「イカロスの神話を超えて――私論。「巨匠とマルガリータ」を語るための序論」(第一回)木蓮更紗(SF愛好家)/監修:大野典宏

 ミハイル・ブルガーコフ(一八九一年〜一九四〇年)。二十世紀ロシアで最大の小説家・劇作家と称され、代表作「巨匠とマルガリータ」はロシアにおいて二十世紀最大のファンタスチカ作品であると誰しもが認める最大の問題作である。
 奇想と寓意に満ちており、ブルガーコフの生前には発表できなかった。他作品も雑誌掲載はされたものの発禁となったという悲劇の作家である。そしてソ連体制が崩壊しても検閲によって不完全版しか発行されず、完全な形で読むことができるようになったのは二一世紀近くになってからだった。ブルガーコフ作品は生前中にすべてが発禁処分になっていて、「巨匠とマルガリータ」は発表すらされなかった。もちろん体制批判がその理由なのだが、そんな政治性とは関係なく現代の文明批判も含めたSFとして書かれてしまったので、当時のソ連社会ではもちろん、ソ連が無くなった後もしばらくは封印されてしまった。ロシア語で完全な形として読めるようになったのは二十世紀の終わりとなる一九八九年のことである。だが、「巨匠とマルガリータ」に関しては完全版を巡って意見が分かれる状態が続いている。そのような事情なのでロシア語版自体が固定されていない、検閲が入っているということで昔のブルガーコフ作品の外国語翻訳は不完全なものが多い。著者がブルガーコフに興味をもったときには日本語訳が入手困難になってしまっていたために英語訳で読むしかなかったのだが、それも細部が削除された版からの翻訳だった。
 では、なぜにそこまでブルガーコフの作品が危険視されたのか?
 本書を一読すればすぐにわかることなのだが、「やはり今でも危険な内容だから」としか言えないのだ。
 また、「巨匠とマルガリータ」は、完璧なまでの創作者論であり、小説論であり、同時に集団社会論なのだ。描写はスプラッター、喜劇、歴史劇など広範にわたり、読む側にもそれなりの知識が必要とされる。
 ここでは、ブルガーコフ作品を読むための背景を紹介していきたい。日本ではあまりにもブルガーコフが読まれず、その先進性が評価されていないのは事実として受け止めなければならない。ここでは、そういった日本の状況を何とかするための読書案内にすることを目的にしている。
 では、まずブルガーコフの先進性と批判性を紹介するために、純粋にSF作品として優れている「運命の卵」(一九一七年)から語ることにする。
 「運命の卵」に関しては雑誌への掲載が一九二五年だったことから、二五年に執筆されたという説が大半だが、他作品の執筆年と合わない、無理があるという判断から、ここでは異論として扱われている十七年説を採用する。


●墜ちたイカロス(運命の卵)

 イカロス神話にはさまざまな解釈が存在するのだが、ここでは「イカロスが自分の作った羽を過信するあまりに墜落した」という説を採用する。つまり、自分の技術や知識への過信というテーマである。
 SFの世界では、「自分が創造した物に淘汰される」という意味は「フランケンシュタイン・コンプレックス」なる言葉で極端に恐れる傾向が見られる。だが、筆者はその立場をとらない。多くの作品を実際に読んでみると単なる「人の判断間違い(ヒューマンエラー)」だったり使う側の無責任による事故であることがほとんどだからである。
 したがって本稿でも「ミス・傲慢・怠惰」として扱う。
 さて、驚くべきことだが、「運命の卵」は歴史上初めて人為的な技術によってとてつもない怪獣を生み出してしまう、後の「ゴジラ」などにも通じる怪獣SFの起源である。異論は歓迎するが、調べてみたところ、本作より前には「神話的な怪物」や「生き残った恐竜」こそ登場するものの、人為的に作られた巨大怪獣が確認できないのだ。ウェルズ「神々の糧」とたいへん似たテーマだし、「神々の糧」を初の怪獣SFとすることも可能だろう。しかし、怪獣パニックSFとして後に受け継がれるフォーマットを完成させているのは明らかに「運命の卵」である。
 ここで出てくる謎の技術は「怪光線」である。両生類の卵に照射することで爆発的に細胞分裂を加速させ、繁殖期間をも速くさせる光線を発見し、特定波長の発生装置が開発されたことによる一連の事件が描かれる。
 ここで注意すべきなのは、本光線発生機は両生類への影響を調べるために開発された装置にすぎない点である。それ以外の目的で使うことなどは一切考えていないし、実験も実証もされていないのである。
 もうこの段階でお気づきの方は多いと思うのだが、機器の目的外使用は危険極まりない行為なのである。結果がまるで予想できないのは当然のことなのだ。それが誤った目的で使用された場合には……。
 結局、功績を焦ったバカで無責任な役人の勇み足と管理の怠慢、搬送の手違いというくだらない理由によって巨大怪獣が生み出されてしまい、モスクワを襲撃することになるのだ。
 そして大きな悲劇的結末を迎える。おびただしい数の死者、解決されないままに終わってしまった問題、逆上した大衆によって「魔女狩り」のごとく惨殺されてしまう開発者たち。これすべては人間の怠慢と衆愚によってもたらされた被害以外のなんなのだろうか。
 本作では明らかにイカロス神話の寓意が扱われている。ただし、それは技術への過信ではなく、怠惰と出鱈目な手続きの結果としてである。特筆しておくべきは、後に作られる怪獣SFの多くが本作品ですべて語られている点である。
 本当にイカロス神話の題材が現れるのは、「犬の心臓」(一九二五年)においてである。


 第一回の結び。
 今後、生物学SF「犬の心臓、ヨーロッパ悪魔物語の正統を継ぐ幻想文学の傑作「巨匠とマルガリータ」について触れていく予定である。
 使用テキストは、水野忠夫氏による訳である「悪魔物語・運命の卵」岩波文庫、「犬の心臓」(河出書房新車)、「巨匠とマルガリータ」岩波文庫のテキストを元に訳中の用語を使用する。
 現在、「運命の卵・犬の心臓」(増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ共訳)が新潮文庫から(電子書籍も含む)、「巨匠とマルガリータ」は岩波文庫から(電子版も含む)上下巻組で手に入るが、訳語の違いが見られるため、水野忠夫訳に準拠することとした。


 以下に予定している内容を示す。
●逆手に取られたイカロス(犬の心臓)
●乗り越えられるイカロス(巨匠とマルガリータ)


(次回に続く)