「我が家の味」八杉将司

 病気で妻に先立たれてしまった。
 風呂場で突然倒れてそのまま帰らぬ人となった。
 血圧が高かったことをもっと注意をするべきだった。俺も高血圧なので妻とはお互い歳だなと笑い合っていたが、そんな場合ではなかった。
 後悔に打ちひしがれ、悲しみに暮れている間に葬儀は終わった。
 それから家に帰ると、ひどく現実的な日常の不安に直面した。
 家事である。
 洗濯も掃除も食事もすべて妻に任せていた。
 結婚するまでも実家暮らしで家事は母親がやってくれていたので、そういった生活の雑事は一切やったことがなかった。自分が母親や妻のように家事をするなんて想像したこともなかった。
 だが、これからは自分ですべてやらなければならない。
 独り立ちして家を出ていた息子は、心配してしばらく実家に戻ろうかと言ってくれたが、余計なお世話だと一蹴していた。でも、ただの強がりである。いい歳で自分の生活の面倒すら見られないなんて恥ずかしかった。
 とにかくやるしかない。
 掃除はなんとかなるだろう。面倒くさいが、いつもごろごろ寝転がっている休みの日に、妻がしていたように掃除機をかけ、雑巾で机や棚を拭くようにすればいい。洗濯は、洗濯機の操作方法がさっぱりだったので説明書を探し出して読むところから始めた。昼間は会社なので天日に干せるのは休みの日しかない。寝て過ごす休日がその作業で潰れてしまいそうでうんざりしたが、仕方なかった。
 問題は食事だ。
 小さな地方都市なので初老の男が一人で外食できる店は少ない。コンビニやスーパーの弁当ばかりになるのは気が滅入った。どちらにしても栄養が偏りそうで、高血圧な身としては控えたい。
 これまで料理というものをほとんどしたことがなかった。せいぜい学校の家庭科の授業で卵焼きを作ったぐらいだ。
 しかし、そうも言ってられない。休みの日にできる掃除や洗濯とは違う。腹は毎日へるのだ。
 とりあえず妻が通っていた近所のスーパーに出かけてみた。
 スーパーには乾電池や筆記具を買いにくるぐらいしかないので年に数えるほどしかきたことがない。食料品売り場は視界に入れるだけなので、どこにどんな食材が置いていあるのかまともに認識したことはなかった。
 白菜やジャガイモがある棚を見ていくものの、これをどうすれば食べられるように調理できるのか見当もつかない。次が魚介類でそのあと肉が陳列されていたが、食べ方がわからなさすぎて手に取ることもできなかった。
 結局、惣菜コーナーをうろついていた。しなびたコロッケや天ぷらばかりでおいしそうに見えず、血圧にも悪そうだった。
 妻の料理を思い出す。
 煮物や炒め物、酢の物など多彩だったが、味はどこか微妙に独特だった。外食やコンビニ弁当にはない、まさしく我が家の味である。もうあれが食べられないのかと思うと涙が出そうになった。
 そういえばおでんに入っていたちくわやさつま揚げもそんな味がしていた。あれなら惣菜と似ているし、難しい調理をしなくても食べられるではないか。血圧にどうかはこの際、置いておこう。そろそろお腹がすいた。
 練り物コーナーに行くと、いろんな種類のちくわやかまぼこ、さつま揚げが並んでいた。
 どれが妻のよく使う練り物なのだろう。見た目だけでは判別できなかった。
 こういうものは魚のすり身を使っていると聞く。魚の種類によって味が違うのかもしれない。試しに違う種類をそれぞれ買ってみようと思った。
 目の前のさつま揚げを手にして包装の裏を見た。
 原材料名がぎっしり印字してあった。
 かまし(国産)、でん粉、ぶどう糖、発酵調味料、大豆たんぱく、植物油、食塩、酵母エキス、乾燥卵白、ポリグルタミン酸。
 魚の文字がない。その代わりか「かまし」とある。
「かまし」とは何だ。
 ほかのさつま揚げも見てみるが、どれも「かまし」だった。
 魚の種類だろうか。でも、聞いたことがない。
 さつま揚げでなく、ちくわやかまぼこの原材料も確認したが、どれも「かまし」だった。
 俺も魚の種類に詳しいわけではない。そういう魚もいるのだろう。とりあえずかましのさつま揚げをカゴに入れた。
 しばらく食品売り場を見て回ったが、ほかの加工品も原材料がなんとなく気になって見てみた。
 すると、缶詰やお菓子でも「かまし」が混入されている商品があった。
 調味料(かまし等)。粉末かまし。かまし抽出物。かまし汁パウダー。かまし油。かまし(遺伝子組み換えではない)。
 これでは魚かどうかもわからない。得体のしれない不気味さを感じて背筋が寒くなった。考えすぎだと笑われるかもしれないが、さつま揚げを元の場所に戻した。
 その日はコンビニで弁当を買って夕飯にした。コンビニでは「かまし」が入った商品は見当たらなかった。

 会社の食堂で若い部下たちと昼食を取っていた。
 一歳に満たない娘がいる渡辺が熱心にしゃべりだした。
「娘が初めて言った言葉がパパだったんです。パパですよ、パパ。パーパって。もうね、どれだけぼくのことが好きなのかって」
 よほど嬉しかったらしくその話を何度も繰り返した。
 俺は自分の息子ができたときのことを思い出してにこやかに聞いていたが、隣で肉うどんをすする独身の小林はうんざりした顔をしていた。
 やがて小林は思い出したように言った。
「こないだ学術雑誌で読んだけど、海外の大学の研究で赤ん坊は腸内細菌によって感情が左右されている可能性があるとわかったらしい。いくつかの種類の腸内細菌の構成が、脳の好き嫌いを判断する扁桃体という部位の大きさと相関があるそうだ。おまえは娘の腸内細菌に好かれただけかもな」
 渡辺は嫌そうに顔を曇らせた。
「気持ち悪い冗談を言うなよ」
「研究は本当の話だよ。ああ、そういえばトキソプラズマという寄生虫がいるんだが、あれも腸内に居着いて宿主の感情をコントロールするらしい。寄生されたハイエナが天敵のライオンを相手に大胆な行動を取って食われてしまうんだ。人間にも寄生するんだが、もしかしたら……」
 意地悪がエスカレートして飯がまずくなってきたので、穏便に止めるつもりで新しい話題を振った。
「おまえら、かましを知っているか」
 渡辺と小林は毒気を抜かれたように俺を見た。二人とも首を傾げる。
「はあ、かましですか」
「やっぱり聞いたこともないか。俺もこないだまで知らなかったんだけどな」
「いや、知ってますよ」答えたのは渡辺だった。「かまぼこの材料でしょう?」
「調味料にもかましは使われてますよ」と小林が言った。「このあたりの地場産の醤油や味噌はだいたいかましを入れているそうです」
「何だ、珍しくないのか。じゃあ、聞くが、そのかましとは何だ。魚か?」
「かましはかましですよ」
 二人は口をそろえて答えた。
「うん? いや、種類の名前ではなくて、魚でそういうのがいるのかと聞いているんだが」
「魚ではないと思いますよ。かましです」
「魚じゃなければ、何だ。タコとかイカとかそういうのか。それとも貝みたいなものか。どんな形をしている」
 渡辺は困惑したように小林を見た。
「なあ、かましの実物を見たことがあるか」
「ないなあ。幼いころからかましはよく食べていたが、どれも加工や調理済みで原型はないものな」
「うちも一緒だ。そうそう、駄菓子屋でさ、かましパウダーにまみれたお菓子があっただろ。あれうまかったよな」
「ああ、あれな。食べだすと止まらなくなるんだよ。ちょっとした麻薬だったな」
「ほんとだよ」
 二人ともおかしそうに笑いだす。
 渡辺が置いてけぼりになっている俺に気づいて慌てて言った。
「すみません、うちらもよく知らないんですよ。インターネットで検索して調べてみたらいかがですか」
 普段、仕事以外ではパソコンを使うことがないので、インターネットで調べるという選択肢が思いつかなかった。
 仕事から帰ると、ノートパソコンを引っ張り出した。
 家にインターネット回線は引かれていた。ただ使っていたのはもっぱら妻だった。
 電源を入れる。パスワードを打つ必要もなくデスクトップが現れた。会社のパソコンと勝手が違うので手間取ったが、なんとか検索サイトにアクセスできた。
 かまし、と文字を打つ。検索。
 検索結果が表示されたが、自治体や単語の読みの一部が重なっているものばかりで求めている謎の食材「かまし」は出てこない。
 この地域にだけ知られるローカルな食材なのだろうか。またはこのあたりだけに通じる方言の可能性もある。そのためトップ付近には出てこないことも考えられた。
 検索結果の件数は数千万にも達していたが、時間の許す限り見ていった。退屈な作業だったので途中からビールを飲みながらパソコンを操作した。
 どれぐらい経っただろうか。酔いが回ってきたぐらいから、ぽつぽつとそれらしき名前が出てきた。でも、どれも断片的な情報でかましの正体までは突き止められない。
 そろそろ諦めようとしたころ、業務用「かまし」なるものを取り扱っているウェブページを発見した。「かまし塊」なるものを取り寄せできるとあった。業者相手のためか、商品の画像はなかった。個人でもクレジットカードで取引できるという。価格は百グラムあたり三十九円と安かった。
 酔いの勢いに任せて注文した。

 二日後、冷蔵宅配で届いたそれは、透明な真空パックに入っていた。
 ベーコンのブロックみたいな形で、色はサラダのチキンのような白さをしていた。
 張られたシールのラベルはシンプルに食品表示があるだけで、名称は「かまし塊」とあり、原材料は「かまし」としか記されてなかった。
 キッチンでまな板を出し、そのうえにかましを出した。
 見た目はチキンだったが、触ってみると白身魚の切り身みたいにやや硬い弾力をしていた。匂いは特になかった。
 生で食べる気にはなれなかったので、とりあえず焼いてみようと思ってフライパンを出した。
 味付けは塩を振るぐらいしか思いつかなかった。
 それでも酒のつまみにはなるだろう。
 さっそくグラスに氷を入れて焼酎を注いだ。
 軽く飲みながら包丁でかましの塊を短冊に切る。慣れてないので恐る恐る包丁の刃を入れていく。
 妻が亡くなってから酒の量が増えた。
 一人で家にいるからだろう。話し相手がおらず、趣味もないので何か没頭することもできない。それを酒でごまかしているのだ。
 かましを業者から取り寄せてまで食べようとするのも同じ理由だろうかと思った。
 少し違う気がする。かましに執着してしまうのは、実は俺自身ではなく寄生した腸内細菌が欲するのであって、そんな腸内細菌にコントロールされた人間がこの地域には多く、かましは腸内細菌が好む食材として人工肉や培養肉のように開発生産されて流通し、加工食品として近所のスーパーに出荷されているのだ。我々は腸内細菌によって支配されているのである。その行き着く果てには何があるのだろう。
 焼酎のグラスが空になっていた。
 少し酔ったようだ。いつの間にか部下の話に毒されたらしい。
 切ったかましを熱したフライパンに乗せた。
 焼く音とともに香ばしい匂いがした。懐かしく求めていた匂いでもあった。
 塩を振って両面を焼く。
 味見のつもりで箸で一切れをつまんでそのまま食べてみた。
 ああ、これだ。これが食べたかったんだ。
 新たに注いだ焼酎を飲む。
 それからまた一切れつまんで口に入れる。
 かましとは何かなんてどうでもいい。
 行き着く果てなど知ったことか。
 俺にとって大事なことはかましが満たしてくれる。
 つまりは我が家の味だ。
 この味がある限り、妻はここにいる。

・参考
Infant gut microbiome composition is associated with non-social fear behavior in a pilot study
(乳児の腸内細胞叢の組成が非社会的恐怖と関連している可能性が初期研究でみられた)
https://www.nature.com/articles/s41467-021-23281-y