「我が死を悼む」片理誠

 こんなことに何の意味があるのかは自分でも分からない。でも決めたんだ。どんな手を使ってでも「死」から逃れるって。

 僕が七歳だった頃、突然母が「私、一年後に死ぬわ」と言い出した。その時の彼女の顔面は蒼白で、口調も真剣そのものだった。
「いったいどうしたの」と僕。
 母には特に大きな持病もなく、その時も顔色さえ除けば健康そのもののように見えた。だから僕はその言葉を信じなかった。僕らは山奥にある小さな村の出身で、確かに周囲には度を越した迷信家も多かったのだけれど、僕自身の中にはそんな古臭い価値観はなかった。現代っ子だったのだ。何があったのかは知らないけど、今どき御幣担ぎ(ごへいかつぎ)だなんて、と僕は笑った。
 私たち一族には死神が見えるの、と母は静かに告げた。かつての先祖たちは他者の死すら察することができたらしい。その力は時代とともに弱まってきていて、今では悟ることができるのは自分の死期だけなのだそうだ。
 死神を見た者は一年以内に死ぬ、と彼女は震えていた。私も信じていなかった。でも今日、ソレを見た、と。
 一族と言っても、全員に見えるわけではないらしい。一生見ないで終わる人もいる。でも、見てしまった人は確実に一年以内に死ぬ。恐らくは血が関係しているのだろう、死神を見る人はだいたい短命なのだそうだ。何らかの関係で“その血”が濃く出てしまった結果なのでしょうね、と母。
 そんな馬鹿な話があるわけない、と僕は反論した。未来はカオスの中にある。これだけ情報処理技術が発達した現在ですら、明日のことを正確に予測するのは難しい。ましてや一年後の未来なんて、誰にも分かるはずがない。
「だいたい死神なんて、いるわけないよ。馬鹿でかい鎌を担いだ骸骨の姿でも見たって言うの」
 母は何も応えなかった。ただ僕を抱きしめて「あなたは生きて」と言っただけだった。
 その一年後、彼女は交通事故で亡くなった。二九歳だった。

 そしてそれから二年経ったある日。今度は父がソレを見た。とうとう俺にも順番が来た、と気丈な彼はとても平静な口調で語った。
 母と父とはいとこ同士だったので、もちろん彼にも奴が見える可能性はあった。だがまさか本当にこんなことになるなんて。僕はパニックになった。
 僕には兄弟はなく、祖父も祖母も既に他界していたので、肉親と呼べるのはもう父しかいなかった。
 何とかして唯一の身寄りである彼だけは助けようと、僕は半狂乱になった。母のことがあったので、「死神なんているわけないよ」と笑い飛ばすことはもうできなかった。
 けれど、どんなに必死になって調べても、死神を出し抜く方法は、ついに見つけられなかった。
 一年後、三二歳で父は亡くなった。心臓発作だった。あんなに何度も検査していたのに。
「後は任せた」と彼はいつも少し寂しそうに笑っていた。

 母と父を失って、僕は天涯孤独だった。ただでさえ少ない親戚たちは皆、都会に移ってしまっており、こんな寒村にはもう誰も残っていない。
 幸い、両親は僕に結構な額のお金を残してくれていた。元々僕の一族はこの辺りでは古くから続く名家で、僕の家もそれなりには裕福だった。周囲の山の幾つかを所有してもいる。
 労働の必要性からは自由だった僕は、その後も学校に通いながら、死神に関する研究を続けた。
 まず最初に調べたのは自分の一族についてだった。確かに短命の者が多い。ただ昔は戦争や流行病なども沢山あったはずだし、医療も今ほどは発達していなかったわけなので、この結果だけで極端に短命な一族とまで言えるかどうかはよく分からなかった。少なくとも長命な家系ではないということだけは確かだが。
 祖先についても調べた。僕の遠い、遠い、遠いご先祖様は、どうやらこの辺り一帯を支配していた豪族だったらしい。その後はとある神社に落ち着いて、そこの神主を代々務めていたとか。
 ただ、その神社はとっくの昔になくなってしまっているし、本家自体も既に絶えて久しい。なので調べてもあまり詳しいことは分からない。僕の一族だけが持つあの忌まわしい能力について語ることはある種のタブーであるらしく、日本のあちこちに散らばった親戚たちは皆口が重く、尋ねても大したことは教えてもらえなかった。あるいは彼らも多くのことは知らないのかもしれない。
 避けられない死、についても調べた。
 己の死期を悟る人物、という条件で僕が真っ先に思い浮かべたのは、『平家物語』の小松殿こと平重盛だった。
 彼は熊野参詣からの帰り道の途中で自分の死を悟る。水遊びをする息子たちの姿が、重ね着の関係で、薄墨色の喪服を着ているように見えたことで。実際、それから程なくして彼は亡くなってしまう。彼の息子らは本当に喪服を着ることになるのだ。文武両道に秀で、温和な人格者だった重盛。彼の死後、平家一門は衰退の一途を辿る。
 もっとも重盛はこの直前、熊野の神に祈りを捧げている。「どうか父である平清盛の悪行をお止め下さい。それが無理ならば、せめて私の命を縮めて下さい」と。平家と朝廷との間で板挟みになって苦しんでいた彼にとって、死は、あるいは神によって与えられた救いだったのかもしれない。
 だがどちらにしろ、これは僕の参考にはならない。母や父の時、神頼みなら散々やったから、意味がないことは既に分かっている。僕の信心が足りないだけかもしれないが、とにかく、両親を助けてくれなかった神様に祈る気にはもうなれない。
 死に関して僕がもっとも心を惹かれたのは、いわゆる『産神(うぶがみ)問答』と呼ばれる昔話群だった。これらは「人間は生まれた時既に神によって運命が定められている」という考えに基づいている。
 例えばこういう話だ。

 ――ある神社の軒下で、明け方、物乞いが不思議な会話を耳にする。それは「今度産まれる子供は男の子だが、十歳になると、祭りの日に水難で命を落とすことになっている」という内容だった。
 果たしてその日、その村ではお産があり、誕生したのは男の子だった。あれは神様同士の会話だったのだ。物乞いはその子の両親に自分が耳にした内容を伝える。
 時が流れ、やがてその子は十歳に。そしてやって来たお祭りの日。両親は我が子を家の柱に縛りつけて、絶対に水に近づけないようにするが、事情を知らない他の者が「お祭りの日に可哀想に」と勝手に子供の縄をほどいてしまう。
 結局、その子は遊んでいる最中に暖簾に絡まって死んでしまうのだ。ところでその暖簾には、波模様が描かれていた――

 平重盛にせよ、産神問答にせよ、そこには神による超常の力が働いている。僕ごときでは、どうすることもできない。やはり人間には運命を変えることなど不可能なのだろうか。
 太古の昔、もしかすると人は神や精霊、悪魔といった存在に、今よりもずっと近しかったのかもしれない。僕の祖先はかつて、そういった人知を超えた存在と契約を交わして不思議な力を得、その力でこの辺り一帯を支配していたのかもしれない。その力は血とともに子孫へと受け継がれ、僕の一族はある種のシャーマンとしてこの地に君臨し続けた。
 だがその力には代償が伴うのだ。寿命を失う、という大きな代償が。しかも力は時代とともに弱まっていて、今ではもうほとんど役に立たない。さして意味のない能力のために早死にしなくてはならないなんて、どう考えても馬鹿げている。この契約は解除しなくては。
 だが、どうすれば解除できるのかが分からない。
 狂ったように様々なことを調べたけど、結局、いつもここに行き着いてしまう。どうやったら死神と意思の疎通をすることができるのか? 分からない。もしかするとそのための儀式などがあるのかもしれないが、我が家にそんなものは伝わっていないし、親戚の誰も知らなかった。
 研究に明け暮れているうちに、僕の心の中には奇妙な、けれども確信めいた考えが芽生えた。恐らく、そんなことは不可能なのだ。一方で、ただ、と揺れ動くもう一つの考えもあった。チャンスはあるはずだ、と。一度だけだが、その機会はある。
 そして二五歳になったある日、そのチャンスが訪れた。
 そいつは何の前触れもなく唐突に現れた。近くの街まで買い物に行った時のことだった。人混みの中ですれ違った瞬間、そいつが死神であることは直感ですぐに分かった。まるで千の稲妻に撃たれたような衝撃が僕の体を走ったのだ。
 本能は逃げろと叫んでいたが、僕は歯を食いしばって恐怖に耐え、振り返って奴を追いかけた。
 母や父が見たのなら、僕もいずれソレを見ることになるのだろう。僕はそう確信していた。僕にも一族の血が流れているのだから、可能性としては十分に考えられる。いや、絶対に見るはずだ。見るに違いない。死神との邂逅はこの瞬間、この一瞬しかない。ここを逃せば、二度と出会うことはないのだ。
「ま、待てッ! 待ってくれ!」人混みを掻き分けながら僕は叫んだ。「あんたに伝えたいことがあるんだ! 頼むから僕らにはもう関わらないでくれ! あんたの力なんて僕は要らないッ!」
 目を丸くして立ちすくむ人々を縫うようにして僕は駆けた。回り込み、割り込み、飛び越え、押しのけ、突き飛ばし、這いつくばって掻き分け、がむしゃらに進む。
 飛び交う怒号、悲鳴、意味不明なわめき声。視界は上下に激しくぶれ、叫びながら全力疾走するという離れ業に僕の肺が激しい抗議を繰り返す。ズキズキと胸が痛んだ。心臓は今にも破れてしまいそう。
 だがそれでも奴の姿をとらえることはできなかった。右を見ても左を見ても、前にも後ろにも、あいつはもういなかった。
「そんな……」
 大勢が行き交う繁華街。通りの真ん中で僕は呆然と立ち尽くす。

 死神を取り逃がし、僕は落ち込んだ。だが、それもほんの少しの間だけだ。こうなるであろうことは、やはり確信していたから。そんな簡単に奴を捕まえられるのなら、とっくの昔に祖先の誰かがそうしていたはずだ。だから恐らくそれは不可能なのだ、と。
 僕は迷わなかった。ならば次の計画を実行に移すまでのことだ。さぁ、急がなくては。あと一年しか時間がない。
 こんなことに何の意味があるのかは自分でも分からない。でも僕は迷わなかった。死神を出し抜く方法は、この他には見つけられなかったから。長い長い探求の末にやっと辿り着いた唯一の答だった。
 急がなくてはと言っても、いつこうなっても良いように予めきちんと準備は整えておいたので、もう残っているのは知り合いへの別れの挨拶だけだった。
 僕の数少ない友人たちは皆、僕を必死に止めようとしてくれた。馬鹿な真似はよせ、そんなのは迷信だ、お前は幻を見ただけさ、そもそもその現象の原因は今では解き明かされていて、単なる脳の機能障害でしかないってことになっているんだ、云々。
 うん、と僕。でももう決めたんだ。今までどうもありがとう、みんな。さようなら。どうか元気でね。

     * * *

 ひどく不快な眠りから目覚めた時、僕はそこを病院だと思った。何しろ真っ白な部屋の、真っ白なベッドの上で寝ていたので。でもそうではなかった。ここは自立支援センターの一室で、僕のような時間跳躍者は皆、ここで目を覚ますことになっているらしい。
 起きる時は、もしかしたらアンドロイドに相手をされることになるのだろうかと思っていたが、全財産をつぎ込んだ百年の眠りから目覚めてみれば、僕を迎えてくれたのはごく普通の女性だった。
 白衣姿のその職員さんは僕に幾つかの質問をした後、こちらからの質問にも答えてくれ、僕がこれから行なうべき手続きについてもてきぱきと、極めて事務的に教えてくれた。要するに僕はこれからエレベータに乗って三階まで行かなきゃいけないらしい。
 水色の部屋着姿のままベッドから起き上がり、用意されていたスリッパを履く。
 礼を言って去ろうとすると彼女に呼び止められた。
「なぜこのようなことをしたのです?」
 え、と僕。振り返る。射るような冷たい瞳が僕を見据えていた。
「あなたは健康体です。政府からの助成はなかったはず。コールドスリープにかかる莫大な費用を全て自費で支払われたのでしょう。なぜそのようなことを? そうまでして未来を覗いてみたかったのですか」
 まさか、と僕は自嘲気味に笑う。
「貴重な医療リソースを、そんなことのために浪費したりはしませんよ。僕にはこうしなくちゃならなかった理由があるんです。でも……きっとあなたは信じて下さらないでしょうね」
 彼女がそれ以上何も言わなかったので、僕はそのまま部屋を後にした。
 結局、自立支援センターにはその後、半年ほど滞在することになった。何しろこの新しい世界のことをよく知る必要があったし、様々な習慣の違いにも慣れなくてはならなかったので。色々な職業訓練も受けた。この社会では福祉政策がやけに充実しており、働かなくても餓死するようなことはなかったが、少しくらいは贅沢もしたかったし、何よりやり甲斐と言うか、生き甲斐と呼べるようなものが僕は欲しかった。せっかくこの世界に来たのだ。どうせ生きるのなら、少しでも楽しく生きたい。
 自分でも驚いたことに、こんな僕にも恋人ができた。
 彼女の名前は凜音(りんね)で、初対面の時に「お凜さん、と呼んでね」と無邪気に話しかけられた。えくぼの可愛い、ショートカットの、ややボーイッシュな印象の人だった。
 主観年齢では彼女の方が一つ年上だったこともあり、僕も最初の頃は律儀に言われたとおり「お凜さん」と呼んでいたけど、やがてそれが「凜音さん」になり、しばらくすると「さん」も取れて、今では普通に呼び捨てにしている。たぶん、そう遠くないうちに「リン」と短縮して呼ぶことになるのだろう。でも向こうも僕のことを「快斗」と呼び捨てにしているのだから、おあいこだ。最初は「くん」付けだったのに。いずれ僕も「カイ」と呼ばれる日がくる。
 彼女も僕同様、時間跳躍者だった。僕らは二人とも、この世界の人々に馴染めないでいた。
 この未来社会では、人が人と競うことはなかった。この時代に生きる人々はただ自分のベストを尽くすだけだ。その結果を評価するのは人ではなく、高度に発達したAI。この世界では誰かが誰かを出し抜くようなことは起こらない。本音を隠したり、建前を使い分けたりする必要もない。全ては管理・評価システムによって制御されており、システムを出し抜くなどという芸当は不可能だった。結果を出せばポイントが上がり、出せなければポイントが下がる。ただそれだけだ。騙したり騙されたりと言った駆け引きは、相手がAIでは通用しない。
 この世界の人たちには、だから裏表がない。それは良いことのようにも思えるが、実際には彼らの中には空気のような希薄な人間性しかないのだ。つかみ所がなくて、僕は彼らのことがどうにも苦手だった。
 昼夜を問わず発達し続ける科学の力が僕を未来へ逃がしてくれた。でもやっとのことで辿り着いた世界は、元いたところとは似て非なる場所だった。僕は孤独だった。
 そんな頃、凜音に出会った。彼女は僕より一足先に目覚めていて、この時代に上手く適応できないでいた僕の話し相手になってくれた。僕らはともに身寄りがなく、他の誰とも打ち解けられずにいた。近づいたり離れたり、衝突したり寄り添ったり、そんなぎこちない手探りの交流を続けていくうちに、互いに惹かれあい、恋に落ち、やがて結ばれた。
 センターを出てからはずっと彼女と一緒にいる。二人で借りた郊外の中古のマンションで。
 二人ともちゃんと働いてもいる。職場は近くの大型農園。どちらもまだアルバイトだけど、いずれ正社員になれると思う。最新の農業は色々と刺激に富んでいて、仕事はいつも楽しい。
 この世界の基準に照らせば僕らは既に夫婦だった。一応、結婚という制度はまだ残っていたが、この社会のカップルのほとんどは事実婚の形を取る。様々なルールがきちんと整備されているので、そのことによって不利益を被ることはないのだ。
 でも彼女は正式に結婚したいようだった。別に確認したわけではないのだが、何となくそんな雰囲気がした。そしてそれは僕も同じだった。気休めくらいにしかならないかもしれないけど、好きな人との結びつきは少しでも強くしておきたい。
 でも、どうしてもそのことに踏み出せずにいた。
 凜音は難病を克服するために時間を飛び越え、今ではその病は最新の医療技術によって完全に治っている。でも僕は、僕はあの呪いから脱することができたのだろうか? どうしてもそのことに自信が持てない。
 あいつを出し抜きたいという一心で、なりふり構わずに下した決断だったけど、いざ終わってみると「だから何だったのか」という気もしてくる。結局は一年後に死んでしまうのではないか、という不安が頭から離れなかった。この世界で目覚めてから一年が過ぎて、だいぶ気が楽になった今でも、でももしかしたらと考えてしまう。ずっと宙ぶらりんな気分だった。
「どうかしたの、快斗」と、ある休日の昼間、彼女が尋ねてきた。
 僕は僕の中の不安を彼女に打ち明ける。もっとも、この件に関しては既に何度も話しているのだけれど。
「一遍きちんと調べてみたらいいと思う」と彼女。いつもの脳天気な、あっけらかんとした口調で。
「調べるって、何を? どうやって?」
 んー、分かんない、と笑っている。
「でも悩んでいるより、何でもいいから何か行動した方がいい時って、あるよね」とウインクしながら親指を立てた。
 なるほど、と僕。あまり理知的な意見とは言えないような気もするが、でも確かにそうだ。一人で塞いでいるくらいなら、何でもいいから何かに打ち込んでいる方がまだマシだ。
 僕は左手首を握りしめてインプラントを起動。僕の網膜に様々なスクリーンが映し出される。
 さて。どうしたものか。何をどう調べればいいのかが分からないのだから、まず調べるべきは“何をどう調べればいいのか”かな。
 で、そう入力するとシステムから〈何かをお探しですか?〉と返答があった。そうだ、と僕。我ながらアホなやり取りだなぁと思いながら。〈次の項目の中にお探しのものはありますか〉と表示され、その下に長ったらしいリストが続いた。その中にあった〈尋ね人〉という項目に僕は注意を惹かれた。なるほど。
 試しに自分を検索してみた。僕が眠っていた百年の間に、誰かが僕になりすましていたりはしないだろうかと思って。でもそんなことはなかった。ま、そりゃそうだ。
 僕にはあいつの名前が分からない。ID番号もメアドも知らない。たぶん、そんなものはないんだろう。
 なので次は「名無しの権兵衛」と入力してみた。システムから〈身元不明者?〉と問われたので「YES」をクリック。すると警察が公表している身元不明者のリストが一覧表示された。
 そのリストは長大なもので、とても全部は追えなかった。絞り込む必要がある。一覧には身元不明者が発見された日時と場所が記載されていた。僕がコールドスリープに入る前のデータは要らなかった。それと、場所も実家があった県に限定する。
 後は項目の一つ一つを虱潰しに調べた。何時間もかかった。でも、とうとう僕は見つけた。
 絶叫してしまった。
 何々、どうした、と凜音のちっちゃな二頭身のアバターが僕の視界に割り込んできた。
「見つけた」
〈見つけたって、何を〉
「あいつを、死神を」
 警察のデータベースにあったのは遺留品に関するものだけで、顔写真などはなかったが、それでも僕にはすぐに分かった。ボロボロにすり切れてはいたが、それはあの日、僕が身につけていたものとまったく同じだったのだ。
 僕は自分の遺伝子情報を警察に開示。照合には数分かかったが、結果は僕が予想していたとおりだった。その身元不明遺体のDNAは、僕とまったく同じだった。
 視界の中では二頭身の凜音がちょこまかと走り回りながら〈ふむふむ、ほうほう、へぇ、じゃ、こいつなんだ? やったじゃん、大手柄!〉と騒いでいたが、僕はインプラントをオフにする。どこかで「ちょ、ちょっと、コラ!」と抗議の声がしたが、上の空だった。
 あいつは二〇年以上前に死んでいた。あの日、僕とすれ違ったあの場所の近くの公園の片隅で。
 あの日、あの人混みの中で、僕はもう一人の僕、自分のドッペルゲンガーとすれ違ったのだ。死神は僕とそっくり同じ姿になって、僕の前に現れた。双子どころか、まるで鏡像のようにうり二つだった。母と父の時も、きっと僕と同じだったに違いない。
 一年後には消えるはずだったあいつはあの後、あの場所で、八〇年近くも存在し続けたのか。そして百歳を越えて、恐らくは老衰で死んだ。生きている間は誰の目にも映らなかったのかもしれない。でも死体は発見された。能力を失った、ということか。警察の資料には「推定年齢:百歳前後」とあったので、年相応の姿をしていたのだろう。超常の存在と言えども、老いには勝てないのか。そう言えば確か北欧神話にそんなエピソードがあったような気がする。
 あいつは僕が仮死状態から復活するのをずっと待っていたのだろう。でもそれよりも先に自分の寿命が尽きてしまった。
 あいつは死んだのだ。あいつは滅んだ。あいつはいなくなった。僕はあいつに、勝ったのか?
 母と父が、僕の背中を押してくれた。母と父が僕を守ってくれた。二人が僕に「生きろ」と言ってくれた。
「母さん……父さん……」
 食いしばった歯の間から嗚咽が漏れ、両目からは堰を切ったように涙があふれた。気がつくと僕はテーブルに突っ伏して子供のように泣きじゃくっていた。
 二人に、終わったよと教えてあげたかった。母さんと父さんに、勝ったよと、話したかった。母さん! 父さん!
 それからどれくらいそうしていたのか分からない。誰かが僕の肩を抱いてくれていた。日だまりのような暖かさが、僕を包んでいた。
「凜音」
「うん?」
「僕の母さんと父さんは殺された」
「うん」
「でも僕は今もここにいて、生きてる」
「そうだね」
「僕は……この先も生きていいのかな」
「いいよ。って言うか、生きろ」
 顔を上げると彼女の目からも涙がぽろぽろとこぼれていた。
「私だって、もう独りぼっちは嫌だよ。快斗が泣いたら、いつでも子守歌をうたってあげるから」
 だから君も生きて、と頭を撫でてくれた。
 僕はふと、死んだあいつのことを思った。どんなに孤独だっただろう。誰かとこんな風に触れあうこともなく、たった一人で死んでいったもう一人の僕。あんな結末は誰も望んではいなかった。あの日、ゆっくり話せてさえいれば。聞き届けてはもらえなかったかもしれないけど、それでも。
 色んな感情がないまぜになって、僕は再び泣いてしまった。
 僕にこの先の人生があるなんて。僕は今まで、心のどこかで諦めながら生きてきた。この命の糸も、いつか呆気なくプツンと切れてしまうんだと。でもそうじゃなかった。戦いには終わりがあって、人生には次のステージがある。これからは新しい日々が始まるんだ。
 しばらくしてやっと涙が止まった後、僕は彼女に静かに呼びかけた。体を起こして、恋人の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「凜音」
「うん?」
「二人で生きよう」
「うん」
「凜音」
「なぁに」
「結婚しよう」
 数秒ほど固まった後、彼女は穏やかな顔で「はい」と肯いた。
「やっと言ってくれたねー」
 そう微笑みながら目尻に浮かんだ涙を拭った。

      *~~ 後書き & PR ~~*

 プロットの段階ではかなり苦しんだ作品です。自分が何を書こうとしているのか、さっぱり分からなかった(汗)。凜音というキャラクターが降りてきてくれたことで、やっと形になりました。「死神」と「天使」という対比になったからなんだと思います。ホラーのつもりで書き始めた作品なのですが、そんなわけで、書き上げてみたら実はラブストーリーだったのでした。自分でもビックリです(汗)。

 作中に『平家物語』や『産神問答』が出てくるのは、単に私が大学でこの辺りの文学を専攻していたから(ちなみに卒論は『今昔物語』)。あまり一般的な例ではなかったのかな、と書き上げた後に少し思ったりもしておりますが(汗)。それと“北欧神話のエピソード”というのは、雷神トールに関するものです。

 最後に少し宣伝をば。『ナイトランド・クォータリー vol.27』(アトリエサード)に「空中楼閣を“ふんわり”と引きずり下ろす」という新作を書いております。こちらはバイオレンスなアクションSF! よろしければ是非、ご覧下さいませ。