「生まれ変わりますか?」八杉将司

「生まれ変わりますか?」
 気味悪いほど淡々とした女の声が、自分の耳に響いた。
 視界には何も映らず、真っ白だった。
 あたりを見回そうとした。
 しかし、首が回らない。体も指一つ動かせなかった。
 やがて気づいた。動かないのではない。身体そのものがなかったのだ。
 なんとなく状況がつかめたので訊いた。
「わしは死んだのか」
「はい」
「死因は何だ」
「5.煙、火災および火焔によるによる傷害」
「奇妙な言い方をする。ああ、そうか、死亡診断書の項目をそのまま読み上げたのか。おまえ人間じゃないな。人工知能か」
 返答はなかった。人工知能なら融通の利かない安物のソフトだろう。
 死因には心当たりがあった。
 大腸にできた悪性腫瘍の手術で入院していたのだが、ベッドで寝ていた病室が白煙で充満する様子が最後の記憶になっていた。一酸化炭素中毒で死んだのだろう。手術をしたばかりで身動きできず自力では逃げられなかった。
 ふざけやがって。あそこはわしが金を出して建てさせた最先端医療を担う大病院だったんだぞ。火災を起こしたうえに入院患者を助けられなかったなんて不祥事以外のなにものでもない。
 あの理事長め、言うことは立派なくせに無能だったか。
 生まれ変われるなら報いを受けさせねば気が済まない……生まれ変わる?
「おい、生まれ変わるではなくて、生き返るの間違いではないのか」
「生まれ変わりますか?」
 安物の人工知能は最初の質問を繰り返した。こちらの言葉の文脈を正確に汲み取れなかったようだ。
 まったく。こんな間抜けなソフトを導入した技術責任者も生き返ったら更迭してやる。
 それにしても死者を生き返らせる技術が発明されたのか。
 驚きだったが、思い当たることはある。
 わしが多額の投資をして研究開発を支えていた医療機器メーカーだ。
 そこでは、認知症などによる記憶力や認識能力の低下をサポートする「サブブレイン」という医療機器を開発していた。その試作サブブレインをわしは自ら使っていた。
 サブブレインはあくまでサポートでしかないので、脳そのものが電脳に置き換わるわけではない。それでも接続した脳の情報を蓄えてバックアップできる構造になっていた。そこを利用して精神だけをコンピュータ上に生き返らせることに成功したのだと考えれば、この状況も現実にあり得る話だった。
 それでも疑問が浮かぶ。
 誰がわしを生き返らせようとしているのか。
 そんな希望を生前作っていた遺言書には残していない。
 しかし、経営者兼投資家として大きな成功を収めたわしは、世界で有数の大富豪になっていた。わしを生き返らせることでなんらかの利益を享受できると考えた者がいても不思議ではない。
 生まれ変わるかという承諾をわしに求めているのは、倫理的な問題をクリアするための手続きなのだろう。
 むごいやり方だ。
 承認をしなければここでわしは再び死ぬことになるのだ。
 他人の気持ちなど考えない、責任を回避することしか頭にない連中がやりそうなことだ。
 そう思うと、苦笑いしたくなった。
 わしも人のことは言えない。そんな無神経さがなければ金儲けなどできない。
 それゆえ訴訟トラブルに発展する場合も珍しくないので、何かやるなら必ず弁護士や司法書士を雇うのが常套手段だ。
 この件についてもそうだろう。生き返りの同意を求めるなら、相手であるわしが閲覧できる書類も形式としてそろえているはずだ。それを確認すればわしを生き返らせようとする人物がわかるだろう。
「わしの生き返りを希望するのは誰だ。名前が記された書類があるなら見せろ」
 瞬時に文章がぎっしり書いてある書類が現れた。承諾書などの書類を全部そのまま出してきた。細かい文章は読まずに名前を探すと、複数の名前が雑多に並んだ名簿が見つかった。関係者一覧といった感じで、代表者は定めてないらしい。いい加減なことをする。
 名簿にあるのは、知らない名前ばかりだった。
 おそらく親族の代理をする弁護士だ。
 理由は想像がつく。
 親族はほとんどがわしの資産を狙う金の亡者となっていた。入院したときも早く死ねと願っていたのを知っている。病院の火災がやつらの仕業であったとしてもおかしくはなかった。
 だからわしが残した遺言書には愕然としたはずだ。
 そんな連中には一円たりとも渡らないようにしたからだ。
 生き返らせて遺言を撤回させたいと考えたに違いない。
 それならば生き返ってもわしに自由はないだろう。生殺与奪を握る親族どもが脅すなどして遺言の撤回を迫ることは明らかだ。やつらの手口はわしも思いつきそうなことなので簡単にわかる。
 ならば承諾を拒絶してやるか。
 そんなことを考えていると、一人の名前が目に留まった。
「工藤 結実」
 わしの視線はそこから動けなくなった。
 それは溺愛する孫娘の名前だった。
 結実はわしの血族とは思えないほど素直で優しい純真な娘だった。
 わしにとても懐いたが、それはほかの親族と違って金目当てではなく、大好きな祖父としてわしを慈しんでくれた。人嫌いなわしも結実にだけは心を開くことができた。
 だからわしは、遺産のすべてを結実に譲った。
 その彼女の名が生き返りを望んだ名簿に掲載されている。
 結実がわしの死を悔いて生き返らせた……などと単純には思えない。
 やつらだ。親族どもの差し金だ。
 わしが彼女の名前を見れば生き返ると踏んだのだろう。
 そのために結実を脅したに違いない。
 許せぬ。
 よかろう。生き返ってやる。
 自由を奪われていたとしても全力で抗い、わしが人を蹴落とすのに使った手練手管のすべてを尽くして親族どもを潰してやる。生き返らせたことを後悔するがいい。
 結実はわしが守る。
「生まれ変わりますか?」
「ああ」

 真っ白だった視界が色づいた。
 やたら広い部屋で、魚眼レンズでのぞいているように少し歪んで見えた。コンピュータ機器や人型のロボットが並んでいるのも目についた。
 すると唐突に結実のかわいらしい顔が現れた。
「おじいちゃん? わかる? わたし、結実」
 孫娘の呼びかけに、わしは喜んでうなずいた。
 声を出して返事をしたかったが、なぜかうまく言葉が出なかった。
 人型ロボットがある研究室らしいので、わしもあのようなロボットの身体をしているのだろうとは思った。生身の肉体を動かすようには操作できないようだ。
 だが、何かおかしい。うつ伏せになっているかのように視線が低い。少し体を起こせたが、四つん這いになるのがやっとだった。
「すごい。わたしのことがわかるのね。本当に生まれ変わったみたい。おじいちゃんの望みを実現させたからね」
 何のことだと訊こうとしたら、開発技術者らしい男が結実に声をかけた。
「工藤さま、気に入られましたか」
「ええ、もちろん」
「よかったです。では、さらに調整したあとご自宅に送らせていただきます。あちらで契約のサインをお願いできますか」
 結実が視界から消えた。
 やがて後ろで、結実が離れたことを見計らったように男二人が小声で会話を始めた。
「しかし、何でこれだったんでしょうね」
「ああ、なんでも結実がこういうのが好きだと言ったら、祖父も孫に気に入られようと自分も好きだ、生まれ変わりたいぐらいだなんて軽口を叩いたんですよ」
「え、じゃあ、それを真に受けて工藤前会長の遺産をこの開発につぎ込んだんですか」
「そうなんですよ。ところで……これ、本当に大丈夫なんでしょうね」
「中身のことですか? ええ、内部処理で法的に有効な承諾書が取れています。改正憲法の人権規定にあるヒューマニティ条項には抵触しませんよ。もしどこかの小うるさい人権団体が訴えを起こしても勝てます」
「それはわかっているのですが、本当に祖父の自我は残っていませんよね。もしあるとしたら……」
「ないない、ないですよ。サブブレインを生体脳と同期させるプログラムデータをモデル化したものを飾り程度に利用したに過ぎません。自我なんてありませんて。遺骨アクセサリーの一種とでもお考えください」
「サブブレインとの接続が長期間になれば、メインの意識処理もサブブレインで行うようになるという話を聞いたことがありますけど」
「それは都市伝説です。まあ、あなたのように不安に感じる人がおられるので、気休めにモデルに仮想人格を与えて、AIエージェントがその人格に規約承認を求めるなんて茶番はしましたけどね。都市伝説は都市伝説ですよ」
「そうですか。それならいいですけどね」
「ええ、心配はいりません。娘から祖父の遺産を取り上げる計画の邪魔にはなりませんよ」
「しー、声が大きい。娘に聞こえたらどうするんですか」
 わしは首を回して振り返った。
 神経質そうな結実の義父と、弁護士バッジをつけた中年男が立っていた。
 二人はぎょっとした目つきでこちらを見た。
 聞こえていたぞ、貴様ら。
 わしは宣戦布告を高らかに告げる咆哮を上げた。
「にゃあ」
「おじいちゃんが鳴いた。かわいい」
 結実の嬉しそうなはしゃぎ声が聞こえた。