「不思議な転校生」江坂遊

 僕が川沿いのランニングロードを風切って走っていると突然、交差した小道からナナハンバイクが飛び込んで来た。こっちに向かって問答無用で突進して来る。
「マジか」
 僕は正面衝突寸前で、咄嗟に真横にジャンプしてその難を逃れた。けれどそううまくはいかない。そこにあった鉄柵の手すりに頭をゴキンと嫌な音を立てて打ち付け、おまけに足まで鉄柵にからめとられた。不甲斐なくその場にうずくまってしまった。
「きみ、大丈夫? ナンバーは覚えたわ」
 誰かの声がした。
「あぁ、ありがとう。僕は何とか」
 尻もちをつき無様な恰好のままで僕は声のする土手の方に顔を向け、首を何度も横に振った。話はできるが、視界はぼんやり霞(かすみ)がかかっている。
 一瞬、天使が迎えに来たのかと思ったが、実際はもちろんそうではなかった。昨日クラスの一員になったばかりの見覚えがある女子が、僕にすぅっと手を差し伸べてくれていた。その姿が初めはゆっくり、そして急にくっきりと像を結んだ。
「ゴキンと音がしたわ。動いちゃダメ」
「もう大丈夫だから。平気。あぁ、きみは、昨日編入して来た……」
「そう、転校生。丁度、この近所だから、応急手当をしてあげるわ。うちに来なさい。ママは医者だから。今日はまだ家にいるのでタイミングもいいわ」
 唖然としてだまっていると、彼女は肩を強引に僕の胸の前に入れてきて担ぎ上げようとしてくる。
「立ち上がれるから、大丈夫」
 そう言って身体を突き放すと、膝に力が入って痛みを感じた。思わず歯を食いしばった。
「大丈夫じゃないじゃない。わたし、負ぶってあげるわ。緊急事態だから、ここは救護班の言うことを素直にききなさい」
 ふしぎなことに彼女は軽々と僕の身体を背中に乗せたので、僕は面食らった。
「軽いものよ。実はわたし、筋力サポータージャケットを着ているの。人は見かけじゃないのよ」
「そんな便利なものがあるとは、知らなかった」
 このクールな転校生は普通の女子ではなさそうだ。
「で、きみはもうすぐ、体育祭だから練習していた。でも、それは無駄なことだわ」
「どうして、そんなことが言えるんだ。毎日の練習は大事だと思う」
 少しムキになって言った。
「だって、三日後の日曜は雨。豪雨でマラソンは中止になる」
「天気予報はあてにならない」
「まぁ、見ていて。うちに来たら、わかるから」
「ははーん。すると、きみのパパは天気予報士なのか?」
「違うわ。特別なパイロットよ。すぐには信じてもらえないかも知れないけれど。ほら、もう着いた。言った通りに近いでしょ、ここがうちなの」
 僕はそのふしぎな家の恰好が目に入って、何度も目をこすり上げた。
 目の前にあったのは、真っ白な立方体の家だった。つまりサイコロ型だが、全体の輪郭が丸っこくて、ぼあぼあと毛糸のようなものが風にそよいでいたから、妙に可愛く見えた。
「何て言ったらいいのか、そう、ソファーに置いてあるクッションみたいな形の面白い家だなぁ。ここがきみの家なのか」
「そう思ってくれていいんだけれど、気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
「うーん。で、どっから中に入るの。窓しかないけど」
「もちろん、その真ん中の丸い窓からよ。そこしか開いていないし」
 驚いたことに、彼女が近づくと、サイコロの1の目のような丸窓が地面近くに降りて来た。
「すごい!」
 僕は背中から降りて彼女に手を引かれながら、ぽっかり口を開いた丸窓の入口から不思議な建築物の中に足を踏み入れた。中はヒンヤリしていて、思わずブルっとした。
「一年間はここで住むつもり。歩けるわね。じゃ、玄関前の応接のソファーで横になっていてね、奥の部屋からママを呼んでくるから」
 僕は自分の目と耳を疑った。
 家の中がやたらと広かったからだ。外からは小さな真四角の家だと見えていたけれど、中に入って随分その印象が変わった。玄関正面の扉が応接室の入り口だとはすぐに理解できたが、それと交差して廊下がずっと左右に長く伸びている。明らかに右にも左にも何部屋かあるようだ。僕はいくつものハテナマークでいっぱいになった頭を抱え込み、しばらくその場から動けなくなってしまった。
 しばらくして、こりゃぁ、考えてみても仕方がないかとやっと考えるのを放棄し、応接室の扉を引き開けた。
「よく寝るわね」
 思った以上にソファーのクッションが優しかったので、僕はすやすや眠ってしまったらしい。
「おっ、ここは?」
「うちの応接よ。もう、足も頭も大丈夫でしょ。ママは名医だから」
「ほんとうだ。もうすっかり痛みがない。お礼を言わなきゃな」
「もう、出かけちゃったわよ」
「じゃ、お父様に」
「パパがいる部屋はここから三つ先のお部屋。仕事中」
「邪魔しちゃ悪いな。うん。よくわからないんだが、きみの家は随分と広いんだね。外からはそういう風には見えなかったけれど」
 僕は疑問をそのまま彼女にぶつけてみた。
「そうでもないのよ。まぁ、普通よりは広いかな」
 僕ははぐらかされた気がして、首を横に曲げた。
「一体全体この家はどうなっているんだい。ちゃんと教えてくれるかな。僕の頭では理解不能かも知れないけれど」
 彼女は、最初から説明してくれる気だったのだと思う。対面のソファーに深く身体をあずけると、一呼吸あけ、こんな風に説明してくれた。
「いいわよ、もちろん。この部屋は今日の部屋。つまり、ここは木曜日」
「何言っているんだ。今日はどこもかしこも木曜だろう、そんなもの」
 少しイラっとした。
「右隣の部屋は金曜日で、そのもう一つ先の部屋は土曜日、そして先頭が日曜日。この部屋の左隣が昨日の水曜日で、その隣が一昨日の火曜日で、最後尾は月曜日」
 何を言っているのか、僕には皆目理解できなかった。それでも、頭をフル回転させた。
「部屋それぞれに、一週間の曜日を割り当てて呼んでいるってわけかな?」
「そうじゃないの」
「そうじゃないって?」
「ええ。今私達がいるところは、家じゃなくて、乗り物」
「……、……」
 僕は何も言えなくなった。
「船体がとてつもなく長いのよ。先頭は三日後の日曜日に到達していて、船尾は三日前の月曜にいる」
「ええっ」
「母は今日、きみにした処置が明日、あさってで問題なかったか。確認済みよ」
「何を言っているのかさっぱりわからない」
「実は、この家はタイムマシンなのよ」
「まさか」
「体育祭がある日曜が雨だっていうのは、わたし自分の目で確かめてきたから間違いないのよ」
「日曜が雨。体育祭は取りやめ」
 僕の頭の中でカミナリの音が鳴り響いた。
「また言うけれど、パパは、気象予報士じゃないわよ」
「確か、僕には憧れだけれど、パイロットと言っていたよね」
「ええ、そう。パイロット。時空連続体の一週間に横たわる大きなタイムマシンを操縦しているパイロット」
 僕は、ふかふかソファーの中に深く沈み込み、長いタイムマシンの姿を思い描こうとしたが、それは容易ではなかった。
「想像できない形だけれど、どうしてそんなに長いタイムマシンが必要なのが僕にはわからないんだが」
「こういうこと。わたしたちの世界は変動していて、歴史の方向を決める分岐点がいくつもあって、そのポイントから右に行く場合も左に行く場合もあるわけ。それぞれにまた新しい時間軸をもった歴史が生まれていく」
「パラレルワールドとかいうんだろう」
「ええ、そう。アニメ好きだから、知っているわね。わたしたちが出会っていないパラレルワールドというのもある。このタイムマシンの先頭は三日後の未来にいて、もしそこがとんでもない世界だったら、時間の分岐点で違う道に乗り換えてみたくなるわけでしょ。パパはそれを、時間を戻さずにやっているというわけ。パパはこの長いタイムマシンで、ちょっと先を眺めて、より安全な未来に舵を切って世界を正しい方向に導いているのよ。前に滝があって落ちるとわかれば、川の流れを別の方向に流れるようにする土木工事をするみたいなことでね。そう言ってみれば理解が進むかしら」
「とんでもない未来?」
「ええ、たとえば、地球に大きな禍が降りかかっている未来を回避したり、きみの治療がうまく行かなくて死んでしまったりしている未来を変えようというわけ。時間の軸をスムーズにずらすのにはある程度長さのあるタイムマシンが必要なのよ」
「……、……」
 だんごの串に刺さった赤いだんご餅を止めにして、串の先を強引に動かして、抹茶だんご餅につけかえるというイメージが頭に浮かんだが、我ながら幼稚すぎる見立てだと口にするのは控えた。
「さぁ、ここまで明かしちゃったんだから、もうきみはわたしたちのクルーの一員になるしかないわ。時間軸をずらすには、大技も小技も必要なの。きみもわたしも時間軸を正していく仲間なのよ」
 面食らってしまった。
「それって、断れないんだ」
「あたり前でしょ。そうしてもらわないと、地球が危うくなるかも。はい、これがきみの分。今日、必ずやり終えておかなきゃいけない行動リストよ。さっそくだけどお願いね。忙しくなるわよ。手伝うから安心して」
「手伝う?」
 僕は手渡されたミッションに、<ナナハンで逆走してきた敵を捕らえる>と書かれてあるのを目にし、眉が高く吊り上がった。