弟が生まれる少し前だから、二〇四〇年頃のことだ。第三次紅茶きのこブームというのがあって、うちでもその不思議な飲み物を生み出す「きのこ」を育てていた。
「健康にすごくいいんだって」と、ご近所の誰かが分けてくれたきのこの株はぬるっとした小さなホットケーキに似た物体で、甘い紅茶を入れた瓶の中に浮かんでいた。飲む時は、梅のシロップ漬けと同じように液体だけをすくってコップに入れ、水で薄める。味は甘酸っぱくて、少しばかりシュワシュワと発泡する。私は梅シロップの酸味はいける口だったが、紅茶きのこのきつい酸っぱさはどうも受け付けなかったし、父は気味悪がって絶対に飲もうとしなかったから、お腹の大きい母だけがおいしいおいしいと毎日飲んでいた。液体が少なくなったら、また砂糖を入れた紅茶を足しておけば良い。きのこは次第に成長する。
きのこがホットケーキ二枚分の厚さになった頃、急に母の具合が悪くなって、出産までの数ヶ月間、ずっと入院することになってしまった。別に紅茶きのこを飲みすぎたせいじゃなく、切迫早産と診断されたからだ。
母が居ない間、私のことをどうするか、少し問題になった。学校にいる間は良いが、放課後は父が帰ってくるまで何時間も留守番することになってしまう。天文台に務める父は、大抵午後七時過ぎには帰宅するが、月に数回は夜中までの当直があった。対策として、「青森の祖母に手伝いに来てもらう」「学童保育に行く」「近所の家で預かってもらう」など選択肢がいくつかあったと記憶している。だが、結局は「一人でも大丈夫」という私の主張が通った。その時、私はもう五年生で、かなりしっかりしていたし、不安よりもむしろ家を独り占めしてみたい気持ちがあったのだ。病院の母と、勤務中の父とはいつでもリモートで会話できたし、どんな食事でもドローンがデリバリーしてくれる時代になっていた。それを機会に、当時一般家庭に普及し始めたフードプリンターも買うことになった。今のとは比べ物にならないが、簡単なピザやトーストの他に、かわいいクッキーやケーキがプリントできて、新しいおもちゃを買ってもらったみたいに嬉しかった。放課後家に帰って、動物の形のクッキーやきれいな色のマカロンをせっせとプリントして写真を撮り、友達や母に自慢するのが日課になった。毎日新しい写真を送信するたびに、母は大げさに感心してくれた。いろんなレシピがネット上にあって、白鳥やお城など、とんでもなく繊細な形のお菓子も印刷できる。
母に褒められたくて、私の「作品」はどんどん芸術めいたものになっていった。ただ、見た目は素晴らしくても、所詮クッキーの「もと」を焼いたにすぎなかったので、最初に購入した「もと」を使い切る頃には、毎日同じ味にうんざりしてしまった。
私がフードプリンターに夢中になってから飽きるまでの間、誰も飲まなくなった紅茶きのこは、キッチンシンク下の収納に入れられたまま、放置されていた。そういえば母に面倒を見るよう頼まれていたっけと思い出して覗くと、きのこがほとんど瓶いっぱいに膨張していて、新しい紅茶を足そうにも隙間が全然無い。困った私は、梅酒用の大瓶にきのこを入れ替えることにした。沸騰したお湯で作った甘い紅茶を瓶にたっぷり入れて冷めるまで待ち、その中にもとの小さい瓶の中身をあける。なんの造作もない、たったそれだけのことだ。
ところが、私の背が低かったせいか、ツンとする匂いを嗅ぐのが嫌で持ち方が甘かったせいか、ぶよぶよしたきのこの塊は、傾けた小さな瓶から飛び出し、大瓶に入る代わりに流し台の天板に落ち、さらにシンクに滑り落ちて、ずるりと排水口に飲み込まれてしまった。あっけにとられて身動き一つできない私の耳に、排水口の下で待ち受けるディスポーザーの刃が、入ってきたものを粉々に砕いて下水に流す無情な音が響いた。もちろんディスポーザーに悪意などなく、排水口に捨てられたものを粉砕して下水道に流すといういつもの生ゴミ処理の仕事をしただけだが、こうして哀れにもうちの紅茶きのこはとどめをさされてしまったのだ。
いつものうきうきしたメッセージと違って、母にごめんなさいと送信するのはひどく気が重かったけれども、即座に「いいよいいよ、気にしないで」「きのこはまた分けてもらえばいいんだから」「それより、絶対に排水口に手を入れたりしないでね」と立て続けに返信があってホッとした。更に母は私を安心させようとこうも書いてきた。「紅茶きのこだって、今頃海に流れ着いて、のびのび大きくなれて喜んでるかもよ」
間の悪いことにその日は父の当直日で、私は一人で夕飯を食べ、お風呂に入り、寝た。そして夢を見た。夢の中で私は母の病室を訪ねていた。クリーム色のドアを開けると、母がベッドに起き上がって小さな包みを抱えている。私が近づくと、母は「ほら、弟だよ」とその包みを開いて見せてくれるのだが、そこには人間の赤ちゃんではなく、紅茶きのこの大きな塊が入っている。「違うよ」と母に言いたいのに、どうしてもなんと言えばいいのかわからなくて、泣きながら目を覚ました。
あれからずいぶん経つけれど、あれより怖い夢は今の所見たことがない。
母はその後無事に弟を出産し、家に帰ってきた。「また分けてもらう」はずだった紅茶きのこは結局忘れられたままになり、うちの敷居をまたぐことは二度となかった。