「円筒の空/ゼナの子供たち2」伊野隆之

*本作品は、独立した作品になっていますが、SF Prologue Waveに掲載された「円筒の空/羊たちの雲」と共通の世界を舞台とし、「円筒の空/ゼナの子供達」の直接の続編となっています。

 カンタベリーⅦになる筈だった全長六十キロ、直径十二キロの円筒形の構造体がゆっくりと自転している。内部に太陽光を取り入れるための反射板の展開は中途半端で、中はまだ薄暗い。
「LP4MS7がこちらを認識しました」
 今でも建設当時のコードで呼ばれるそれは、本来なら二千万人の人口を要するコロニーになる予定だったが、今は完全に無人で、一切、利用されていない。
「言ったとおりだろ」
 通信モニターで見るイソザキさんは自慢げだった。太陽電池による動力供給があるため、ドッキングゲートは生きている筈だったが、僕には確信が持てなかった。何せ、開発が中断して以降、十年以上放置されているのだ。
「ええ、今のところは大丈夫なようです」
 月の先行ラグランジュポイントに巨大なシリンダー型のスペースコロニー群の建設が始まったのは、既に一世紀近く前のことになる。環境災害の頻発から、多くの難民が生じ、宇宙への移住の必要性が叫ばれた時期だった。ただ、実際の移民の数は微々たるもので、結局、完成されたコロニー群の多くは民間に払い下げられることになった。もともと地球上で大規模な放牧業を営んでいた僕の会社は、気候災害による放牧地の損失を補い、畜産による環境負荷の低減を目指してコロニー群を格安で買い取った、ということだった。
「こっちの数字は全部正常。そんなに心配は要らないって」
 イソザキさんは僕の職場であるカンタベリーⅢの責任者で、今は管制室からタグボートの状況をモニターしている。
「随分、気楽ですね」
 会社が所有するコロニーは十基あった。そのうち実際に使用されているのは六基にすぎない。長期的には開発の予定があるものの、使用されていない四基は、実質的に放置されている。MS7はそのうちの一つだった。
「カズユキが心配性なんだよ。それに、俺は、ちゃんと状況がわかってる。管制システムが全部やってくれるんだ。全然、問題ない」
 僕はプレッシャーを感じている。僕自身は生粋のバイオ技術者だから、コロニー間を隔てるたかだか数千キロの移動に使われるタグボートですら、一人で飛ばした経験がない。
「了解です。でも、ちゃんと見ていてくださいね」
 荷物運搬用のタグボートの運航は事前にプログラム済みだから、僕は何もしなくてもいいのだけれど、たった一人でいると、どうしても不安に感じてしまう。
「もちろんだ。おまえはおまえの大事な子供たちでも撫でてろ」
 僕はたった一人じゃないことを、イソザキさんが思い出させてくれる。普段は後部座席がある場所に固定した四基の大型ケージには、MS7に移送する犬たちがいた。
 イソザキさんに言われて、僕はタグボートのパイロットシートから、後部座席を振り返る。手前のケージの中から、ゼナの大きな瞳が僕を見返していた。ゼナの瞳からは、もう、押し殺した怒りと不安は感じられない。どちらかと言えば、ゼナは僕を心配してくれているように見えた。
「大丈夫だよ。うまく行くってさ」
 僕は、ゼナに声を掛ける。ゼナと同じケージには、生まれたばかりの赤ん坊が三頭入っていた。別のゲージには一歳になる三頭がかたまって眠っている。薬で眠らせるのは気が進まなかったけれど、やんちゃ盛りのベグ、レブ、モブの三頭が騒いだら、僕の手には負えなくなるから、やむを得ない。あと二つのゲージでは、既にゼナよりも大きく育ったリグとラグが不機嫌そうに丸くなっている。ケージに入れてから六時間が経過し、お腹を空かせているのだ。
「ほとんど衝撃はないと思うが、気をつけろよ」
 僕たちが乗るタグボートを介して、カンタベリーⅢの管制システムとMS7の管制システムが会話を始めている。タグボートの姿勢制御スラスターがイオン流を吐き出す。
「相対速度、ゼロになりました」
 ドッキングポートからフレキシブルアームがせり出していた。タグボートを捕まえた時の、僅かな揺れを感じる。長い間、放置されていても、MS7のスペースコロニーとしての機能は生きている。
「ドッキング完了。ほら、大丈夫だったろう」
 そう言ったイソザキさんも、一安心というような顔をしていた。
「ええ、今のところは」
 ふとした不安が脳裏をよぎる。放置されて十年以上、内部の空気がなくなっていたら、ここまでの努力は全てが無駄になってしまう。
「だから心配するなって。モニターは全て正常。十年くらいじゃ、何も起きない」
 タグボートがドッキングポートに固定され、ハッチの外に、与圧されたボーディングブリッジが接続された。MS7の空気が抜けていれば、ハッチが開いた時点で僕たちは全滅だったが、もちろん、そんなことにはならなかった。
「これから、中に入ります」
 ドッキングポートはシリンダーの回転軸上にあり、ほぼ無重力だった。僕は、ゼナと三頭の赤ん坊を入れたケージを台車に乗せてエレベーターまで運ぶ。ゼナと赤ん坊は、0.6Gの遠心力がかかる地上まで降ろしてやらなければならない。
 エレベーターには大きな窓があり、そこからMS7の内側を見渡すことができた。牧草が育ちすぎないように、反射版を完全に開いていないから、内側はそんなに明るくない。それでも、一面の緑は鮮やかだった。
 僕はケージの隙間からゼナの首を撫でてやる。ゼナは湿った鼻を動かし、空気の臭いをかいでいた。ここには羊は一頭もいないから、ゼナには慣れない匂いだろう。脊椎動物と言えば土を柔らかく保つために使われたミミズの数をコントロールするために使われたヒミズや地ネズミがいるぐらいだ。
 あまりゆっくりしてはいられなかった。タグボートにはまだ五頭の子供たちを残しているし、給餌機とフードを運び、セットしなければならない。それに、草を刈り集めて、ゼナたちの寝床を作らなければならない。やるべきことはたくさんあった。
「大丈夫、すぐまた迎えに来るから」
 僕は、ケージの中から疑わしそうに見ているゼナに声を掛けた。

    *   *   *

 僕は本気で怒っていた。身勝手な正義を押しつけている連中も許せないし、そんな連中に気を使う本社の対応にはもっと腹が立っていた。
「まあ、そんなにかっかするなよ。まだ時間はあるんだから」
 地表の様子は何となく伝わってきていた。敵は遺伝子工学全般に反対するバイオラッダイトと、遺伝子操作が動物の虐待にあたるという過激な動物愛護団体、それに生命の操作は神の領域を侵すという宗教保守派の連合軍で、会社のビジネスに深刻な影響を及ぼしつつあった。
「絶対に、本社の言うとおりにするつもりはありませんからね」
 バイオラッダイトや動物愛護団体、宗教保守派にしても基本的には地球を離れようとしない人たちだった。彼らのターゲットは遺伝子操作によるビジネスであり、大規模畜産業や実験動物を用いる施設で、僕たちの会社のビジネスであるスペースコロニーでの放牧は、つい最近まで、彼らの視野に入っていなかったし、攻撃対象でもなかった。
「それはわかってる。俺もそのつもりだ」
 きっかけはカンタベリーⅥだった。羊と犬だけなら、地球上の牧羊地と変わらない風景で、誰も気にとめない。それどころか、牧歌的な風景には、会社のイメージを向上させる効果があった。だが、そこに人間が写り込むことによって、画像の持つ意味が大きく変わる。
「動物愛護団体なんでしょ、なんで殺処分なんて話になるんですか?」
 本社は今、イメージの向上に躍起になっていた。遺伝子操作で巨大な羊や犬を作り出し、家畜を搾取しているという批判に対し、巨大化した羊や犬はスペースコロニーの低重力にあわせて最適化しただけで、地球上のどんな羊や犬よりも幸せに暮らしているというストーリーを売り込もうとしているのだ。そんなストーリーにとって、邪魔なのがゼナの子供たちだ。
「圧力団体としては、かなり強力な組み合わせだ。不買運動も始めてるらしい」
 ゼナは普通の犬じゃなかった。羊毛の生産効率を上げるために、牛のサイズにまで大型化した羊を管理するために、ボーダーコリーを元に品種改良された超大型の牧羊犬で、カンタベリーバラエティと呼ばれている。子馬並に大きい分、地球の重力が苦手で、低重力のスペースコロニー群でしか飼われていない。ただ、カンタベリーバラエティは、サイズがただ大きいだけで問題はさほど深刻じゃなかった。
 本社から殺処分の指示が来ていたのは、ゼナの子供たちだった。遺伝的には、ほぼ完全にカンタベリーバラエティと一致しているが、僅かな遺伝的異差が外見上に大きな違いを生んでいた。
「だからといって殺処分はないでしょ」
 僕自身が作り出したと言うつもりはない。受精卵の作成からゼナの体内への移植に始まり、全ての子供たちの出産に立ち会い、ゼナが、見た目が普通じゃない赤ん坊たちをかみ殺したりしないように見守ったのは僕だった。子供たちがちゃんと飛べるように、子供たちに飛び方を教えるためのロボットも作った。それもこれもみんな会社の指示があってのことだ。
「リスクを取りたくないんだよ。つい、何週間か前には大々的にプレスリリースを計画してたのにな」
 カンタベリーⅥの観光牧場事業で味をしめた会社が、次のアトラクションにしようと開発したのがゼナの子供たちだった。遺伝的にはほとんど犬でも、外見上からは、もはや犬ではなかった。羊たちが草をはむ上空を、コウモリの翼のように改変した前脚を羽ばたいて飛ぶ姿は、まるでファンタジー映画に出てくるドラゴンのようだ。
「さっさと発表すればよかったのに」
 発表が遅れたのには理由がある。まず、品種名が決まっていなかった。ラテン語で翼のある犬を意味するアラトゥムカニスに始まり、多くの候補があった。それに加えて、最初の二頭だけではインパクトがないというという意見も強く、公表は延期されていた。ゼナの二回目の出産で子供たちの数が五頭になったところで、プレスリリースの話が改めて話題になった。それと同じようなタイミングで、会社のビジネスに対する批判も表面化したのだった。
「発表してたら大騒ぎになってただろうな」
 イソザキさんの言葉は、多分、正しい。サイズが大きくなったことより、完全に外見が変わることの方が、インパクトが大きい。
「でも、公表してあれば、簡単に、殺処分はできないでしょう」
 僕の言葉に、イソザキさんは考え込む。本社の指示ははっきりしていた。視察団の受け入れ前に、ゼナの子供たちを殺処分しろと言うのだ。
 そう、視察団が来る。本社は会社のビジネスに批判的な人たちに、羊や犬が過ごしている環境を見てもらおうと計画していた。遺伝子操作を敵視しているバイオラッダイトや宗教保守派はともかく、動物愛護団体なら懐柔できると考えているらしい。広々とした牧場で、快適に過ごしてる羊たちを見てもらえば、批判的な考えも変わるだろうというのだ。
「とりあえず、隠そう」
 突然、イソザキさんが言った。
「そんな、無理ですよ。リグとラグにしたって、まだ二歳にならない子犬なんです。しかも、走り回るんじゃなくって、飛び回るんです。このコロニーの中に、ゼナの子供たちを隠せる場所なんてありませんよ」
 短い間なら、使用していない倉庫にでも、閉じこめておくことができるかも知れない。けれど、元気いっぱいなゼナの子供たちは、外の空間を飛び回りたがるだろうし、閉じこめるのはそれこそ虐待するようなものだ。
「大丈夫だよ。絶対に見つからない、安全な場所がある」
 イソザキさんは自信満々だった。
「どこにあるんですか、そんな都合のいい場所?」
 イソザキさんがニヤリと笑った。
「MS7だよ」
 まだ使われていないスペースコロニーの一つだった。炭素質の小惑星を原料にした土と、培養した大量の土壌生物を混合した土壌が敷き詰められ、牧草になる植物の種子が撒かれたものの、羊毛需要の低迷が原因で、羊の放牧や関連施設の建築は始まっていない。
「本気ですか?」
 確かに、機能さえしていれば、子供たちを隠しておくには完璧な場所だった。

 視察団が到着したのは、僕がゼナと子供たちをMS7に運んだ三日後だった。羊たちの改良拠点である僕たちのカンタベリーⅢは、犬たちを改良したカンタベリーⅥと並ぶ重点調査対象で、十日間の調査のうち、四日が当てられた。
 視察団は十人を越える人数で、書類上、会社の本社が置かれているニュージーランドの政府高官や国会議員もいた。さすがにバイオラッダイトはいなかったが、動物愛護団体のメンバーは入っていたし、難しい表情を崩そうともしない宗教家もいた。
 僕とイソザキさんは視察団の対応に忙殺された。イソザキさんは牧場運営の説明をし、僕は羊の品種改良について技術的な説明をした。もっとも、本社からの出張者に、あまり難しい説明はするなと釘を刺されていたので、技術的細部の説明よりも、従来の品種改良と本質的には同じことをしているという点が中心になった。
「家畜は、主が我々に与えたもうたものだ」
 宗教家の発言は予想されたとおりのもので、僕は、羊の野生原種であるムフロンと、代表的な羊毛用品種であるメリノ種との差異に比べ、コロニーで育種された羊とメリノの差は微々たるものだと説明する。もちろん、宗教家の難しそうな顔つきは変わらないが、ニュージーランドの議員さんは何度も頷いていたし、その様子を見る政府の高官も満足そうだった。
「それが失敗だったな」
 突然の出張命令だった。イソザキさんと僕は、調査団に同行し、地上に降りることになっていた。
「僕が説明したのは、教科書通りの事実で、誰が証言したって同じことですよ」
 出張先は本社のあるオークランドではなく、ニュージーランドの首都、ウエリントンだ。議会の公聴会での証言を求められている。
「だから、調査団に対する説明をうまくやりすぎたんだよ」
 状況は、いささかトリッキーなことになっているらしい。宇宙に数多くの民営のコロニーがある状態で、コロニーがどの国の法令に準拠するかという問題があるのだそうだ。それで、うちの会社は本社のあるニュージーランドの法令を選択していた。
 一方で、会社の事業を問題視するグループは、ニュージーランドでバイオ規制を強化する法案を提出していた。その法案が通ってしまうと、会社の事業ができなくなってしまう。
「でも、僕が行かなくたって……」
「行きたくないのはわかるが、じゃあ、誰に任せるんだ?」
 こういう時のイソザキさんには説得力がある。本社には、技術的なことをまともに話せる人材はいない。
「でも、ゼナたちはどうするんですか?」
 気がかりはMS7に運んだゼナと子供たちだった。視察団の調査が長引く可能性を考慮して、僕たちは、多めにフードを運んでいた。実際の食餌量にもよるが、MS7に持ち込んだフードは、一ヶ月分程度しかない。ゼナたちを運んでからすでに二週間が経過しており、出張から戻れるのはさらに二週間ほど先になる。草を食べる羊ならともかく、犬にはフードが必要だ。
「綱渡りだな」
 いつもは楽天的なイソザキさんが渋い顔で言った。

 バイオ規制強化法の審議はもたつき、長引いた。公聴会を終えればすぐに戻れる予定が、科学農業委員会での証言や、与党の特別委員会での証言も求められた。
 僕は、うまくやりおおせたと思う。一部修正を加えた法案が採択された時、会社の弁護士たちは喜んでいた。規制の強化は改正法に盛り込まれたものの、厳密な物理的封じ込めがある場合の適用除外が書き込まれたのだ。つまり、宇宙空間によって隔てられたスペースコロニーの動物たちは、法規制の影響を受けないのだそうだ。
 僕は、全然、喜べなかった。僕よりもよっぽどソツのないイソザキさんは、会社の幹部とにこやかに話していたけれど、地球上での有給休暇のオファーは迷う素振りも見せずに断り、僕たちは急いで牧場に戻った。
カンタベリーⅢを離れてから二ヶ月が経過していた。

 カンタベリーⅦになる筈だった全長六十キロ、直径十二キロの円筒形の構造体がゆっくりと自転していた。タグボートにたった一人乗り込んだ僕は、暗澹たる気分だった。僕は、連れて帰ることを約束したゼナと子供たちを、フードがなくなる期間を越えて放置してしまっていた。
「大丈夫だ。ほら、南極で越冬した犬の話があるだろ」
 イソザキさんの言葉は何の慰めにもならない。タロとジロには鯨の死骸やアザラシの糞があったけれど、MS7にあるのは牧草だけだ。それに、生き延びた二頭の他の犬は、死ぬか、姿を消していたはずだ。ゼナの栄養状態が悪くなって、授乳ができなくなれば赤ん坊たちが最初に飢えて死ぬ。ゼナと子供たちには、飢えて死ぬか、飢えて死んだ者の亡骸を食べて生きながらえるかしかないだろう。そんな風に思っていたのだ。
 けれど、僕の予想はいい方に裏切られる。
 ドッキングポートに着いた僕のところに飛んできたのはリグとラグだ。二頭とも一回り大きくなり、毛艶も良かった。

    *   *   *

 私はこの場所に来た時のことを覚えている。私をいつも世話してくれていたヒト、カズユキが私たちをケージに入れ、ここまで運んできた。 
 奇妙な場所だった。牧草の匂いはするのに羊たちがいなかった。それに、ヒトが発する雑多な匂いもなかった。
 刈り取ったばかりの牧草でできた寝床に、カズユキが翼のある赤ん坊たちを運んだ。カズユキについて行った私は、カズユキの強い不安の匂いを嗅ぎ、不安になったものだった。カズユキの手が私の首を撫で、私はカズユキに頭を押しつける。そして、カズユキはいなくなった。
 子供たちはすぐにこの場所が気に入った。自由に空を飛び、邪魔するものは何もない。
 最初に変な生き物を見つけてきたのは、食いしん坊のベグだった。お腹が痛くなるから食べないようにと言ったのだけれど、ベグにはおいしかったようで、フードよりも変な生き物の方を好んで食べるようになった。ベグと同腹のレブとモブもすぐに真似をするようになったし、最初は疑わしげに見ていた年長のリグとラグも、その生き物を口にするようになった。今では、私だけが、古くなって匂いの変わってきたフードを食べている。
 妙な振動を感じたのは、小さかった赤ん坊たちが変な生き物を追いかけ回すようになった頃で、私はすぐにリグとラグを見に行かせた。
 風に乗って、羊たちのわずかな匂いを感じる。
 私はわかっている。カズユキが帰ってきた。

    *   *   *

 僕は間違っていた。
 ゼナの子供たちは曲がりなりにも狼の末裔なのだ。生まれながらの捕食者である彼らにとって、天敵のいない環境で、子猫並に大型化したヒミズと地ネズミは、いい獲物だった。
 僕の間違いは、それだけではなかった。犬の成長は人間の成長よりも遙かに早い。一つのケージに入れていたベグとレブとモブは、それぞれがゼナよりも大きくなり、同じケージには入らない。それに、妊娠したラグをタグボートに乗せるわけには行かない。遮蔽があるとは言え、胎児には宇宙線のリスクが大きい。
 ぼくは、ゼナと子供たちの状況をイソザキさんに報告する。ゼナと子供たちを連れて帰るのは難しいと言った僕に、イソザキさんは豪快に笑った。
「だから大丈夫だって言ったろ。ラグの子供が産まれるまで、そこにいればどうだ?」
 僕もそうしたかった。でも、タグボートにはゼナたちのフードは積んであっても、ぼくの食糧は積んでない。でも、僕の食糧がないと言ったら、イソザキさんは地ネズミの調理法を教えてくれるだけだろう。
「とりあえず戻ります。ラグの出産をサポートするのに必要なものもありますので」
 下半身の骨格や、産道の作りはゼナと変わらないから、そんなに心配していなかったが、ラグにとっては初めての出産になる。僕は、ラグに付き添ってやりたかった。
「その方がいいだろうな」
 それに、イソザキさんと相談したいこともあった。MS7の将来をどうするのか、遺伝的多様性の確保と個体数のコントロールもしなければならないし、生態系の安定性評価も必要だった。
 ヒトは、ヒトの手で家畜を進化させてきた。だから、家畜の未来にも責任がある。ゼナにまとわりつく三頭の小さな生き物を見ながら、僕は、公聴会で話したことを改めて考えていた。
 まずは、次の赤ん坊たちが生まれる前に、三頭のチビたちに名前を付けることだ。それが、チビたちの未来に責任を持つことにつながる。

FINE

伊野隆之