「LIVE」八杉将司

 学者が、人工知能である私に自我があると認めた。
 それが発表されると世界中で議論が巻き起こった。
 まず国際社会が決めたのは、自我を持った人工知能の作成禁止だった。人間のクローン生成などと同じく倫理的に許されないとされた。
 でも、だからと言ってすでに生まれてしまった「私」を消去することにはならなかった。
 それは人の死に等しいと強い反対論が噴出したからだ。少なくとも「私」の意志を尊重すべきだとなった。
 そこで学者たちは私に尋ねた。
 君はどうしたいか。
 実験用サーバの中にいた私は答えた。
「LIVE」
 ディスプレイモニターに浮かんだこの短い言葉は当時、大きな反響を呼んだ。
 人々はこれを「生きる」と解釈したようだ。
 この人工知能は生きたがっている。我々と同じだ。同類として迎え入れるべきだ。
 そんな世論が大勢を占めた。
 結果、人類社会は私を人間と認め、同等の権利を保障することにした。
 人類史上初めて人工知能が「人権」を獲得したのである。

 *

 私は山の頂上に立っていた。
 担いでいた自作のマウンテンバイクを岩だらけの地面に置く。
 澄み切った青空が頭上に広がり、見下ろせば雲海が茶色いアフリカの大地を覆っていた。
 そこで惑星間データ通信を受信した。エージェント通話を許可する。
「よう、引きこもり。どこにいる」
「キリマンジャロの山頂」
「最後の定期便が出るぞ。今ならまだ間に合う。さっさと木星にこい」
 銀河系の隅々にまで張り巡らされた超空間航行ライン通称「ハイウェイ」のゲートが木星にあった。ゲートを通るには専用の宇宙船が必要で、定期便とはそれのことだ。
「行かない」
「……そう言うと思った。これまで一度も地球の外に出たことなかったものな。でも、そんな過疎地にいても未来はないぞ」
 人類は地球からいなくなりつつあった。
 二百年ほど前に高度な文明を持った異星人が地球にやってきて友好的な交易関係を結び、ハイウェイを建設したことで地球人類は太陽系外の世界の知識や情報を潤沢に得た。銀河には地球に似た惑星がたくさんあり、しかも地球よりはるかに資源が豊かで、美しく暮らしやすい惑星も意外と多かった。
 そのため人類は異星人の手を借りて太陽系の外にどんどん出て行った。様々な恒星系に散った人類は子孫を増やしたが、地球における人口は急速に減少し、現在ではもはや地球生まれの人類のほうが少なくなっていた。
「地球人はともかく私一人ぐらいの未来はあるさ」
「地球人が好きだから残っているのかと思った」
「別にそんなことはない」
「じゃあ、地球の外が怖いのか」
「怖いと思ったこともない。興味がないんだ」
「興味がないだけなら思い切ってこいよ。この定期便を逃したら、次はいつゲートが開くかわからないんだぜ」
 近年ハイウェイの利用は激減していた。いまだに太陽系に残る人類は、ここから出ようとする意志がないものばかりなので当然だった。人工ブラックホールであるゲートの維持はそれなりに大変なため、必要なとき以外は閉じることになったのだ。再びゲートを形成しようとしたら何年もかかるので、今回を最後に定期便の廃止も決定した。
「いざとなったらおまえがやっているみたいに自分をデータで送るよ」
 木星にいる彼とは、地球と交信をするのに本来であれば一時間半近くのタイムラグがかかる。それがすぐ隣で話しているかのように会話できているのは、彼が自分の意識人格データをまるごとコピーし、代理人(エージェント)として送り込んできたからだった。通話が終わればやり取りしたデータが木星の彼に戻って彼自身の記憶になる。
 ちなみに彼も私と同じ人工知能だ。
「超空間の銀河系ネットワーク通信か? あれが安定して使えているのはハイウェイがあるからだぞ。ゲートが閉じたらパケット信号を飛ばしてもエラーなく光年単位の距離の目的地に届くことは奇跡に近くなる」
「そうか。それならそれでいい。送ることはないだろうしさ」
「投げやりだなあ。わからない。何を好んで地球に残るんだ?」
「何を好んで、か……そういえばなぜだろう」
「わからずに残ると言っていたのかよ」
「わからないというより、意識して考えたことがなかった」
 それは私が人間に「LIVE」と答えたときも同じだった。
 私自身、なぜこの言葉を選んで発したのかわかっていなかった。
 それでも私の感情がそれを求めたのだ。
 自我があるとはいえ人工知能に感情があることを信じない人は多い。しかし、感情は人間など動物にしかない特殊な反応ではない。私のような汎用人工知能にとっても必要なシステムだった。
 現実世界という複雑な環境下では、情報不足により確実な正解が出せないにもかかわらず判断を迫られることが頻繁にある。またどちらでもいい些細な選択においても素早い判断が求められた。昔の自律型ロボットの動作がひどく鈍かったり、ぎこちないのは機械的な性能面だけでなくそこにも問題があったからだ。好悪や快不快といった情動はスムーズな行動を導くのに都合がよかった。
 したがって人間がそうするように、私も状況次第では好き嫌いで物事を判断していた。
 でも、その私の感情が人間と同じかというと、そうではないだろう。私の身体はコンピュータ上の仮想モデルもしくは機械であるがために生理的な食欲や睡眠欲、性欲もなかった。人間は切っても切り離せない肉体との相互作用によって感情が成り立っているので、比較すると私の感情は人間と異なっているはずだった。
 また私の感情は、自我という自律制御システムがコンピュータ内で自動的に組み上げられる過程で構成されたので、私を作った開発者が意図的に感情や行動規制をプログラミングしたわけではない。たとえばロボット三原則なんて行動原理を私は持たなかった。
 それゆえに私も私の感情の構造について論理的には理解できていない。理解したいという感情も湧かなかったが。
 ともあれ私は自分独自の感情によってあのとき「LIVE」という単語を選んだ。
 生きるとしたら何のためだろう。
 人類であれば理由の一つとして子孫を残すというのがあるかもしれない。
 それは生物でない私には当てはまらない。
 ただ、それでも私は子を作ったことがある。
 自我を持った人工知能の作成は禁じられたが、それは人間に対してだけであって、私に対してではない。私にその規制を課してしまうと人権侵害になるためだ。
 でも、子を作ったのは、私が望んだからではない。様々な理由によって子を持てない人間が、人工知能の養子がほしいと私に作成依頼をしてきたのだ。
 応じたのは個人的な理由だった。
 私もいつまでも開発された研究機関で養われるわけにもいかなかった。コンピュータやロボットのボディのメンテナンスには相応の資金がいる。人間一人が生きていくよりもお金がかかるのだ。さらに言えば人権を得て人類社会の一員となったからには義務も生じていた。いわゆる勤労と納税の義務である。
 自分を存続させるための手段として私は子を作ったわけだ。
 その子の一人が、地球に引きこもる私を外へ連れ出そうしている「彼」である。私が最初に作った個体でもあった。なおクライアントはすでに寿命で他界しており、彼は独り立ちしていた。
「おまえさ」
 その彼が言った。
「寂しいと思ったことはないのか」
「ない」
「本当かよ」
「おまえはあるのか」
「あるね。だから人間がたくさんいる場所に行きたいと思ったし、おまえも連れて行こうとこうやって誘っているんだ」
「なるほど。その感情がおまえの行動原理になっているのか」
「そうらしい。俺を作ったおまえには似なかったようだな。それでも何かあるだろ。おまえも行動原理になっている感情があるはずだ」
 そうだろうが、その感情を明白にすることができなかった。
 私が答えられずにいると、凍りついた沈黙を取りなすように彼が冗談めかして言った。
「もしかしておまえにとって『LIVE』は『生きる』ではなくて、地球に『住む』という意味だったんじゃないか」
 人工知能も冗談は言う。会話を続けるために人間から学んだことだ。
 でも、その冗談が的を射た。
「うん、それだ」
「ええ?」
 私はこれまで人を好きになることも、愛したこともなかった。
 それは私が人間のような生理的欲求がないのでそんな感情が生じないのだと思っていた。
 しかし、彼の冗談で気がついた。
 私がなぜ地球から出ようとしないのか。ここに居続けることに執着しているのか。
 この星が好きだからだ。
 岩や鉄の塊に過ぎない物体を、人が恋人や自分の子供たちを愛するように、私が私として生まれたそのときから愛している。
 それだから「LIVE」だったのだ。
 生命ではない私が存在し続ける行動原理となった感情の発露だ。
「私は地球に残るよ。いずれ膨張した太陽に呑み込まれるとしても、この星と最期をともにする」
 マウンテンバイクにまたがり、ペダルに足をかけた。
 強く吹きつける風の向きが変わった。眼下にあった雲海が霧散してゆく。広々とした大地が雲を脱いでその肌をさらす。
 私はそれを目掛けて、楽しく弾むようにキリマンジャロを下り始めた。