「ミダスの末裔」荒居蘭

 「長老」が死んだ――。
 仲間から知らせを受けたのは、ちょうど貴重な丸薬を飲みこんだ直後のことであった。
 「長老」に謁見したのはただの一度きりではあったが、わたしは彼を心から敬愛していた。死んだなどは信じられぬ。
 彼は死なない男――だからだ。
 否。実際に死んだ今となっては、「死なないとされてきた」といったほうが正しかろう。
 今しがた、わたしが服用した丸薬。これがある限り、われわれ錬金術師は老いもしなければ死にもしない。代謝が止まるのである。不死を求めるあまり、半ば死んだ身になるとはまこと皮肉な話ではあるが。
 これと対照的に、代謝を促進して傷ついた細胞を高速で修復する薬も考案されたが、しかし研究は頓挫した。異常な速さで細胞分裂を繰り返した結果、細胞が癌化したのである。
 ならば、この「不死の丸薬」にもなんらかの欠陥があったのだろうか。
 なにひとつ分からぬ。確実なことは、同じ薬を用いている以上、わたしもいずれ「長老」と同じ運命をたどるということだ。
 
 われわれが手にした永遠はまやかしだったのか。
 たしかに、錬金術師の多くは詐欺師であった。しかし修練を積んだ本物の術師は、鉄などの卑金属に化学的操作を加え黄金に変えることができる。「錬金術」と呼ばれるゆえんである。
 金は特別な物質である。現世にあって、もっとも純粋で完全に近い。見た目に美しく稀少で、叩けば薄く伸び、よく腐食に耐えその輝きは永久である。
 古来、錬金術において鉛や鉄は「不純物が含まれた未熟な金属」と考えられてきた。ゆえにこれを暗く安定した環境で数千年ほど熟成させ、不純物を取り去ってやれば、より高貴な物質――金に変成する。
 わたしは今、極東の島国に滞在しているが、この国にもまた月日の精華を浴びた無機物が変じ、魂を宿す話が無数に存在する。金属とて同じなのだ。
 しかし、人はそう長くは生きぬ。黄金を手にするのに二千年も三千年も待てはしない。
 つまり錬金術とは、化学的操作によってその熟成期間を大幅に短縮する――時を制御する技術なのである。不死の丸薬はその応用、すなわち肉体の時間を止めるという発想から生まれた。
 そもそも錬金術師の本来の目的は、金を生成して富を築くことではない。われらが目指すものは研究を通じて己を鍛錬し、魂を黄金のごとく輝かせることにある。
 だが、それを成すには人の寿命はあまりに短い。そこで「不死の丸薬」が開発された。われらが「長老」の大偉業である。
 丸薬の調合は至難である。しかし「長老」がはじめてその開発に成功したのは、二千年以上も前のこと。プラトンがアカデメイアの地に学びの園を開いたころであったというから、彼こそ最古にして至高の錬金術師。不滅の大賢者である。
 しかし、その彼が――。

「死んだ?」
 台所のジャガイモのように床に転がっている彼を想像して、わたしは戦慄した。
「まさか……!」
「まあ落ち着きたまえ。絶望するのは事実確認をおこなってからでも遅くはなかろう。そもそも、あの薬は百年に一度きちんと服用せねば」
「ええ。代謝が再開され、老いがはじまる」
「そうだ。理由はわからぬが、「長老」はあえて丸薬を飲まなかったのかもしれぬ。彼はきみと同じ国に滞在していたそうだ。まずは現場に向かい、様子をうかがってはくれまいか」

 「長老」の死は事実なのか。
 事実なら、死因はなんであったのか。
 仲間の支援を得て、わたしは「長老」が暮らしていた家を探し当てた。遺体はすでに収容された後らしく、この目で確認することはかなわなかったが、数人の捜査員が作業を続けている。
 この家の住人にゆかりある者だと告げると、捜査員のひとりが写真を差し出した。
 ああ、なんということか。写真の骸は間違いなく。
「わたしの知人です。なぜ、こんなことに……」
「お察しいたします。顔立ちからするに、この国のかたではない可能性が高いとは思っていましたが、身元を示すものが見つからず困っていました。まずは、ご遺体のお名前から教えていただけますか」
「えっ……ええ」
 長らく「長老」と呼んできた。名は知らぬ。しかし知人と名乗った以上そうも言えぬから、わたしは苦しまぎれにミダスだと答えた。ミダスは神話の時代の王である。神から触れるものすべてを黄金に変える手を授かった。ゆえに、ミダスは錬金術の祖である。
「ほう、ミダスさんですか。では国籍は」
 じつは、彼もわたしも不法入国なのです。長い時を生きているため戸籍国籍のたぐいはとっくの昔に消失しておりまして――などと言えるわけがない。不審者として連行されるか、よくてつまみ出されるのがおちであろう。
「いえ、ミダス氏とは単なる呑み友達といった間柄で。あまり立ち入った話は……」
「では、年齢や職業もご存じないと」
「ええ、申し訳ありませんが」 
 年齢は二千歳超。職業は錬金術師――などと間違っても言えぬ。わたしはあいまいな返事をくり返し、その場を取り繕うしかなかった。
 そうですかと残念そうに言って、捜査員は部屋を見回した。
「ミダスさんはアマチュア科学者だったのでしょうか。見てください、このりっぱな実験設備! 自宅にこんなものを備えているなんて、ちょっとした研究室レベルですよ」
「いえ、わたしはなにも……」
 錬金術の研究に必要な機材ばかりですよ。手前の機械が蒸留器。そのとなりは坩堝といいまして、金属を溶かす装置です――などと口が裂けても言えぬ。それより、飲み残しの丸薬などがあったら厄介である。
 わたしは捜査員に探りを入れてみることにした。
「ああ、そういえばミダス氏は薬を常用されていました。小指の頭ほどの、小さな丸薬なのですが」
「クスリ? まさか、この施設は合成麻薬の――」
「いえ、断じて怪しいものでは! ただ」
 それを飲むと不死に近い状態になるのですよ――などと、それこそ坩堝に放りこまれても言えぬ。
「ただ、なんです? あなた、この件についてなにかご存じなのではありませんか。署までご同行願いましょう」

 警察による聴取は長時間におよんだが、月が高くなる頃あっさりと解放された。
「ミダスさんですが、解剖の結果、自然死と判明しましてね。違法薬物も見つかりませんし、ひとまず事件性はないとの判断です」
 捜査員は丁寧にわびてくれたが、わたしがなにより気になるのは「長老」の死因である。
 自然死ということは、やはり彼は丸薬を断ったのであろうか。
 せき止められていた時間が奔流と化し、急激な老いとなって彼を彼岸へと押し流してしまったのか。であるならば、なぜそのような自殺行為を……。
 否――待て。
写真で見た「長老」の骸は、数百年前に謁見したときと変わらぬ若々しいものだった
わたしの脳髄に、あるひとつの可能性が奔(はし)る。
 かのミダス王は黄金を愛した。欲のおもむくまま神から授かった力をふるい、あげく最愛の娘を黄金の像に変え悲嘆に暮れた。
 そうなのだ。
 われわれは、この愚かな王の末裔なのだ――。
 鉄が金に変成するまで、数千年を要する。暗く安定した環境、つまり代謝が止まった身体で二千年もの時を生きたのなら。
 立ちすくむわたしに、捜査員は奇妙に顔をゆがめて言った。
「ご友人の死因、気になりますよね。ここだけの話ですが、解剖医も頭を抱えていまして……だって血液中の鉄分がいちじるしく欠乏して、代わりに金が検出されるなんて……」