「不死鳥の巣」江坂遊

 ピレウス港の「ならず者酒場」にゼータが顔を出した。
 ゼータは腕相撲とウォッカの飲み比べを難なく勝ちぬく。その後、やっとせしめた権利だというのに、店主の私の唇に触れもしないで、こう言った。
「アイトレ、いい名だ。オレみたいなのを探しているのだったら、手伝ってやってもいいぜ」
「そう言うと思ったわ。じゃ、誓約書にサインして頂戴」
 私はそっけなく答えたが、内心は嬉しくて仕方がなかった。
 力強い味方が見つかったので、その夜のうちに店を引き継ぎ、舟を出した。計画は短時間で嘘のようにうまく進んだ。
「協力してやろう。だいたいな、『不死鳥』を手に入れて永遠の命を得ようだなんて、くそくらえ、だ。意味がない。オレは既に敵なしの身体だからな」
「そのようね」
 ゼータがそう豪語するのももっともだ。ピレウスの酒場で誰に尋ねても、彼が何度も地獄から生還してきた武勇伝の一つや二つは、すらすら話して聞かせてくれる。勇士ゼータの活躍は既に神話化し始めていた。
「いくら荒くれ女だと言っても、そのなまちょろい腕のお前が、とんでもない旅に出ようとしている。その心意気や、良し。金銀財宝を既に手にした女剣士とタッグを組み、オレはまた冒険がしてみたくなった。だからついて行く。お前に惚れたわけじゃない。お前の剣さばきとお前のその美しさは、攻守にわたり、それなりの威力を発揮することはわかっているが」
「嬉しいわ」
「勘違いするな。『勇士ゼータ伝』の新章の始まりだから、オレは腕が鳴っているんだ」
「頼もしいわ」
「もっとも、『不死鳥の巣』が見つかったら、その卵をたった一個だけもらいたい。それだけでいい。その中身をツツーと飲ませてくれよな。いや、オレは味が知りたいだけのことさ」
 ゼータの要求は本当にたったそれだけだったから驚いた。私にベタベタしてこないのは意外だったが、それは有難いことでもあった。
 ジブラルタル海峡を出て大西洋に入ると、舵を南に向け、舟は古い手帳に描かれた小さな島ヴェニキスを目指した。
「よくもまぁ、そんなカビが生えた手帳を信用するものだな。金貨五十枚で交換したとは、もったいないねぇ。へぇーっ、その島に『不死鳥の巣』があるのか。沿岸には海竜がうじゃうじゃいて、波打ち際には目に見えない棒術つかい達が陣取っている。川には獰猛な熱帯魚がひしめきあっていて、森には血を吸う赤い虫の群れか、いかしているぜ。蛭がびっしり張りついた岩山を登り切ってひと息もつけねぇタイミングで、山の守り神の巨大な首だけの巨獣と一戦交える。それを倒すと、ようやく不死鳥の巣を拝ませてもらえるってわけか」
 手帳に書かれてあった試練は、ことごとく二人が遭遇したものと同じだった。それは、命がいくつあってもたまったものではない試練ばかりだったが、二人はうまくコンビネーションをとり、力を合わせて乗り越えた。詳しくは、『アイトレ女王伝』の第八章を参照されたい。まだ私は執筆し終えていないので、何章になるかは不確かなことだが。
 ゼータは、ときどき足手まといになる私を、悪態をついて助けてくれながら、勇猛果敢によく戦ってくれた。何度も命を落としたように見えたが、その度に彼は「不死鳥」のように蘇り、さらに強くなり、敵を完膚なきまでに打ち負かした。勇士と言うだけのことはあったのだ。
 これだけ強いと、ゼータにとって「不死鳥」を求める目的は確かにあまり意味がないように思えた。だからやはり、ちょっぴりは私に惚れているのだろうと読んでいた。そうでなければ、私をあんなに果敢に守り抜いてくれなかっただろう。
 そして、艱難辛苦を乗り越え、ついに二人は、飛ぶ巨獣の長い首を岩に巻き付けて息の根を止め、ゴールの「不死鳥の巣」にたどり着くことができた。
「ブラボー」
 冒険の末の甘い報酬を得る歓喜の瞬間がもう目前に迫っていた。
 巣を覗きこむと、鶏卵と同じ大きさの「不死鳥の卵」は全部で八つあった。白いのが七つと後一つは黒いのだ。
「よし。約束通り、卵を一つもらうからな。オレは黒いのにしよう」
 私はゼータの腕をすかさずさえぎってそれを止めた。
「びっくりした。ゼータ、あなたも知っていたのね」
「あぁ、そうとも。ええっ、するとアイトレも、そうだったのか」
 二人は、顔を見つめ合い、やがて腹を抱えて笑い合った。
 「不死鳥」は百年に一回、黒い卵を産む。その黒い卵は百年間温められる。孵った雛はやがて「致死鳥」になる。
 死なない身体を持つ者が、唯一、死に至るためには「致死鳥」の生き血を飲むか、その卵を飲むかのどちらかしかなかったのだ。
「アイトレもオレも同じ不死身の身体だったとはな。そんなことは思いもしなかった。つまり、お互い、もう長く生き続けるのにあきちゃったわけだ。気が合うと思ったよ。必死で助けて損をしたな」
「ふふふ。ここで決闘をしてもいいわよ。永遠の命を得るために戦うっていうのはよくあるけれど、永遠の死を得るために決闘をするというのも興味深いお話よね」
「違いねぇが、勝負がつくはずもない。それに決闘しなくてもいい方法が見つかるかも知れない。考えてみようじゃないか。時間は二人とも永遠に残っているわけだからな」
「それはそうね」
「でも、『致死鳥の卵』は一個きりしかない。オレが独占するのは許されそうにない。半分に分けても効果はなさそうだ」
「半年、死んで、半年、生き返るというのも奇妙な人生だしね」
「二人のその期間が重ならなかったりしたら、ずっとアイトレと話せなくなるのは何だか淋しくもある」
「何言っているのよ。三択問題よ、これは。ここでじっと百年待って、不死鳥がもう一個産むのを待つか、別の『不死鳥の巣』を探しに出るか? 滅多に姿を現さない『致死鳥』を探すということもできる。そのどれかだわね」
「早く言ってくれよな。次の当てがあるのなら、探しに出る方に決まっている」
 二人は同時にニヤリとした。
 だが、何という皮肉か。運命の悪戯というのはこのことだ。「致死鳥の卵」の在り処がつかめないうちに、獲得した貴重な一個の卵が腐ってしまった。旅は振出しに戻った。
 しかし、まぁ、二人でする冒険の旅は実に楽しい。この分では『勇士ゼータ伝』を飲み込んで改題されるであろう『真・女王アイトレ伝』は堂々の大長編になりそうだ。
 二人には何より、二人一緒に「死にたい」という共通した「生きがい」がある。だから、『このままずっと続けていけるのなら、それもいいな』と、今ではそんな風にも考えられるようになってきている。