「おばあちゃん」深田 亨

 物忘れがひどくなったおばあちゃん――実家の母親を訪ねる。数年前に夫である俺の父が亡くなってから、一人住まいだ。
 父の法事もこのあいだ済ませたばかりなのに、行くたびにそろそろ準備しないと、などとせっつかれる。その都度、もう終わったんだよと写真など見せて説明して、いったんは納得するが帰るころには忘れてしまう。
 ただ、身体は元気なので、暇に飽かせて掃除を怠らないのか、行くたびに家の中は綺麗になっている。でも物忘れは進行していて、とうとう妻がわからなくなった。
「どちらさま?」と聞かれたとき、妻は困った顔をしていたが、すぐに「たかしの彼女なの?」と問われてその場はおさまった。十数年前はそうだったのだから、間違いではない。
 その次行ったとき、仏壇から父の写真が消えていた。親父の写真、どうしたのと言うと怪訝な顔をして、次に怒りだした。
「お父さんは単身赴任でいないじゃないか。いくら親子で仲が悪いと言ったって、仏壇に写真なんて、死んだみたいで縁起が悪い」
 たしかに、高校生のころは父に反発していたし、父も数年間単身赴任をしていたことがあった。
「おばあちゃんの記憶は、新しいものからどんどん失われていっているのよ」
 このごろでは、ご近所に引っ越してきたおくさんと間違われる妻がそう言う。
 実家はますます綺麗になる。というより、新しくなっているようだ。最初は化粧を変えたのかと思っていた母も、ずいぶん若く見える。
 実家の手前の道路が狭くなった。わざわざ工事をして道を狭めるなんておかしなことをしているなあと思っていたが、そうではないみたいだ。
「おばあちゃんの思いが強すぎて、いま覚えていることが現実になって見えるのかしら」
 妻の言うことも、まんざら的外れでなさそうだ。
 これではいけないと思い、中学生の息子を連れていくことにした。小学校低学年まではよく一緒に行ったのだが、実家の近くに同年代の子供がいないせいか、やがていやがるようになった。
 久しぶりに孫の顔を見せて思い出させようとしたのだ。
「おかえり、たかし。どこへ行っていたの」
 息子の顔を見るなり母はそう言った。孫を自分の息子と間違えているのだ。
「早くご飯を食べなさい」
 食堂には三人分の食事が用意してあった。もうここは、完全に昔の母の記憶が再現されていた。父と、母と、一人っ子の俺の分。
「おばあちゃん、しっかりしてよ」
 声をかけたけれど、母は聞いていないようだ。困って振り向くと、一緒に来た妻の姿がなかった。
 縁側に目を向ける。庭先に止めたはずの車が見当たらない。それどころか、車を止めたスペースは、花がいっぱいの花壇になっていた。若いころの母が丹精を込めて育てていたのを思い出す。
 玄関の引き戸ががらりと音を立てて開く。いないと思っていた妻は、外に出ていたんだな。
 一瞬そう思ったけれど、「ただいま」と懐かしい声で入ってきたのは、父だった。目が合った――はずだが父の視線は奥の部屋まで届いていた。
「おかえりなさい」
 そう言って、母が俺を通りぬけて玄関に行ったのをぼんやり感じながら、意識が消滅した。

(深田亨氏は、江坂遊会員の推薦によりご参加頂きました:2020年10月31日)