽霊とは肉体に保存されていたエネルギーの一部が遊離したものであると、確信している。つまりこのエネルギー状態をモニターし、仮死状態で幽霊となってしまった人のデータを複数取れれば、それをもとに選別できるという仮説が立てられる」
 なるほど、と0助手と男はうなずいた。
 それから約1ヶ月ほどの間、博士と助手はデータのサンプリングを続けた。そして、どうやら仮死状態から生還するであろう生体エネルギーのデータを得ることができた。
「よし。これで長年の夢だった、あの世とこの世のホットラインを開設できるかもしれんぞ」
 U博士は嬉しそうに言った。
「これで、彼女に祝意を伝えられる。良かった」
 安堵した男の顔を見て、0助手は尋ねた。
「その、彼女というのはあなたにとって何者なのですか?」
「死別してしまった、元フィアンセです。僕の亡き後、彼女が幸せになれたことが嬉しくて」
 男の言葉を聞いて、博士は眉間にしわを寄せて言った。
「それは、祝意を伝えない方が良いのではないか? ようやく君のことを忘れたのであろうに」
「そうかもしれませんが、居ても立っても居られなくて」
 男の顔が、寂しそうになる。博士はそれ以上触れることはなく、データの解析に戻った。
「あの女性が、仮死状態の可能性が高そうだな」
 救急病棟からふらりと出てきた女性を、博士は指さした。博士の指示に従い、0助手が女性に声をかける。
「あなたは今、幽霊となったばかりなのです」
「はぁ」
「けれども安心なさい。あなたは、生き返ることができるかもしれません」
「ほぅ」
 女性はまだ自分の状況が把握できていないらしく、反応が鈍い。
「それでお願いなのですが、この装置をずっと握っていてくれませんか」
 博士は、女性の手に通信機を握らせる。手の力は弱かったが、ちゃんと握ってはくれた。
「ええ」
 博士と助手、そして男はこの女性の近くで待機する。ほんの数時間後、女性は通信機とともに消えてしまった。
「よし、生還したはずだ」
 女性の本体が横たわる病室をのぞくと、確かに女性は意識を取り戻していた。しかし彼女のそばには、渡したはずの通信機が見あたらない。
「どういうことでしょう」
 男が、不安げに博士に尋ねる。
「わからん。ただ、確かに通信機も消えて無くなったのだから、あっちの世界のどこかにはあるはずだ」
「霊体ごと、彼女の生体の中に取り込まれたんじゃないでしょうか」
 助手の言葉に、博士はうなずいた。
「だとすれば、彼女の身体の中に、通信機があるはず」
 博士は通信機を取り出し、交信を試みる。しかし、反応は見られない。
「だめか」
「いや、諦めるのはまだ早い。何度か挑戦してみよう」
 そうして数ヶ月の間、三人は実験を繰り返したが、通信機をあっちの世界に届けることはできなかった。
「無念だ。そして、力になれず、申し訳ない」
 博士は男に対し、頭をさげた。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。いろいろとありがとうございました。それで最後にひとつお願いなのですが、通信機を一度貸してもらえませんか」
「そりゃかまわんが、どうするんだ」
「自己満足でしかないのですけれども」
 そう言って、男は通信機を手に元フィアンセの所へ向かった。彼女はベッドに横たわり、すやすやと眠っている。男は彼女の顔を一瞥し、通信機をひとつ枕元に置いた。そしてもう片方の通信機に、語りかけた。
「やっぱり、僕にできることはもう何もないみたい。最期にお礼を伝えることもできなくて、ごめん。ずっと一緒にいるって約束しておきながら、先に逝ってしまってごめん。でも、幸せそうで安心した。結婚おめでとう。もう僕のことを思い出さなくていいから。忘れてくれていいから」
 伝えたいことを伝え終わった男のそばに、0助手がやって来た。
「心配で、ついて来てしまいました。大丈夫ですか」
「ええ。ありがとう」
 そう言うと、男の姿はすっと消えてしまった。
「あらら。急ですね」
 0助手は通信機をふたつ回収し、U博士の元に戻った。
「エネルギー切れですかね。消えてしまいました」
「思い残す、という負のエネルギーが尽きたのだから、それは仕方ないことだろうな」
 博士はふたつの通信機を見ながら言った。
「私が長年にわたり幽霊状態でいられるのも、この通信機を完成させたいという情熱があるからだ」
「そうですね。あ、そうそう、最近聞いた話なのですが、博士のことがあっちの世界で有名になっているみたいですよ」
「なんでだよ」
「なんでも、臨死体験をした人がみな、博士の姿をなんとなく覚えているみたいなのですよね。臨死体験で見る幻覚にしては話に共通点がありすぎるということで、今あっちの世界では、死後の世界の存在について大真面目に議論されているとのことです」
「なるほど。記憶は残っているのか」
 博士は少し考えて、助手に言った。
「今度は通信機の作り方を仮死状態の人に伝え、あっちの世界で作ってもらってはどうだろうか」
「設計図も無しに、口伝で理解してもらえるようなシロモノじゃないでしょ」
「記憶力が抜群の、スーパーエンジニアが仮死状態にならないかな」
「過労死するエンジニアなら、たくさんいますけどね」
 0助手は自分を指さして笑った。