「【追悼】 八杉将司さんを悼んで」岡和田晃

 八杉将司さんの突然の訃報を聞き、寝耳に水で、いまだ現実感を持てないでいる。「SF Prologue Wave」(SFPW)の公式Twitterでは、私が草案を作る形で「報道に出ていますが、「SF Prologue Wave」の初代編集長である八杉将司氏が亡くなりました。八杉氏の尽力なくして、1400本以上の作品を掲載してきたSFPW10年の歴史はありえません。編集部を退かれてからも、精力的な寄稿者として多大なご協力を賜りました。編集部一同、謹んで哀悼の意を表します」とのアナウンスを出したが、一言で言えばこれに尽きる。

 ただ、すでに出ている新聞報道はいささかセンセーショナルなもので、ある特定の「物語」のなかに八杉さんの「死」が回収されてしまっているという印象は否めない。このため、別の角度から八杉さんについて、もう少し詳しく書き残しておく必要を感じて、急ぎ筆をとった。

 私は、日本SF新人賞の受賞作を一通り読んでいる際に『夢見る猫は、宇宙に眠る』(徳間書店、2004年)に出逢い、その独特のアプローチに魅せられた。どう「独特」なのかが語りづらいのが、まさしく八杉作品ならではあるが、ここでは「ヴィヴィッドな感性と組合わせの妙」とのみ言っておくとしよう。幸い電子版で復刻されたので、ご一読いただきたい。

 ご当人と実際に面識を得たのは、2010年の徳間三賞のパーティであったが、飾らないお人柄に話しやすさを感じた。その後、日本SF評論賞受賞者有志が展開していた「東京SF大全」企画に作品情報提供という形でご協力をいただいたり、Analog Game StudiesとSFPWが連携する形で推し進めていた『エクリプス・フェイズ』シェアード・ワールド企画へもご理解をいただいたり、という形でお世話になってきた。前者は「SFマガジン」2010年9月号の「東京SF化計画」や『しずおかSF』(財団法人静岡県文化財団、2012年)、『北の想像力』(寿郎社、2014年)へとつながり、後者からは『再着装(リスリーヴ)の記憶』(アトリエサード、2021年)が生まれたわけだが、八杉さんは、それらを陰で支えた協力者の一人であったのだ。八杉さんにはSFPW編集長として、私は寄稿者側で編集を担当いただいたこともある。

 八杉さんの作品は、同質性の強いコミュニティにどっぷり浸かったところからではなく、人と人との距離を絶妙にはかるところから紡がれているように思う。そうした距離感をさまざまな角度から作品化することで、逆説的ながら「希望」を描き出すことに長けていた。だから仮に八杉さんと面識がなくても、私はその仕事に心惹かれ続けたのではないかと思う。

 2011年には『光を忘れた星で』(講談社BOX)が刊行。これは献本いただいてすぐに読了、感動のあまりアシモフ「夜来たる」やディドロ『盲人書簡』等を引いたメールを八杉さんに送ったもので、後に批評にまで仕上げることができた。SFPWでは、高槻真樹さんによる『光を忘れた星で』の刊行記念インタビューも掲載されている(https://prologuewave.club/archives/1209)。

 とりわけ2012年の『Delivery』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)は掛け値なしの新しさを感じさせる傑作で、これに関しては「SFマガジン」2012年7月号の発売記念「八杉将司インタビュウ」で、かなり掘り下げた話を聞いた。このインタビューや先述した『光を忘れた星で』論は、拙著『「世界内戦」とわずかな希望』(アトリエサード、2013年)にも収められている。

 2013年には、八杉さんをゲストに招いた「未来を産出(デリヴァリ)するために」と題したトークイベントをジュンク堂書店池袋本店で行い、好評を得た。その準備の際に刊行された八杉さんの短編をすべて読み、その目配りの広さに脱帽したものだったが……イベントでは、八杉さんの軍事描写は、トム・クランシーの影響があると言われてさらに驚いたものだった。

 短編のなかでもっとも心打たれたのは「私から見た世界」(「小説現代」2013年7月号)。これは2014年に広島大学で行った日本近代文学会のパネル企画「世界内戦と現代文学」でも言及、文学研究者に自信をもって薦められる最新のSFだとした。発表内容は北海道大学大学院の学会誌「層 映像と表現」vol.9(2016年)にまとめ直したうえ、拙著『世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷』(アトリエサード、2017年)に収めている。

 ただ、「私から見た世界」を含め、八杉さんが発表したおびただしい短編群が、いまだ一冊の本にまとまっていないのは痛恨事というほかない。ただ、SFPWはアーカイブ機能を強化したので、せめてSFPWに寄せてもらったぶんは無料で長く読めるようにしていければと思う。

 ちなみに『異形コレクション』で発表された八杉さんの短編群を中心にした、上田早夕里さんによる優れたインタビュー(『ミューズ叢書<1> 特集『妖怪探偵・百目』対談&インタビュー』所収、2016年)があり、認知科学的な背景やホラー&SFというジャンルにおいて発揮される技巧の細部にまで踏み込んでいて、必読といっていい。

 近年の仕事では、まさしく2021年にSFPWに発表された「時間跳躍者の檻」(https://prologuewave.club/archives/8472)が特に面白かった。八杉さんはペダンティックな作風ではないが、先行作へのリスペクトは常に持っている人だから、もちろんここではフリッツ・ライバーの「跳躍者の時空」が意識されているのだろう。pixivで公開された長編『LOG-WORLD』(2021年)はフッサールの現象学が扱われていた。これは出版社に持ち込んだものの刊行には至らなかった作品だという。

 思い返せば、『Delivery』も刊行までは5年を要した作品であった。八杉さんのように、実力は間違いないものの、派手な商業的演出の恩恵をほとんど被ってこなかった書き手にとり――文学の品質が、悪しき意味でのアイドル的な売り出し方やホモソーシャルな心性への同期とイコールであるがごとくにみなされるような――辛い状況や残念なニュースが続いている。しかし、ここで声を大にして言いたいのは、大方の報道が与える印象と、八杉さんの作品が放つ強度は真逆にある、ということである。

 先述した『Delivery』刊行記念「八杉将司インタビュウ」での以下の部分を読んでほしい。

「生むことを単に素晴らしいと褒め称えることには、何かごまかしが含まれているような気がしていたんですよね。生むという行為は、 生む側のエゴなんですよ。生まれ てしまった存在は、特に望んで生まれたわけではありません。そんな一方的で理不尽なことをやっているということから目を逸らすために、生むという行為を褒め称えているところもあるのではな かと考えた次第です。もっとも、これはかなり意地悪な見方ですが……。

 いっぽうで、生むのではなく、ゴミを捨てるという行為。これも捨てる側がエゴを発揮した結果です。でも、ゴミは自分をゴミとは思いません。そのゴミが自らの意志で生き抜こうとすること、それが「生まれる」ということではないかと思います」

 ……このくだりからも、その複雑な死生観、「自らの意志で生き抜こうとすること」が八杉作品のキーでもあったことが伝わるはずだ。

 実はSFPWでは、生前の八杉さんの作品を2本、お預かりしている。「鬼校閲」の高槻真樹さんをして、完璧、一片の朱もないと言わせしめるだけのクオリティである。はからずしも遺作となってしまった八杉さんの傑作群を、なんとか滞りなく公開できるようにしたいと思っている。