「六十年タイムマシン」飯野文彦

 還暦を迎えた。本来ならお祝いもかねて、甲府の中心で飲み歩きたいところだ。しかし三歳になる双子の孫、玲偉(れい)と琉偉(るい)の子守り。またコロナのせいもあって、外飲みもままならず、毎晩、家飲みしている。テーブルに向かって座ると、双子がまとわりついてくるので、対面キッチンのカウンターで立ち飲みしている。
 幸い双子は、今のところ、おとなしくテレビを見ている。娘夫婦は急な用事とかで、このご時世、人には内緒にしてね、と帰りは明日になるらしい。エアロビのインストラクターをしている妻、沙織がレッスンを終えて帰宅するのは、午後十時過ぎである。それまで一人で子守りだ。

 わたしは六十年前、甲府で生まれた。地元で高校卒業までを過ごし、大学入学を期に上京した。一九八〇年のことだったが、三年半で中退。夜学でありながら毎晩のように飲み歩いていたのだから、卒業の見込みはおろか、単位もほとんど取っていなかった。やむなくサークルの先輩の伝を頼ってライターの仕事をもらい、そこで知り合った編集者に小説を持ち込んだ。まだまだ活字文化も華やかで、わたしのような者でも、いくつかの短篇が雑誌に掲載されたものである。
 しかし、それも続かず、バブルが崩壊して間もなく、親を頼って甲府に帰省したとき、三十路となっていた。資格もなく、不況でろくな就職先もなかった。なにより創作に未練があり、短篇を書いては知り合いの編集者に送る。いくつか掲載されたものもあるけれど、ほとんどが送り返され、次第に送り返されもせず、音沙汰なしとなった。
 親の知り合いの娘さん、沙織と見合いをして、結婚したのが三十代半ばだった。親の持っている貸家の管理と称して、その収入で生活した。正直に言うなら、それ以外にも親から、沙織の親からも援助を受け、なんとか糊口をしのいできた。
 結婚して一年後、娘が産まれ、その娘、珠里が二十一のとき、良縁に恵まれて、双子の男の子を産んだ。共働きなので子守りを引き受けるのを条件に、娘夫婦が建てた新居で同居生活をはじめたばかりである。
 立ち飲みをつづけながら、先日、書いた掌篇を読み返す。
    ◇ ◇
「ぶどうの花」
 保育園へ行く途中に、ぶどう畑がある。車を止めて見上げると、白いぽつぽつが見えた。後部座席の窓を開けて、見てごらん、と指さすと、双子の孫の一人、琉偉が「葉っぱ」と言った。
「ちがうよ。ぶどうの花だ」
 しかし琉偉は、葉っぱ、と言いはり、やり取りを聞いていた玲偉が「ぶどうの葉っぱ」と言った。

 母の背中に負んぶされた夕暮れどきだった。
「ふみちゃん、見て。ぶどうの花よ」
「ちがう。ぶどうの葉っぱ」

 わたしはあのとき、母が言ったセリフを口にした。
「あれがぶどうの花。秋になったら、きれいでおいしい実になる」
 双子は五十年以上昔、わたしが言った言葉を口にする。
「ぶどう、すき」
「はやく食べたい」
    ◇ ◇
 なぜ、読み直しているか。今日、保育園の迎えの途中、ぶどう畑を見た孫たちが口々に、ぶとうすき、食べたい、と言った。創作した「ぶどうの花」が現実となったのか。書いた世界と現実がだぶりだしたか。
 もしや。妙な予感に囚われて、双子を家まで送った後、すぐ戻るからと、沙織に子守りをまかせ、ふたたび一人、ぶどう畑へ行った。
 やはり。幼いわたしを負ぶった母がいた。背中のわたしは、ちがうと駄々をこねている。窘(たしな)めようと近づくと、幼いわたしは人見知りして泣き出した。怪訝そうな顔でわたしを見た母の顔がおどろきに変わり、笑顔になる。だが、すぐに真顔になって、口を開く。
「必ず――」
 そこですべては霧散した。母はわたしに、なにを言いたかったのか。
 膝が震えた。酒が進むと、立ち飲みはきつい。双子がじゃれつけないカウンター用のスツールを買うか。スツールに座り、カウンターに向かって飲む。昨今は外飲みするにしても居酒屋オンリーで、洋酒の店には行かなくなった。しかし、そういえば、そんな風に飲んでいたことがあった。あれは……。
 対面キッチンのカウンターの向こうに、人が立っている。双子が眠くなるよう、午後八時を過ぎた頃から、家内の照明は暗くしている。カウンターの向こうのキッチンは、明かりをつけておらず、うす暗い。がっちりとした体格の白髪の男が、わたしを見て、微笑んでいる。
「橋瓜さん?」
 男はいっそう顔を綻ばせた。橋瓜さんは高田馬場の駅からほど近いビルの地下にある〈パブ早稲田〉のマスターだ。ある、というのはちがう。とうに閉店している。
 午後七時までに入ると、サントリーホワイトのボトルを千円で入れられた。下級生の頃は自分たちが。上級生になると下級生に七時前に入店させ、ボトルを2本入れさせて、あとからゆっくりと入店し、閉店時間だった十一時四十五分まで飲みつづけた。
 なぜ、そんな中途半端な時間に閉店したか。店の人たちも電車で帰るためだ。マスターの橋瓜さんは鷺宮に住んでいた。西武新宿線の下り最終電車、上石神井行きは零時三十三分、高田馬場発だった。当時わたしは、上石神井から歩いて二分の四畳半風呂なし、トイレ共同というアパートに住んでいた。それもあって〈パブ早稲田〉で飲んだ後、立ち食い蕎麦とか食べてから終電に乗ると、橋瓜さんとばったり会うこともあった。
 ばったり会ったと言えば、一度、昼過ぎに高田馬場の駅前で会ったことがある。コーヒーを飲むんだけど行くか、と言われ、わたしは付いていった。橋瓜さんは新聞を読みながら、わたしなどいないかのように、マイペースでコーヒーを飲む。しばらくしてやっと新聞を畳み、ぽつりぽつりと話しをしてくれた。
 橋瓜さんは無類のプレイボーイだった。店でもそうだったが、このときも女を口説くコツを教えてくれた。電車で目をつけた女の前に座り、じっと見つめる。女が気づいたら視線をそらし、相手にこちらを観察させる。そうして電車が高田馬場に着いたら、跡を追って声を掛ければ、十中八九、喫茶店まで付いてくる。そうして……。
 あの頃、ずいぶん年配に見えたが、今のわたしより年下。せいぜい四十代半ばだったか。橋瓜さんはとうに引退している。もうかなりの歳のはずなのに、カウンターの向こうに立っている橋瓜さんは、あの頃のままだ。
「いらっしゃいませ」
 橋瓜さんが、店の入口を見て、言った。
 店? 入口? ここは自宅のカウンターのはずなのに。いつの間にかカウンターの向こう側、背後の壁にずらり酒瓶が並んでいる。
「よろしかったら、こちらにどうぞ」
 橋瓜さんが言い、わたしのとなりに案内する。ここ、いいですか、と声を掛けられて、見ると女性だった。あの頃のわたしより年上。二十代後半、三十路になっているか。ウイスキーの水割りを頼み、わたしにグラスを捧げ、飲み出す。ほどなくグラスが空いた。よろしかったら、と、わたしは前に置かれたホワイトのボトルを手にした。彼女のグラスに水割りをつくる。
 ぽつりぽつりと話しだし、ほどなく彼女のテンションがあがる。すでにどこかで飲んできたのか。
「あたし、結婚したら、ぜったいにうまくやっていく自信がある。家事も得意だし、相手の両親とも、必ずうまくやっていける」
 あれ、これ、聞いたことがある。ふと、彼女の横顔を見て、古い記憶が引きずり出される。右隣にすわった彼女の首すじに特徴的なほくろ。あのときの女だ。
 仲間と栄通りの居酒屋へくりだしたが、皆、一次会で帰った。呑み足りなかったわたしは、サークルのボトル目当てで一人〈パブ早稲田〉へ行き、カウンターで飲んだ。そのとき、わたしの隣席に案内されて、わたし相手に喋り出し、結婚したらぜったいにうまくやっていく自信があるをくりかえした、あの女だ。
 彼女がトイレに立ったとき、橋瓜さんがわたしに近づき、つぶやいた。
「どの席に案内しようかと迷ったけど、イイノくん、今日は一人だったし」
 青二才の鈍臭いわたしにも、やっと意味が分かった。男漁りに飲みにきた女。あのときのわたしは、初心だったこともあるが、彼女の話しぶりに閉口していた。トイレから戻るなり、ふたたび「結婚したら」をくりかえすのが、不気味ですらあった。こんな女に迫られ、うっかり関係をもったら、一生つきまとわれる。わたしはグラスに残ったホワイトを飲み干し、一方的にしゃべる女に怒鳴った。
「うるせえんだよ」
 女がひるんだのは一瞬だった。逆にわたしに好感を持ったようで、ますますぱあぱあと話しをつづける。あたし結婚したら……あたしたち結婚したら……。
 怖くなった。幸い、閉店十分前の音楽が店内に流れ、わたしはトイレに立った。終わったあと、トイレの入口付近でうろうろしていると、片づけをしていた橋瓜さんが、わたしに気づいた。
「どうした?」
「あの女、不気味で」
「年上の女もいいよ」
「しかし……」
 わたしは柱の陰から、彼女が帰る姿を見届けるまで、カウンターには戻らなかった。それっきり。しばらく〈パブ早稲田〉には行かなかった。その後も一人では行かず、友人と連れ立ったものだ。

 わたしの隣りにすわった女は、頼んだ水割りを空けた。
「よろしかったら」
 わたしがサントリーホワイトのボトルをつかむと、女は最初こそ遠慮がちだったが、すぐに打ち解けた様子で、おかわりする。
「あたし結婚したら、ぜったいにうまくやっていく自信がある。家事も得意だし、相手の両親とも、必ずうまくやっていける」
 はじまった。わたしは苦笑した。だが昔のわたしとは違う。黙ってやりすごしたりせず、相づちを打つ。
「ええ。あなたほどの器量好しなら、ぜったいにうまくやりますよ」
 かつての初心さは消えたが、下心は健在だ。女に酒を勧め、誉めそやし、そして――
    ◇ ◇
「タイムマシンに乗った」

 タイムマシンに乗ったと言うと、かなり語弊があり、また勘違いされてしまう。まずは、その説明をしなければならない。
 還暦を迎える年齢になって、生きていた歳月を行き来できるようになった。もちろん精神だけだと思っていた。しかし気がつくと、肉体も一緒にタイムスリップしていた。
 甲府の中心で飲んだ。地元の幼なじみとの無尽(山梨では飲み会の意味)だったが、飲んでいる途中、わたしは時空を超えた。仲間連中は勝手に先に帰ったと言ったが、そうではなかった。私は過去にさかのぼって、亡くなった父母たちと会っていたのだ。
 昔、まだわたしが小学校低学年だった頃、中心にある釜飯屋〈たぬき〉に行った。母の弟である叔父夫婦とその息子、わたしより二つ年下の従兄弟。父と母、そしてわたしの六人連れだった。
 気づいたらわたしは、その隣席にすわっていた。わたしがじろじろと見るので、まだ若く勝ち気だった叔父がかちんと来たらしく、席を立ち、わたしのほうへ歩いてくる。
 それまで幼いわたしの世話で手一杯だった父と母も、叔父の行動で、わたしに気づいた。母は、定夫、と叔父の名を呼び、腰をあげた。わたしのテーブルの前まで来て、文句を言いかけた叔父を止めた。
「こいつ、おれたちをじろじろ見てて……」
「わからんだけ。誰だか」
 母の言葉に叔父は、じっとわたしを見た。叔父の目と口が、ぱっと開き、
「ふみ、か……」
 そう言い、自分たちのテーブルを振り返る。叔父の奥さんは、幼いわたしと従兄弟の世話で忙しかったが、父はこっちを見ていた。わたしと目が合い、やわらかく顔をほころばせ、二度三度うなずいた。
「ふみ!」
 わたしを見た母が声を上げた。その訳がわかった。意識がすっと遠くなりそうで、同時に姿もぼやけてきているのだろう。会えて、うれしかった。声もかすかにしか出せない。
「ふみ……」
 母が涙ぐむ。
「そうだ。写真を撮ろう。こっちへ来い。はやく」
 叔父に急かされ、わたしは腰を上げた。父たちがいるテーブルで、訳の分からない叔父の奥さん、そして幼いわたしと従兄弟をせかして並ばせた。叔父は鞄からカメラを取りだすと、店員を呼び、シャッターを切らせた。その音が聞こえた次の瞬間、わたしは自宅のベッドで寝ていた。
 たんなる夢だろう。無尽の途中で、眠くなり、勝手に帰宅して、寝てしまった。わたし自身も、そう思っていた。ところが、先日、叔父が八十歳で死んだ。通夜の晩、古いアルバムを皆でまくっていたとき、その写真を発見した。食い入るようにわたしが見ているので、それに気づいた従兄弟が脇から覗きこみ、言った。
「このおじさん、今の文彦兄ちゃんに、そっくりじゃん」
 そっくりなんじゃない、と口元まで出かかったが、言わなかった。写真の中の、まだ若い父と母は、わたしの両わきで、遠くを見るような顔つきで微笑んでいる。
    ◇ ◇
 脇から手が伸び、わたしの原稿を奪った。
「なによ。これ。くだらない。それよりしっかり子守りして。子守り」
 女だった。その女はわたしの原稿を丸めて、ゴミ箱に捨てた。
「じいじ」
 見知らぬ幼児が二人、わたしの服の袖を引っぱっている。赤い服、あれ、女の子だ。男の子でなくて……。
 そうだ、三歳になる双子の孫娘、麗衣と瑠衣だ。わたしは妻の美由紀と、高田馬場駅近くの〈パブ早稲田〉で知り合い、すぐに相思相愛となった。できちゃった婚。ぶじ一人娘の樹里が産まれた。
 美由紀は江戸川区に実家があり、両親が所有していた土地、かつては彼女の祖父が豆腐屋を営んでいたが廃業し、空き地となっていたところに、わたしたちの住まいとして四階建てのビルを建ててくれた。一階は貸店舗、二階三階は貸部屋。四階がわたしたちの住居だった。樹里も順調に育ち、三年前に結婚。そして双子の孫を産んだ。
 わたしは大学を中退したあと、作家を目指し、何冊かの本を出したが、この歳になっても、鳴かず飛ばずだ。それでもこの歳になるまで、就職することもなく、好きな小説を書きつづけられた。数年前に他界した美由紀の両親のおかげ。それ以前にわたしを見そめてくれた美由紀のおかげ。わたしのとなりに彼女を座らせてくれた橋瓜さんのおかげ、か。

 晩酌を終えたわたしは、一風呂浴びた。そのとき、少なくなった髪を洗っていると、首すじに何かあるのを感じた。美由紀の同じ場所にも、同じように硬いものがある。ずっとほくろと思っていた。そういえば珠里の同じ場所にも、痣のようなものがあるのを思い出した。
 風呂を出たわたしは、寝ている麗衣と瑠衣のところへ行き、同じ場所に触れた。小さいが、こりっと硬いものがある。照明をわずかに明るくして目を懲らすと、十字の模様になっている。
 ネジ? まさか。
「何してるの?」
 美由紀が様子を見に来たので、一緒に寝室へ行った。灯りはうす暗いスタンドだけにして、ベッドに並んで寝るなり、抱き寄せた。
「もう、あなたったら」
 愛撫するふりをしながら、美由紀の首すじに触る。凹んでいるけれど、たしかに固い物がある。右手で自分の同じ場所に触れた。やはりネジだ。だがわたしの方は、だいぶゆるんでいる。
(抜け。はやく)
 空耳か。どこからか声が聞こえる。
「どうかした?」
 美由紀がわたしの変化に気づいた。あわてて手を離したものの、彼女がそこに触れる。
「いけない。この頃、ばたばたしてたから」
 美由紀はベッドを出た。
(抜け。そうすれば)
「あぶないあぶない」
 彼女が持ってきたのは、見なれぬドライバーのようなものだった。わたしをうつ伏せにすると、それを首すじに当て、回しているのがわかる。
 唐突にあのとき、幼いわたしを背負った母が、わたしに言った言葉がよみがえる。
 ――必ず、甲府に帰ってきて。父さんと待ってるから。
 独りっ子だったわたしに、母が言った言葉。どこで? ぶどう畑? いつ? どこの?
(抜け、ふみ。そうすれば、元にもどれ――)
 くりかえされていた声が消えた。
「これでだいじょうぶ」
 ドライバーのようなものが、わたしの首すじから離れる。
 結婚後、毛嫌いするように、美由紀は甲府に足を運ばなかった。東京で暮らすこと、それがわたしを養う条件だった。でも、なぜあれほど屈強に言い張ったのか。
「両親を大事にするって、言ったのに」
「大事にしたじゃない。ぜんぶ、あたしがやってあげたでしょ」
「でも、帰省したかった。会いたかった。せめて葬式には……」
「まだゆるんでるみたいね」
 ふたたびわたしの首すじに近づき、きつくきつく締めつける。

 そう、わたしは大学入学で上京するまで甲府で過ごしたが、在学中に知り合った美由紀と相思相愛となり、江戸川区に住居を構えてからは、一度として甲府に戻ることもなく、両親は美由紀の手配で施設に入り、会うこともなく死んだ。そしてわたしは――。
 ベッドに横たわるわたしの脳裏に、これまでの人生が、まるで時間旅行しているかのように、鮮やかによみがえる。(了)